3章3話/悲しいけどこれ戦争なのよね
「で、まんまと引っかかってくれたわけですが」
総延長ニ〇キロにもなる横長の戦場――シュラーバッハにて右翼を担う我が第ニ旅団はこのンパ村に布陣していた。
いまは疎開している、村民たちの集会場の二階で私は腕を組んでいる。ダンス・パーティの開けそうな室内、我が司令部の構成員たちがそれぞれの職務に熱中していた。熱中でもしなければどうにかなりそうな緊張感がある。事実、私の、日頃は横柄この上ない胃ですらグニュグニュと蠢いていた。
無理もない、と、自己弁護したい。有視界内、見渡す限りの敵、敵、敵、敵であった。コチラとあちらの先頭との距離は約三キロである。視界の端の小さな丘の上で、グルグルと、長閑に回転している風車が奇妙に恨めしく思われた。人のやることなんて知らないですか。そうですか。
「敵が七分に陸が三ですね。どれぐらい居ると思います?」
「気球偵察によれば三個師団だと」
並んで立つ剣橋さんが答えた。彼ほどの豪傑ですら額と首筋とに冷や汗を掻いていた。「総司令部は五時間を突き付けて来ました」
「あんれまあ。四五〇〇〇人、阪神甲子園球場が満員になるぐらいの人数を相手に五時間ですか? 予定よりもちょっと長いですね? しかも敵司令官は明らかにダイキリ四天王の誰か、と」
「ダイキリ四天王ってのは、なんですな、五人、いるそうですな」
「らしいですね。一人、性格だか何だかの問題で数に数えられてないメンバーがいるとか」
「どこにもそういうのがいるもんですな」
「ええ、貴方みたいなのがね」
「いえいえ、ご謙遜なさらず。貴方みたいなのですよ」
私と剣橋さんは苦笑した。こういうとき、少しでもいい、気分をリラックスさせておくことは重要だ。
「それにしても旅団長は物欲しそうな顔をしていますね。いま、何が欲しいんです? ウィスキーでも用意させましょうか」
「次回予告ですよ」
「……。……。……。失礼?」
「次回予告です」
私はニタニタした。「かなり苦戦したものの我々は無事に勝利した、と、そう保証してくれる感じの。ネタバレ気味な」
「ああ」剣橋さんは四角い顎を撫でた。「サービスサービスですな」
私の背後に待機している頂が咳払いをした。
――何もかも真赤な嘘である。
第三旅団の不穏な動き? 計画通りの行動だ。
離反者? 実在しない。
会長が停戦に前向きだと? お笑い種だな。
ダイキリ軍は見事に騙された。我が軍の狙いは敵主力をココへ吸引して拘束、その間、手薄となったシュラーバッハ中央の高地を占拠して、そこに強力な火力(火砲)を集中させることにある。高所からの一方的な砲撃が可能となれば敵主力を覆滅することは容易い。今朝、奇しくもシュラーバッハ中央は濃霧、これに乗じて行われる高地への奇襲はまず成功するだろう。
ダイキリ軍とて馬鹿ではない。連日、夜に火を焚いてまで――連中はそれを必死の逃げ支度と誤解したようだ――陣地化したこの村の目前に兵を移動させた時点で、我々の芝居とその意図とに気が付いている。
だが、もうどうにもならない。横列に隊形変更を済ませた三個師団、それらを縦列に組み直すまでにはどれだけ努力したところで一時間以上が必要になる。そして勿論、敵前、我々の前でそんな悠長なことはしていられない。
否、よしんば何らかの奇跡や偶然が重なって可能となったとしても、三個師団が移動を開始して完了する迄には相当な時間を要する。戦闘と移動をこなして、罠に掛けられたという心理的ダメージを受けた兵どもの疲労、それをどうにかする策も必要となる。
敵は我が第二旅団を攻略するしかない。ココを攻撃する他にない。
我が旅団は主力が高地を占拠するまでひたすら耐えればいい。いいのだが、そこには一抹の不安も付き纏う。ダイキリ側へ流した偽情報の中にたったひとつだけ真実が混ざっていたのだ。第六旅団、我が第二旅団と共にこの陣地に立て籠もる筈だった彼らが、まだ到着していないのである。
なにをどうすればこれだけ遅れられるのか。伝書鳩で齎された文書によれば自然災害に見舞われたらしいが、それにしたって二日の遅れである。第六旅団長はチャットアプリで既読無視をするタイプだと私は鑑定する。『寝てたわ』
私は乾燥した唇を舐めた。剣橋さんに作戦部が立案した戦術案のひとつ――ロ八号を検討し直すようにお願いする。いざというときにこの村を捨てるプランであった。剣橋さんは黒歌さんを呼んで命じた。
「お前、作戦部から二人、情報部から一人、兵站部からも一人、引き抜いて良いからロ八号を練り直させろ。想定する状況をもっともっと悪化させて。時間は、そうだな、一時間半以内に。誰を引き抜くかはお前に任せる。注意点とより具体的な想定は――」
