番外編2章29話/オレンジ(色枝)
私は温厚である。――らしい。温厚を自称するのは恥ずかしいけれども、それはひとまず棚上げして、人様からの評価を引用するならばそのようになる。それらしい自覚もある。大した理由があるのではなくて、レストランでお子様ランチを注文したい盛に父親を亡くしたものだから、それからは母と兄弟を慮るようになり、当然の帰結的にこのような人格を形成したのである。そう考えると、私は温厚なのではなくて、温厚になったと表現するのが正しいのだろう。人は環境と地位によって形作られる。
すると、あれなのだろうか、温厚だから得をしたこともあるけれど、それは私が優れているからではなくて、私を育んだ周囲が優れていたからなのだろうか。そうなのだろう。驕り高ぶってはいけない。なんだかんだ私は一介の高校生に過ぎない。ただ、疑問なのだけれども、温厚だから損をした場合、その責任の所在は誰にあるのか?
いまでも偶に思い出す。それどころか夢に見ることもある。ダババネルの裏手にあるグラペ山、そこに住まう原生NPCとの交渉に赴いたらば、彼らの集落に辿り着く前に捕捉された。彼らは私をなんと思ったのか、それは分からないけれども、とにかく山麓の林中で囲まれた。囲まれるだけならいい。彼らは一様に武器を手にしており、石を割って作られたらしいその刃の断面は、切られると痛いだろうなあ、ギザギザなのだった。見る分にも恐ろしい。サメの歯のようでもある。私は丸腰で、一人で、地理にも不案内だから、ヘマをすると死ぬしかなかった。
『なにをしにきた』陽に焼かれたのではない。生まれながらの褐色肌には汗が滴り、ペタペタと無機質に光る筋肉は厚く、原生NPC達は酷く強そうだった。顔の造形もゴツい。丹念に眺めたらばその顔にはバリエーションが乏しく、あれれ、彼と彼は同じ顔ではないかと気が付いたろうが、そのときはそんな余裕はなかった。ただ、彼らのヒノモト語の発音が流暢でないのには変な生々しさがあるよなあなどと、現実逃避じみたことを考えていた。
『えー』私はハハハと笑う。笑うしかない。生唾を飲む。
『お願いがあって来ました。お話をさせて頂きたい。私はそこの街で仕事をしている色枝といいます』
『なにをしにきた』
石材の刃が私の喉の表皮に触れた。冷たい。背筋が凍る。サトーさんは、
『副部長氏』私を送り出す際に言っていた。
『気を付けて。以前の報告によると、原生NPCは質問形式でしか会話を進められないらしく、彼らの質問に対してそれらしい反応を示さないと攻撃してくるらしいわ。質問に対しては何処で誰と何をしたいか明確にアンサーしなさい。でないと、猶予は一度、二度も続けて間違った答えを出した日には、コレよ、コレ』
彼女は立てた親指で自分の首を掻き切る真似をした。『そういえば、貴方、惟幾とかいったわね、名前。縁起でもないわ。どうして貴方の両親はそんな名前を貴方に付けたのかしら。まあいいわ。貴方、死ぬときは割腹自殺するべきで、首を切られて死ぬべきではないんだから、間違っても殺されないようにね』
割腹自殺て。彼女なりに心配はしてくれているのだろうけれども。私は相変わらず笑いながら言い直した。『お願いがあって来ました。貴方たちの酋長とお話をさせて頂きたい。この山の通行権と安全に通れる道順について。お話に応じてくれれば貴方達に街の品物を幾らかお譲りしたいと私達は考えている』
『――――。』原生NPC達は顔を見合わせた。『来い』
例の刃が私の首筋から離れた。ホッとした。私の両脇を二人のNPCが固めた。片方が私の肩をガッチリと掴んだ。変な動きをすれば殺すという意思表示らしい。背後にも槍らしきものを構えたNPCが着いていた。交渉は多難を極めるだろうと私は予想した。果然、私は林を超えて川の流れる谷を超えて、ようやく辿り着いた彼らの集落で三度も殺されそうになった。その日だけでだ。私は、諸々の都合から、延べ四度に渡って彼らの集落を訪ねて、最終的には三〇回ぐらい殺されそうになった。怖かった。
『副部長』と、ゲームをしていると、日に一度は必ず頼まれる。
『あのですね、(ある部員A)と(Aと仲の良いB)が喧嘩をしてまして、仲裁して欲しいんですけど……』
我が部のコは揃いも揃って血の気が多く、まあまあ止めなさい、話せば分かると宥めたところで、
