番外編2章53話/学院戦争 - 14
リーグ・レギュレーション → 本編5章7話/派手な暮らしをしようじゃないか!
佐藤太郎君は低学歴である。ただの低学歴ではない。ブラスペ史に名を刻んだ珍しい低学歴であった。ただし、佐藤君は、彼自身が特別だったのではなく、彼のこれからする経験が特別だった。まあ、“誰でも誰かの特別な人”であるという博愛主義的な見方をすれば、彼もまた特別な人ではあった。彼は少年時代と数年前の震災とで両親を喪っていた。だから彼を特別に想うのは彼の妹だけだった。彼もまた妹を特別に想っている。彼がブラスペを始めたのは実にこの妹との慎ましい生活を何とか守るためだった。被災者や親の居ない子供に対する国からの援助は、昨今、アテにするだけ虚しいものとなりつつある。大変な時代だな、と、佐藤君は漠然と考えている。
二〇二一年一二月二〇日の午後である。佐藤君は外務省庁舎を出た。向かった先はリストロベルト大使館だった。
ゲームを始めた八ヶ月前、佐藤君は、『まあ頭の悪い俺でも出来ることと言えば肉体労働だろう』と軍に志願した。二ヶ月で辞めてしまった。彼が配属されたのは後に近衛連隊と呼ばれることになる勅令隊で、上司は藤川とかいう阿呆ではあるが優しい男、対人関係にも環境にも待遇にも不満は抱かなかった。二〇キロにもなる荷物を担ぎ、延々、何キロも行進させられるのも同期が愚痴る程に辛いとは思わなかった。彼は、この前には、年齢をちょろまかして建設現場で働き、ナントカ語とナントカ語とナントカ語で『ちんたらするな!』と怒鳴られながら何百キロかの鉄骨を運んでいたのである。
耐えられなかったのは変化である。佐藤君が入隊した頃、広く用いられていた武器は三メートル半にもなる槍とやや小型化された火縄銃で、最初の三週間、彼もまた長槍兵としての訓練を受けた。藤川の教え方はお世辞にも上手とは言えなかったが、熱心ではあったし、お陰で佐藤君は『コイツは使い物になるぞ。流石はサトーってだけのことはある。良い名前だ』とか褒めそやされて、行く行くは管理職だなんて言われたりもした。そのことを妹に話すと彼女は純粋に喜んだ。表面上は、
『ま、兄さんにそれが務まるとは思わないけど』――こういう風ではあった。
しかし、四週目、チョロッと事前通告されただけで、部隊編制が変更になった。その頃、勅令隊の最小単位である小隊には槍兵と銃兵とが両方とも配置されていた。中隊ともなると少数の騎兵を持っていた。これを兵科毎に再編するらしかった。(小隊でも中隊でも槍兵なら槍兵で銃兵なら銃兵だけで構築する)
勅令隊の最大の敵は国内にスポーンする野盗や盗賊や匪賊である。連中は、佐藤君は噂で知るだけだが、レイダーと同じで山林をアジトにしている。レイダー程に戦力も計画力も無いが、逃げようと、隠れようと思えば幾らでも出来てしまう。そこで、盗賊などの頻出する地域に差し向けられた中隊は、隷下小隊を“この辺りだ”だという地点に分散配置していた。点ではなく線で神出鬼没な敵を捕捉しようと試みたのだ。その関係上、小隊にも銃兵を与えて、遠近どちらにも対応可能なようにしていたのであった。なんだかとても強そうで、便利そうでもあるが、実際には器用貧乏な編制だったことは否めない。火力打撃力も白兵戦力も中途半端なものしか持っていなかったからだ。頭数が少な過ぎるというのもあった。
で、地道な努力と、プレイヤー数の増加による山林の急速な開発に伴い、盗賊どものスポーンする数が減ったので、その編制が改められることになったらしい。佐藤君は知らないことだが、勅令隊の幹部に自分達のシンパを送り込もうとした一部の商人ども、キャラバンへの過剰な護衛を要求する彼等が“学院”という組織に纏めて追放されたことも、この編制変更に影響している。(商人達は公の武力を少しでも自分達のものにすることで国政に干渉したがっていた)