「あいあーい」と、黒歌さんが走り去ろうとしたときだった。別の窓から敵の様子を探っていた一年生が叫んだ。
「敵が攻撃前進を開始!」
敵中から喇叭の音が響いた。敵軍楽隊がガンパレード・マーチを演奏し始める。その演奏のリズムに歩幅を合わせ、敵は連隊横列(縦三人横六〇〇人)を縦に繋げた陣形でコチラへ向かい始めた。横列同士はそれぞれ十数メートルずつの距離を置いている。前が崩れれば後詰が出てくる。
ンパ村の左翼には森林がある。右翼には河川だ。とすれば、敵は村の正面、狭いそこへしか戦力を展開できない。数の利を活かせない。だからこそ参謀本部作戦部はこの場所を防御拠点に選んだ。
敵が戦力の一部を分離、森林か河川を突破して我が旅団の背後を脅かす可能性もある。しかし、森林側、河川側、そのどちらを敵が進むにしても、使用されるであろう全ての経路を監視可能な高所にそれぞれ一個独立歩兵大隊が配置されている。
その気になれば数個連隊を投入できる相手に対して一個大隊とはなんとも頼りない気はする。だが、森林は鬱蒼という以外に形容しかねる照葉樹林、河川は流れがキツい上に幅が広く、橋は工兵によって爆砕されており、コレらを一度に突破可能な兵力は少ない。
また、大隊が配置されている地形もそれなりに陣地化されているから、とりあえず五時間程度であれば――戦力を分離して迂回させるのにも準備や移動時間があるから実際にはもっと短い――支えきれないこともないはずだ。我々は我々の防御正面(敵と交戦する正面)に集中すればいい。
その防御正面、この建物から凡そ六〇〇メートルほどのところからは昨晩からの突貫工事で完成した塹壕網が広がっている。
コレは深さ九〇センチ、縦幅三メートル五〇センチ、横幅ニ八〇メートルの塹壕を前後に三つ、複数の連絡塹壕によって接続したものだ。第一から第ニ塹壕にはそれぞれ第三ニとニ八連隊が横列で、第三塹壕には後備部隊、医療部隊、それに軍楽隊が布陣している。
時間の不足から――この手の野戦築城には最低でも三六時間を必要とする――掩体、つまり土嚢と木材で組まれた対砲撃用の屋根を有さないけれども、さしあたり、塹壕に潜ってさえいれば敵弾は怖くない。(ンパ村の周辺は整備された農耕並びに牧草地帯であったので、地面が穿り返し易く、寸手のところで築城が間に合った。この地面の穿り返し易さもンパ村が防御拠点に選ばれた理由のひとつだ)
「旅団長」
頂が教えてくれた。「敵先頭と我が先頭との距離が一キロになります」
私は右手を振り上げた。その指先が僅かに震えた。これはショッキングピーポーマックスな。また何時ものアレか。
半歩、頂が動いて、彼女の身体が私の手を周囲の目から隠した。私は彼女に感謝した。右手を振り下ろす。
「旅団砲兵、撃ち方、始め」
「旅団砲兵」私にだけ見えるように微笑した頂が復唱した。「撃ち方、始め」
その命令は司令部附き喇叭手と、この建物の屋上に陣取った手旗信号手によって、村の後方で待機している砲兵隊へ伝達された。忽ち、足元から突き上げて内臓を持ち上げるような、恐るべき轟音が鳴り響いた。別の窓から外を見ていた吉永女史が魂消たような表情を浮かべた。続けて――私は笑った――むしろ間の抜けた音が頭上でした。ピュー。
従来、モヒート軍の旅団はニ四門(一個砲兵大隊)の騎馬榴弾砲を備える。名前の通り、騎馬によって牽引されるそれの射程は一・四キロ、主な砲弾は円弾か榴散弾となる。砲と言ってもその構造は単純だ。マスケット銃をそのまま大型化したものを砲車に載せただけに過ぎない。砲車を傾かせることで射角を調整、遠距離まで砲撃できるものの、地形を変えるとか塹壕を吹き飛ばすとかいうような威力があるわけではない。とはいえ――
「グレート・スコット!」私は口笛を吹いた。
「見事ですね。一発目から命中した。まあ、あれだけいればどこへ撃っても当たるでしょうが」
――生身の人間相手に使う分には洵に凄まじい威力を持つ。
望遠鏡で着弾点を覗く。球状の、ただの鉄の塊に過ぎない円弾ではあるが、その大きさはボーリングの玉に等しく、重量は四・三キロ、初速は三〇〇キロを超える。それが直撃した人間はどうなるだろうか。
粉々に砕け散るのだ。
しかも、地面に落ちた円弾の運動エネルギーは人一人を殺した程度では失われない。円弾は地面を跳ね、転がり、直撃した兵の前後左右にまで被害を及ぼす。跳ねた円弾が当たった腕や足はいとも容易くもぎ取られる。
五人だ。私が観測した地点では一発の砲で五人の敵兵の腹や足がグチャグチャになっていた。通常、ブラスペはグロテスクな描写を一切、取っ払っているが、特殊なMODを導入することで描写をリアルに近付けられる。デフォルトで設定されている痛みを数倍に増すこともできた。勿論、反対に痛みを消すことも出来るのだが、
