3章5話/地獄さ行ぐんだで!
まるでプロレタリア文学だ。休む暇がない。頂の報告が続いている。
「情報部によればただいま前進を開始したのは敵の第九波、第ニ歩兵師団の第五五連隊です。練度はさほどでもありませんが士気旺盛。前進速度、早いです。分速六〇メートル。第九波を撃退後も敵は五分以内に第一〇波を投入可能との公算が大。対する我が第三ニ連隊はあとニニ斉射分を残して弾丸を射耗。カノン砲は三門を喪失しました。残る一門は砲車の車軸を破損、射角を変更できない状態にあること。負傷者も多数。後退と再編成を願い出ています。敵戦列先頭が我が三ニ連隊の防御射撃範囲に入るまでは後一ニ分です」
「夏川さんでも厳しいものは厳しいんですね」と、笑う余裕はもうなかった。
私は冬景色氏と相談して三ニ連隊後退の手順を計画した。砲兵に虎の子の榴散弾をぶっ放させて敵を混乱に追い込む。三ニ連隊は目先の敵と殺し合うので忙しいから、撤退開始のタイミングはこの右翼戦場全体が見えている旅団司令部が預かる。喇叭で後退開始を通達された三ニ連隊は連隊長の判断で隊形を変更、重ねて連隊長の適当と判断する大隊から順に、第五、六、七の連絡通路を通じて第三塹壕まで後退する。それ以外の通路だと後備部隊の一部とぶつかるのでくれぐれも間違えないこと。後退完了と同時に速やかに再編成を開始すべし。再編成には司令部護衛大隊の兵を注ぎ込む。
ニ八連隊本部にも伝令を送らねば。テトリスの要領だ。三ニ連隊が大隊ごとに後退する。連隊横列に穴が開く。その穴をニ八連隊の大隊が速やかに埋める。これを繰り返す。砲兵への射撃指示も忘れてはならない。そういえば三ニ連隊に与える弾薬はどこから出そうか。
「兵站幕僚、三ニ連隊に与える弾丸も司令部護衛大隊から融通できますか」
「厳しいですが」私を嫌いなはずの兵站主席幕僚も忙しさから素直になっている。「やります。護衛大隊の後備まで使っていいですね?」
「構いません。願います。では次席副官、いまの内容を三ニとニ八連隊宛で文書にしてください。参謀長、私の代わりに次席副官と兵站幕僚の書面内容に不備が無いか確認するように。不備があれば適宜、修正してください。済んだらもう送って構いません。主席副官、先程の文書は? 完成した? ならば次の文書作成を願います。命令文。砲兵に。内容。貴部隊は旅団司令部からの合図で――」
状況は混沌としていた。五時間? まだ半分しか経っていないのにもう負け戦だ。
窓の外、視界は――発砲に使う黒色火薬は大量のケムリを生み出すから――白い硝煙で埋め尽くされ掛けている。その中でも敵と味方の見分けが付くのは両軍、共に派手な軍服を着ているからだ。コチラは赤と黒、アチラは青と白、あちこちで翻る連隊旗や大隊旗も目につく。
風が吹く。私の前髪は乱れない。汗で額に引っ付いていた。直したところでまた引っ付くから放置する。視界が晴れた。大地を覆い隠す敵の死体たち、その最前列は第一塹壕から七〇――否、六〇メートルほどのところにまで達している。敵砲は交戦距離が近付くにつれて大人しくなってきていた。同士討ちを恐れてのことだろう。
三ニ連隊とニ八連隊はここまでに二度、お互いの位置を入れ替えながら補給だの再編成だのを成してきたが、それもそろそろ限界だろう。砲弾薬の備蓄が底を突きつつあるのだ。
口惜しい。砲弾さえあれば幾らでも持久できる。否、結局、兵は戦闘を続けているうちにクタクタになるから、やはり我が旅団はこのように追い込まれたかもしれない。だとしても五時間程度ならば。なぜ砲弾が来ないのか? もしかしてアレか。私が嫌われているからか。行軍の時と同じか。だが我が旅団を突破されれば、この後ろには無防備な後方連絡線(兵站線)がある。私を抹殺できても軍全体が負けてしまえば世話はないはずで――もういい。そんなことを考えている暇はない。次から次へと舞い込む状況報告を整理して指示を飛ばさねばならない。