装備も段階的に転換されることになった。部隊における槍兵の占める割合が低下した。佐藤君は槍を捨てて火縄銃の扱いを覚えることになった。藤川らはいきなりのことにも動じていなかった。その様子に、佐藤君は、凄いな流石は歴戦の人達だと感心したが、これは間違いだったと後から気づいた。藤川らは急な仕様変更に慣れているだけだった。『サトーは何でも直ぐに変えるからなあ』
火縄銃に慣れ始めた頃、今度は内示もないまま、『マスケット銃兵としての訓練を受けてくれ』と頼まれた。その頃は新登場した燧石式銃が軍に採用され始めていた。彼の所属していた勅令隊も、地方に守備隊を配置するとかの軍拡に伴い、第一連隊(近衛連隊)と名を変えていた。彼は途方に暮れた。この分だと来月にはまた別の兵種に転じることになるだろう。再来月にはまた別の。藤川自身も歩兵から騎兵に転科するとか言っていた。付き合いきれないと彼は感じた。藤川らの引き止めに心を動かされなかった訳ではないが、義理と人情でブラック企業に付き合えばどうなるか、それぐらいは彼にも分かる。
辞めてから、また前の現場にでも戻ろうかと思っていた矢先、どこからともなく皇帝府人事局だかの役人が彼の自宅を訪ねて、
『外務省で働きませんか』と勧誘した。佐藤君はこれに乗った。デスク・ワークだと聞いたからだ。汗水を流すよりかはシンドくない。
果然、仕事はシンドくなかった。二等書記官兼任ホニャララ参事官兼任ホニャララ参事官とかいう御大層な役職が与えられたが、言ってしまえば、彼の仕事は幹部達の愚痴聞き役と使い走りだった。毎日、机に向かい、
『あーあーなんでこんなことやらなきゃなんねえんだ』
『サトーなんかくたばれ』
『上は何も分かってねえよ』
などと様々な動機から口走る上司達を『大変ですね』と宥め、時によると『人が聴いてますよ』と諌止し、又は『全くですねえ』と保身のために同意したりしつつ、後は書類を纏めたり、ハンコを押したり、お茶を飲んだり、世間話をしたり、南部諸国の在外公館に書類を届けたり、逆に向こうから持ち帰ったり、その程度である。どうも外務省というのは飾りらしい。細々とした行政処理、文書作成、決裁、保存、企画、外国の要人への接待や身元の調査はさせられるので、それは忙しくはあるが、現実的な交渉や調整は皇帝とその腹心だと目されている侍従武官長が担任しているので、責任は軽い。上司の愚痴は見栄というか、仕事が無くて辛いわというアピールというか、そうしておかないと格好が悪いからなのだというか、そういうものだなと佐藤君は理解した。理解してしまうと上司の扱いが更に上手になった。つまりは自分の病気について熱心に語りたがる入院患者のようなものなのだ。
これでお金なんて貰っていいのかなあと佐藤君は困惑した。妹は『いいんじゃないの。楽することに抵抗を感じるなんておかしなことよ。ヒノモト人ね』と兄を軽蔑していた。なお、兄に対して生意気を言った日、家事担当の妹は夕飯を豪華にすることで謝罪に代えた。裕福ではない家庭で兄の好物ばかりを並べるのは難しかったが、そこは腕の見せ所、妹は倹約とか節約に長けていた。時によると、倹約も節約も面倒だし、無駄な出費も嫌いだから、兄に生意気をほざくのを我慢しようかと考えたこともある。しかし、それはそれで精神衛生によろしくないし、謝罪の代わりという口実が無ければ兄の好物ばかり並べるのは恥ずかしくもあったので、彼女は思春期の少女を演じ続けた。
……この日の佐藤君の仕事も使い走りだった。何だか要領を得ないが、リストロベルト大使館が急いで来てくれというので、お前、行ってきて用件を伺ってこいと命ぜられたのだった。彼は帝都の目抜き通りを歩いた。革靴が凍結しつつある地面と触れ合う度にコツコツと音を立てた。空気は清潔に澄んでいる。現実の世界では、毎日、ジングルベルの歌が路上に木霊しているのを思い出して、彼は仕事が終わったら妹へのプレゼントでも買いに行こうかと考えた。
用件を伺ってこいか。彼はある交差点で立ち止まりながらリーグ・レギュレーションを呪った。電話が使えればいいのに。
