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3章8話/出撃


 それは一三時ピッタリを数分、過ぎた辺りでのことだった。


 私は予備陣地の指揮所に居た。指揮所は担当する戦場全域が見渡せねばならない。故に大抵、丘か建造物内などの高所に置かれる。ココもそのご多分に漏れない。頑張ればンパ村の辺りまで肉眼で観測できる。まあ、そうしたところで見られるのは黒い煙と燻る炎、それに対処する敵土木工兵らの苦闘だけだから面白くもなかった。


 面白いというより興味深いのはこの予備陣地そのものであった。丘を刳り貫いて建造されたココは下手をするとンパ村よりも硬そうだった。なにしろ塹壕のみならず掩体まで備えている。築城を任された工兵中隊は我々がンパ村で戦闘をしている間も任務を続行していたが、それにしても、昨晩からの短時間でこれほどのものを完成させられるとはちょっと信じられない。


「疲れました」築城責任者の宵待さんは言った。本気で疲れているようにはとても見えない。


「お疲れ様です。地元住民はどうしましたか?」


 私は尋ねた。そう、宵待さんの早業も兄と同様、地元住民を動員することで成し遂げられたものだった。彼女は欠伸を噛み殺しながら答えた。「もう帰しました。それとも残した方が良かったですか。いっそ武装させて使っても良かったかもしれませんね。盾ぐらいにはなったんじゃないかと」


「そうですね」当然、ジョークである。素人を戦わせても無闇に場を掻き乱すだけだ。「宵待さんは賢いですね」


「そうなんですよね。――あ、ところで、後で少しだけログアウトしてもいいですか。我々の仕事はもうほとんどなさそうなので。あったとしても、精々、塹壕と掩体の補修ぐらいでしょうから、私がいなくても何とかなると思います」


「ログアウトですか?」


「ご飯を作ってあげないと餓死しちゃうので」彼女はやれやれとばかりに笑った。


「誰かと同居されてるんですね」


「私ともうひとりとニャンパラリの三人暮らしなんですよ。ニャー」


「ですか。そうですね。むしろ、いますぐならいいですよ」


 実際、いますぐならよかった。敵も味方も、もう本気で殺し合う気など無くしてしまっている。ンパ村のあったところに本部を置いたらしい敵の三個師団――それを束ねる軍団司令部は撤退の準備を開始したようだ。否、敵軍団どころではない。敵軍全てが撤退を準備している。我々は恐らく勝つだろう。


 大勝利ではない。敵もかなりの兵力を残している。残すために撤退しようとしている。戦力が残っていさえすれば戦後の講和会議で強気に出られるからだ。『あの土地を寄越せ? この額の賠償金? ふざけんな。もういっかい、やるか? やってもいいぞ。いいんだぞ』 


 撤退を阻止することはできない。追撃して戦果拡張など夢のまた夢だ。想定以上に強かった敵、想定以上に達成できなかった計画、想定以上の規模で起きた事故などでどの旅団にも余力がない。こういうときのための予備兵力というのも、悲しいかな、モヒートにはない。せめて第六旅団が到着していれば。高学歴め。


 私は丘の麓、随分と頼りなくなった二個の連隊横列を眺めた。一般に、四割の兵を喪失した部隊は組織としての機能も失う。我が旅団の損害は既に三割、生き残った兵員も疲れ切っている。砲も健在なのは二個中隊(一六門)だけだった。足が遅い砲の過半はンパ村を放棄する際に置いてくるしかなかったのである。


 砲牽引部隊、砲兵後備部隊、更には気球観測中隊も壊滅的損害を被っている。特に後備はココと後方一キロのところにある旅団物資集積場との往復に使う馬車すら事欠いていた。その保有馬車の多くを負傷者、貴重品、資料などの輸送に充てたからである。


