5章6話/『気をつけたまえ。誰かに毒を吐くとき、その毒は君の内臓と喉と口腔も焼くのだ』と紳士は陳腐な警句を残した
このように強力な部隊である師団、それに複数の独立連隊と大隊を与えられた己の職務は二つであった。
ひとつは駐屯軍総司令官としてダイキリの行政や軍事を乗っ取ってしまうことである。
まずやるべきことはダイキリにその保有戦力を解体させることであった。ダイキリの保有する戦力の中で使えそうなものはモヒートに引き抜き、そうでないものは始末したり処分したり除籍する。簡単ではない。ダイキリ軍の一部には皇帝の意向を無視して、レオ・レ・レールの如く、自分たちの駐屯地に立て籠もったまま武装解除しないものがあったからだ。
倒してしまうという選択肢は、これまたレオ・レ・レールのような特別な事情がない限り、出来るだけ採られなかった。
日一日と兵站状況の悪化していく手弁当の田舎連隊など物の数ではない。だが、モヒートの国庫と兵站状況も限界に近づいていたのである。
なぜ、この世界における戦争が大会戦の一発勝負で終わるのか? 戦争に掛かる費用と国家の歳入とが釣り合わないからだ。
そもそも、ホッカイドーぐらいはある国土を千かニ千のお役人だけで遍く徴税できるはずもない。というか、もともとあの広さの国が建てられるのを想定して作られたゲームでもないのだ。国家財政は戦争をしなくても慢性的な赤字となる。
赤字を解消するには景気を刺激せねばならない。ならないが、プレイヤーの悉くを軍事と行政と司法に回している我が国では公共事業だの増産だのに打ってでるだけのマン・パワーがない。そこで国債なり外債に頼ることになる。(NPCはプレイヤーが監督してやらないとまともな生産活動を行わない)
しかし、国債は満足な景気対策として機能しない。いのちだいじに主義なNPCはともすれば深刻なデフレを招くほど消費活動に消極的だからだ。
従って、外債ばかりが増える。外債は利息が高い。利息を払うだけで何時までも元本が減らない。或いは利息を払えるかどうか怪しいときもある。現に我が国の外債を買い漁っている巨大金融国家・ペローピテは、二度に渡って我が国から利息取り立てに失敗した結果、『次に返済期日を違った場合にはある県を譲り受ける』という文書を当時のモヒート皇帝と交わしている。
それでも見世物として戦争をするゲームで戦争をやらないわけにはいかないから、とりあえず、日頃は小競り合いだの賊狩りだのでお茶を濁していたが、その限定的な戦ですら赤字を大赤字にしてしまう力があった。(師団という金食い虫を創設するのに踏み切れなかった理由のコレがひとつである)
限定的な戦は所詮、限定的な戦であって、戦いの後に大規模な賠償金のやり取りがされることもない。戦費はその補填が何時までも追いつかないままひたすらに積み重なる一方だった。
ならば、あれだけの戦力を投じた大会戦――シュラーバッハ後はどうか?
我が国は大枚の賠償金をせしめたが、それとて、分割で支払われるからこれまでの累積赤字を帳消しにするには至らない。どころか、行動させた野戦軍(七個旅団)が濫用した銃砲弾の再調達費用、死去した兵の遺族への一時金、軍票の支払いなどでその八割を消費しきってしまう見込みだった。
第一、赤字が黒字に転ずるまでには、つまり金銭が市場を伝わって社会全体に再配分されるまでには長い時間が掛かる。我が軍が活発な軍事行動を続けるだけの財源は、なかなかどうして、当面は確保できそうにない。
それは妹の師団を見ても明らかだ。師団は正規のモヒート製砲を望むだけ手に入れられないからこそダイキリ製の砲で我慢をしている。なんなら銃までも。
ああ、師団の苦しい台所事情で思い出した。ダイキリ経済の立て直しも指導しなければならない。人口の一パーセント近い人数が露と消えたからには国内の労働力が不足する。どこもかしこも――殊に消滅した師団相手の商売で食っていた地方都市などは――人手不足で不況になってしまう。不況の国を占拠し続けても旨味がない。
駐屯軍の占領政策が成功すれば我々はそれを誇大に喧伝する。失敗すれば? ダイキリ政府の過失ということにする。いつか、ダイキリ国民は自ら望んでモヒート国民となりたがるだろう。
二つ目が甘木としての仕事――師団兵站部長である。自分で引き受けたことだが、駐屯軍司令官としての職務だけでも参謀本部時代のニ倍、そこに師団兵站部長としての業務が嵩張るとなると過労死なる言葉が現実味を帯びてきた。日に四本、バリキ・ドリンクを飲まねば立っていることさえ覚束ない日がある。
依然として連合生徒会館に住み着いている己を世話してくれる古はガチのマジで生命保険のパンフレットを取り寄せた。「このプランはどうです、先輩。ワクワク若年層過労死プラン。遺族に五〇〇万円が支払われるようですよ」
古と言えば、兵站部長としての副官は、新たに第五旅団参謀長に就任した達人に裏から周旋してもらった。面白みはないが堅実な男である。
この副官とは別に護衛が着くことになった。不測の事態に備えて、ということであったが、監視である。甘木は会長直々の推薦で第ニ旅団に送り込まれたのだから自然な反応ではあった。
監視役は須藤であった。シュラーバッハ会戦でのキルレシオがニ〇にもなる、シャーク・トレードの権化みたいなあの男は初対面の己に握手を求めた。己が咄嗟に反応できないと彼は眉間にシワを寄せた。
