3章6話/恐怖! 高学歴絶対殺す女 in シュラーバッハ
「旅団長ぉっ!」
それは『助かった』の発音だった。
司令部から伸びている連絡塹壕を走ること一〇分――これが最前線ではなく駅までの距離ならそれだけで家賃が跳ね上がるだろうな――、第一塹壕の中腹に陣取った第ニ八連隊本部で、私は、げに頼りなげな連隊長代理に迎えられた。浜千鳥というらしい彼は中学生並の童顔だった。私は彼に「どうも」と敢えて日常的な挨拶を返した。息が切れていた。同様の距離を同様にして走ってきた頂は平然としている。羨ましい。妬ましい。
塹壕内は煩雑であった。もとより連隊横列がギリギリで収まるサイズである。一人辺りが専有できるスペースは狭い。朝の通勤時の、混雑率がニ〇〇パーセントにも達するデンエントシ線を彷彿とさせる。その上、さきほど観察したときにも増して、死体、その部品、故障した銃砲、焼けてしまって得体の知れなくなったものがゴロゴロしている。汚れ、臭い、それに雰囲気は最悪だが、それでも、我々はこの壕の、人の活発な運動によって泥濘み始めた地面に死体と場所を争って伏せていなければならない。
敵はコチラが浮足立っていることに気が付いている。我々の撤退に乗じて一挙にこの壕を突破するつもりで兵を進め、その兵を援護すべく、いままでにないペースで砲撃を行ってきていた。
制圧効果――我々が頭を上げられなくすることを優先した砲撃だから直撃弾(塹壕内に降ってくる砲弾)は限りなく零に近い。絶えず、土砂と、塹壕付近で倒れた敵の死体の破片が頭上に降ってくるだけで済んでいる。
そういう意味では全く、ニ八連隊の正規指揮官らは運が悪かったとしか言い様がない。せめて彼らに黙祷ぐらいは捧げてやりたいが、そんな余裕はないし、第一、どこで死んだのか、この混沌した塹壕内では見当もつかない。(本部は戦況に合わせて移動する)
連隊横列はかろうじて保たれていた。だが、その随所に空いた穴、コレを塞ぐ材料は乏しく、ついでに言うなら士気にも乏しい。連隊本部と共に行動している、つまり指揮官の目と叱咤激励が届きやすい第一大隊ですらやる気が感じられない。対する敵の第一一波はどうだろうか?
おっかなびっくり、チビりそうになりながら、私は塹壕の縁から頭を出した。ちょびっと。縁には土嚢が積まれている。砲撃でかなりの数が吹き飛ばされてしまっているが、この辺りのはまだ、大分、残っていた。その隙間から敵の様子を伺――
塹壕から五メートルほど先に円弾が何十発か降ってきた。頭を伏せた。円弾だけではなかった。内部に大量の爆薬を搭載、着弾点で爆発を起こす榴弾も混じっていたようだった。爆発の衝撃と、それに続く暴風が私の身体を無茶苦茶に撫でた。耳がキーンとした。風は熱かった。肉の焦げるニオイがした。砲撃でここまで吹き飛ばされてきた敵の死体が燃えているのだろうと推理した。或いは味方の死体も。砲弾と銃弾は敵味方だの高学歴だの低学歴だのを区別しない。口内が唾で溢れたので飲み込んだ。
続けてまた、数え切れないほどの砲弾が飛来して着弾する音を聴いた。
地面が間断なく震える。幼少時代に経験した大地震と比較しても遜色のないほどの震えだった。身体が浮きかける。内臓がシェイクされるようだった。速度自慢のジェットコースターに乗って落下している感じに近い。どちらが上で下か、ほんの僅かな間だが、その感覚を失調しかけた。
頭上からまたとんでもない量の何かが降り注いだ。私は紛れもなくチビッていた。食い縛った歯がギリギリ鳴った。握った拳の中でツメが掌に食い込んで痛かった。痛いということはまだ生きている――ということで、この痛みがなにより嬉しい私であった。
一瞬、砲撃に空白ができた。今度こそ私は敵を見た。土嚢が崩れていた。敵連隊横列は五五〇メートル、否、五〇〇メートル先を元気一杯、軍楽隊の演奏に合わせて行進中だった。視界が妙な具合に歪んでいるのはどういうことだろう? いや、これは涙か。砂や粉塵が目に入ったから泣いているのではない。
