4章7話/ひとつの終わりと幾つもの始まり
「アイツ、なんでまだ自殺しないの? 生きてて恥ずかしくないのかな。突き飛ばされたときに死んじゃえば良かったのにね」
ジャブの打ち方を知らないのか。
退院して一発目、学校へ出た私は私の陰口を聴いてしまった。女子トイレ内でのことである。私は個室にいて、その陰口を叩いておられる麗しのJKたちは洗面で化粧を直していた。女子の本分を遺憾なく爆発させた彼女らは切れ目なく三分三六秒間に渡って私の悪口をばら撒いた。私はまんじりともせずその会話を聴き続けた。
「っていうか、あのコさ、ちょっと可愛いからって調子に乗ってない?」
「ね」
「っていうかさ、そもそも怪しいんだよね。あの、何時も一緒にいる高望っていうコと出来てるんじゃないかって話もあるし」
「あー、ね」
「ってか、斜に構えてるワタシってカッコイイなとこない?」
「ね。あるある」
全てのセリフの後に(笑)が着くこの感じ、割とマゾヒズムに精通している私でも受け止め切るのは難しい。大体、どういう次第で相槌の種類が『ね』しかないのか。『ね』っていうのはそんなに万能なワードでしたでしょうか。ね。ね、ね、どうでしょうか。ね。ね?
お色直しを終えられた彼女たちはそそくさと去った。私は個室を出た。ほぼ同時に隣の個室からも誰かが出てきた。見覚えのある顔だった。同じクラスの、いつも、隣に座っているあの音楽の彼女ではないか。目と目があった。彼女は愛想笑いをした。私はニタニタした。それ以外にどうしろっていうねん。
ピンポンパンポーンが鳴ったのはこのときだった。
『二年三組の左右来宮さんと壱式さん』が何度か繰り返された。
愛想笑いをしていた彼女が「えっ」と仰天した。校内放送は『校長室へ来てください』でシメられた。私と推定・壱式さんは顔を見合わせて「ええっ」と驚いた。
生徒総数の増加に伴う無計画な増築、六度にも渡るそれを経てシンジュク駅並の迷宮と化した我が校である。私と壱式さんは苦労して校長室へ罷り越した。校長室というよりも応接間に近い内装のそこには四人の先客がいた。リーゼント、外国人、凛々しい美人、それに悪の組織の女科学者みたいな我が部の顧問である。
「よく一人で来られましたね」私は我が部の顧問をまるきり舐め腐って言った。
「彼等が連れてきて来れたのさ」
椅子に深々と座らされたかなで先生はリーゼントらを見やった。
以前、祖母の墓詣りをしたときに面識を得た彼、投木原春純君は工業科にその名を轟かせる不良である。不良と言っても現代の不良、周囲がそう呼び習わしているだけのことで、実際には些か素行の悪い人たちに過ぎない。盗んだバイクで公道最速を目指すとか喧嘩百戦百勝の伝説を築きたがるのは今は昔、投木原君は精々が制服を着崩して、授業をサボって、お酒だの煙草だのに手を染める程度である。
そして、その程度のことであれば私もよくしているが、私は不良とは(そんなに)呼ばれない。やはり人は見掛けで物事を判断するということだろう。
投木原君は立派な応接椅子から立ち上がった。私に向かって頭を下げた。「良いカチューシャですね!」と的外れなところを褒められる。どうも。
外国人にも見覚えがある。訓練幕僚を買収するためにお金を借りた那須城崎さんだった。ミルク・チョコレート色の肌に金髪碧眼な彼女は、しかし、生まれ育った地域の関係から「久しぶりやなあ!」という訛りを巧みに操る。彼女の両親がヒノモトに帰化してからニ〇年以上が経過しているそうだった。
那須城崎さんは近日、さして珍しくもない学生起業家で、カリメルで輸入品を売りさばくというセコい商売から身を立て、いまでは一廉の金貸しになった。――何をどうすればそうなるんだ? わからないが、そうなってしまったものは仕方ない。彼女は低学歴ながら“成功“している希少価値の高い学生であった。
見知らぬ美人の少なくとも名前に関しては壱式さんが教えてくれた。「桜子」と壱式さんは彼女を呼んだ。大八分咲桜子というのが彼女のフルネームだそうで、なんというか、途方もなく素敵なお名前ですね。
