4章5話/『でも結局はたかがゲームじゃない』
やがて案内されたのは大部屋だった。三〇人ほどの面子が集まっていた。どれも第ニ旅団で参謀とか指揮官とかをやっていた顔である。私はそのうちに頂を認めた。平生、私の保護者を自任している彼女は私の行くどこへでも着いて来たがるが、今日に限っては先にココへ来ていた。なにしろ参加者が参加者、私に好意を抱くような乱暴者ばかりなので、彼女ぐらいまともな人間がいないと開会を待たずに乱痴気騒ぎが行われる恐れがあったからである。(私個人としてはそれでも良かったが店側の迷惑というものもある)
「変な感覚ですね」私は参加者の顔を等分に眺めながら言った。
「逢ったことがあるはずなのに初めて逢う。皆さん、身長とか顔立ちとか、やっぱりリアルより少し盛ってましたよね?」
ドワッハッハッと会場が沸いた。その会場の至るところに七輪だ鍋だが用意されていた。
戦勝祝賀会というよりもお疲れ様会に近いこの会合は、改めて、剣橋さんの挨拶なるものから始められることになった。だがその内容は支離滅裂、聴いているだけ時間の無駄だったから、いい加減で飲み始めたい何人かが『引っ込め!』と叫んだ。剣橋さんは熱くなった。彼は持ち歌であるという、アニソンに聴こえないアニソンを知っている限り歌いだした。我々は彼を無視して乾杯した。黒歌さんだけが剣橋さんとデュエットを始めた。
私は参加者全員に一渡りの挨拶を終えた後――我々の大半はモヒートが公式に催している戦勝パーティに招待されていなかった。だが、中にはソチラを蹴ってコチラへ駆けつけてくれた者もいた――、部屋の隅に陣取った。隣に座った頂がグラスにビールを注いでくれた。飲む。
一杯目の麦ジュースを悪魔的に美味しく干したところでふと思い当たった。このところ忙しさにかまけて、私ってば、もしかして断酒していたのではないか? とすれば、中学進学以来、実に四年ぶりにシラフで生活していたことになる。これは目出度い。実に目出度いからガブガブと飲んだ。
「旅団長」ふらりと宵待さんがやってきた。彼女、全員のグラスに一献して回っているらしい。「まま、おひとつ」
「いやこれは。おっとっと。……貴女も飲まれればいいのに。これだけいると大変でしょう。そこまで気を遣わなくていいですよ」
「そうですね。三三人もいますからね。旅団に居たプレイヤーの七分の一だそうで。旅団長、なんだかんだ好かれてたんですね。私はもっと蛇蝎の如く嫌われてるのかと思ってました」
彼女はさらりと残酷なことを言ってのけた。頂がぐぬぬという表情になった。私はニタニタした。宵待さんはそんな私の口元に生じた白いヒゲを拭いてくれた。お礼を言うとクスクスと笑われた。
「こういうの、もう習慣になっちゃってますから。半分、趣味です。気になさらなくて結構ですよ」
彼女はヤケに世慣れた方便を弄して平然としていた。芸術畑の人間はこんなもんかなと私は思った。
宵待さんはそのうち、お酒のみならず、鍋だツマミだの世話まで焼き始めた。してもらえることはなんでもしてもらえ主義な私とてコレには心から恐縮、いや本当に、本当に平気ですから、どうもどうも――と、ペコペコせざるを得なかった。それで黙っていないのは頂、彼女は私の飼育係を宵待さんに取られてはたまらないと一念発起、私がグラスを空にするが早いか、フチに残っている泡の弾けきらない内に新たなビールを叩き込む。
「あらあらまあまあ」頂は宵待さんに微笑みを向けた。笑いながらも額に青筋が浮かんでいた。「ここはもう結構ですから、宵待さんもごゆっくりどうぞ」
それがまた宵待さんの心の琴線に触れたらしく、彼女、頂と先を争って「まあまあまあ」をやり始めた。
私がビールを飲む。頂が新しいのを注ぐ。我々の間には既に有無を言わせない空気が醸されている。『飲め』という無言の圧力に負けて私はまた飲む。今度は宵待さんが注ぐ。飲む。注ぐ。飲む。注ぐ。飲む。注ぐ。殺す気か。