「さてはて」涙を拭って塹壕内に戻る。無事に戻れた。ホッと一息、吐きそうになるのを我慢した。部下に余り情けない姿を見せるわけにはいかない。ただ、肩の触れ合うほど近い距離に居る頂の背中を掴んだり握ったり叩いたりはした。さもなくば発狂したかもしれない。私はニタニタした。戦争やるならこうでなければと考えていた。やはり現場の方が性に合っている。
私は声を張った。さもなくば、勢いをいや増す砲撃下、ザコい私のソプラノは部下の鼓膜に届かない。
「というわけで、というのはどういう訳かわかりませんが、とにかく、ここは私が直卒します。指揮権を頂けますか」
「もちろんですもちろんですもちろんです」
私よりかは大人に見えるはずの浜千鳥君は人目を憚らず泣いていた。「もちろんです!」
『高学歴のスタート地点が低学歴のゴール地点』と言われるブラスペ内の出世構造において、低学歴丸出しの、彼のような二年生が中隊長であることは珍しい。部隊長としては末端であるが、それでも、中隊長職にはそれなりの知識と器量と胆力とが求められるからだ。
彼でも中隊長の勤まる理由は直ぐにわかった。物理的にも精神的にも彼の両脇を固める二人の下士官PC、彼らが私に現状を報告してくれたからである。
「旅団長。現在の連隊本部構成員は我々、三名だけであります。連隊は戦力の二割を失っており、ご覧のように、危ういところで横列を維持しております」
国際体育高校二年の芝村君は生真面目に言った。「しかし、あと一度だけならば辛うじて継戦可能です」
「多くの士官級PCが倒れましたが、なにまあ、元から一年生も多かったんで」
同じく漆原君は剽軽に言った。「なんとかなっちょります。とっとと逃げましょうや」
「この砲撃は」心の中の高評価棚に彼ら二人を分類しながら私は説明した。「敵連隊横列が塹壕から一五〇メートルに達した辺りで終了するはずです。でなければ同士討ちになりますから。それまでに防御姿勢を整えます。ロ八号の概要は? 理解している? なら話は早い。我が旅団砲兵が砲撃を開始するまでここを死守すれば後は何とかなります。いいですか、まず戦列を整理せねばなりません。申し訳ありませんが、漆原君は――」
榴弾が至近に落ちた。眼鏡の位置が派手にズレた。直したい。どうかなと思う。直した傍からまたズレるから意味がないのではないか。大体、こんな中で眼鏡の位置を気にしている奴を部下はどう思うだろう。『何か戦闘以外のことを考えていないと正気を保てないアバズレ野郎』か? 私ならそう考える。否、こんな中でも冷静さを失わない凄い奴と思われるかも。それとも神経質だと断じられるだけか。ええい。もういい。どうせ誰もそんなところまで考える余裕はあるまい。
「――漆原君は」結局、私は眼鏡の位置を直した。表面上だけは冷静を装う。「我が連隊の右翼側に走ってください。第ニ大隊長に伏せたまま戦列を二列に組み直すように伝達。可能な限り兵は密集させて。無理だと言われても命令でゴリ押してください。私の名前を使ってくれて構いません。戦列整理後は速やかに装填。その後の行動は全て第一大隊のそれに倣うように、と。防御射撃開始は敵先頭が一五〇メートルを超えた辺りで想定。つまり後、七分強しかありません。冷静に急ぐように念を押してください。射撃は三度以上は行います。恐らく最大で六度。それで敵が崩れたとしても、逆襲はくれぐれもこれを控えること。とち狂わないように。弾薬が足りない場合は、補給を受けている暇はありませんから、現地で死体から回収。以上。頂、貴方は左翼です。第三大隊。急いで」
漆原君と頂とは敵砲弾など存在していないかのように立ち上がった。それぞれの方向へ駆け出す。私は一人、ガチガチと歯を噛み合わせている浜千鳥君に微笑みを向けた。
「浜千鳥君」
「ひゃい」と彼は応じた。ひゃいって。
「貴方はこのまま第一大隊長をお願いします。聴いていましたね? 戦列を整理。装填。射撃。八〇メートルから」
「せっ」彼の細い喉が畝る。「戦列を整理して射撃を行わせます、はい! 芝村君、そういうことだから……」
「了解しました」
浜千鳥君の隣で芝村君が喉を鳴らした。彼は漆原君や頂と同様、その場に立ち上がると怒鳴った。「第一大隊、総員傾注ゥッ! 大隊長殿よりご命令であるッ!」