「おっ」奥にあるもう一部屋から四〇歳ぐらいの男性がヒョッコリと顔を出した。無精髭、白いスーツ、室内だと言うのに被った麦藁帽子のゴミは緩んでおり、何処からどう見ても変質者であるが、彼こそは我が高校の長であった。「揃ったみたいね」
校長はヘラヘラと言った。「じゃあ話を始めるか。あ、そう、そう、ポジション・トークなんだけどね、コレ? 授業中に来て貰ってスマンね。ま、サボれるからいいでしょ。どうせ授業なんてつまらんからね」
「全くです」
フカフカ椅子に腰掛けた私は遠慮なく言った。かなで先生が苦笑した。壱式さんが若干、引いた。大八分咲さんは表情筋をピクリとも動かさない。投木原君は太鼓持ちの如く熱心に頷き、那須城崎さんはそんなことよりも飲み物のひとつも出してくれへんですかねと逆に催促を始めた。
「君らは度胸があるねえ」校長は主に私と那須城崎さんのことを言っている。
「どうも」私はペコリとした。
「お招き頂いて何も貰わないちうのは損ですわ」那須城崎さんは傲岸不遜である。
なにを飲むね? と、校長は面白そうに尋ねた。私は巫山戯てブランデーを入れた紅茶をくださいと宣った。那須城崎さんは冷コーを要求する。校長はパッと奥の部屋へ姿を消した。全国オトナを馬鹿にする高校生を抹殺する会に通報するのかなと思った。違った。恐縮、奥の部屋へ戻った校長は我々が所望した通りの品を手ずから運んできたのだった。投木原君らにも差し当たってお茶と菓子類が振る舞われた。
「でね」自身は缶ビールなど飲みながら校長は彼のいわゆる話なるものを始めた。――
冷房の効いた部屋の中で話はおよそ一〇分に渡って続いた。(連続地震以来、ヒノモト各地の原発は稼働を停止し続けている。ために電気代は高まる一方、計画停電なども頻繁であり、冷房をガンガンに稼働させられることは一種のステータスと化している)
「つまり校長の話を約めると」
私はブランデー紅茶を啜った。カラメルと桃に似た独特の甘い味がした。「私は特待生にして貰える。ただし、その見返りとして私は卒業するまで我が校に在籍せねばならない。また、彼らを我が部へ入れろ、と」
校長は火照ったらしい頬に二本目の冷たい缶ビールを押し当てながら頷いた。「うん。そう。物分りいいね。君が居るだけで来年の入学希望者が増えるだろうからね」
物分りよくもなる。校長は私に、衆人環視をものかは、机に立つほど厚い封筒をくれた。この上で特待生である。今後、一切、学費を払う必要がないというのは――私は私の学費を自分で払っていた――抗い難い魅力であった。ただ、この奇妙な連中を部に入れろというのはどういうことか。
「ソレに関しては本人たちからお聞きなさいよ。ま、広告塔は多ければ多いほど良いからさあ」
校長は欠伸を噛み殺した。学校を、不労所得の源だとしか考えていない理事長に代わって実質的に切り盛りしている彼であるが、こうして見ると不良中年としか受け取れない。彼は薄着のかなで先生の豊満な肢体を眺めながら「夏だねえ」と呟いた。口笛まで吹いた。その彼の背後には『ストップ! セクシャル・ハラスメント』のポスターが貼られている。ただし、色褪せたそのポスターに写っているタレントはまさにセクハラで逮捕されてから消息不明な男だった。
「ほならウチから」那須城崎さんは肩の辺りで手を挙げた。
「いや、最近、商売が行き詰まっとってな。ビジネス拡大のためにも人脈作りをとおもとんねん。で、人脈作りと言えば今時はゲームや。ただな、ウチ、外国人に見えるやろ? ジョンブル語もバラト語も話せへんちゅうとんのに、ま、ま、しょーもない世の中やからなあ。取りにくいねん、プロ免許。せやから左右来宮の方で誰か懇ろなんに口を利いてくれひんかっちゅうことで」
「ですか。那須城崎さんには借りがありますから、まあ、その程度のことで良ければしますけれども。投木原君は?」
「左右来宮さんが最高にツッパってるんで」
ハマの番長みたいな、そのリーゼントをセットするにはどれだけのポマードが必要なのだろうか。彼は自慢なのだろうリーゼントをブンブンと上下に振りながら熱弁まで振るった。「自分らも是非にご一緒してえなと」
「自分らとは」
「チームです」
「チームですか」
「はい、頑駄無っていう俺のチームです」