酒好き、それは認めよう、だが、いかな飲兵衛と言えども自分のペースとか酒量とかいうものがある。私は二人が睨み合っているスキにその場を逃げ出した。残された女豹と黒猫はおよそ可憐なる乙女が繰り広げるべきではない陰湿な舌戦を展開し始めた。――
私はつくねんとしている冬景色氏を見付けた。接近する。その道中、本人からしてみれば気を利かせたつもりなのだろう、無断でからあげにレモンをかけた花村君が同席者から怒られていた。「よ、喜ぶと思ったんです! だって、からあげって言ったらレモンじゃないですか! 醤油マヨなんてヤバいものを使うとは思わなくて!」
あけすけなくそう弁解した花村君は数人の男女に組み伏せられて敢え無くお亡くなりになられた。
私は小さな卓袱台を挟んで冬景色と向かいあわせに座った。彼は控え目な会釈を寄越した。私は程よく中身のヘタった座布団の上で足を組んだ。兄の前で見栄を張るとき以外、私はこのように、どうも行儀の悪いというか、だらしない姿勢を好む傾向があった。
「楽しんでいますか」私は愚にもつかないことを尋ねた。
「ええ」冬景色氏はナスの漬物に箸をつけながらやはり控え目に頷いた。
私は苦笑した。彼が一人で使っているこの卓袱台の上にはナスの漬物、それを乗せた皿がビッシリと並んでいた。鍋や肉類には食指のしの字も示さない。
「冬景色さん」私は重ねて愚にもつかないことを尋ねた。「食べないならコレ、食べていいですか。飲んだら食欲が出てきましてね」
「どうぞ。私は肉類を食べませんので。しかし、勿体無いですからね、実際」
「ベジタリアン、ええ、と、ヴィーガン――と言うんでしたか。実は詳しくないんですが、そういうアレで」
「単純に味と気分の問題です。いまから食べられる人の前で失礼だが、どうも肉を食べるのは気味が悪い。同様の理由でキノコも好きません。菌ですから」
偏食であるのは知っていたが、コレはまた、思いも寄らない一面があったものだ。私は彼と話しながら鍋用の菜箸を手にした。蛇顔の作戦参謀は、これも意外、話し始めれば幾らでも話せる男だった。彼はカエンタケやハイドネリウム・ピッキーなどという、極端な毒性や外見を持つキノコを例に挙げて、
「キノコなど人の食べるものではありません」
それに親でも殺されたかの如くキノコを否定した。「旅団長、生きるためには食べねばなりません。しかし、生きていれば何れ死にもするのです。何をどうしたところで。つまり、我々は生きるため以上にやがて死ぬためにオマンマを食べていることになります。そして、死ぬためであれば、生きるためによりなおのこと上等で好きなものだけを食べて行かねばいけません。ろくなものを食べずに死ぬのは余りに下らない」
卓袱台上の鍋からそろそろ牛の焼けるとき特有のニオイが立ち始めた。今日は奮発している。鍋の中で完成しつつあるのは和牛のすき焼きだった。(関税撤廃以来、メリケンから流れ込んできた牛肉との価格競争に敗れ、こんにち、和牛のお値段は庶民の手が届かない成層圏外にまで吊り上がっている)
『酒飲みのすき焼きに砂糖は入れない』と、かなで先生から教わったことがある。サッと焼いた牛肉に味醂と醤油だけで味をつける。この肉に適量の大根おろしを載せて食べるのだそうだ。それを実践してみた。――なるほど、コレはいい。一度、食べてみたら二度目はもういい。私は極普通のすき焼きに舌鼓を打った。頬張れば綿あめのように溶ける肉の脂をタマゴの甘みが包み込む。こういうのでいいんだよ。私はかなで先生の味覚をこれからは信用しないことに決めた。
「不思議なモノの食べ方をしますね」
かなで先生風すき焼きを目の当たりにした冬景色氏がポツリと言った。そういう彼自身は白いご飯の上に四割にした饅頭を乗せていた。なお、饅頭は極めて計算づくで割られたため、人力で割ったとは思えないほどほぼ正確に四等分されている。