迫力が違う。音楽だの砲撃音だの悲鳴だので埋め尽くされたこの戦場ですら芝村君の声はよく通った。
中隊長など現場指揮官の仕事も決断することである。その決断を兵に遂行させるのが芝村君のような下士官の役割だ。どんな優れた思いつきだろうが遂行されねば意味がない以上、部隊の質(戦闘力)は下士官に依存する。殊に中隊のような、組織が小さく、参謀団も有さない部隊では下士官さえ有能であれば万事がうまくいく。(その役職上、下士官級職には体育会系の学生が充てられる)
「大隊はこれより戦列を二列に整理するゥッ。敵先頭が我から一五〇メートルに接近した時点で防御射撃を行うッ」浜千鳥君は喚くように宣言した。大隊総員の注目を集めていることが彼には耐えられていないようだった。だが、差し当たり彼以上の代わりがいない以上、彼にやってもらうしかない。
「二列だッ。えと、中隊間距離は可能な限り縮めろッ。規定の五メートルより縮めてもいいッ。第一中隊は特に損耗が激しいので兵員間の距離に注意、穴を作るなッ」
「大隊長殿」芝村君がどこまでも澄んだ声で助言した。「敵横列中央、我が大隊の相対する敵大隊は右翼の動きが悪くあります」
「あ、あ、ありがとう、芝村君。――敵右翼に射撃を集中するべくゥッ、第三中隊は正面右へ三メートルを移動ッ! 空いた空間を第ニ中隊が占位ッ! 後、弾薬に不安がある中隊は中隊長の判断で銃弾薬を確保ッ! 立つなよ、絶対に、あ、あ、立つなよッ!」
浜千鳥君の監督を受けた中隊長らが中隊下士官らに命令を発し始めた。「あの、ブルってる連中の辺りから始めろ。兵は射撃姿勢が取れるギリギリまで詰めていい。戦列整理後はあの辺りから銃と弾薬を集めさせろ。第三小隊の連中は元気だからアイツらにやらせればいい。混雑するから銃弾薬の回収は戦列整理後。わかってると思うが、三小隊は回収させてから整理しろよ。集めたらお前の考えで弾薬を再配分。六回ということだが、最大八回分を用意するように。装填はニ〇〇メートルに敵が達する前には開始させろ。足元が悪いので兵を転ばせるな。かかれ」
「了解しました」下士官らは立ち上がるなり鬼のような形相を作る。彼らは敵弾よりも恐ろしい味方であることで兵を掌握するのだ。「何をビビッとるか、貴様らァッ! 動け、動け、動けッ! そこ、間隔が狭過ぎるッ! 右に半歩ッ! よおしッ! そこもッ! そこもッ! 貴様は詰め過ぎだッ! よおしッ! 第ニ列、貴様らは三分の一歩、下がれ! キビキビやらんかァッ! 横の間隔を崩すなッ! よおしッ!」
どやされながらも戦列を形作る、その兵どもの軍服には親会社とそのスポンサーの広告が貼り付けられている。『TANAKA。全ての人が笑顔になれる明るい未来を目指して!』
「旅団長」私の隣、無事に戻ってきた頂が報告した。敵先頭との距離は一八〇メートル程である。案の定、敵の砲撃は弱まりつつあった。否、この感じだと敵砲弾はかなり減耗しているのではないかな? もしかすると予備砲弾が少なくなってきているのかも。まあいい。
「第ニ八連隊は攻撃姿勢を完成しました」
「ですか。憚り様です。では連隊、起立」
頂が甲高い声を出した。各大隊長に中隊長らも。固唾を呑んで、兵たちは起立した。私も連隊のど真ん中で立ち上がる。こういうとき、身を伏せている指揮官の命令を兵はきかない。また同様に、指揮官が頭を上げているのに、その他のプレイヤーやNPCが頭を下げているわけにはいかない。
概ね全ての兵が腰から上を敵に向けて露出した。私の場合、胸から上である。マスケット銃はその大きさ故に座ったままの射撃が難しいのであった。(マスケット銃のリローディングには、必ず、銃そのものを天に向けて立てる必要がある。座ったままではその動作が難しい)
「構え」私は命じた。やはり頂、各大隊長、各中隊長らの順で復唱される。我が戦列の先頭が敵目掛けて銃を構えた。敵のプレイヤーどもが生唾を飲んだ音が聴こえたような気がした。なんだい? ドキドキしてるのかい? これだけの規模の戦闘が初めてなのはオタクらだけではない。コチラとて童貞、ちょっとぐらい粗相をしても許してね。
