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銃剣突撃する怒れる低学歴と悩める高学歴のファンタジア  作者: K@e:Dё
番外編2章『七導館々々高校文学部』
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番外編2章54話/学院戦争 - 15(斎藤)


「第三回アメリア大陸会議もなんとかなりましたね」補佐官が胸を撫で下ろした。「後はどうしますか、斎藤さん」


「そうだな」僕も一息吐いていた。宮殿の会議室はいましがたまでの喧騒を失ってガランとしている。夏祭りが終わった直後のようだ。優しさと寂しさについて僕は思いを巡らせた。優しさは無音でも遂行されるが、寂しさは、必ずある程度の言葉と音階とを以て実行される。心許ないとき、人はそうでないときよりも饒舌になるのだ。


「花見盛の手前、色々と言いはしたけど、実際にはある程度まで対立が進んだところで、或いは開戦してしばらくしたところで仲裁に入るべきだろうね。互いの膿をそこそこ排出させて、国力をすり減らすという意味で、開戦から少しは様子見でいいかもしれない。趨勢が決しそうで決さない辺りを見定めよう」


「そうなりますか」補佐官は目頭を抑えていた。ストレスからか胃の辺りを撫でてもいる。


「そうするよ」僕は円卓に頬杖を突いていた。「でなければ何のためにチョットがあるのか分からなくなる」


「学院はどうしますか」


「独立させてやるさ。或いは南部の適当な国に吸収させてやろう。リストロベルトではなく。リストロベルトだとまた面倒になる。南部にも少し不和の種を撒かないといけない。なんにしても、学院、彼等は北部から離れられれば何でもいいんだよ。今回の問題の本質は金でなく感情にあるんだ。感情以上に厄介なものはない。理屈や理論ならどうとでもなる。絡んだ紐を解けばいいのだから。感情はそうもいかない。解こうとすればするだけより複雑に絡み合う」


「それかもしれないですね。振り返れば、そもそもどのような形で北部から離脱したいのか、ただ離脱したいという意志だけが学院内で先行したことが誤ちでしたか」


「そうだね。変な気配はしていたから、なんというかな、もっと早く行動しておけばよかったかもしれない。まあ、過ぎたことだよ」


「仲裁はどういう形で入ります?」


「南部は直ぐに干上がるよ。金はともかくとして食べ物がね。遠征軍はいいかもしれない。現地徴発すればいい。本国がそうもいかないよ。とすればウチの出番だ。適当なところで切り上げないと穀物輸出を止める。それから敵軍の後方を我が軍が封鎖する。そういう脅しで何とかなるだろう。というか、何とかならなくても、何とかする。ウチと二正面作戦をやる余力は流石の南部にもない。戦後も我々が主導する。そういえば、午後の死と南部同盟との間の、関税の設定ってどうなってたかな。時間稼ぎのためにも通商条約を見直させたいところだね」


「午後の死が飲みますかね。飲んだとしてまた面倒になりませんか」


「なるだろう。でも、どうせね、面倒なんて放っておいでも出るんだ。要するにコントロール可能な面倒を生み出すか、コントロール不可能な面倒が独りでに誕生するのを待つか、その違いだ。どちらにせよ午後の死には注意を払わねばならない。あの国が赤字なのは産みの苦しみだ。領土を広げ、インフラに投資して、それがまた回収されていないからだよ。しっかりとした産業が地方に根付けば状況は変わる。黒字に転じれば細かいことでガーガー言わなくなるだろう。だから、通商も、その辺りを考慮するべきだろう。午後の死に然るべき産業が根付くように。南部の製品が安過ぎる価格で入って来ないように。南部への配慮は学院をまるごとくれてやるのと、後はなんだろうね、北部の穀倉地帯の割譲なんかは飲めないから、そろそろ別大陸とやらへの進出に真面目な投資をしてみるかい?」


「一仕事です」補佐官はトホホとでも言いたげだった。「内乱の時代が楽に思えて来ますよ」


「それはどうかなあ。あの頃だって大変だったよ。いや、僕はあの頃の方が大変だったと想う」


 回想した。“園芸部”とかいう渾名を賜っているように――必ずしも望んで頂戴したのではない――元はと言えば僕は園芸部員だった。それがどうしてかこんなことになってしまった。ゲーム内国家の皇帝か。そんなのをやる奴は馬鹿としか思えない。どこにそんな馬鹿が居るのか。残念なことに僕がその馬鹿らしい。信じられない。


 まだ声のソプラノだった時分、僕はトヲキョヲの片田舎に住んでいて、お隣さんが大層な変わり者だった。トヲキョヲとは言い条、そこはホンマチダとかいう鄙びた町で、国道だか産業道路だかが通っている以外に取り柄はない。山とか丘とか森とか畑とか自然公園とか材木置場が子供達の遊び場だった。