戦況は刻一刻と悪化していく。ロ八号を発令したい。ココより四キロ後方の予備陣地へと後退するのだ。だが、発令したところで後退のために必要な砲弾がどうしても足りなかった。砲撃を受けず、混乱していない敵に背を向ければどうなるかは説明するまでもない。
もし、奇跡的に逃げ出すことに成功しても兵のほとんどは隊列を崩してどこかへ逃げ去る。そうなれば全軍の兵站路と進撃路が二進も三進もいかない大渋滞に陥るだろう。我が旅団の兵は生き延びられるかもしれないがそれだけだ。全体では負けてしまう。それどころか生き延びたという、それだけのために、敗戦のあらゆる責任を背負い込まされるに違いない。
「参謀長」
私は最大の相談役を呼んだ。榴散弾、それに三ニとニ八の渾身の防御射撃を食らって敵第九波の隊形は崩れたところだった。横列を形成していた一八〇〇名の敵の内、一割弱が死亡、二割弱が負傷して、残る六割強の大半が隊列を崩して逃げ散る。逃げた連中の大半は指揮官や下士官の先導である程度の集団を作り、事前に指定された再集結地点――敵軍主力後方を目指すが、わけのわからない方向へ駆け出してしまった者も少なくはない。その少なくない中には一定数のPCまで含まれた。
彼らの内、運の良いものはどこかへ逃げ切り、悪いものは下士官へ捕まって嫌でも戦列に連れ戻される。それでも逃亡を試みた馬鹿は容赦なく射殺ないし刺殺された。
どうあれ、敵第九波が前進を続けることはもはや不可能だ。戦場の混乱が収拾され次第――渋滞だのパニックだのが生じている中を横列は移動できない――、第一〇波が前進を開始するだろう。
「次が来るまで一五分ぐらいですかね?」
私は望遠鏡を使って味方塹壕の中を覗いた。掃除する暇がないからアチコチに死体がそのまま転がっている。積み上げられた木箱や土嚢、それに凭れ掛かって苦しむPC、NPC、彼らを気にする余裕がある者、ない者、泣いている者、吐いている者、励まし合う者たち、肩を寄せ合って数分の休息を貪る者たち、応急手当を受けている者、後方の野戦病院に搬送される者、それを羨ましそうに見ている者、弾薬を運んできた者、――地獄の中で夏川さんは元気そうだ。砲撃を受けて目減りしてしまった連隊本部要員、疲れた顔の彼らを気丈に叱咤激励していた。
「敵は実に絶倫ですなあ。それでも、もう一回戦だけならウチも耐えきれるはずです。その次となると弾切れですがね」そう言う剣橋さんは両手に書類の束を持っている。のみならず、ベルトとズボンの間に何かの帳面を挟み込んでいた。予想を遥かに超える銃砲弾の不足から事前に作られた作戦が殆ど使い物にならなくなった以上、我々は目先の戦闘をこなしながら同時に数手先の作戦まで練り直さねばならない。あらゆる計画の監督と査閲役を兼ねる剣橋さんなどは脳内で三つか四つのことをいっぺんに考えねば業務がおっつかなくなっている。
彼に限らず旅団司令部全体がその有様だった。黒歌さんなどはもう一時間以上に渡って走り、喋り、誰かを励まし、部署間の連絡や調整を、ストレスのために生じがちな諍いを仲介しながら遂行している。唯一、冬景色氏の統率する作戦部だけが、まるで冬のナマズの如く、クールに、静かに、そしてクールに、取り乱すこと無く仕事をしていた。
当然ながら私にも、いまのうちにやらねばならないことは死ぬほどあった。三ニ連隊から上がってきた再編成の進捗報告書、ニ八連隊からの補給要請、それを解決するために兵站部長が捻り出した強引な計画書、それと各部署からの分析書や意見書などを読み、裁可したり、修正したりする作業である。
