番外編2章44話/学院戦争 - 5(花見盛)
汚い話で恐縮なので、ここではお淑やかにおを付けて、おトイレと呼ぶことにする。おトイレと人とは切っても切り離せない関係にある。わざわざ解説するまでもない。人は生きる。死なない限りは生きる。死にたくても死ねない場合にも生きる。生きるからにはどれだけ嫌でも食わねばならない。同様にどれだけ嫌でも食ったものを出さねばならない。そして、出されたものが、諸々の加工を受けて、諸々の形で、諸々に消費される。時には己の排泄物が間接的に育んだ作物を己の口へ運ぶことすらあるだろう。
このように生命の循環、少し間違うとカルトな方向へまっしぐらなアレはさておいても、ブラスペ界に於けるおトイレ問題は着眼と特筆に値する。
そもそも現代ヒノモトに生きる我々はナイーブにしてデリケートである。特に衛生観念という点において、移民の流入やらによって些か崩壊した側面もあるけれど、我々は潔癖症である。むしろ些か崩壊したからこそ潔癖症なのかもしれない。国民性と言い換えてもいい。(ホラ、ヒノモト人は、個人レベルでは誰も彼もが細かい不正を重ねて生きているのに、政治家だのの汚職には常に異常に潔癖だろ?)
あらゆる語弊や誤解を恐れず、平たく言い直すならば、我々は汚いということに免疫がない。汲取式のおトイレが廃れて何年になるか。あれを使えと命ぜられても頑なに拒否する者は(切羽詰まってるなら別として)少なくないだろう。俺だって拒否するね。他にも、野外で、その、まあ、済ませてしまうことに抵抗を持つ者も多い筈だ。
それはそれでいいのだと思う。ナイーブでデリケートであることが常にマイナスの意味を持つ訳ではない。しかし、そのような観念に染まり切っている我々が、文明レベルの高が知れているブラスペ世界と上手に折り合えるかと言われれば、それはまあ難しい。かねて語ったようにブラスペのアバターは飲食もすれば排泄もするからだ。
例えばダババネルである。都市国家、城塞都市、好みの呼び方をすればいいが、壁に囲まれた狭い空間内で何百人かの人間が生きており、それらが自由気ままに排泄したらどうなるか。誰もが嗅覚を持って生まれたことを後悔することになる。ダババネルは金属加工を専門としていて、ミネデ川から工業用水を引き込み、それに連なる形で上下水道らしきものを保有していたが、それとても俄作りに過ぎなかった。
おトイレは原則として川の方に別に設けられた棟で済ます。いやいや、それでは急な用事のときに困るし、城門を開けたり閉めたりすることになるから都市警備に穴が生じてしまう。では壁内のココとココにだけ設置しよう。ところで溜めた汚物の処理は誰がするのだ。当番制はどうだ。ならばその当番は誰が決めるのか。不正は生じないか。外部の商人を雇用して買い取りと清掃を兼ねて貰うのはどうだ。そんな金がどこにあるんだ。おトイレ使用税を課したらどうか。――などと、このような、まさに下らない、しかし真剣な討議が柘榴政権時代には繰り広げられていた。その甲斐あってというべきか、振り返っても、ダババネル内で鼻をつまみたくなるようなことはなかった。
先程、サトーは“ゲームシステムの都合で技術だけがビシバシ発展する”と言っていた。
ゲームシステム・システムの都合とは、もう大昔のように感じられるが、前に俺や加藤先輩がサトーに講釈垂れたアレである。
――『定住に成功してまずまずの生活をしていると、後はNPCが文化と技術のレベルをガンガン上げていくように設計されているんだ。半年前に火の使い方を覚えたような連中が、いま、当然のようにフル・プレート・アーマーを作ってる』
――『ある程度まで技術が円熟したと思われる段階をゲームの側で判定しているようだ。いい感じに円熟してると判定されると、あるとき、NPCが新技術を発明したと慌て出すか、それか、どこからともなく新技術を引っさげた商人NPCが現れることもある』
元々、このゲームはひとつの国辺りの人口が数十だか数百だか、サーバー全体で数万人が暮らすことを想定して規格化されている。しかし、今年の五月の時点で、午後の死単独ですらその人口は二万を超えていた。これによりあらゆる技術の円熟速度が限界を突破した。喫茶店で珈琲を飲んでいる間に槍兵が銃兵になっていたという野村の話も決して誇張ではない。そして、それだけ技術進歩の速度が早いと、必然的に取捨選択せねばならなくなる。即ち、金にも人にも時間にも限りがあり、全ての新技術を国を挙げて採用するのは不可能なので、どの分野を優先して、どの分野を後回しにするかの選択である。(採用した技術が秒で更新されることも有り得るので、採用するタイミングについても、極めて慎重にならねばならない)
おトイレは最優先項目のひとつに数えられた。我が国においては、下水道、微生物を利用した下水処理場、人糞の回収や処理にも莫大な資本が投じられている。
……いま、俺は、我が国のそれに比べれば幾らか見劣りのする便座を前に、政治の話を始めようとしていた。
否、違うな。汚い話で恐縮なので、ここではお淑やかにおを付けて、お政治と呼ぶことにしようか。お政治と人とは切っても切り離せない関係にある。――なんてな。