ブラスペ内には通信技術がない。しかし、ログアウトしてしまえば、そこは快適な現代社会だ。ゲーム内の他国に住む相手だろうが、もしもし一本、それで片が付く。事実として、ゲーム初期、サトーはこの手を多用した。ラデンプール遠征のとき、逸れた中隊を大隊へ合流させたときなど、電話が無ければどんなことになっていたか。
便利過ぎる。誰かが物言いをした。ゲーム内ではなくゲーム外の技術がゲームの趨勢に影響するのはおかしいと。それもそうだ、と、E・SPORTS連盟は大童にリーグ・レギュレーションを改定した。その中には宣戦布告の手続き無しに戦争を始めてはならないとか、正当な理由無く開戦するのは違反であるとか、佐藤君からすれば存在意義の不明なものもあったが、兎に角、次のようにしてゲーム外におけるゲームに関する連絡は規制された。
『(ブランク・スペース・オンライン高校生競技リーグのレギュレーション8.02 - ゲーム内における指揮命令系統について)ゲーム内における如何なる指揮命令系統をゲーム外にて運用してはならない』
ちなみに、書類の作成については規定がない――精密にはテキスト・ファイルとして作成した書類をゲーム内に持ち込むことに関しての規定がない――ので、ゲーム内の事柄に関連する書類をゲーム外で、パソコンなんかを使ってパパパッと制作することは許されている。
無論、ゲーム内で作らねばならない書類もあるが、全てではないということが、ブラスペに官僚制が定着した理由のひとつかもしれない。手書きよりもキーボード入力の方が効率的なのは言うまでもない。官僚主義はあらゆることを文書で決済するから、書類の作成速度は、国家の行政効率を左右する。もしゲームで使う書類を片端からゲーム内で手書きせねばならないのであれば、まず紙とインクが不足したろうし、腱鞘炎患者が多発して、恐らく地方開拓はさっぱり進まなかったと思われる。(ただし、共有に関しては規定が厳しく、ゲーム外で作った書類をゲーム外で受け渡すのは禁止されている。帝都に居ながら辺境の些細な情報をまで逐次把握出来てしまうからだ。学院が蠢動していたのに帝都が気がつけなかったのもこの辺りが原因のひとつである)
リストロベルト大使館に到着した佐藤君はあれと感じた。雰囲気が何時もと僅かに違った。殺気立っている?
佐藤君は受付で来意を伝えた。待って下さい、と、言われるのも異例だった。普段ならこの無駄に凝った装飾の受付で、はいコレを持って帰ってね、向こうの担当者に粗末に扱われて終わりになるのに。
「あ、君か」やがて姿を現した男は額にビッシリと汗を掻いていた。挙動不審でもある。佐藤君は面食らっていた。その男はリストロベルト大使その人だった。
「参りました。それにしても大使直々にどうしました」佐藤君は大使の左手を気にした。分厚い書類束を持っている。これみよがしに。剥き出しで持っているということは俺に渡す訳ではないよな、と、佐藤君は疑った。大使館内におけるあらゆる書類、文書、手紙の類は情報漏洩の観点から極めて慎重に扱われる。佐藤君が大使館にやってくると、常往、受付のお姉ちゃんですら手元の書類をパッと引き出しに隠してしまう程なのだ。
大使と佐藤君は、二、三、どうでもいい挨拶と世間話をした。大使はその間も挙動不審だった。佐藤君は彼と、ある会合の席で会話したことがあるが、そのときの印象は明朗闊達な馬鹿野郎であった。それがこれだけおかしくなるというのはどういうことか。彼はまだ事の重大さに気が付いていなかった。
「それならそろそろ読み上げるから」と、大使は唐突に言った。
「はあ」と、佐藤君は小首を傾げたまま頷いた。
大使は書類束を顔の前に掲げた。大仰だなと佐藤君は思った。大使は高らかに読み上げた。「宣戦布告」
「はい?」佐藤君は聞き返した。
「宣戦布告」大使は言い直した。直後に咳き込み始めた。緊張から過呼吸になっているらしい。佐藤君は、なにしろ現実を受け止められていないので、大使の身体を心配した。背中を擦ってやりながら大丈夫ですかと尋ねる。大丈夫だとよ返事があった。無理をなさらんでくださいと佐藤君は言った。ありがとうと大使は礼を述べた。それから、