「貴方がそれを言いますか」私は流石にツッコミを入れた。
「これは不思議でも変でも――失礼」
冬景色氏は卓袱台の上に(まさか持ち込んだのではあるまいな)急須とポットを用意していた。彼は中からグツグツと煮えたぎる湯の音がしているポットの蓋を開けるなり、着ていた服の懐から温度計を取り出した。躊躇なく、無駄もなく、彼はそれをポットの中へ突っ込んだ。「あと五度」
素早く蓋を閉じた彼は私に目線を向け直した。「これは不思議でも変でもありません。拘りというのです。若しくは独特か――失礼」
今度は満足の行く温度だったらしい。彼はポットの中身を急須へ注いだ。正確にニ分四五秒を、背筋を伸ばして正座、瞑目、沈黙した上で過ごした。そして、苦労の末に出来上がった会心の焙茶を饅頭乗せご飯の上からぶっ掛けた。ここまでやってそこは雑なのかよ。一意専心、彼は出来上がった茶漬け牴牾のような何かをハフハフと掻き込み、たったの三〇秒で食べきってしまった。
「ごちそうさまです」彼は掌を合わせた。「……で、この食生活は不思議でも変でもありません。拘りというのです。若しくは独特か個性的です」
「奇行という言葉があるのをご存知ですか」私は半分ぐらい真剣に尋ねた。
「個人の自由の範疇です、旅団長」冬景色氏はあっけからんと食後のお茶を楽しんでいる。
「なんというか、貴方は私の考えていたより遥かに面白い人なんですね」
冬景色氏の眉間にシワが寄った。彼は手にしていた、たっぷりの焙茶を注いだ茶碗を卓袱台へ置くなり、洵に真面目な表情で私にこう訊いた。
「もしや旅団長は、いまのいままで、私が面白い男であると気が付いておられなかった? 私は面白い男です」
私は爆笑した。冬景色氏は不本意らしかった。床を転げ回った私は誰かに衝突した。「おわ!」と驚いたのは吉永さんである。彼女は私のぶつかった衝撃で手にしたグラスの中身を膝に零していた。ビールの染みた彼女のタイツが肌色に湿った。
酔いが回ってきたのだろう、私は吉永さんに新たなビールを奨めまくった。「はい、吉永さん。どうぞどうぞ。まあ、一杯。コンニチワ、ボク、ビンビールデス。アイサツシマス。ペコリ。トポポポ。いや、ぶつかってすみませんでした。でも細かいことは気にしないでください。クリーニング代は出しますから。とにかく今は飲んで飲んで飲んで飲んで」
それからしばらく意識が飛んだ。気が付いたとき、私は吉永さんと共に冬景色氏の語る小話を聞いていた。冬景色氏が渾身のネタだと前置きして話し始めたところだった。
「有名な歌手の歌ったある歌と同じような内容の、これは実話です。あるところに青年がいた。その青年はある過失で一人の男性を殺してしまった。男性には妻子があった。なので青年は毎月、給料日になるとその妻子に送金をすることで一種の罪滅ぼしを図ったのです。実のところ青年の過失は、青年以外にも、何人かの人間が責任を追求されて然るべきものではありましたが、青年は実直だったのです。彼はその罪を一人で償おうとした。さて、一方、妻子の側は彼からそんな施しを受けたくなかった。また、一人の前途ある青年が、如何に自分の良き夫、良き父を殺したからといって、償いのために人生を棒に振ることをよしとしなかった。――しかし、彼女たちは現実に青年の送ってくれるお金がなければ生活できなかった。彼女たちは青年に悪いと思いながらも青年からお金を取らないわけにはいかなかった。彼女たちはともすれば青年により多額の支払いを求めることもありました。彼女たちの生活の目処が立ったのは青年の身体がとうに限界を超えて、それでも働き続けた、更にその三年後でした。彼女たちは青年に『もうお金は結構です。貴方のことを許すことはできないにせよ、貴方の気持ちは伝わりました』という手紙を書きました。それを受け取った青年は痛く喜んだ。ようやくコレで自分は前に進むことが出来ると」