『痛みを我慢するのは格好が悪い。それに皆んなが痛みに耐えているのだから』
このようなまさにヒノモト人ここにありきという理由から、大抵、誰もが痛みを最高値に設定している。(大抵に含まれない人々は演技力に自信がある人々である)
榴散弾は円弾よりも強力である。これは敵の頭上で炸裂し、砲弾そのものと、その、内部に詰め込まれていたマスケット銃弾が破片になって降り注ぐ。時速三〇〇キロで降り注ぐナイフの雨だと思えば大きな間違いはない。そして、その雨のサッ――と、通った後にはダース単位の死体が生じる。『おやおや、傘をお忘れかな?』
背筋がゾクゾクした。
圧倒的じゃないか、我が軍は。
見ろ、敵の高学歴は既に何人も死んでいる。あそこで。ここで。あんなところでも。勇敢に死んで頑張ったで賞を獲得、お情けで大学へ行けるPCは少ない。可哀想に、付き合わされる低学歴には同情するが、まあ、こうするしかないのだから許して欲しい。許さなくてもいいけれど。
砲の効果は敵を殺すことだけにあらじ。砲弾の雨の中を突き進むのには鋼の意志がいる。敵の一部は早くも隊列を見出して三々五々、味方の死体を踏み躙りながら逃げ散らかし始めた。逃げる方向には別の敵がいる。混乱が起きる。敵の中隊長や大隊長は状況を官制するべくテンテコ舞いだ。
軍砲兵学校で使われる教範(教科書)によれば、旅団が保有するニ四門はそれだけで火砲を持たない同数の敵を律するとある。我が旅団に配備された砲の数は七〇門に達していた。敵にはどうだ。望遠鏡で見える限り、また戦闘前の偵察で把握している限り、三個師団で我が旅団の半分に満たない。しかも我が旅団の砲は村の陰に隠れている。
観測技術の未発達なこのゲームにおいて、基本、砲は目で見える範囲にしか撃てない。目標に当たっているかどうか、当たっていないならば砲の狙いをどれぐらい直せば良いか、それらの見当がつかない体。我が軍ではこの点を解決すべく気球を使っている。熱気球であるから長くは飛べないものの、今回の場合、数を用意することで対応している。
そして、この気球技術は、ダイキリではまだ実用化されていない。敵は我が旅団砲を潰せない。邪魔も出来ない。『初回から一ヶ月間は無料です』というフレーズが何故か私の頭を過ぎった。
しかもしかも――我がビックリドッキリメカが榴弾砲だけと思って貰っては困る。お楽しみはこれからだ。我が旅団隷下の連隊はそれぞれ四門のカノン砲を有していた。
榴弾砲は遠距離から弓なりの軌道で砲弾を飛ばす。面制圧のための砲と言ってもよろしい。打って変わって、カノン砲は、最前線から敵の要所、例えば指揮官へのピンポイント砲撃(点攻撃)を運用思想としている。
第一塹壕内、第三ニマスケット銃兵連隊はカノン砲による砲撃を開始した。例の、混乱をどうにかしようと躍起になっている敵中隊長や大隊長たちが次々とミンチよりも酷い死体になっていく。
否、隊長たちだけではない。その前後に並んでいた者はプレイヤーとノン・プレイヤーの区別なく挽き肉になる。カノン砲は榴弾砲のそれに比べて大量の黒色火薬を用いるので、為に高初速であり、貫通力に優れる。まるで火の玉ストレートだ。一射で斜めに並んだ一〇人程を殺傷せしむる。
斜め? そうなのである。
カノン砲が敵横列に対して理論上の最大火力を発揮するのは、言うまでもない、敵を真横から砲撃したときとなる。無論、そのような贅沢な位置取りは滅多に出来るものではない。そこで、大抵の場合、カノン砲は敵陣に対して斜めに撃ち込まれる。まあ、あくまでも大抵の場合、足元の状態や射角、砲撃したい相手が隊列のどこに陣取っているか――などによって正面から敵を砲撃することもままある。
何れにせよ、第三二マスケット銃兵連隊砲兵、それを指揮している夏川さんの手腕と判断には舌を巻かざるを得ない。カノン砲はその性質上、砲そのものの寿命が短く、導入コストも維持コストも高い。砲を重視する我が国においてもその負担額は軽くはなく、『各大隊には無理でもせめて各連隊に』と、過去、幾度となく現場から嘆願がありながら、上層部はついに配備に踏み切れなかった。(仮想敵であるダイキリが兵力で優越している関係上、モヒートの戦闘教義は榴弾砲、より遠距離からより多くの敵を攻撃可能な兵器を贔屓していたという背景もある。
夏川さんはカノン砲を扱った経験に乏しいはずだ。使い惜しみをしてもおかしくはない。現状で言えば、塹壕の狭さのために、各砲の指針に手間取っていてもおかしくない。それがどうだ、三ニ連隊砲兵がこの短時間で挙げた戦果は!