「それっていうのはどういうチームですか」
「まあ不良グループですね」
「何人ぐらいおられるんですか」
「ニ〇〇人です」
「ニ〇〇人ですか。前の我が部でも八〇人だったんですが」
私はある故事を思い出していた。「まあ、ブラスペは常に人手不足なゲームですし、どうせ部室に集まるようなことは飲み会とか暇潰し以外にあまりないですからね。一応、顧問の意見を聞いておきましょうか」
「いいんじゃない」かなで先生はテキトーをほざいた。彼女は校長が奥の部屋から持ち出した六本パックのビールを既に三本、空けていた。四本目に手を伸ばす。「私はどうせ名目上の顧問さ。纏めるのは君。世話をするのも君。なにかあったときの責任すら君。君がいいと思うならそうすればいいよ」
「いい加減にしなさいよ、かなで君」校長は窘めた。
「少しは遠慮しなさいよ。ビール、飲み過ぎよ? 高いんだから。大体、君にはあげるって言ってないでしょ」
「グラビア代ですよ」かなで先生は知ったことではないとばかりに四本目のプルタブを引いた。誰も手を着けていないとはいえ生徒のために用意されたお菓子類までバリバリと食べ始めた。「校長もセクハラが原因で解雇されたくはないんじゃないですか」
「コレも飲みなさい」校長は自分の二本目をかなで先生に押し付けた。
「……。……。……。と、いうことだそうですから、投木原君、私としては貴方たちを歓迎します」
「ありがとうございます」投木原さんは無闇に頭を下げる。「自分らもこういうアレなんで、取りにくいんス、ライセンス。よろしくお願い出来れば幸いです」
大八分咲さんと壱式さんとは揉めていた。
「こんな話」壱式さんは取り乱している。「私、聴いてなかったんだけど」
「すみません、部長」大八分咲さんはキビキビと話す。「しかしこれはチャンスですよ。――左右来宮さん、私と部長は去年まで音楽科に在籍しておりました」
「音楽科?」
私はかなで先生の横顔を見た。「失敬ですが、あったんですか、そんなものが」
「オーケストラまで持っていたとも」先生はビール缶の腹を指先で叩いた。ペコンと非音楽的な響きがした。「去年で廃止されたんだ。その、去年末に出た大会で色々とあってね。進学や就職実績なんかも良くなかったし。この娘らはいま、もういちど音楽科をやり直せないかって、吹奏楽部とか作って努力はしてるんだけども」
かなで先生はハイパードライ・ビールの缶を傾けながら肩を竦めた。大八分咲さんが壱式さんの手を我々から見え辛いところで握った。壱式さんは俯いている。
「あのゲームには軍楽隊があると聞き及びました」
大八分咲さんが言った。彼女の手には大量の絆創膏が貼られていた。「それも、とても大切な役割を担っていると。いまはNPCにやらせているということですが、とんでもない、大切な役割であるならば私たちのようなプロフェッショナルをお使いください。どうですか」
凄いほどの熱意と迫力だった。彼女はよほど優秀な営業ウーマンになれるだろう。私は苦笑した。「いいですよ」と気楽に請け負った。
諸事、面倒なことはあるだろう。プロ・ライセンスの取得は簡単だが、しかし、決して安くはない。機材購入のための費用も入用となる。
だが、望むと望まないとに関わらず、私は敵ばかり多い英雄だった。私自身と私の大切なものを守るためにも仲間は多い方がいい。いまの立場を利用すればお金の工面はつくだろう。多少の無理も通せるはずだ。――保身か。数ヶ月前ならば考えられないな。自己嫌悪を感じなくもないが、生き延びるためであれば已むを得ないと割り切るしかなさそうだった。ああ、こうして私も堕落していく。(とはいえ私は元より俗物である)
校長室を辞すと廊下で頂が待っていた。竹刀袋を担いだ彼女は、
「なぜ一人で行ってしまうのですか! 危ないから一人で行動してはいけないとアレほど言ったでしょう!」
私の額をキツ目にデコピンした。スマホにはチャット魔の黒歌さんから大量のメッセージが来ていた。
この日こそ。後から思えばである。契機であった。私の運命はココから転がりだした。
七月ニ〇日、ダイキリ首都・ロホーヒルヒに赴任した私は甘木さんと宿命う。





