番外編2章62話/学院戦争 - 23(花見盛)
戦況解説回です。
本当は57話辺りで入れなきゃだったんですが、完璧に忘れていたので、なんか変な位置ですがこの辺りに。申し訳ない。
開戦直後、サトーが全軍宛に発していた戦争指導方針は『シュラーバッハ周辺に現時点で動員し得る限り全ての兵力を可及的速やかに集結させ敵軍に対する防御線を構築する。爾後、決戦については(親会社による介入や指示などがあるまで)可能な限りこれを避け、専ら遅滞と陣地固守によって敵軍の兵站能力を圧迫し、最終的には戦闘続行を不能ならしめる』――と、こんな感じの、小学生でも考え付くような(或いは小学生しか考え付かないような)ものだった。結局、以前に御前会議の席で提出された際には“やるだけ無駄”扱いされたアイデアが正式に拾い上げられた形になる。やるだけ無駄なのが分かっていてもノープランよりかはマシだというサトーの判断だった。
取り立ててサトーの無能を言い立てることを俺はしない。というより、あの状況で、それ以上の方針を練れた方が異常であったと考える。後代、学院戦争初期におけるサトーの姿勢は『弱腰である』とか『彼女が本質的には戦術家に過ぎなかったことを意味する』とか、なんですか、割と散々な評価をされているが、それは神の視点を持てばこそだ。終わった後でなら――戦争の経過や両陣営の内情を全て俯瞰して見られる立場からなら――何とでも言える。『あのときあの株が値上がりしたんだから買っておけば良かったのに』みたいな。ああ、でも、サトーは戦争が得意だったが上手ではなかったという説には積極的に同意する。
……サトーの戦争指導方針は参謀本部の手で翻訳され、具体化されて、各地の旅団に命令文の形で達された。『○月○日までに宿営地を出発して○○街道を使用し○日以内に指定位置へ到着するべし。この際の注意点は以下略』である。この命令に対して各旅団はその持ち得る全力を傾けたと言っていい。なにしろ命令違反者や造反者が殆ど観測されなかったのである。この鉄火場にあってすらサトー神話はそれだけの威力を誇っていたのだった。(南部に降伏したところでという諦観や侮りがあったことも否めない)
しかし、敵軍のシュラーバッハ到達が早ければ一月一ニ日、遅くとも一六日だと目される中で、指定された期限を守れそうなのは第一旅団だけだった。それとても敵の進軍が最速を極めれば間一髪になりかねない。その理由は再三に渡って解説されたように降雪や動員の未完結や電撃的開戦による準備不足である。
むしろ、第一旅団が間に合うかもしれないとの報に、参謀本部の関係者は驚いた。『あの命令は努力目標だったんですがね』と後に参謀総長は述懐している。第一旅団は紆余曲折を経て司令官に恵まれていたし、他の旅団より元々の宿営地――この頃、軍隊は市民に溶け込むため、それから食料調達や経済循環や用地確保の難しさのため固有の駐屯地を持たず民間に寄宿していた――がシュラーバッハに近いこともあった。
近衛、独立第一三、それから藤川の騎兵連隊はまた話が違っている。前二つは皇帝直轄麾下であり、有事に備えて常に臨戦体勢でもあったから、『一秒でも早くシュラーバッハに到着して防御線構築の下見がしたい』というサトーに急き立てられて、開戦の翌日には首都を離れていた。一月一日の時点で既にシュラーバッハ近郊に到達している。両連隊は、暫定的にだが、併せて近衛軍の呼称を与えられていた。
藤川の騎兵連隊は、あの報告書を齎したことからも分かるように、既に敵の一部と接触していた。騎兵連隊も皇帝直轄麾下だが、同時に実験部隊として参謀本部や軍務省の干渉を受ける部隊でもあり、開戦の際はその干渉を受けて国境付近で騎兵戦術研究のための大規模演習を実施していたのである。(国境付近で演習を行っていたのは偶然ではなく、日に日に対南部との緊張が高まっていたので、すわそのときに備えて前進配置されていた名残だった。脚の速い騎兵を予想される最前線に先手を打って配置しておくのはまあ悪手ではない。参謀本部や軍務省の干渉で演習を実施するというのも他国を刺激しないための名目だったかもしれない)
近衛軍の兵力はニ〇〇〇。藤川の隊も加えればニ八〇〇。第一旅団は急行軍でかなりの脱落者を出すだろうから、合流に成功したとしても、こちらの頭数は四五〇〇前後で打ち止めだ。敵は主力だけで八八〇〇。更に五〇〇〇程度と見積もられる別働隊が二つ。兵站状況も頗るよろしい。我が方の兵站はと言えば、近衛と藤川の連隊は事前の想定が想定だっただけに上等だが、第一旅団と合流後もその水準を保てるかどうか。旺盛なのは士気だけだ。
我々が敵に比べて有利と言える点は、これも御前会議の席でサトーが指摘していた通り、騎兵戦力を持っていることだけだった。南部は砂漠だもんで、アルファルファと穀類の確保が難しく、所有している少数の馬の尽くを輜重(砲の牽引を含む)に回していた。だが、幾ら機動力に優れているとはいえ、たかが八〇〇騎で何が出来るだろうか?
改めて整理すると笑うしかない状況だった。そして、その状況を覆すべく、サトーは例の車軸売りつけ作戦をぶち上げたのである。
その実施は集大成だと言えた。何の。過去の苦労と経験の。まあ、お察し頂けるとは思うんですが、この作戦はのっけから波乱万丈、事故だの失敗だのミスだのが相次ぎまして――。