 ま、それでも、とりあえず砲弾は足りているから、もし敵が強襲を掛けてきてもその突撃を破砕することはできる。二度か三度ぐらいならば。


 敵が強襲を掛けてこないのはそのためだ。コチラの惨状はほほぼぼ正確に把握しているはずだが、だとしても、我が旅団陣地を突破するのが先か? 高地からの砲撃を受けるもが先か? などという危険で分の悪い賭けに出るのを避けているのだろう。


 とはいえである。私は思った。勝ちは勝ちだ。モヒートは当初の戦略目標を、次の戦争のための橋頭堡と農業地を獲得することには成功するだろう。次の戦争か。そのとき、私はまだこんなことをやっているんだろうか。先程までの興奮はどこへやら、私は賢者タイム、言い知れない鬱っぽさに囚われていた。疲れているのかもしれない。疲れているのだろう。


「旅団長」私の空想を破ったのは吉永女史だった。「なんだかよくわからないけど、来客よ。ここへ連れてくればいい?」 


 ニ分ニ八秒後、私は許容しがたい請求を言い渡された。来客――いまになって到着した第六旅団からわざわざやってきてくれた旅団長次席副官は言った。「第六旅団は敵軍団司令部目掛けて、一路、突撃を敢行します」


「ゑ」私は舌を巻いた。「無謀です。というよりも、今更、意味がないでしょう。我々はですね、もう、ただココでジッとしているだけでいいんですから」


「逃げ支度をしている敵ならばどうということはありません」次席副官は表情を消している。


「我が旅団を貴旅団が支援してくれさえすればね。よしんば、敵を粉砕できなかったとしても、敵は混乱するはずです。混乱すれば遅延している砲撃が間に合う。敵に兵を残すことなく勝利できる。わかりませんか」


「わかるはずがないでしょう」


 本当はわかっていた。第六旅団長は会長と反目している軍務大臣――若菜派閥のナンバー・フォーだったはずだ。この戦で活躍したのは? 会長と参謀総長と兄と私と私の部下だ。会長の愛人だとか目されている私を含めて会長派閥ばかりということになる。


 と、なれば若菜らは何が何でも自分の存在を――『アイツらは何をしてたんだ』と言われないために――アピールしなければならない。


 道理ではある。その心理もわかる。だが、この土壇場でそれをやる莫迦がいるか。それにそれは独断専行だ。総司令部に話を通したのか。通してないだろう。ああ、畜生、貴様ら、最初からそのつもりでわざと到着を遅らせたのか? 兵を疲れさせないために? このタイミングを狙って?


 そんなものはまかり通らない。大体、却って貴様らが敗北した場合はどうなると思う。敗北した貴様らで埋め尽くされた戦場を突撃してくるだろう敵騎兵、ソイツらを砲撃する訳にはいかない。貴様らがそこにいるから。味方ごと砲撃する訳にはいかないから。


 させるものか。逆転サヨナラ満塁ホームランなど打たせてはならない。もしそんなことになれば我々の労力は水の泡、私のせいで死んだ仲間たちも無駄死となる。


 第六旅団長とお会いしたいと私は言った。次席副官は頭を振った。


「五分です」懐中時計を手にした彼は索然と告げた。「いや、たったいま、六分になりました。攻撃開始予定時刻からはもうそれだけ経過しています。旅団長は陣頭に立っておられる。お会いになりたいならそちらも兵を前進させて頂きたい」


 私は唖然とした。次いで笑いが込み上げてきた。私は彼に惜しみない拍手を送った。「お見事。お見事です。なるほどね。そうきたか。なるほど。あい、わかりました。次席副官! 頂! 第六旅団次席副官殿がお帰りになります」


 頂によって指揮所から叩き出されたあの副官、額と首筋の脂汗を拭って、やることはやったとばかりに肩を竦めた。彼ぐらいの立場では旅団長からの命令を断ることなどできない。彼を責めても仕方ない。それなのにまあ随分と彼相手に私は憎悪の視線を向けたものだ。大人げない。


