番外編2章43話/学院戦争 - 4(花見盛)
「――高学歴めー」
橘は怨じた。低い声ではあったが、太い柱の他にはめぼしい遮蔽物のない会議室内である、彼女の独白は響いた。何人かの列席者がジロリと橘を睨んだ。橘はヒッと低く呻いた。痙攣した愛想笑いを浮かべる。俺の陰に隠れるように、一歩、身を引いた。問題の拗れを気にしていた彼女が自分で問題を拗らせては世話がない。ある意味、現状の縮図のようなこの有様に、俺は内心で肩を竦めた。
会議室と表の廊下とを繋ぐ扉が開かれた。イストロベルトの野村さんが入られます、と、表廊下を固めている侍従だかが言った。円卓を囲む連中が一挙に緊張を漲らせた。尤も、サトーだけは、相変わらずシュガー・ポットとカップの間で、スプーンを反復横跳びさせることに夢中になっている。橘がキョロキョロしていた。放置する。
やはり武官と文官とを引き連れた男が入ってきた。まず颯爽と評するべき動作と態度と容姿である。噂の野村君だ。
「お待たせしたねえ」着席した野村は言った。声に独特の粘り気がある。金髪に褐色肌の、甘いかんばせの持ち主なのだが、どうも気障で、安っぽい。彼の第一印象はチューイン・ガムに似ていた。彼は籐で編まれた椅子に背を預けた。で、遅れて来て悪いんだがね、とっとと本題に入ろうよと切り出した。
慇懃無礼だが、これも交渉術、奴は主導権を握ろうとしている。俺は上座でボーッとしている男に目線を走らせた。
「ああ、うん、はい」斎藤という名の彼は頷いた。線の細い、畑で土を弄って、花でも愛でているのがお似合いの容貌であるが、実際に彼の渾名は“園芸部”である。彼は渾名に相応なトロい口調で次のように言った。「要するに金でしょう?」
列席達が息を呑んだり絶句したりした。野村の眉がピクリと動いた。彼の右後ろを占める武官が何か耳打ちした。この武官はデキる男のニオイがする。目と口の端に皺がある辺りからして苦労人だろう。野村はヘラヘラと笑いながら適切な要約だと言った。感心した様子だった。事実、斎藤の発言は、彼と彼の国が置かれた外交上の立場を適切に要約していた。
「そもそもの発端を明確にしておきましょう。話していて論点がズレるのは嫌いですから」
斎藤は首筋を掻きながら言った。「学院は後進の国を支援するために作られた」
「後進だと?」クマみたいな体型の男が揚げ足を取った。なんとかして会話に割り込もうとしている。「議長、それは我々に対する――」
「なら後発としましょう。学院は後発の国を支援するために作られた」
クマのような彼は部屋の隅で机に向かっている侍従に言った。「議事録には正確な記録を頼む」
「勿論、建前や名目と実態は異なる」斎藤はやる気が無いのを露わにしながら続けた。「学院の創設には午後の死の経済と内政の問題が絡んでいる」
「まあね」目線で話を振られたサトーは認めた。ただし、彼女の目線は、手元に固定されていて動かない。珈琲を砂糖で埋め立てることに躍起になっている。
「何もかもが急速に進み過ぎた。人口の増加に対して生産力の増加が追い付かず、発見される金鉱や銀山も少なくて貨幣鋳造も追い付かず、それでいてゲーム・システムの都合で技術だけがビシバシ発展する。技術が発展すると、私達だけでなく、国内にスポーンする匪賊なんかの技術レベルも上がる。それに対処するための出費が嵩んだ。結果として我が国はスタグフレーションった。この現状を打破するべく、我々は、南方に商売相手を見繕うことにした。つまりは貴方達を。ただし、貴方達は――」
「君達に対して支払うべき、売りつけるべき、何者をも有していなかった」野村は大昔の悲劇俳優のような身振り手振りを交えて言った。彼は指先をサトーに突きつけた。