 お隣さんはそんな立地をフルに活用していた。豪邸とは言わないまでもお屋敷に棲まう老夫婦で、俯瞰すればロの字になる家の中庭と外庭に、季節毎に多種多様な植物を育てているのだった。僕は、お隣と言っても五〇メートル以上は離れていたのだが、枳殻と桜の二重の生け垣を匍匐前進で越えて、外庭に入り込んでは老人達に構って貰った。


 どうしてそんな悪戯のような訪問法を採るのか。僕の両親は共働きだった。家に帰ってくれば、あるだろ、家事の分担がどうとか、俺の方が稼ぎが多いとか、子供の面倒を貴方も見てよとか、そういうことで喧嘩をした。僕は人見知りだった。玄関から『こんにちわ!』とすれば追い返される気がしていた。忍び込んで、“来ちゃってるならしょうがない”と、拒否されないシチュエーションを無意識に求めていたのかもしれない。


 お爺さんは親切だった。僕の頭に付着した木屑や雑草を払い、お菓子を与えて、花の名前や土の弄り方を教えてくれた。お婆さんの方は、その、正札付の奇人で、頗る口が悪く、子供相手でも容赦をせず、悪さをすれば平気で僕の頬を打ったが、優しくない訳ではなかった。彼女は筋金入りのビブリオマニアであり、六万冊だかの書籍に囲まれて生活していたから、乞い願えば豊富な雑学を開陳してくれた。お陰で余計な知恵が随分と身に付いた。


『娘は失敗作だからね』と、お婆さんは折に触れて言っていた。


『大学に通ってるけどね。馬鹿だからね。学者になりたいだなんて言ってるけど無理だろうね。そのうち男でも捕まえて帰ってくるだろうよ。ろくでもない奴をね』


 幼い僕はお婆さんがどうしてそんな話をするのか分からなかった。いまになってようやく分かる。彼女は間接的に言っていたのだ。『ま、アンタは頑張りな』とかそんなところだろう。お婆さんに合わせる顔がない。僕は人を不幸にして日々の糧を得ている。


 小学校の四年で両親が離婚した。僕は通り相場で母に引き取られた。地方へ越した。僕は越すことをお隣さんに最後まで伝えられなかった。左右来宮――という変梃な名字の彼等は、ある日、忽然と消えた僕の感情をどのように判定したろうか。僕自身は、新しい地域に馴染めず、さりとて老夫婦に手紙の一本を出す勇気にすら恵まれず、熱を出せば『私も仕事で忙しいのにどうして体調なんて崩すのよ』とヒステリーを起こす母に孝行することもできず、退屈な日常を送った。しかし、その灰色の日常も、数年で崩れ去った。まさに崩れ去ったのだ。連続震災である。


 僕の住んでいた地域はトウカイ地震の震源地付近だった。海辺でもあった。二〇一一年の教訓から学び、防災訓練に励み、堤防を強化していたこともあって、ツナミ被害は割合に軽かった。それでも僕の暮らしていた町はグシャグシャになった。我が家のアパートからしてペチャンコになったし、ご近所の家々もそうで、瓦礫や残骸は人や猫や犬の死体が波に飲まれて何処かへ運ばれていく様を、僕は避難した学校の屋上から見下ろした。


 覚えている。昼時だったことも手伝って、商店街や繁華街では酷い火事が起き、消火に時間が掛かった。夜でも空が明るいんだ。時間の感覚が狂った。時間の感覚が狂うと精神の均衡も狂った。僕は自動的に絶望した。大して愛着の無かった町でも無くなれば悲しいらしい。事実として、数日後、大して好きでも無かった母が仕事先から逃げ遅れた死んだらしいことを知ったときも、僕は絶望した。悲劇の主人公を気取ることで何とか正気を保とうとしていたのかもしれない。僕は凡人だ。凡人は狂うときまで凡人らしく狂う。普通の人間は普通にしか狂えない。僕は、不謹慎だが、絶望の果てに頭がおかしくなったり自殺したりする人を羨んだりもした。


 人々は震えた。震えながら同じように震えている他人と寄り添った。中には父親や母親や兄弟を求めて嗚咽する子供に手を差し伸べる人もいた。目先の課題に集中することで現実の辛さを忘れようとしているのだった。しかし、助ける人と助けて貰いたい人の数は釣り合わず、あぶれた子供達は二日も三日も泣き続け、大人達の中には『俺たちも我慢しているんだからお前も我慢しろ』――と、四歳児相手に叱りつける者まで現れた。