 どうするべきか。叩くしかないと私は思った。こうなったらこの状況を奇貨としてしまえ。敵は第六旅団の攻撃対処に追われまくるはずだ。


 第六旅団はどこから敵を攻撃するだろう。私は冬景色氏に相談した。この周辺の地理を暗記している彼はンパ村と予備陣地の間に一つ、大きな橋があると教えてくれた。その橋はある幹線道路と接続している。その道路はまさに第六旅団の進撃路であった。


「第六旅団は一ヶ月前」


 冬景色氏は本来ならば情報参謀が扱うべき内容を話した。主任情報参謀は撤退時に馬車の荷台から落ちて重傷を負っていた。「軍務大臣の口添えで通常編制には含まれない騎兵連隊をその編成内に加えています。それだけではありません。三日前、兵站の不備から行軍の遅れていた独立騎兵大隊を収容もしたはずです。いま思えば虚偽だったのでしょうね。――橋の手前までは林など戦術障害線が多いですから、それに沿って移動すれば敵に接近を気取られることもないでしょう。林の切れ目で騎兵を突撃させる。騎兵は橋からンパ村までを五分で走り切ります。これで防御態勢の整わない敵を混乱させた後、砲と歩兵で叩こうという塩梅ではないでしょうか」


「第六旅団は平地で敵軍団と殴り合う訳ですが?」私は後を端折った。


「先程の副官、彼の言うことにも一理なくはないのです。敵は逃げ支度中、なるほど戦意は低い。やる気のなくなっている兵は驚くほど簡単に戦列を崩します。また、第六旅団もかなりの数の騎馬砲兵(そらとぶほうへい)を持っていますし、例の騎兵などの戦力増強要素もある上、ココまでの前進速度が緩やかでしたから、兵站、兵の疲労、そういった負荷も少ない。砲撃が始まるまで二時間から二時間半と見積もったとき、敵を殲滅する必要はなく拘束すればいいだけですから、第六旅団がその戦闘目的を完遂できる可能性は無いわけではないでしょう」


「珍しく曖昧ですね。無いわけではない。そのように予測する理由は?」


「敵騎兵の存在です、旅団長。敵軍団には騎兵師団がひとつ含まれるのです。第ニ重騎兵師団です。主戦力は槍騎兵と胸甲騎兵。敵全軍を通しても最精鋭と言ってよい存在ですが、彼らは今回の戦闘にほぼ投入されませんでした」


 騎兵は砲に弱い。馬が砲撃音と着弾の衝撃を恐れてしまうからであった。馬が圧倒的な殺傷力を発揮する相手は生身の人間――歩兵相手である。そういう観点からすると歩兵、騎兵、砲兵はそれぞれ三竦み的な関係だった。(足の遅い砲は砲口の向いていない方向から襲い来る歩兵に勝つことが出来ない)


「もとより騎兵は戦争の花形。なかんずく砲の遅れているダイキリですから。『俺たちの出番がなかった』と、戦意が有り余っていてもおかしくない。独自になにかしら積極的な行動に出る可能性があります。否、既にもうその準備をしている可能性すらあるでしょう。もしそうだとすれば彼らは第六旅団の騎兵突撃にカウンター突撃を行える。第六旅団が敵を混乱させて戦いの主導権を握るという、その前提が崩れます。崩れてしまえば後は数の勝負。増強とはいえ旅団級戦力、所詮は九〇〇〇人程度です」


「ですか。ならば主任作戦参謀、貴方は旅団情報部と連帯して敵軍団司令部の位置の推定と、そこまで一個大隊級の戦力を送り込むルートや手段について検討してください。必要な装備についても。私が何をするつもりかは? わかってる? ならば現地で何を優先して行動すべきかについても決めといてください。とっとと。手早く。無駄なく。恐らくンパ村左翼にあった森が使えるはずです。ああ、そうそう、あそこには独立歩兵大隊が二つ布陣していましたね。騎兵伝令を出して協力を要請することも願います。私の名前を使ってください」