「宣戦布告」と、三度、同じ四文字を読み上げた。
「宣戦布告ですか」佐藤君は呆然としていた。
「宣戦布告ですね」大使も他人事のように答えた。
沈黙である。二人は見詰め合った。それから、どちらともなく、グフフと笑い出した。二人は笑い転げた。
「宣戦布告ですか」笑い終えた佐藤君はまた尋ねた。
「宣戦布告ですね」大使は笑いを引きずったまま答えた。
「続きを読み上げます。エー、そもそもアメリア大陸南部の安定を確保し、以て大陸の安寧に寄与するのは我がリストロベルト政府の深く望むところである。南部同盟の締結並びに運営への参画もこの精神に拠る。他国との交誼友誼を篤くし、大陸の発展の喜び楽しみを共にするのも、これもまた大陸全土の平和を願えばこそである。しかしながら、午後の死政府は我が理想と真意を解さず、自国の内政の不始末に端を発する過ぎる一一月二六日より生じたいわゆる学院問題については、その長期化と騒乱の拡大を我がリストロベルト政府並びに南部同盟の責任であるかのように宣伝し、先の第三回アメリア大陸会議に於いては学院問題の解決という議題より甚だしく逸脱、問題を解決するべき義務を有しながらその一切を棚上げし、あまつさえ問題を解決するための手段という方便で自国の経済利益を得、南部経済と同盟に参加する国家の連帯を衰弱させることで屈服せしめようとした。我がリストロベルト政府が学院の求める独立を支援するのは学院の運営に我がリストロベルト政府並びに南部が人的拠出を行っており、もし協力要請を拒否した場合の、国民の安全を慮ってのことであり、また可能な限り平和裡に武力を用いず南部の秩序を回復させるためであった。我がリストロベルト政府はあくまでも交渉の続行、問題の平和的解決を望むが、午後の死政府は却って軍の動員など武備を増強して我が政府に高圧的な挑発と挑戦と圧迫を行い、ここに交渉の余地があるとは見いだせず、このまま事態が推移すれば我がリストロベルト並びに南部の生存に重大な脅威が伴うものと我がリストロベルト政府は思惟する。以上に鑑み、自存自衛の為にも、洵に不幸にして遺憾ながらもこの文書が受理された翌日よりリストロベルトが午後の死と戦争状態に入る旨を宣言する。二〇二一年一二月一七日」
大使は一仕事を終えたとばかりに額の汗を袖で拭った。いやあ、と、彼は切り出した。「宣戦布告ってどうすればいいか分からなくて」
「いや私もですね」佐藤君はむしろ落ち着いていた。余りのことにまだ現実感が無いのだった。「これ、こういう手続きで、いいんですかね。ウチの大臣とか呼ばなくて。私は末端の役人ですよ。私相手に読み上げられましてもね」
「さあ……」大使は書類の束を佐藤君に押し付けようとした。「とりあえず持ち帰って頂いて受理して貰わないと」
「いやでも」佐藤君は書類束を押し返した。「やはり貴方がウチの偉いさんと逢って読み上げるべきなのでは」
「でも」大使は更に押し返した。「こんな文書を、貴方の方に出向いて読み上げたら、私、どうなります?」
「どうなりますってそりゃあ」ただじゃあすまんでしょうね、と、続ける訳にもいかなかった。
「そうでしょ」大使は遂に佐藤君に書類束を掴ませた。「無理ですわな。行けませんよ。だから呼んだんだから」
「でしたらもっと、その、なんと言いますか、重要な用件であることを事前に強調して頂けておりましたら」
「私はしたんですよ。でもねえ。そちらの方で取り合ってくれなくて」
水掛け論である。佐藤君は、致し方ない、向こうの言い分を飲むことにした。文書の内容に改めてザッと目を通す。何が何だかサッパリだ。南部が被害者ぶろうとしているのは分かる。コチラを悪者にしようとしているのもだ。こんなんで戦争を始める理由になるのかなあとは訝しんだ。つうか、戦争、始まるとしてもしばらくかかるって話じゃなかったか? いきなり戦争で我が国は平気なのか?
