番外編2章60話/学院戦争 - 21(平松)
会議は中央集団を統べる野村さんと私以下その幕僚、三個旅団の首脳陣を招いて開かれまして、二時間程で概ねを終了しました。何事も無く終了したと言って良いでしょう。むしろ何事も無さ過ぎる程でした。野村さんなど『味気なかったね』と感想を洩らされました。事実、会議は延々と報告書が読み上げられ、なんとなくそれらしい意見を誰かが述べるばかりで、淡々と終わったのです。
会議の焦点は全軍の速度調整と兵站状況の確認に当てられました。我が軍は保有戦力を中央集団、第ニ軍、第三軍と三つに分割しています。第ニ軍と第三軍はそれぞれ完全編制の――この場合、定数を完全に充足し、且つ砲などの重装備を有した――歩兵二個連隊と砲兵一個大隊を隷下に置き、その任務はと言えば、必要に応じて敵軍の側面或いは後方へ回り込む、又は敵軍を迂回して敵首都を突くことだとされています。この第ニ軍が行軍予定よりニ日近く遅れているのでした。
『兵站状況の著しい悪化と天候不順のため』と、第ニ軍は報告して来ており、報告文には次のような憐れな一文が含まれていました。
“行軍していると体温で肩や帽子に積もった雪が溶ける。それで衣服や髪の毛が凍る。下手をすると睫毛が凍って目が開かない、鼻の穴が閉じてしまう、そういう者もいる。部下にそのような思いをさせるのは忍びない”――何処まで信憑性があるかは謎です。そもそも、現在、第ニ軍はまさに猛吹雪に襲われているようですが、つい一昨日までは曇天の中を行軍していた筈です。足元の雪が溶ける晴天よりも歩き易い曇天、まあ程度問題ですが、それでこんなに遅れが出るものなのか。第ニ軍は中央集団から半日離れた距離にあり、先に述べたような環境下にありますので、確かめようにも即効性のある手立てがありません。(電話も無ければ無線も無いというのはこういうことです。他の部隊の状況が掴めない。遠距離恋愛にも似ています。ねえ?)
とりあえず、第ニ軍程ではないにせよ、我々も悪天候に捕まっている訳ですからしばらく休養に努めて、回復次第距離を稼ぐことで満場一致となりました。恐らく第ニ軍の方が先に行軍を再開するので、二日の遅れは、その辺りで少しずつ補えば良いということで。
不安だ。私の胃はモニュりました。戦地であるのに饗される素晴らしい紅茶の、その味も香りも、ただ胃腸を痛め付けるだけでちっとも有り難くありません。
開戦前は必勝を謳われておりました。敵を圧倒する戦力、装備、資金、兵站、これで負ける方が難しいと、戦争指導方針の立案を委ねられた高学歴達は口を極めました。私自身もそう信じておりました。実は今でも信じているかもしれません。開戦前の図上演習ではどれだけ条件を厳しく設定しても南部軍が勝ちましたし、戦訓研究会も盛んに開かれて、過去の例からサトーの指揮の傾向や対策は掴めている筈なのです。
そう。戦えば負けない。しかし、戦争の大部分は計画と準備と移動なのです。我々はそこを見誤っていました。或いは人の心を見誤っていました。
開戦前夜、野村さんは、戦争反対を唱える南部同盟の有力者数名を“和を乱す”とか“サトーのスパイだ”と言って更迭したり抹殺したりしました。当時は誰もそれを、なにしろサトーにプライドを傷付けられた上、ここで戦争にならねば困る人も多い訳ですから、問題視しませんでした。積極的に支持すらしました。
ですが、いざ戦争が始まってみれば、“ほぼ間違いなく勝てるだろう”という見込みも手伝って、ここに至って南部同盟の構造的欠陥が露呈したのでした。
まず一部の野心家が『むしろ北部に寝返った方が目立てるのではないか』と画策しました。そして、その反乱を正当化するために、“野村のやり方が残酷過ぎる”と言い出したのです。無論、コレはより良い進路を希望する高学歴が考案したことですので、
