5章5話/♪スリーミニッツ・クッキングのテーマ
シュラーバッハ会戦の趨勢が決定的なものとなったのは七月一日午後四時一五分である。
モヒート軍は崩壊したダイキリ軍に対し降伏勧告を行った。この勧告の受諾されたのは五時四六分であり、翌、ニ日にはダイキリ皇帝から全土に向けて敗戦が発表された。
ダイキリは屈辱的なまでの講話条約を飲まざるを得なかった。軍解体、モヒートへの領土割譲、国庫の破綻しかねない莫大な賠償金、首都・ロホーヒルヒへの駐屯軍の設置や内政干渉の受諾などがそれである。親会社の介入で(『彼らはもう一合戦ぐらいは』と望んでいる)完全併合とされなかったのはダイキリにとって幸か不幸か。
七月九日、ロホーヒルヒに初めて到達したモヒート軍の一団が駐屯軍仮司令部を設置した。それまで、シュラーバッハから程近い都市・レメンテッテに留まっていた己と第ニ旅団がロホーヒルヒに到着したのは七月一七日のことになる。明けて一八日、モヒート皇帝の代理人たる己とダイキリ皇帝との間で正式な降伏文書調印があり、ニ〇日の時点でロホーヒルヒの占領が完了した。
この一連の流れの中で妹はモヒート皇帝・田中三重吉から勅命を賜っている。曰く、第ニ旅団残存兵力に再編成を済ませた第六旅団を合併、仮説第一師団を編成すべし。
勅命が発されたのは七月九日深夜であり、妹がそれを受け取ったのは一〇日早朝、実際の編成が完了したのはニ五日のことだった。
一般に新規部隊を編成する場合、それに要する日数は、もちろん部隊規模によって差はあるものの、早くて一ヶ月半となる。特に今回はこれまで存在しなかった部隊編制の新設であるから、二週間というスピードは驚異的、さもなくば異常と評して差し支えない。(新たな部隊編制を創設する場合、そもそもそれがなぜ必要であるのか、必要であるとしてなぜいま作らねばならないのか、作ったとしてどう扱うのか、扱うにはいくら金が掛かるのかなどの事前研究と討論が必要になる。また、いざ作ることになったところで予算獲得などに年単位の月日を費やす場合もあった。野球部のない学校で新たにそれを創設する場合に必要な手間を一〇〇〇倍にしたものと思えばそう間違いはない)
この異常な速度の理由は次の点に求められる。
師団編制、そのメリットがモヒート軍に痛みを伴って理解されたからであった。
そもそもモヒート軍が師団編制を採用していなかった理由は何か? ずばり、旅団で用が足りたからであった。
ブラスペ世界における軍は対外的紛争を解決するための道具であると同時に治安維持機構でもある。警察組織は全国に整備されているが、例えば――主導するのがPCかNPCかはさておきとして――地方の有力者や部隊が武装蜂起を起こした場合には軍がその解決に当る。
そして、ブラスペは視聴者のため徹底的な“ことあれかし主義”であり、そういった類の反乱に事欠くことはない。もし事欠くことがあったとしても、地形の強い地域、例えば山であるとか谷であるとかに、時々、その出現をどう考えても論理的に説明できない強盗団などが湧いて出る場合すらある。(プレイヤーはこれを親会社からのテコ入れと呼んでいる)
さて、モヒート軍は最大で七万人強の軍隊である。モヒートには九つの県がある。それらを全て統一された指揮系統を持つ軍隊でカバーした上で、尚且つ、年中行事のように繰り返される国境での小競り合いをクリアするにはどのような編制を取るべきか?
旅団(定数六〇〇〇人)を九つ設ければよい。残りを独立連隊だとか大隊として編成、国境であるとか、或いは旅団でも手の回らない辺境で起きた問題の鎮圧に使うのだ。
もちろん、かねてから師団を編成すべきではないのか――という意見もあった。どこの世界、どの時代にも、既存のシステムを斜めから見る層はある。
だが、それらの意見はこれまで常にあしらわれてきた。冷笑と共に。それは師団編成を取ることで得られるメリットがデメリットを上回らなかったからであった。
師団――二個旅団分の戦闘力を持つその部隊編成は正面からの殴り合いに強い。元より会戦という、大戦力をぶつけあう戦いを効率的にこなしきるために発想された編成であるから当然ではある。だがそれと引き換えに、師団は、その薄らデカい図体を維持するために大量の資金、土地、食料、人材、なによりスキ無く構築された連絡網を必要とするのだった。
イチから考えればわかりやすい。一個師団は一つの司令部で二つの県の面倒を見なければならない。で、その片割れのすみっこで問題が起きたとき、その問題が該当地域を担当している連隊で手に余る場合、現場から司令部までの連絡にはどれぐらいの時間が必要だろうか?