『うるせえ!』基本は拳で返事をされる。『問答無用だ!』
まあ、性格が悪いコは居ない、違うな、ブレーキが壊れているコは居ないから、殴られても“まあまあ”を続けていると最終的には――『お前はそうして善人ヅラをしていればいいだろうがな』と詰られるにせよ――話を聞いてくれる。話を聞いてくれさえすれば後は根気で何とかなる。仲直りをしてくれる。喧嘩の仲裁だけではない。アイツが落ち込んでいるから励ましてくれと部長に頼まれることがある。頼まれないでも発見してしまえば放置する訳にもいかない。他人の不幸話は私の心まで荒ませる。ここだけの話、私でも『そんな些細なことで落ち込むんじゃない』と思うこともあるのだけれど、感じ方は人それぞれだし、なんとかして温かい言葉を掛けることにしている。(問題は、その温かい言葉というのも私の主観なので、温かい筈の言葉で相手をより落ち込ませてしまうケースもあることだ。『貴方に何が分かるんですか』とか言われることもある。『そこまで気にしては生きていられない。仕事とはいえ限度もある。お前は善意を示した』と言ってくれる人もあるけれど、そこまで気にしなければ立派な仕事は果たせないし、何よりも無責任だと思う。第一、仲間相手に善意を示すことは当然であって、それで満足してしまうことは私には出来ない)
他にもサトーさんから、私が行くと角が立つから、この件について他校のこの人と話をつけてきてくれと頼まれることもある。原生NPCを相手にするのとはまた違う意味で、生身の人間、そのお相手を務めるのは大変だ。彼らには感情がある。理解もある。嫌味を言われる、愚痴られる、相手に話を合わせねばならないこともあり、時には相手を上機嫌にするために仲間達の悪口を言わねばならないときまである。この前のように他校と共同で遠征をすると、同じチームに所属している他人同士でしかないので、トラブルが起きて揉めているのを収めようとしたらば、
『なんでコイツらの肩を持つんだ』
『部外者は黙ってろ』
超の付くレベルで猛烈な罵詈雑言を浴びせられる。しかも、それはその場限りのことではなく、その事件に関わった面子(特にアチラさんサイド)は私のことを邪魔者として扱うようになるので、なんといいますか――ねえ? 顔を合わせる度に舌打ちされるのは地味に効く。心の底では私のことが嫌いだという部員も居るだろう。
本音を言えばやるせない気持ちになるときもある。どうして私ばかりがこんな目に遭わねばならないのか。立場が立場だから人前でああだのこうだの不平不満を並べることは致しかねる。辞めてしまおうかなと決意しかけたことも一度ならずある。ゲーム序盤、まだ砂漠を放浪していた時代は、むしろ気楽だったなと思うことすらある。
それでもまだ私は辞めていない。好き好んで中管理職じみた役割を演じている。何故かは自分でも分からない。
とりあえずですね、なんにしても旅行です、慰安旅行というか観光旅行というか、降って湧いたようなそれであっても楽しまねば損というもの、どうしていきなりサトーさんがこんなことを発案したのかについては考えないことにした。私は以前から懇意にしているジェフという部員と行動を共にすることになった。久しぶりに仕事を忘れて一個人としての時間を満喫しようと決めた。あ、ちなみにジェフ、短縮しなければジェフリーは男性名でありますけれども、彼女は彼女という代名詞を用いねばならないように女性です。私にも色々とあることにはある。花見盛君や井端君のように派手ではないけれどもね。
私は私よりも温和で温厚、何かの間違いで七導館々々高校に入学したとしか考えられず、家族を人質にでも取られていない限りあんな手荒なゲームをするようには思えない彼女と一夏の青春じみたことを目論んだ。秋だけれども目論んだ。目論んだのに、
「サトーちゃん」と、マッハ〇・ニぐらいで疾走する新幹線の中で、荒木さんが言ったのが気に掛かってしまった。
荒木さんは、仲間しか居ない場では、サトーさんのことをかなでちゃんと呼ぶ。私の前だからことさらにサトーちゃんと呼んだのか。そんな様子ではない。証拠はないけれど、荒木さんの態度に僅かな翳りを感じたこともあり、私は悩んだ。もし荒木さんの腹に何かサトーさんに対して据えかねるものがあるとすれば?