『奴らは南部の栄光と矜持を何だと思っていやがる』と、かつてから分かり切っていたことを、今更のように古参プレイヤーが問題視し始めることにしたのでした。問題視は間もなく対立となりました。元々、彼らは南部が豊かになるならと高学歴を受け入れていましたが、新参者が幅を利かせることに無制限に好意的ではなかったのです。中央集団司令部のあの様相、断層ですが、あれはまさに高学歴と古参プレイヤーの断層なのであります。
事が起きてからはもうあれよあれよでございます。『あの部隊より活躍しなければ』という指揮官が行軍予定を無視して猪突、(行軍隊形が乱れた理由の一つです)、『あいつが悪さをしている』と虚偽の申告が匿名で中央集団に舞い込む、『俺の部隊がアイツより遅れているなら任務を放棄する』などと感情を人質に言い出す部隊指揮官までいました。これは明らかに南部精神の弊害でした。つまり“助け合いの精神”が邪魔になっているのです。指揮系統はキチンと定められているのですが、それを、全員が平等な権利を有する――『俺よりアイツが活躍するのはおかしいから調整してくれ』――という前提が否定しているのです。無論、高学歴は意識的に、古参者は無意識にという違いはありますが、それはそれとしましょう。
南部は伝統的に揉め事を会議によって解決する傾向があり、(今もこうしているように)、それを戦時においても尊重しようとするのも問題でしょう。問題解決の速度が遅々とし過ぎている。サトーに権限が一元化されている北部と異なり、野村さんは南部の代表に過ぎないので、細部に渡ってあれこれと指導することが出来ないのでした。
第ニ軍の行動遅延には裏がある。どのような裏か。それは分かりません。分かることと言えば、兵站状況、それが悪化していることでした。
本国から、並びにチョットからも大量の物資が送られてくるのに、どうして兵站状況が悪化できるのでしょうか?
まあ、各部隊が予定を無視して行軍する以上、『○月○日にドコソコで○○を受け取るように』と予定を組んでもその通りに行かないのは当然です。しかし、それ以上に、ある部隊が別の部隊の受け取る筈だった物資を、徴発するはずだった物資を、強引な手法で横取りしまくっているのでした。
バラマキです。各部隊にいざというときのために与えた現金、それと各部隊指揮官などが持参した現金が、物を運んできたチョット商人や各地の農村にばらまかれていました。理由は言うまでもないでしょう。(戦時ですし、万が一にも負けたら紙屑になる軍票ではなくて、即効性もあるキャッシュが好まれるのは当たり前ではあります)
各部隊から挙げられてくる報告書、それに記された言い訳は多彩で、尤もらしく、取り締まるにも取り締まれないのが現状でした。というか、取り締まるにしても、これだけ部隊配置が散らばっていてはなんともなりません。
それだけではありません。雪や霧や雨の影響で、行軍中、敵味方を誤認する、酷いと銃撃する、事故が発生するなどしていましたが、この中にどれだけ故意に引き起こされたものがあるか。ここだけの話、これらの事情から、我々の行軍速度は破竹と申しましたけれども、想定していたよりかは遥かに遅いのです。
野村さんは何を考えているのだろう、と、私は再び思いました。思い続けているのです。ゆっくりと、時間を掛けて南部の意思統一をしていれば、こんなことにはならなかったろうに。なにせ、例の対立は、野村さんが口実さえ与えなければ顕在化しなかった程度の潜在的対立だったのです。いや、それは、今直ぐにでも実績の欲しい高学歴からは突き上げを食らったでしょうが、全体の利益としては事を急ぐよりも大きかった筈です。
それでも負けはしないでしょう。このままぶつかれば、中央集団だけでも敵より数が多いのですし、第三軍は生真面目な荒波君が指揮していますから、会戦に勝てることは間違いありません。問題はその後です。南部はどうなるのか。私にはそれが心配で仕方ありません。
『ほら、見ろよ、ついに我々の努力が文字通り実ったねえ!』――と、あの日、顔と身体を泥塗れにしながら笑った野村さんが、まさか南部のタメにならないことを考えている訳もないのですけれども……。