望遠鏡を懐に戻す。私は割り当てられたデスクの上に行儀悪く座り込んだ。あぐらを掻いて、手の届く範囲に書類を山積みにして、両手に報告書を持って、口にペンを咥えた。「右京」と、頂に注意されたがどうしようもない。立ち続けているのは疲れるし、司令官がこれぐらい、だらしない態度を示しておくことも重要だ。私は余裕ですよアピールをすることで安定する人心――というものもある。『あの低学歴は馬鹿をやってら。俺が私が参謀が何とかしなければ』という心理的効果をも狙えるだろう。
「輸送状況が悪くなったのは」
私はペンを咥えたままハヒハヒと喋った。ちょうど、手にしていた報告書に疑問の答えが提示されていたのだった。「深刻な玉突き事故が原因だそうで」
「戦争ですからな」剣橋さんは鼻で笑った。「軍兵站部に施設部、それに法務部の想定は決して甘くなかったはずですが、ま、戦争では何でも起こりますからなあ」
事故と戦争は切っても切れない仲、おしどり夫婦と噂されているカップルにもやがては訪れる倦怠期のようなもので、どれだけ対策していようが起こる事故は起こる。それも想定外の規模で。何故か? 戦争、殊に野戦環境下においては、この世で起きる頭のおかしくなるような出来事、それが同時多発的に発生しまくるからだ。目の前で起きている現実を受け入れられないで発狂するとか、正気を保ててもパニクるとか、そういう人間がアチコチに続出すれば、それは未曾有の事故もホイホイ起きる。
大体の戦争は計画していた通りには進まない。そして、それ故に負けたり、それ故に勝ったり、割とグダグダに行われる。要するに戦争とは事前の準備を相手より相対的により多くこなした方が勝つ一種のスポーツであると考えればよく、しかも、そこには運とかいうものが介在する余地がとーっても大きい。そういう意味では、このシュラーバッハ会戦は典型的な戦争であると言える。
「何かホットなニュースかアイデアはありませんか、参謀長」
剣橋さんは頭を振った。首がゴキゴキ鳴った。「よく冷えてる奴ならいくらでもありますぜ」
「ビールならそれでいいんですが――」
私はサインした書類を頂に手渡した。次の書類を手渡される。敵の軍楽隊と味方の軍楽隊がそれぞれの仲間を励ますために熱心な演奏をしているのが聴こえた。
「――インフォメーションは温かいものでないと」
「まるで家庭料理ですな。賞味期限は温かいうち」
「でも、いまって核家族化の時代ですからね。なかなか温かい料理を食べられる家庭って、ないですよ」
「世知辛いですなあ。かくいうウチも夕飯は母親の作り置きが多かったですがね。両親揃って働いても働いても生活は楽に――って、なんでこんな話をしてるんでしたか、我々は」
参謀長は笑った。私もつられて笑った。
笑う門には福来たるというもので、全く、予想もしていなかったニュースが助走付きで飛び込んできたのはそのときだった。
「伝令!」旅団後備のプレイヤーが一人、司令部へ入ってくるなり肺の中の空気をみんな音にして言った。「砲弾と弾薬が到着しました!」
嬉しいというよりも私は不思議だった。どのようにしてか尋ねる。伝令は民間の馬車が運んできたと答えた。なるほどね。合点がいった。宵待さんと同じ手か。
日頃、なんの娯楽もなく農作業に明け暮れるNPCにとって戦争ほど面白い見世物はない(その観点からすると現実の人間と彼らに大差はない)。シュラーバッハ中の丘や林で、彼等は家財を積んだ馬車だの荷駄だのを連れて観戦に勤しんでいたはずだ。それに金品か銃の予備だかをくれてやって働かせたのだろう。地元民なら地図にない抜け道や裏道も知っている。
兄だな。私は推理するまでもなく悟った。わざわざ自分から現場に出たのか? 出るだろう、兄ならば。
無論、民間の馬車だので運搬できる物資量はたかが知れている。『ないよりかはいいけれど』という程度に過ぎない。