「北部の発展は目覚ましいものがあったよねえ。でも、僕らは、そうだ、違った。北部に移住せず、出来ず、ゲーム開始以来、この砂漠のオアシスや河川に寄り添うようにして細々とした生活を営んでいた僕らは。君等は僕等を原始人だと思ったはずだ。それぐらい文明レベルに差があった。そこで学院が設立された。僕らにお偉い君らの技術や物資やノウハウを提供するために。僕等を商売相手になるぐらいには育て上げるために。そうだろ?」
「間違いだったわね」高い月謝を払って塾に通わせているのに成績の上がらない息子を叱るときのようにサトーは言った。「貴方達はこうしてツケあがった」
「んー。ツケあがったという言葉は厳しい。何が厳しいってね、僕等はツケあがってるんじゃない、思い上がってるんでもない、実際に君より実力があるんだよ、お母さん」
サトーの手が止まった。野村は口を大きく開けて笑った。列席者の何人かが慌ててその笑いに追従した。
「話を戻しますかね」斎藤は咳払いをした。「現実はどうあれ、北部からの支援を受けたという形で、南部は短期間の間に飛躍的に発展した」
「あの時期は良かったねえ。一杯、珈琲を飲むために喫茶店に入り、仲間と短い冗談を交わして、会計を済ませる。その間に槍で武装していた我が兵が銃を持つようになっていた。あの感動は忘れないよ」
野村の発言は一個人の感想として丁寧に無視された。斎藤は続けた。「しかし、その発展が、学院の性格を変えてしまった。学院は南部各都市からアクセスの容易な場所に置かれた。用地や建材等は南部が提供した。北部が人的資金的な負担をするのだからと。お雇い外国人方式、各国に直接的に教員を送り込まなかったのは、生徒を一箇所に集めて一気に教育した方が早上がりな上に安いから、――ですね?」
「これも間違いだったわ。“同じ教室で学んだ”。南部に連帯感を与えてしまったから。ただ、何よりも間違いだったのは、学院の運営陣にあの忌々しい商人どもを選んでしまったことね。元は中村君、ウチの財務大臣を支持してた連中が、彼にご贔屓にして貰えなくなったからって、何かと煩かったのよ、当時。だから島流しにしてやるつもりで押し込んだ。変な気を起こされてもたまらないと思ってたから監視は付けたつもりだったけど」
「僕等を見縊ってたんだ」野村は手を叩き合わせた。「南部の連中は弱っちいから、そいつらを抱き込むなんて、学院は考えないだろうって」
「実際、最初は何もかも上手く行っていたわ。景気も緩やかに回復を始めた。問題はあの馬鹿共よ。早治大学が私を“欲しい”と言い出した。それも大々的に。メディアでも報じられた。そのせいで受験戦争を勝ち抜くのに必要な実績、それを求めて、あのコーガクレキどもがゲームに押し寄せた。しかし、彼等の席は、回復しつつあるといっても収支問題に頭を抱えているウチには無かった。そもそも官僚の定数は充足されていたし、雪崩込んできた受験難民諸君は二年生と三年生が過半数、願書提出までに課長とか部長とか、人に自慢できるような地位を手に入れるのは難しかった」
「だから」斎藤の口振りには感情が混じっていない。
「彼等はこぞって南部を開拓した。不毛な砂漠をさえ。そして、何分、地頭が良く、後がないだけに、その効率と勢いは凄まじかった。そんな彼等を、学院は、創設の目的を大義名分に、過剰なまでに支援した。学院は商人出身者が多い。為替や銀行や物流や帳簿弄りまでお手の物だ。北部が支援の過剰さに気が付いたのは“ウファツェア山脈攻略戦”のときだ。つい二ヶ月前ですよ。気が付けば学院は教育機関ではなく巨大な金融機関でありコングロマリットになっていた。預かっている金品を守るためにという理由で私兵まで保有し始めた――」