冬景色氏は乾いた喉を温くなった焙茶で潤した。
「青年は妻子の本当の生活事情を知らなかった。妻子は青年の身体の状態を知らなかった。知っていたらどうなったでしょうか。だとしても、償いとはどういうものなのでしょうか。何をどのようにどこまでやれば誰かを殺めてしまったという罪を償ったということになるのでしょうか。青年の月日、特に最後の三年間はどう評価されるべきものなのでしょうか」
「なんていうか」私は吉永さんの肩に頭を預けていた。「人間、酔うと意味もなく深い話をしたくなるものですよね」
「そうね」吉永さんが私の頭を撫でた。「なんか知らないけどね。で、意味もなく分かった気になっちゃう、と」
「深夜のファミレスでも同様の事が起きます」冬景色氏は掌に何かを握り込んでいた。私は目を凝らした。どうも彼が首から下げているペンダントのようだった。
その彼の懐へ「どーん!」と叫びながら出来上がった黒歌さんが飛び込んできた。
「飲んでるぅ?」と冬景色氏の胸を掻き毟る彼女を、彼は注意して見ていなければ見逃すほどさり気ない仕草で抱きしめた。
冬景色氏と同じペンダントを彼女もしていた。確認すれば剣橋さんもだ。黒歌さん、このどちらと付き合っているのだろうと私は下世話なことを疑った。
……宴会が終わったのは昼下がりだった。朝から飲むお酒は最高で、ヘベレケ上等、誰か死ぬまで解散しないという覚悟を決めて来たのだが、全員、なにしろ顔が売れているから滅多な真似ができない。(我々はいまや時の人、すっかり有名人、町を歩けばファンに当るという具合で、来るときも帰るときも私は五人の男女からサインを求められた。行きは仏頂面で、帰りはヘロヘロに、私はそれに応じた)
大人しく、我々は駅のホームで風に吹かれて酔いを覚ましていた。次の電車は五分後に来る筈で、ということは、八分は待たねばならない。
「ぃゃー」白線に並んで立つ黒歌さんが妙な発音で言った。この暑いのに彼女は長袖の服を着ている。
「たのちかったねぇー」
「そうですね」私は同意した。夏の風は爽やかなニオイと手を繋いで吹いている。
「よかったあ」黒歌さんは安心したようだった。
「なにがよかったんですか?」
「だって、私たちって、えっとね、ホラ、あの」
黒歌さんは目線をキョロキョロさせまくった末に、思い切るように言った。「高学歴だから」
「はあ」私はキョトンとした。
「私、なに言ってんだろ」
「高学歴なのは事実ですし」
「うーん、だから、ごめん」宵待さんは含羞んだ。「旅団長って高学歴が嫌いなのかなって思ってたから」
「ああ。そういうことですか。うん、そうですね、それはそうかもしれません。でもですね。なんていうのかな」
私のアセドアルデヒド脱水素酵素二型は非力である。そのために私はつい露骨な言葉を持ち出した。「貴方たちは大好きですよ」
胸中では毒づいていた。この人たちは高学歴でもわかりあえる高学歴、それ以外はみーんな殺して良い高学歴? 酷い差別だ。だが、だからと言って、打ち解けようとしてくれる彼女の気持ちを無碍にすることはできない。人間、思想だ理想だを棚上げせねばならないときは幾らでもある。
「そっかあ」黒歌さんは賢い。彼女は私の言葉に織り込まれている機微を察したらしくあった。それでも、彼女は笑ってくれた。
「したらー、これからはなんて呼べばいい? あ、もちろんプライベートで、ですわよ?」
「京子でなければなんでもいいですよ」私は新しい友人を得たことをとにかく喜ぶべきだった。
「親しい人は右京と呼びます」
そこで頂が「右京!」と叫んだ。「あんな風に」と私は苦笑しながら頂の方を振り返ろうとした。
アレと思った。肩に強い衝撃を受けたのだった。ゲームの中と違って踏ん張りが効かない。私の身体はホームから線路の上へ飛ばされた。
警笛が聴こえた。おいおい、今日は遅れるのではなくて速く来る日か。