が、ロ八号計画を発令するには充分な量だ。否、厳密には当初のロ八号計画では不充分だった。剣橋さん、黒歌さん、それに何より冬景色氏の練り直したいまのロ八号でならば充分な量――というのが正しい。私は彼らを順繰りにみやった。剣橋さんは「自分は何もしてないんですがね」とばかりに友人二人を見た。黒歌さんはダブル・ピースで笑った。冬景色氏には無視られた。彼は淡々と仕事を続けている。
私は兵站幕僚に「直ちに各砲へ砲弾を分配するように」と依頼した。彼の返事は「もうやってます!」であった。私は肩を竦めた。彼は人並み外れて優秀な男であった。並の参謀であれば言われてから仕事を始める。
「では各員、これからロ八号を発令します」私は宣言した。
「ケンブリッジさんは各部署に必要な手続きを割り振ってください。吉永さんは隷下部隊へこのことを通達する書面を用意して発送すること。書き終えたら一度、私を通してくれるように。頂、貴方は総司令部宛の分を。次の敵第一〇波を撃退後、第一一波との交戦中に撤退開始を目指します」
剣橋さんは変な渾名で呼ばれたことを気にも止めなかった。彼は黒歌さんを呼んで必要な指示をドシドシ与え始めた。吉永さんは「良かったわね」と言いたげにウィンクした。仕事に没頭することで戦場の雰囲気に慣れた彼女の右手はペンの使い過ぎで血塗れだった。
私は額の汗をついに袖で拭った。円筒帽を被り直す。眼鏡の位置も直した。これまで司令部の隅で丸くなっているしかなかった花村君にワインを一杯、頼んだ。おっといけない。私は頂に忠告されて、ここまで休むこと無く働き続けてきた参謀連中にも数十秒間の休憩を許した。ぬるくなっていたが、私の飲んだワインは息継ぎを忘れるほど美味しかった。我々が水分補給を終えたのとほぼ同時に敵の第一〇波が出撃した。
ところが幸運は長続きしない。敵の第一〇波を撃退後、撤退準備を七割方、終えたところで今度は凶報が飛び込んできた。
「第ニ八連隊ですが」頂が謹直に言った。「敵砲弾が本部に直撃しました。連隊長、及び幕僚団も全滅です。現在、第一大隊長が連隊長職を代行していますが、この大隊長がそもそも中隊長中の最先任者ということです。彼は『とてもではないが連隊指揮は無理だ』と」
ココに来てか。私は悩んだ。どうする? 人事と相談して誰か代理を送り込み――。私は何を考えているのだろう。間抜けめ、と、私は私を罵った。「参謀長、全体の撤退指揮をお任せします」
持ち出すべき大量の書類を抱え込んだ参謀長は「ああ!?」と唸った。
私は頭の上にはてなマークを浮かべている主席副官に言い付けた。「吉永さん、しばらくは剣橋さんのお手伝いに回ってください」
「え、いや、それはいいけど、なんで?」
「ニ八連隊の指揮は私が代わりに取ります」
「いやいやいや」参謀長は井戸端会議中のオバチャンよろしく手を横に振った。「それならば適任者を探させます」
「それでは遅い」私は同じように手を振り返した。「いまは一分一秒を争いますからね。なに、平気ですよ。私は次席副官を連れて行きます」
ここまで、私に何か言いたげだった頂はそれでホッとしたようだった。私は肩を竦めた。「お願いできますか」
前情報無く人を選ぶ映画を見てしまったときのように剣橋さんは溜息を吐いた。彼は丸めた書類の先で手近に居た花村君の頭をポンポンと叩いた。「痛いです!」と、この状況下で言える花村君の神経はかなり図太い。
「お願いも何も命令でしたら従いますよ、マム。ご武運を」
「どうも。予備陣地で会いましょう」
私は規則を無視した。コチラから彼らに敬礼したのだった。剣橋さんと私に好意的な参謀らが、少し、私を馬鹿にしたような様子で答礼した。後の参謀は「高学歴と低学歴の気持ち悪い馴れ合いに興味はない」――と言いたげな表情で、自分のやることにのみ専念していた。