「我々は学院の解体を決めた。その役割を終えたものだと判断して。ところが学院は、まあ、それはそうだとは思うけど、反対した。そもそも運営陣に、見知らぬ、我が国の出身者でない連中が食い込み始めていた。あのチバ県民どもがね。そして、我々が学院に使者を送り込むと、“この土地は南部のもので北部の人間が許可無く立ち入ることは出来ない”、そんな言い訳を捏ね始めた。挙句の果てに土地の所有権を盾にその存続の保証と保護を南部に求めた。正確には南部連合にか」
「正当な権利だよ」野村は頬の肉を掌でマッサージしながら言った。「そう思うけどねえ?」
「学院はあくまでも我が国の一機関よ。あそこに集積されたあらゆる富も情報もウチの国庫に帰属するべきものなの」
「さあ。どうだか。モノはウチの土地にある訳だからねえ。少なくともそっくりそのまま全て返すという訳にはいかんだろうねえ」
俺の肩がチョンチョンと叩かれた。橘である。「残り一分です」と彼女は俺に囁いた。俺はその囁きをそのままサトーに伝えた。サトーは頷いた。彼女はスプーンでカップのフチを叩いた。カンカンと。野村はその音に誘われるようにして身を乗り出した。サトーと野村は曰くありげに見詰め合った。
と、ここで一分が経過した。斎藤が溜息を吐いた。「CMが入る時間ですね。休憩しますか。少しばかり」
室内を満たしていた緊張が弛緩した。そう、視聴者の裾野が広がりに広がったことで、こんな会議でも一般向けにネット配信されることになっていた。ボクシングの試合前に開かれる記者会見――あれと本質は同じだ。挑発的なやり取りの応酬で視聴者を楽しませる。野村は頬を掻いた。サトーさん、と、彼は対面から呼びかけた。
「こんなもんでどうです?」
「いいんじゃないの」
「ムカつきませんか?」
「仕事だから」
「やだなあ。僕を失礼な奴だと思わないで下さいよ」
或いは、ボクシングというよりもプロレスの方が近いかもしれない。野村はいけ好かない野郎だが、振る舞いの全てが本気という訳ではなく、あのムカつく仕草には視聴者向けの演技が多分に含まれる。会議中、野村もサトーも斎藤に至るまでもやたらと説明口調だったのは、新規視聴者にもお優しい親会社の方針であった。
野村は首をコキコキ鳴らした。欠伸を噛み殺す。肩が凝るなあとか言って、例の、苦労人の武官に揉ませたりしていた。
俺は用心せねばならないなと考えていた。野村自身は高学歴ではない。しかし、だからこそ、一発逆転で有名大学への進学を狙っているに違いない。そして、それを実現するために最も手軽な手段は、サトーと戦うことだ。必ずしも勝たなくても良い。ただ顔と名前が売れて有名人になりさえすれば。
個人の栄光のために何千という部下に職を失う危険を冒させる。そんな搾取が許されるのか否か。――なんてことは、実は、どうでもいい。今更、俺が、俺のような奴が懸念することではない。俺が懸念しているのは野村がどこまで本気かだ。親会社は南北開戦を可能な限り回避するように求めている。南北が開戦すれば、視聴者がそう望むだろうから、絶対戦争になる。決戦主義的に、北か南か、どちらかが戦力を喪失するまで殺し合う羽目になるのだ。午後の死が負ければサトーという稼ぎ頭を失うことになる。南が負ければ午後の死の勢力が支配的なものになり過ぎてつまらない。親会社は今の情勢の維持を望んでいる。
しかし、“可能な限り”は“可能な限り”に過ぎない。野村がやる気であれば、この会議、踊るだけでは済まされまい。
俺は大袈裟に深呼吸をした。何人かの注目を集める。斎藤が俺を見たのを確認して、大股に、少しお花を摘みに失礼すると宣言して部屋を出た。
時を置いて斎藤が俺を追ってきた。勿論、ばったり出会したという態で。