戦いながらだと状況判断が難しいから、ということで、指揮官は原則として銃を撃たない。私は違う。別に戦いながらでも状況を判断できるという自信があるからではない。とりあえず一発でいいから撃ちたいからである。テヘペロでござんす。
「狙え」
焦りの色の濃い敵連隊横列、それを構成する一人を私は照準した。プレイヤーではない。リーグ・レギュレーションで、生活や進路の懸かっているプレイヤーは可能な限り殺害してはいけないことになっている。遵守されているかどうかは別として、それは重要な建前であり、意図的に違反したものは罰則を受ける。(現実的な問題もあった。指揮官を撃たれた部隊は崩壊する。崩壊した部隊の構成員はどこかへ逃げ惑う。武器を持っている彼等は野盗になって地域の治安を乱す。戦争で勝って奪ったのが野盗の蔓延る地域では嬉しくない。その野盗どもを駆除するのに莫大な時間と経費とが掛かるからだ)
「撃て」私は引き金を引いた。
肩にピッタリと張り付けていた銃床が跳ねるように動く。私の肩が抉られた。姿勢が後ろに傾く。閃光に目を焼かれたかと思うと目の前が白い煙で一杯になる。音の方は割と気にならない。許容量以上の音を叩きつけられた鼓膜が開店休業状態となっているからだった。
「先頭列は再装填!」中隊長たちが叫んだ。「二列目、構え!」
連隊長が「撃て」を号令するのは初回、射撃開始指示の際だけだ。後は射撃終了、補給、突撃、逆襲、後退などの時期に気を使ってさえいればいい。継続されている射撃内容の監督は各大隊長たちが――「第ニ中隊、ちょ、ちょっと射撃が速かった! もう少し周囲に合わせてッ! 次は、えと、あの、戦列の崩れつつある箇所を狙うように!」――担当する。
風が強くて助かる。立ち籠めることなく消えた煙の向こう、敵戦列で何人かがぶっ倒れていた。敵戦列はその死体を踏み躙りながら前進を続ける。
私は喉の奥で笑った。倒れている敵の中には私と同じように陣頭に立った敵連隊長が含まれていたのだ。死んではいない。腹を抑えて藻掻いている。痛快だ。もっと苦しめ。できるだけ長く。それから死ね。
二度、三度、四度目の斉射――。敵戦列はついに痺れを切らして停止した。一五〇メートルからの射撃命中率は三ニパーセントに過ぎず、一〇〇メートルまで接近したところで三八パーセントまでしか上昇しないが、損害を受けない訳ではないのだ。『このまま一方的に撃たれ続ければ接近し切る前に隊列が崩れる!』ということだろう。
事実上、これで我が連隊は戦術的目標を果たしたことになる。旅団砲兵の砲撃開始まではあと二分程、あそこで停止してくれたならばもう何も怖くない。――なんなんだ? 私が何かを確信すると必ず悪い事が起きるのか? 第一一波の前進が阻止されたことを察知した敵主力は砲撃を再開した。この際、味方もろともでもとばかりの猛砲撃を行ってくる。ワンチャン、それで敵戦列が崩れてくれないかと願ったが、仲間をぶち殺された反動からか彼らの士気は高かった。
敵先頭列が膝射態勢を取った。撃ち返してくる。弾丸は音速を超えないから、まず、発砲音がしたかと思うと、次の瞬間、虫の羽音にも似た音が耳元を賑やかす。
私の目の前にある土嚢に弾丸が数発、何発だろう、八発かそこら叩き込まれた。軽く震えただけで崩れない。
ピンポイントで狙われているような気がする。絶対にそうだ。いいね。そうこなくては。なりふりかまっていられないのが戦争だもの。数百挺のマスケットに睨まれるのは何時だって気分がいい。これ以上に気分がいいことがあるか? ない。いいぞ。撃て。撃て。撃て。殺してくれ。
敵の第二列が発砲する。初速や重力の関係から弾丸は弓なりに飛ぶので、低い位置を狙うのは難しい。だからこそ塹壕の価値がある。敵弾の多くは我が兵を傷付けない。
無論、多くであって全てではない。私の隣で兵が撃たれた。血、骨の破片、それに脳漿が私の肩だの手だの顔だのにモロに掛かった。どうだっていい。我が隊列のアチコチで下士官らが怒号を上げた。「隊列を崩すなァッ! そこ、頭を下げたら俺様がぶち殺してやるからなァッ! 貴様は右へ一歩、寄って穴を埋め――あべしッ!」