敵指揮官の配置予想、それを効率よく潰すための砲の最初期配置や移動経路の設定、また移動を円滑にするための準備が周到だった証拠だ。経験に乏しいからこそ、自分を過信せず、入念な下調べと打ち合わせを怠らなかったに違いない。
夏川さんと連隊幕僚たちは当然として、実際に砲を牛耳っている砲兵中隊長、下士官らも、戦後はよく労ってやらねばならない。その旨、私は頂に記憶と記録しておくようにお願いした。
彼らの中には私を快く思わない高学歴も多いが、いやはや、まさか叙勲申請や昇進推薦を断りはすまい。私としては、如何に相手が高学歴とはいえ、なした功績に相応しい報酬はあって然るべきだと考えている。それに、最終的にこの手で殺すことになるとしたら、平凡な高学歴より、より社会的な地位の高い高学歴を殺した方が楽しいですしね。
一・五キロほど先で爆音がした。音のした辺りが白煙に包まれる。負けじと敵砲が撃ち始めたのだった。ただ、砲が重視されていない国の砲撃、敵弾は塹壕の手前の、的外れなところへ落ちた。爆音がした。土煙が上がる。地面が派手に抉れて、第一塹壕内に大量の土砂が降り注ぎ、兵どもが喚いた。それだけだった。
私は深呼吸をした。興奮してばかりもいられない。下手な鉄砲も何とやらである。あんな砲撃でも撃ちまくられればどうなるかわからない。かねてからの予定通り、旅団第ニ砲兵大隊を投入した対砲迫射撃――砲兵による敵砲兵排除を実施するべきだろう。有り難いことに敵砲兵の配置は我が作戦部の予想とおおよそ合致するようなので、司令部としては現場の連隊、気球観測中隊、それに砲兵と幾つかの伝令をやり取りするだけで直ぐに対砲迫射撃を開始できる。
気持ちを落ち着かせてから吉永女史を呼んだ。返事がない。別の窓から外を見ていた彼女に目線を移すと、ああ、そうなりますよね、どちらかと言えば善人である彼女の肌は青白くなっていた。その、細い肩と膝とが小刻みに震えていた。
「平気ですか」
本音を言うと些か煩わしい。こんなところまで来てビビらないで欲しいとも思う。思うけれども、では、自分の初陣はどんなものだったか? 自慢できるものではなかった。ただでさえこのゲーム内の戦闘は、やりすぎなぐらいに追求したリアルの結果、いわゆる原始的な恐怖――死と殺人への恐怖を割とガチめに感じる仕様だ。『そういうところまで楽しめるようになってからが一人前だ』というような慣用句もあるが、はてさて、正直、私のようなシリアル・キラーですらそうはいかない。
私は吉永女史の背を叩いた。彼女はゴクリと大きく喉を鳴らしてから呟いた。
「朝ごはん」彼女は組み合わせた両手を薄めな胸に押し当てながら言った。「トンカツなんて食べるんじゃなかったわね……」
私は彼女の背を強めに叩き直した。「もう二度とトンカツが食べられないかもしれませんね。でも、安心してください。代わりに、コレが終わったらハンバーグの美味しいお店を紹介しますよ。――さて、主席副官。何はともあれ仕事をしてもらわねばなりません。アチコチに伝令文を作成して貰います。いいですね?」
彼女は苦労してはにかんだ。私はわざとらしく喉の奥でクツクツと笑った。我々の背後、大量に並んだ机では旅団司令部構成員たちが自分の職務に熱中している。剣橋さんにせよ、吉永女史にせよ、私自身にせよ、そろそろ、息をする間もないほど忙しくなるだろう。
所詮、人間が最も熱中するのは誰かを苦しめることなのだろう。それとも、誰かから受ける苦しみから逃れることか?