「アンタ、人んちで出されたおにぎりとか食べられないタイプっしょ? 違う?」
苦手なタイプであるが、甘木状態の己は人好きする性格を演じていた。己は彼と闊達に付き合わねばならなかった。そして、どれだけ闊達に付き合ったところで『甘木はスパイなのではないか』の噂があちこちで囁かれていた。
須藤だけでも精神面での負担は大きかったが、そのうち、その負担は二倍になった。兵站部附きという肩書で那須城崎が配属されてきたのだ。
兵站部附きとは研修生に与えられる役職であった。仕事は上司に怒鳴られること、である。那須城崎は違った。あの女は兵站の概念を教えるまでもなく知っていた。
己も経理課の連中も自尊心を傷付けられた。アイツは低学歴なのだ。成功しているといっても負け組で、道端に落ちている五円玉を我先にとネコババするような女に嘗められるのでは面白かろうはずもない。己はアイツの前で好青年を演じるのに甚だ骨を折った。
肉体の骨折だろうが精神の骨折だろうが、折れた骨を癒やすにはカルシウムが必要である。だが、己がどれだけ牛乳を飲もうと、摂取したカルシウムはそのそばから消費されていった。頭痛と悩みの種とが増え続けたからだ。
そのひとつが投木原だった。ふざけた名前のチームごと参入してきたあの男たちは妹の私兵のように扱われている。チームのほぼ全員がどうしようもなく尖った性格をしているため、一般の部隊に組み入れることはできそうにないと判定されたからである。
このゲームは覚えることが多い。専門性も強い。だから初心者と一年以上の経験者では後者の方が圧倒的にゲーム・プレイが上手い。特に軍隊の花形と言える指揮官業務においては雲泥の差がある。投木原はトーシロだ。泥縄式の教育しか受けていない。にも関わらず、奴は既に中隊指揮をこなしつつある。
投木原に中隊指揮を教えた妹の手腕も卓抜している。だが、それ以上に本人に素質があったのだ。(中隊を纏め上げるということ事態は自然と出来ても不思議ではない。もとから同じぐらいの人数で構成されるチームを率いていたのだから。しかし、不良グループと、ゴッコ遊びとはいえども軍隊の本質は異なる。異なるはずだ)
己は自分の、妹が特別なだけで、それ以外の低学歴とは何も出来ない無能集団だという偏見を自覚させられるのが嫌だった。己は自分で自分を騙すのに疲れ始めていた。
『馬鹿とハサミは使いようなだけだ。アイツらはただ得意な分野で活躍しているだけだ。専門外のことをやらせれば大したことはない。――で、それはお前と何が違うんだ? お前はただ数字に強いだけじゃないか。その数字に強いというのがたまたま勉強に役立っただけだ。アイツらとお前とで何が違うんだ』
骨折はいつまで経っても治らない。己はそのうち甘木になったことを後悔するようになった。
鬱憤が溜まりすぎたのだろう。己は馬鹿なことをした。数日前、旅団駐屯地の廊下を歩いていると二人のプレイヤーが諍いを起こしていた。というよりも、片方がもう片方に因縁をつけていた。その因縁をつけられている彼が可哀想だったから、己は最初から割って入ろうと思ってはいた。
だが、管を巻いていた方がこのように言ったのが聴こえて冷静さを失ってしまった。
『左右来宮は運が良かっただけなんだぞ。シュラーバッハであそこに居たから英雄になれたんだ。だいたいな、アイツのやったことなんてのは小学生でも思いつくような軍事の基本だ。アイツは第六旅団を見殺しにしたのさ。見殺しにして自分だけ功績を上げたんだ。それに、あのアバズレ、会長の女だって言うしよ、贔屓されてんだ! でなければ低学歴があんなに出世できるもんか』
ある国立大学の入試問題は発想さえあれば小学生の知識でも解ける――と聴いたことがある。ならば、現実にその大学へ合格したものは何人いるのだ?
簡単なアイデアであっても限られた時間内に思いつくかどうかは別問題だ。それにもし、発想があったとして、発想だけでは戦争に勝てない。何事も実行することが一番、大変なのだ。
己はそのプレイヤーの襟首を掴んでしまった。野郎、己の役職がわかっても「なにをしやがる!」と叫んだ。己は無我夢中で叫び返した。何かを批評したり欠点を指摘することは大切だろう。そうしなければ誤解する馬鹿もいるし直らない欠点もある。だが、なぜ、わざわざ不愉快な暴言を混ぜるんだ?
返事はなかった。代わりに、己の顎に野郎の拳が叩き込まれた。情けない、己はその一発で軽くノされた。結局、その場はトイレにまで着いてくる須藤が収めてくれたのだが、アレを機に旅団内での己に対する評価が変わった。
このところ、己はどこへ行っても、誰からも過剰なまでに丁重な挨拶をされる。助けてやった、あの浜千鳥とかいう大隊長からは尊敬すらされているようだった。報告書によってあの騒ぎを知った妹も己のことを信じ始めたようだ。己は本能的にそれにつけいった。
口八丁手八丁、聴こえの良い言葉を並べて妹の信頼を勝ち取って、以来、かなりプライベートな付き合いをするようになった。『甘木さんは何でも心配してくれるんですね』だって? ああ、畜生、そうだよ。
己は何をしているのだろう。なんてことをしているのだろう。そう思いながらも。
……そして、やがてラデンプール会戦へと至る。





