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3章7話/湖面に映る君の表情は


 工兵により応急処置された石畳の上を馬車列が駆ける。応急処置だから万全ではない。馬車たちは左右に傾きながらも第二旅団予備陣地へ向けて走り去った。街道を塞いでいた、横転していた三台の馬車は、やはり工兵によって解体されて道の端に積まれている。


 事故現場へ参上してニ時間半である。一ニ時三五分であった。輸送はようやく再開された。ついにンパ村への輸送は間に合わなかったことになるが、これで、第ニ旅団首脳は予備陣地で使う砲弾に悩まされることだけはなくなった。


 軍警察(憲兵)は改めて事故状況や原因の把握に奔走していた。一般に、エリート中のエリートPCから構成される彼等の軍服は泥と汗に塗れていた。


 やってきた当初、現場では憲兵と工兵とが喧嘩をしていた。『事故状況を把握するのが先だから何も動かすな!』対『とっとと現場を整理しなければ!』である。本来ならば憲兵の指示に従うべき工兵が反発しているらしかった。『現場を調べるなんてしてたら第ニ旅団が負けちまうぞ! ただでさえこのクラスの事故、解決には四時間は見てくれないと困るんだ』


 こんなこともあろうかと、己は会長に一筆、頂戴していた。両者の間に割って入った己は最高権力者の威光を笠にやりたい放題したのだ。――


『憲兵諸君、君等は工兵大隊長の指示に従って行動しろ。そうだ。己もやるから一緒に汗を流そうじゃないか。いや、上に確認を取る必要はない。ないんだ。ない。ないんだ。よし。よし。それでいい。会長も喜ぶだろう。さて、工兵大隊長。大隊長だよな? よし、まず何を成し遂げればいいのか、優先して撤去すべきか、運び出すべきかなどについて説明する。時間がない。一度しか言わないからよく聴いてくれるように。己の話が終わり次第、撤去計画を立案。速やかに実行に移る。下手な扱いをすれば誘爆しそうなものもあるからその点には注意してくれるように。古、お前は足が止まってる馬車の連中で暇してる奴をまず掻き集めろ。ここへ連れてくるんだ。それから近くの林を何人かで手分けして回って、地元民を見つけたら、そうだな、戦後、戦場清掃の権利をやるから力と知恵を貸せと説得しろ。敵のはまだしも我が軍の銃は高く売れるぞ。行け』


 エリート中のエリートに肉体労働を強制するのは楽しかった。


「嫌われましたね」


 古があくまでも淡々と言った。汚れで美貌が台無しだ。「あの憲兵たちに。彼の後ろ盾は有力者ですよ」


「激ヤバイな。だが己の知ったことか。それより久々に動いたんで疲れた。工兵連中に休みをやってくれ。――もうやってるか。ああ、あの工兵大隊長な、お前、古、名前を覚えておいてくれ。部隊番号も。後で勲章のひとつもくれてやらなきゃならない。勲章と言えば連中をここへ寄越した軍施設部の奴らに感謝状を送るのも忘れないようにしといてくれ。一点、縦割り行政じゃないんだから、事故があったのを知ってたならウチへ連絡してくれと苦情を添えて。勿論、法務部とそこの憲兵隊にも感謝状は送れ。褒めちぎる内容で。嫌味になるように」


 馬車だったものの陰で己は葉巻を咥えた。古がマッチで火を着けてくれた。礼を言う。


「第ニ旅団はどうした」己は尋ねた。もうどれほど経ったろうか? 一時間ぐらいか。ンパ村の方面から、数十秒間、呆気に取られる程の爆発音がしたのだ。北東の空には未だに黒煙が立ち昇っている。


「ンパ村は。予備陣地に撤退を開始する旨の連絡を受けて以来、忙し過ぎて確認する余裕がなかったが」


「先程、口頭伝達がありました。あの爆発は第ニ旅団が自発的に行ったものだそうです。自爆です。騎兵追撃を躱すための。使用したのは坑道戦術用に工兵に支給されている爆薬とのこと。現在、第ニ旅団は予備陣地への撤退をおおよそ完了しています。ンパ村はその大部分が消し飛んだようです」


「前から馬鹿だ馬鹿だと思っていたが、やっぱり、アイツは馬鹿だったな」


 己は額の汗を拭った。焼け石に水だった。全身、汗みずくで気持ちが悪い。シャツが背中にべったりと張り付いている。尤も、己なんかとは比べ物にならないほど気持ち悪いことになっている前線の兵を思えば――などという論理は嫌いだから使わない。他人の苦労と自分の苦労を比較することには何の意味もないからだ。手取り一三万円とかで生活している貧困層が、ならば、地球の裏側にはもっと貧しい人々がいることを知るだけでハッピーになれるか? なれるはずがない。前線の兵や指揮官たちには戦後、充分な報酬と敬意を払えばそれでいいはずだ。


 それに、不快感を感じながら働いたところで満足な成果は上がらない。(立場上、己は満足な成果の上がらない仕事をするわけにはいかない。というか、誰だってそのはずではないのか)


「まあ、予備陣地へ送った砲弾丸とここの工兵たちの努力が無駄にならないならいい。そういえば高地はどうなってる?」


「襲撃は決行されました」


 軽く身嗜みを整えた古は手に何枚かの書類を持っていた。騎兵伝令で届けられたものである。所々が千切れていたり、何やら黒く汚れてしまっているが、中身が読めさえすればそれでいい。「ただし、予定より遅延しています。苦戦しているようです。高地を守っていた敵指揮官が有能なようで梃子摺っているとか。それでも一時間半遅れでなんとか砲兵陣地の予定位置を確保しつつあるとのこと」


 勝てそうで安心した。はたと埼洲の顔が頭に浮かびかけた。慌てて消し去る。「兵站部長!」と、総司令部からの騎馬伝令が周章てた様子でやってきたのはそのときだった。今度は何だ。野心に燃える悪の大臣がお姫様を拐かしでもしたか?


 ジョークでは済まされなかった。伝令文を読み終えた己の胸には相反する二つの胸が去来していた。「第六旅団がか?」


「第六旅団がどうなさったのですか、先――」


 己の手元を覗き込もうとした古が絶句した。どうも己の表情を見てのことらしい。表情? 己はいまどんな顔をしているんだ?


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