看過は出来ない。首をツッコめば不味いことになるのは明らかでも。ここで見て見ぬ振りをしたが為に後日の惨劇がなどというのはご免だ。そこまで大事にならずとも、旅の最中にイザコザが起きて、それで皆んなが不愉快になるのは馬鹿げている。いまならまだ私ともう一人か二人が苦労するだけで済むだろう。
そのもう一人か二人の犠牲者を選ぶのには心を砕いた。単に申し訳ないという気持ちもあったけれど、荒木さんはとにかく、サトーさん関連の話に巻き込める相手はそう多くない。サトーさんは気性が気性だからただでさえ誤解され易く、殊にこの手のエピソード、対人関係の不和――とまだ決まった訳ではないけれども――が部内に流布されると困る。ようやく部に馴染んだ彼女を『やはり信頼するに値しない女だ』とか指弾する者も居るかもしれない。この期に及んでの部の内部分裂は望ましくない。指弾する者達は間違いなく過去のイザコザを蒸し返す。と、なれば血を見ることになるだろう。(仲間を信頼することと彼らを評価することは全く別問題である。仲間だからといって仲違いしない訳ではない。むしろ仲間だからこそこの辺りは慎重にならねばならない)
大袈裟な話ではなく、サトーさんが何らかの形でゲームから離脱した場合、彼女を恃むところ頗る厚い我が部や三都市破綻する。破綻すれば大量の高校生失業者が生まれる。否、高校生と名乗る資格すら失われた、ただの中卒労働者達か。笑えないぞ。今度は私達がレイダーをやらねばならなくなる。
花見盛君――彼と二人で対処するのがベストだろうが、彼はここのところサトーさんとギクシャクしているようだし、押してというのは無理がある。
とすると残る候補は一人だ。平気だろうか。彼女は、その、サトーさんにどんな感情を抱いているのか、私には読めない。私人としては嫌っているのではなかろうか。公的な場で二人で話しているところは見るけれども、そうでない場では差し向かいでという姿を見た試しはなく、最近では、サトーさんのことを盗むように睨んでいたこともあった。無理もない。
その彼女にこの話を持ち込んでいいのか。ええい、高木さんがココに居れば、彼の強引な手腕に期待したのに。
「夏川部長」
彼女がお手洗いに席を立ったタイミングを見計らって、これ幸い、私はさりげなく彼女を追い掛けた。(なんだか気持ち悪いぞ、私!)
「色枝か」個室から出てきた彼女は手をハンカチで拭いていた。何だか非常に拙い作りの品である。家庭科の授業か何かで作ったものだろうか。
「少しお話があるんですけれども」
私はそこの自販機で買い求めた珈琲を差し出しながら言った。「サトーさんと荒木さんなんですけれどもね――」
この人選が禍根に繋がらないことを私は心から祈った。





