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銃剣突撃する怒れる低学歴と悩める高学歴のファンタジア  作者: K@e:Dё
2章『腐敗、不自由、それと暴力』
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2章11話/ふたりぶんの孤独


 半休のツケが来た。私は伸びをするかたがた時計を検めた。もう日付が変って二時間か。電脳世界の丑三つ時にはどんな魑魅魍魎が出るのだろう?


 たわいもないジョークが現実になることもあるもので、旅団長執務室に夏川さんがやってきた。「どうかしましたか」と私は彼女の出方を伺った。「主席副官に書類を提出しに来ただけよ」と彼女も牽制してくる。室内の唯一の照明、卓上ランプの光は頼りなかった。


「彼女なら居ませんよ。今日は私の代理であるパーティに出てますから」


 このところ私は吉永女史の『何か出来ることある?』とか『あんまり無理しちゃ駄目よ』にかなり助けられてきた。『ああ、それなら私がやっとくし』


「パーティ」夏川さんは嘲笑った。「悠長ね」


「そうですね、こんなときにパーティをしてるなんて悠長ですね。――なんの書類ですか? 私でよければ取り次ぎますよ」


「どっちが副官だか」


 彼女は淡々と喋る。彼女の声の抑揚を心電図で喩えるなら心停止寸前ということになるだろう。「明日、出直すから」


「この場合の明日とは? 今日の昼ですか。それとも日付の上での明日ですか」


 彼女の眉間に皺が寄った。頭に血が昇った彼女は壁を蹴ろうとして踏み止まった。以前の痛みを思い出したらしい。だが私の手前、一度、振り上げた足をそのまま降ろすことも出来ない。彼女は思い切り壁を蹴って小さな悲鳴をあげた。それから退出しようとした寸前、


「ンア?」


 器用なものだ。彼女は右目だけを細めて私を見た。細く整えられた左の眉だけが痙攣している。「まだ仕事を?」


「まあ」私は羽ペンの先をインクに浸しながら肯んじた。「要領が悪いものですから」


「でしょうね」


 彼女は舌打ちまじりに言った。何だというのか。彼女は扉を開き、閉めて、また開いて、やっぱり閉じてから今度は床を蹴った。扉まで蹴り飛ばす。壊さないで欲しい。


「貸しなさい」と彼女は言った。


「はあ」さしもの私も困った。「書類をですか?」


 夏川さんは答えない。彼女は普段、吉永女史の使っている机から椅子を奪い取ってきた。机を挟んで私の向かい側に座る。書類の山から何枚かを凄い勢いで剥ぎ取った。「ん!」と右手を突き出してくる。私は訝しんだ。彼女は「ペンでしょうが!」と叫んだ。


 キレなくてもいいだろうに。私は予備のペンを貸した。それを素早く走らせながら彼女はぶつくさと文句を言っていた。「なに、この書類。無視しろとは言ったけど嫌がらせをしろとまでは言ってないでしょ」


「夏川さん」


 なんとなく、彼女の事情と人柄を理解した私は苦笑した。「優しいんですね」


「ああ!?」彼女は執務机を蹴った。書類の山が崩れた。彼女は頭を抱えた。「あー! あー! あー! アンタのせいで崩れたでしょ! どうするの、これ、どうするの、サインしたのとしてないのが混ざったじゃない! あーあーあー!」


 滅茶苦茶だ。滅茶苦茶だが面白い。ともすれば可愛い。私は腹を抱えて爆笑してやった。真赤になりながら、彼女はとても人前では言えないような罵倒を私に向けて言いまくった。私は彼女の罵倒が一段落するまで崩れた書類を整理していた。


「――留学していた頃に」


 二人で事務仕事を再開してから数分後に夏川さんは言った。「アンタみたいなのがいたわ」


「留学していらしたんですか」


「ルテティエに」


 気持ち、彼女は誇らしげだった。私は酷使のあまり腫れて痛む利き手を休ませた。「芸術の都ですね」


「一年間よ。――話しながらでも手、止めないで」


「エリートですね」


「アンタとは」彼女はこれみよがしにペンを滑らせ続ける。同じ時間、仕事をしても彼女が決裁した書類の量は私の倍を超えていた。「違うのよ」


「まさに」私はニタニタした。痛む左手でペンを回した。我ながらうまく行った。


「それ」夏川さんはペン回しを見て仰天しているようだった。「どうやるの」


「気になるんですか」


「別に」彼女の手の動きが加速した。


「もういいから手を動かして。ふん、アンタみたいな落ち零れとこうしていると知ったら祖父が嘆くわ」


「お爺さんがいらっしゃるんですね?」


 夏川さんは盗むように私を見た。「西に」


「失礼しました」


「病気なのに」夏川さんはふと手を止めた。「病院へ行けば深刻な病を告げられるから嫌だって言い張ったのよ。告げられさえしなければって……」


 彼女はペン回しを試みて失敗した。ペンは遠く、部屋のどこか明かりの届かないところへ飛んでいった。私は彼女が喚くと思った。違った。彼女はペンのなくなった手元を虚ろに眺めながら呟いた。「だから死んだわ。どんな素晴らしい人でも死ぬときは死ぬのね」


 二馬力、否、私が足を引っ張るので一・五馬力だったが、それでも仕事は捗った。夜が明ける前に終わるとは思っていなかった。


「ねえ」


 帰りしな、彼女はポツンと言った。「アンタは怖くないの」


 私は挨拶をしかねた。何がでしょうかと尋ねるのも気が引けた。躊躇してから言った。「私と貴方は似ていると思いますよ」


 彼女はそれをどう受け取ったのだろうか。部屋の扉が音高く閉められた。あとに残ったのは一人分の静寂だった。


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