番外編2章49話/学院戦争 - 10(荒木)
満員電車に揺られながら、特にやることもなく、スマホの充電も勿体ないので――そろそろ変えないと。ネット見てると二時間で落ちるようになった――ボーッとしていた。眠い。寝起きだというのもあるし、冬場だから車内には暖房が利いているというのもあるし、これから片付けねばならない用事が億劫でもあった。欠伸を噛み殺しながら首元のマフラーを巻き直す。『この時期、寒さで体調を崩すと、大変だから』と彼が贈ってくれた上物だ。つやつやとした肌触りが結構である。
『この問題が解けますか?』――という広告を見つけたので、灰色の脳細胞を総動員して解いてみようとしたが、無理だった。中学校受験の問題だそうだが、うーむ、私は高校生二年生ではなかったか。難し過ぎる。つうか、重なった箱の体積の和だのを求めて、何の役に立つんスかね?
その広告の隣には、まあ当然と言えば当然、別の広告がある。見知った顔が写っていた。かなでちゃんである。ただし、見慣れた仏頂面ではなく、愛想の良い、私などからすれば気味の悪い笑みを浮かべていた。彼女の顔に覆い被さるように書かれた宣伝文句はこうだ。『時代の最先端を勝ち抜こう!』
何を言っているか分からない。専門学校の広告らしい。これで生徒が集まるのだろうか。集まるのだろう。
昨年来、かなでちゃんの知名度は急上昇して、一過性の流行を越えて世間へ定着するに至った。レイダー戦で注目されるようになり、ラデンプールへの行軍で人気を博するようになり、午後の死の建国でプレイヤー数も視聴者数も激増して、なんつーんスかね、ブラスペはムーブメントとかいうヤツになった。社会現象ですわ。んで、その現象を象徴して人の形にすると、かなでちゃんになると。
親会社だけではない。世のあらゆるメディアがこぞってかなでちゃんを――かなでちゃんが手にした“時の流れ”とでも言うべきものを――利用している。かなでちゃんのヨーチューブチャンネルなんて登録者数一〇〇万人越えてますからね。なんなんですかね。あのコがコンビニの新商品を味見する様なんて誰が見て喜ぶんスかね。しかし、現実に、彼女が『美味い!』と太鼓判を押した商品は全国的に入手困難になる訳でして。『不味い!』と酷評した商品すら売り切れ続出なんスよ。もうここまで来ると内容なんて関係ないんでしょうね。問題は誰が何をしているかであって。
『もしも』と、あるインフルエンサーはネット上で指摘した。
『サトーの鼻がもっと低ければブラスペの歴史は変わっていただろう』
相変わらず。私はまた欠伸を噛み殺した。私はかなでちゃんが嫌いだ。人気者になればなるだけその感情は強くなった。だって、ねえ、やっぱりあれなんスよ、一緒に居ると、前にも増して自分がチッポケに見える。惨めだ。虫けらみたいだ。それに、あのコが忙しくなればなるだけ、一緒に遊べる時間も減るじゃないスか。それが悲しい。
でも、頑張っている彼女を見ると応援したくなる。シンドい癖にシンドいと素直に言えない姿に胸の奥がキュンとしたりもする。その背を叩いて発破をかけてやるのは楽しい。それで彼女が踏ん張れるのであれば嬉しい。(自意識過剰ですな。私が発破をかけなくても彼女は踏ん張るだろうし)
思う。一緒に居たいと言ってくれる人がいる。その人のことが好きだ。でも、その人と一緒に居ると相手を駄目にしてしまったり、自分が辛かったりするとき、何をどうするのが正解なのだろう。離れてしまえば、相手を寂しがらせて、もっと駄目にしてしまう。自分は楽になるかもしれないけれど。誰の為に。何を。
まあ、そんなに深刻に悩んではいない。嫌いだけど好きという私達の微妙な関係は、幾つかの暗黙の了解を重ねつつ、幾度となく喧嘩を交わしても、ビクともしなかったからだ。一緒に居たいから何はともあれ一緒に居る。それでいいじゃないかと最近は思っている。
……急行が停まった。雑踏から雑踏の中へ降りて、新鮮な空気を肺の奥に溜めて、吐き出して、その息の白さに驚いた。首都圏でも雪が降るかもしれない、と、そういえば朝のニュースで言っていた。馬鹿に複雑な駅構内を歩きながら空模様を確かめた。曇っていた。ただし、ほんの数ミリだけ、雲の切れ目に青空が見えてもいた。私がその青さに変な感銘を受けていると、場内放送で、近くの駅で飛び込み自殺があったので運行停止になるとか何とか言い始めた。何人かの会社員や学生達がふざけんなよと言いたげに舌打ちしたりした。
『いいなあ!』と、駅を出て、目的地に向かう途中で、ガキンチョ共が騒いでいる横を通り抜けた。
『俺もブラスペやりたいなあ。どんな感じなのかなあ。人殺すのって』
『あいつ。あの、クラスの、ほら、あいつ。キムだかクムだか。あれの兄貴がやってるらしいよ』
『へえー。いいなあ』
『いいもんかよ。外国人で金が無いから稼ぐために人殺してんだぞ』
目的地のシケた喫茶店では、平松、野村の腹心である彼が待っていて、私を認めるなり話を急いだ。
「考えは纏まりましたか。どうですか。午後の死を、サトーを、私達に売ってくれますか?」
私は微笑んだ。