「失礼、何をなさるつもりです?」


 剣橋さんが不審げに尋ねた。私は要約した。「敵軍団司令部に殴り込みます。少数で。気付かれないように。敵はコレから手薄になるでしょうからできなくはないはずです」


「それは」剣橋さんは目を剥いた。「そうですか。わかりました。ええ、わかりました。貴方と戦争ゴッコを楽しむのがどういうことなのかね。では、自分は自分のやることをやります。とりあえず旅団から一個大隊、特務分遣隊として切り離したした旨を文書化して総司令部へ通達します。その理由についても。もちろん我が旅団に記録として残す分も作らせます。主席副官をまたお借りしますよ。作戦部と情報部の繋ぎと現場の取りまとめは何時も通り黒歌にやらせます」


 無尽蔵のスタミナを持つらしい黒歌さんがあるかないかの力こぶを作った。「戦争って大変ねー」と吉永女史が肩を竦めた。


「それと」剣橋さんは付け加えた。


「兵站幕僚が行方不明になったんで、その方の手配は自分もやります。一個大隊分の、そうですな、三戦闘分の弾丸と、あと、黒色火薬で良いですか? 軍服の色が目立ちますから。実包から取り出させようと思いますが」


「願います」私は点頭した。「分遣隊の名称は『敵軍団司令部殴り込み大隊』にしておいてください。本気ですよ。あ、大隊は私がまた直卒しますから、ケンブリッジさん、私が居ない間は貴方が旅団の面倒を見てください。もしココへ敵が殺到するようなことがあれば可能な限りの抗戦を行うこと。ただ、やばいな、と思ったら素直に降伏してください。無駄にプレイヤーを殺されないように。それと第六旅団の要請には部分的に応じて構いません。砲を使ってあげてください。動けたらですが。動けなくても前進するフリはさせるように。何れにせよ、第六旅団が成功したとき、第ニ旅団は何もしなかった……と、そう謗られることだけは回避してください。私はともかく、貴方たちの経歴に傷がつく」


「はいはい」剣橋さんはテキトーに頷いた。「万事、任せてください。どうぞもうご自由に」


「頂、貴方は一個大隊分、使えるプレイヤーとNPCを掻き集めて来てください。三〇分以内に。出発は遅くとも一時間半後とします。花村君、そういうわけなので私の銃とサーベルを用意しといてください。弾薬も。転ばないでくださいね。いいですね」


「はい!」と、駆け出した彼は早速、転びかけて剣橋君に助けられた。


 鉄火場である。シュラーバッハ会戦はとんでもない会戦だなと私は思う。丹念な準備と計画と幸運、それらが奇跡的に噛み合って初めて滑らかに動く軍隊を、我々は既に何度も何度も何度も何度も――無理を重ねて動かしてきた。挙句の果てにコレだ。疲れ切った身体と頭脳に鞭打って、今度もまた、何個ものタスクを同時にこなさねばならない。『ハイ、ダーリン! いまから遊びに行くから五分以内に着替えを済ませてデート・コースを選んでお店の予約をしてお金を降ろして車にガソリンを入れて車の中で飲み食いするものを用意しておいてね』


 楽しいな。楽しいね。楽しいよ。戦争は楽しい。こうして殺し合っている間だけ、我々は日常の辛さや抱くコンプレックスを忘れられるのだ。パーフェクトに。


 ……目まぐるしく動く司令部と塹壕、そこへ一人、呑気にも大遅刻してやってきた男がいる。彼、ホストの帝王みたいな容姿の須藤さんは司令部に顔を出すなり言った。


「おろろろろ? なに、もう、俺、出番ないかと思って来たのに今からパーティ? いいじゃん。どこでやんの? 会費は幾ら?」


 スパコーン、と、彼の後頭部が頂にはたかれた。


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