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銃剣突撃する怒れる低学歴と悩める高学歴のファンタジア  作者: K@e:Dё
番外編2章『七導館々々高校文学部』
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番外編2章27話/HAPPY PARTY TRAIN(荒木) - 中


 こんなポスターを見た。早朝のシンヨコハマ駅でだ。『乗車時のマナーを取り戻そう。ヒノモト人は世界で最も礼儀正しい民族です!』――私は思わず笑った。


 荒木というのは父方の姓だそうで、母方のそれは定かではなく、知りたいと思ったこともない。


『向こう五〇年で総人口の一割を移民に変えよう』――このスローガンが掲げられたのは、二一世紀初頭、空飛ぶ車も鉄腕少年も月世界旅行もどうやら実現しなさそうだと誰もが悟り始めたその頃だった。夢の時代は終わったのだ。少子高齢化という()()()の悍ましい未来と向き合わねばならない時が来た。


 ご存知でしょう。ジャジャーン、悪名高き外国人技能実習生!


『後進国の方々に我がヒノモトの素晴らしい技術を教えてあげようそうしよう』これが表向き。


『馬鹿外国人を安く使い倒してやろう』これが現実でスわな。


“3K”職種てのがありまして。この3Kてのは何でしょうね。キツい。汚い。危険。ご無礼。トリプル役満です。いや、あのですね、別にその業種の方々を腐すとかではなくて、事実としてですね、介護とか、最近だと特殊清掃とか、土木工事関連とか、後は車の部品工場とかね、珍しいところだと漁業とか海運とか大変なお仕事じゃないですか。お疲れ様です。で、そういう大変なお仕事に就きたがる人は少ないもんで、ならば外国人を使おう――と。


 どこが技能実習やねん。実習生の方でも最初から出稼ぎ目的で来たりすることも多々あったようで。ウチの母もそれだったとか。『技能実習に来ました!』を名目にすると滞在許可とか就労ビザの申請が通り易かったらしいスね。


 低賃金と言うてもですね、それはヒノモトでの相場、国に送金するとなるとまあまあのお金になるからとか何とか聞いたこともありまスな。実習生を使う企業の方もですよ、主に大陸の製品との価格競争に頭を悩ましていた時期ですので、人件費が削れればそれだけ嬉しい的な。(余談ですけれども、技能実習は大きく二つ、営利企業が諸外国から人員を募ってその社内で実習を行う企業単独型、商工会などの非営利団体が人員を集めてその傘下組織で実習を行う団体管理型に分けられるそうです。割合で言えば前が一で後が九なんですけれども、結局、“傘下組織”の従業員として安く使われることに変わりはなかったみたいスね) 


 さて、ところでヒノモト人はね、ホラ、お好きでしょう、差別?


 まあまあまあ。そう謙遜しないで。私も好きですもん。仲間。ね。


 母は散々な目に遭ったそうな。人権蹂躙て奴ですな。パスポートを取り上げられて、返して欲しければ働けと馬車馬の如く時間外労働、教えて貰える筈だったヒノモト語も『はい』と『わかりました』以外には習わず仕舞い、挙句の果てに時給は、外国人だからって馬鹿にし過ぎですよ、三〇〇円を切ってたそうですよ、奥さん。


 可哀想なのは真面目にね、技能をね、学ぶために意気揚々とやってきた人々でスよ。技能実習生は、多い年では三〇万人も受け入れられて、その内の七〇〇〇人が失踪したとか。窃盗、強盗、暴行、果ては傷害致死事件を起こす者まで頻出したもんですから、いまでは実施団体の選定が厳しくなり、実習内容も相当にキチンとしたそうです。スバラシイデスネ。ちなみに制度発足から制度内容の抜本的改革までには二〇年間のブランクがあり、実習生達が受けていた仕打ちについても大量の隠蔽が後から発覚したんスけれども、流石に世界で最も礼儀正しい民族はやることが違うなあと感じますよね。


 母は『国に帰っても仕事はないぞ』、『ここで通用しないならどこへ行っても無駄だぞ』、こんな感じで脅されて、


『俺と寝れば少しは楽をさせてやる』と迫られました。


 繰り返しますとね、母の習ったヒノモト言葉は『はい』と『わかりました』だけです。


 私はこうして生まれました。


 外国人実習生制度はオシャカになりましたけれども、代わりに、主にメリケンの圧力で移民受入を大々的に始めましたでしょう。エイジアだけでない、エウロペを中心に、西の方から貧民、異教徒、難民まで押し寄せて、今度は彼らがコキ使われた。コキ使われたかと思ったら、震災以後、『アイツらは俺たちの仕事を奪った』とか言って排斥されつつある。私はこの国が嫌いです。しかし、生まれついてしまったからには、この国で生きていくしかない。“嫌なら出ていけ”が出来る程の富裕層でもないのでね。


 母は行政や相談機関の窓口に何度も通って、『ヒノモト人はそんなことしない』、『証拠がない』、『嘘を吐くな』、数え切れない程に石を投げられた末、ようやくのことで父に私を認知させた。母は重ねた心労で体を蝕まれた。養育費とは別に、月々、分割で支払われていた慰謝料と、まだ辛うじて崩壊していなかった保険制度の為に、彼女は私が小学校を卒業するまでは西へ逝かずに済んだ。彼女は私に彼女の来歴を、それこそ毎晩のように語り、話の結びは必ず『普通にしていなさい』――だった。


 とどのつまり、ヒノモト人のように振る舞えということだったので、私はその言い付け通りに生きた。ベッドの上から五分と離れられない母を見て『こうはなりたくないな』と思ったからだった。有り難いことに(有り難いことに!)、私の容姿、それはどこからどう見てもヒノモト人そのものだったので、強いて自分から二世ですと打ち明けなければ、誰にもボロは出なかった。


 表面上は明るく、それでいて内面は奇妙なコンプレックスで黒く汚れていたので、私は友人らしいものを持たずに育った。小学三年生のとき、


『君は可愛いね』と、私の頭を撫でたがるセンセイの言うことを全て聞くとそれなりに良いご身分になれることを学びはしたが、あれは友達ではない。同様に、小学六年生のとき、頻繁にお互いの家で遊んだ、あれはなんて名前だったかな、名前も覚えていないのだからアレも友達ではない。覚えていることもある。ネコを飼っていた。大事にしていた。それが流産で死んだ。私は母が死んで、ソリデールという制度を使って遠方に越す予定だったし、そのコが臆病で、困ったことがあっても大人に告げ口することが出来ない性格なのを知っていたので、


『あのコは流産なんかしてないよ。あれは私がお腹を蹴ったの』と、最後の別れの時、電車に乗る前、嘘泣きしながら抱き合った後、笑顔で言ってやった。スカッとした。


 私は自分が世界でいちばん可哀想なコだと今でも信じている。そして、そんな自分を、嫌いにはなれないけれど、馬鹿で愚かで救い難いなあと思う。


 そしてそして、馬鹿で愚かで救い難いから、私なんかとは誰も友達にならん方がいいよなあとも思っている。思っているのに、


『貴女のことが好きになりました。本気です』と、私の本性を知りながらも、おデブは言った。


『荒木さんちゃん』と、やはり私の本性を察しているだろうに、かなでちゃんも言っている。


 やれやれだな。類は友を呼ぶとはこのことか。どいつもこいつも馬鹿で愚かで救い難い。私は、――――そんなこと考えたらいけないはずなのに、考える資格もないだろうに、機嫌の悪いときは内心で死ねとか思っている癖に、彼の彼女で、彼女の友達なことを、ちょっといいかもなと感じている。




 

 


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