時間だけではない。連絡のため、田舎の連隊本部から都会にある師団司令部まで定期的に駅を設ける必要もある。その駅には常に何十頭かの馬が必要だ。その馬を世話する人間も。その人間が住む場所も。彼らの給料だって。馬に与えるアルファルファだってタダではないぞ。そもそも彼らをどこから連れてこようか。ああ、そうそう、悪天候に備えて、連絡網は数本、用意せねばならない。もちろん師団が抱える全ての連隊ごとに。それらの連絡網がキチンと機能しているかを査閲する特別なセクションを設立して運営することも想定するべきだろう。――こんてことを、農業立国でもあるまい、馬も穀物も労働力も足りていないモヒートがこなしきれるはずがない。
“二個旅団分の戦闘力を持つのではなく二個旅団を束ねる存在としての師団”を求める意見、一部の層から根強かったそれが通らなかったのもこのためである。(ひいては地方毎、現実で言うならトーカイやキンキのような地方毎に、複数の県に跨って複数の旅団を統括する地方総監部が編成されていないのもこの辺りが関係している)
……零れ話ではあるが、それでも無理をすれば師団新設は不可能ではなかった。だが、その無理をする者が誰もいなかったのである。サトーがブラスペを去った後、その後継者を名乗る人物が建国したこのモヒートは、経緯上、どうしたって保守的にならざるを得ない。“サトーが定めた軍制を変更する”というのは並のモヒート軍人にとってかなりの抵抗がある。まして、それには前例がなかった。なんともはや。
それが今回、急に改まったのは、シュラーバッハにおける第六旅団の突撃を教訓としてのことである。
旅団は総司令部からの命令に応じて実際には旅団長が動かす。だから同じ戦場に二つの旅団を配置したとき、総司令部がそれぞれの旅団に同じような命令を与えたところで、各旅団が取る行動が一致するとは限らない。それどころか、まさにシュラーバッハの地獄絵図、おれはこうするからおまえはこうしろ――が発生してしまう。すると総司令部の狙い、意図、目標、そういったものがまるでパーになってしまう。戦争に負ける。(シュラーバッハで勝てたのはあくまでも妹とアイツの幕僚らの個人プレーが奇跡的に成功したからに過ぎない。最初から奇跡を期待して行われる殺し合いを戦争とは呼ばない)
師団ならばそうはならない。師団は、シュラーバッハで言うところの右翼、中央、左翼、それぞれの戦場をそれひとつで担いきれるからだ。もちろん今後、モヒート軍のサイズが膨張して、師団が複数、成立したときにはまた次の軍制改革が必要になるだろう。(例えばダイキリ軍は師団を束ねる存在としてその上に軍団という編制を設置していた)
なお、妹の師団は旧ダイキリ軍の遺した運用ノウハウと設備とで運営されている。幕僚団の過半数は第ニ旅団からのエスカレーターであった。“妹の師団が速やかに編成された理由”はこの二点、必要なものが最初から揃っていたからに要約される。
(ところで――“部隊編制”とは料理で言うレシピのことを意味する。カレーには肉、じゃがいも、にんじん、それにルーが必要ですといったような。これに対して’部隊編成’は現実にその料理に使われているものを意味した。このカレーには隠し味として味噌が入ってますよという具合に。
このヘタなたとえに師団を当て嵌めた場合、編制上、師団は四個歩兵連隊、一個騎兵連隊、一個砲兵連隊、それに各種支援部隊で構成されることになる。
一方、妹の師団の編成は四個歩兵連隊、一個騎兵連隊、一個砲兵旅団、それに各種支援部隊をモリモリで構成されている。
編制は軍務省が定める。編成に関しては部隊指揮官の要望が反映される。無論、予算や環境や常識が許す範囲で。
そういう考えに立ったとき、妹の師団は編制上にせよ編制上にせよ論外な部隊ということになるが、アレは師団運営のノウハウを集積するために設立された実験部隊的性質を持つ“仮設師団”であるため、全く例外的に、皇帝からやりたい放題を許されているのだった)