とりあえず、ページに抜けはないかとか、そういう事務的なことだけを確認して、受領のサインを仮にした。大使は「またそのうち暇があれば」とか、これから戦争をする相手国の役人に向かってそれでいいのかと思われる発言をして、佐藤君を送り出した。佐藤君は足早に外務省へ戻った。外務省はすったもんだの大騒ぎになった。佐藤君はその騒ぎの中に放置された。騒ぎを遠目に見つつ、ようやくのことで『とんでもないことになったなあ』と感じ始めたが、まだまだ対岸の火事のように感じられた。
彼が有事であることを自覚するのは、翌日から約二ヶ月半に渡って続く波乱万丈、ブラスペというゲームを良くも悪くも有名にも硬直化させもする戦争と政変の連鎖、――その半ばからだった。彼は最後まで木端役人に過ぎなかった。この後、目立つ実績を叩き出した訳でも、大事な局面で名前が出る訳でもない。
彼が歴史に名を刻んだのは“ブラスペ内で初めて宣戦布告を受け取った人”だからである。彼はこの、後に学院戦争と渾名される戦争が終わってから、あのときはどんな気持ちでしたかみたいなインタビューや座談会や講演会に引っ張り出されて、それなりの財産らしきものを蓄えた。そして、その財産と、高校卒業後に熱心に働いて稼いだ賃金とを使い、妹を大学まで進ませている。妹は、涼しい顔をしてはいたが、兄に苦労を掛けないために裏で猛勉強を重ねたりしていたことを、佐藤君は遅れて知る。そして、それを知った日の夕飯は彼が作り、食卓を豪華で妹の好きなものばかり並んだ席に――することには失敗したが、妹は喜び、初めて兄にお礼と謝罪を述べた。
見目麗しく成長した彼の妹は、後日、ある雑誌を読みながら尋ねた。
『ねえ、兄さんが居た国って、皆んなで作り上げた国だったんでしょ。だから皆んなで守らなきゃって頑張って戦ったって書いてあるけど』
『ああ、そんな気もするなあ』
『そんな気もするなあって』
『いや、あのときは俺も徐々に熱狂的になっていってね。皇帝万歳を唱えたりもしたよ。周りもそんなことを言ってたし。深く考えないまま、南部の奴らはいきなり宣戦布告してきやがって、卑怯じゃないかとか言いながら戦ってた。俺は帝都で机仕事だったけどね。休まず働いたよ。残業代も出ないのに。流行だったんだろうな。そういうのがさ。そういえば、午後の死のために努力しない奴は辞めていいみたいな、そういう風潮もあったなあ。本気でやらないなら帰れよって、体育会系のさ、部活の顧問とか先輩が言ったりするだろ。あのノリだよ。俺も同じようなことをボヤく同僚に言った覚えがある』
『ふうん。ま、愛国心なんてそんなものかもね』
『まあね。上の人は俺らなんかより遥かに真剣だったろうなあ。その、政治とか戦争をね実際に動かしてる人はさ。俺は下ッ端だったから。ま、ホラ、なんにしても午後の死は滅んじゃったから』
佐藤太郎君はこんな人だった。或いはこんな人ばかりがブラスペをプレイしていたのかもしれない。適度にニブく、適度に純粋で、適度に幸せで、適度に不幸せで、適度に頭が良く、適度に頭が悪く、適度に物事を深く考え、適度に物事を浅く考え、適度に熱し、適度に冷め、適度に自己を愛し、適度に自己を嫌う、――普通の人々である。
佐藤君はその後も妹と幸せに暮らし、やがて左右来宮右京子という低学歴が現れると、兄妹で助け合う姿に、彼彼女の事情を詳しく知らない癖に自分と妹を重ねて勝手に励まされたりもした。世は普通の人であれば普通の人であるだけ幸せになれるように組み上げられている。それは何ら悪いことではない。佐藤君にも罪はない。
学院戦争が始まる。