 壊滅した地方を捨てて――裏切りモノだと蔑まれながら――上京する人々の列に僕は連なった。トヲキョヲの父親に引き取られたのである。父は乾いていた。母と違ってヒステリーでもなかった。再会して一言目、“悪いけどお前には興味がない”、言い切った。彼は別の家庭を築いていた。そこへ割り込むのは気が引けた。それで中学生の癖に下宿を始めた。移民を相手にしていた民間宿泊業者が、これを書き入れ時と見定めたか、続々と現れる田舎者相手にアコギな商売をしていたし、ソリデールという選択肢もあった。そら老老介護で困っている世帯、そら高齢者しか暮らしてないんで買い物だの防犯だのに不安がある世帯、それらに若者を格安で住み込ませる制度だった。


 僕は民泊を頼った。タマの丘陵地帯に構えられた一軒家である。八人、ヒノモト語の通じない三人や身元不明の親子連れを含む、下は八歳から上は六二歳のハウス・シェアが営まれた。金にガメつい、しかし性根は誠実なオーナーが、(恐らくは国や県の文化の差を慮って)、家の内装なんかは自由に変えていいと言ったので、僕は気紛れに庭を改造することにした。


 庭は荒れていた。トヲキョヲも、被害が想定より遥かに小さなもので済んだとはいえ、それなりの打撃は被ったのである。庭の隅に柿の木が幹の半ばから折れて倒れていた。土が割れていた。めくれあがっている箇所もあった。そこを平らかにするところから着手した。土と格闘する内に僕は何かの喜びを覚えた。最初に蒔いた種から芽が出て、茎が伸び、蕾がぷっくりと膨らんで、花の開いたときには希望すら感じた。そうだ。何もかもを失い、何もかもが吹き飛んで、更地になってしまったけれど、こうしてイチから再出発出来るのだ、と。まあ、異人さんが、せっかく咲いた花を踏み荒らしたり、続いて育て始めたトマトを青い内に食べたり、ショックなこともあったが、拙い外国語で抗議すると、彼等も反省してくれた上、植物の手入れを手伝ってくれるようになったのでよしとした。尤も、トマトを青い内に食べるなとお願いすると、ならばとばかりにまだ育ち切っていないハーブを摘み始めたりしたけれども……。


 僕は園芸にのめりこんだ。高校に入ると園芸部が無いのでまた絶望したが、今度は素早く立ち直り、自分で起ち上げて、校舎の裏で芋なんかを作って悦に浸っていた。そこをゲーム部の連中にヘッド・ハンティングされた。彼等はウファツェア山脈に入植したチョットのピルグリム・ファーザーズ達で、土壌改良について、僕に意見を求めてきた。僕とて素人に毛の生えた程度に過ぎない。ただ、素人であるからこそチャレンジ精神に旺盛だったこともあり、ブラスペの世界に飛び込むのに躊躇はなかった。 


 初めは面白かった。皆んなで協力してひとつのものを作り上げる喜びに勝るものはなかった。脳裏にあの壊滅した町の絵が浮かぶ度、


『それでも僕等は』と思うことで乗り切った。我がゲーム部には僕と同じ境遇の仲間が何人か居た。僕等は“悪いことは何時迄も続かない”と励ましあった。


 ところが、それでも僕等は同じ誤ちを繰り返した。食べるものに困らなくなると、わざわざ望んで、次の困りごとを探した。まるで不平や不満を述べねば人生に価値はないとでも言うかのように。血で血を争う政争と抗争が始まった。僕は僕の希望である畑と作物と仲間達を守るために、もう沢山だと吐き捨てながら、苦労を共にした仲間達を騙したり裏切ったり殺したりした。暇になったら左右来宮の婆様を訪ねようと計画していたがそれもご破産になった。


 もう沢山だ。そうなのだ。地震も戦争も人死にも沢山だ。なにがなんでもそれは避ける。避けるためなら何でもする。避けられないならせめて犠牲を少なくする。――


 ……大陸会議から十日余りが過ぎた。僕はチョット本国に帰らず、幾つかの調整と陰謀に実効を持たせるために、例の飛び地に残っていた。そこへ急報が舞い込んだ。俄には信じられなかった。宣戦布告だと。どうしてだ。否、このような内容で宣戦布告がされることは分かっていたが、早い、早過ぎる。南部の意思再統一がこんなに速やかに完了するはずがない。否、現状では因果よりも結果が重要だ。僕はどう立ち回るべきだ?


 思考時間は与えられなかった。宮殿をある男が訪ねて来た。僕は、普段は抑えて、胸の奥に畳み込んである感情を迂闊にも曝け出してしまった。周章てていたのだろう。


「野村!」僕は彼の名を吠えるように呼んだ。


「ああ、ああ、如何にも僕だよ。元気そうで何よりだねえ」




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