敵砲弾が塹壕内に飛び込んできた。私から右に六メートルほどの地点だ。着弾の衝撃で私は地面にすっ転んだ。ドミノ倒しのように何人かの兵が巻き添えになった。
砲撃を浴びた数人の兵がバラバラになって宙高く舞い上がっていた。土砂と赤い雨が降った。我々の頭上に虹が掛かった。どこかへ吹っ飛んでしまった自分の腕を探しているプレイヤーが一人、視界の端を過ぎる。彼は塹壕を這い出るなり砲撃でぶち殺された。
敵の第二射があった。また何人かの兵がとられる。私は頂の差し伸べてくれた手を借りて立ち上がった。我ながら無様だなと自分を責める――ような余裕はなかった。精神的にも時間的にも。
我々は戦列歩兵の醍醐味を味わうことになった。敵味方の発砲がピタリと止まる。睨み合ったまま沈黙している。マスケット銃の装填には短くて四〇秒、長くて一分半が必要だから、お互い、景気よく撃ち合っているとこういうことが起きるのだ。『敵より早く装填しなければ先に撃たれる。先に撃てば殺せるのに先に撃たれたら殺されるかもしれない』という焦燥が異常な恐怖と興奮を齎す。濡れる。下腹がキュンキュンする。――ああ、濡れると言えば、連射のために加熱、持てないほど熱くなった銃身に放尿している兵が何人かいた。不自然なモザイク処理の入った股間が可笑しい。銃身から昇る煙はどことなく黄色かった。
燧石銃の装填動作は次のようにして行う。まず銃を水平に構える。腰のベルトに着けた弾薬盒から円柱状の紙の実包を取り出そう。実包の先端にはまん丸い、球形のマスケット銃弾が入っているので、それだけを歯で噛み千切って咥えておく。しゃぶってはならない。お楽しみはコレからだ。前戯から始めよう?
実包の中には黒色火薬がぎっしりだ。それを確かめた上で、引き金の上に着いている撃鉄を半分だけ起こし、その撃鉄の前方にある火蓋を上へ引っ張る。火蓋の中にある火皿に実包の中の火薬を二割から三割だけ盛る。火蓋を閉じる。銃口を天に向ける。あまり乱暴にしてはならない。乱暴にし過ぎると火皿に盛った火薬が溢れる。雰囲気も台無しだ。銃口の中に、実包の中に残った黒色火薬を全て落とし込む。咥えていた弾丸を銃口に押し付ける。その上からこの、紙実包そのものも押し付ける。それら二つを纏めて、指で銃身腔内へ叩き込む。だが残念、あれ、あれ、なんで? 奥までは入らないはずだ。
そこで銃身の下の筒の収められた槊杖を引き抜く。長細くて固い棒である。これで弾丸と紙とを奥へ奥へと押し込む。遠慮する必要はない。本性を丸出しにして突きまくるのだ。――ふう。と、クールになったところで槊杖をもとに戻す。このとき筒に差し込んだ槊杖は小指だけで押し入れよう。なんとなれば、暴発したときに失うのが小指だけで済む。
我々は敵よりも早く装填を終えた。だが私は撃たせなかった。敢えて敵に先に撃たせた。私の左右でまた兵が倒れた直後、ンパ村の方で轟音が鳴り響いた。黒い砲弾が敵の頭上で弾けた。流石、計算を念入りにやって放たれた砲撃は我が連隊を誤射するようなことがない。
混乱した敵にニ斉射を浴びせる。続けざまに。あれだけ粘り強かった敵連隊横列が嘘のように潰走した。我が旅団の砲撃は第一ニ波以降の敵へ標的を移した。
私は各大隊に『右向け右』を号令した。そうすることで横列を素早く縦列にすることができる。簡易なものだから強度に不安があるが、いまはココから逃げられればそれでいい。
とっとこと戦場を離脱しながら私は乾いた笑いを漏らした。なんともはや。死屍累々もここまで来るとやりすぎだ。あっちでもこっちでもB級ゾンビ映画並に人が死んでいるから現実味がない。見渡す限りの死体の上、何事もないかのように横たわる空はどこまでも青かった。綺麗という感情は世の残酷さを和らげるために生まれたのではなかろうかと私は疑った。だとすれば納得の行くことが多すぎるなとも思った。
戦闘開始から三時間半が経過していた。一一時一三分であった。





