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銃剣突撃する怒れる低学歴と悩める高学歴のファンタジア  作者: K@e:Dё
番外編2章『七導館々々高校文学部』
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番外編2章22話/花見盛恭三郎君の憂鬱(花見盛) - 4


 中学時代、年齢をチョロマカシて風俗店の牛太郎のバイトをやっていた。――その話はもうした。


 冬の勢いは老いて益々盛んとばかりの、一月の末、俺は途方に暮れていた。寒かった。雪が降っていた。ただし、粉雪なので積もりそうで積もらず、俺はそれにムカついていた。どうせ降るなら積もれよ。中途半端な。防寒着の類は持っておらず、防寒具に格落ちしても草臥れたマフラーが一枚、それも特売で買ったピンク色のダサい奴だった。


 俺はそのマフラーを首に、巻き方なんて知らなかったから文字通りぐるぐる巻きにして、トヲキョヲの盛り場を彷徨っていた。アパートを追い出されたからだった。家賃滞納、保証会社にも滞納、その末のことだから銭は無く、どうにかして夜の厳しさを凌げる場所を探し歩いていたのだ。(それはそれは粗末なボロい服を着ていた)


 上々の場所、公園や駅のトイレは俺とは肌の色の違う人々が先に占拠していたし、首都圏のアチコチで見られるようになったドヤに入る勇気はなかった。一泊五〇〇円は確かに魅力だ。しかし、その対価としてシラミだノミだに食われる、持ち物を盗まれる、アレな趣味の野郎にアレされる、割に合わないどころの騒ぎではない危険がある。同じような理屈で終日営業のサウナも駄目だ。トラウマがあった。


 積もれ。俺は空を見上げながら念じた。どうして積もらないんだ。お前が積もらないせいで夜半の街にも人気が多い。お陰で、見ろ、俺はどこへ行っても笑われる。すれ違った姉ちゃん達が皆んな俺を見るんだ。あのカップルなんて俺を冗談の種にして――『いまのコ少しおかしな顔してなかった?』――笑ってやがった。ぐぬぬ。


 鼻水を啜る。鼻の内側の粘膜が痛い。地面を踏み締める度に足元からパリパリと薄氷の砕ける音がした。凍えて震えれば肩から溶けかけた雪が滴る。爪先と指先の感覚がなく、拳を開閉する動きは緩慢で、油を差し忘れた機械のようでもある。俺は溜息を吐いた。脳裏に朝刊の大見出しを飾る自分が過ぎった。新聞屋は俺の死を悼むフリして政権批判をするに違いない。福祉政策が甘いからこんな悲劇が起きるのだとか何とか。今時、メディアは、笑えるか怒れるか泣けるか、情報ではなく感情を切り売りしている。


 店に行こう。俺は諦めた。事情を話せば、オーナーは悪人だけれど情に厚いから、どうにか便宜を図ってくれるだろう。今後のことに思いを馳せれば晒したくない醜態ではあるが背に腹は代えられない。借りは返せばいいのだ。


 そして、彼女に出会った。俺が店の前に着いたのと彼女の退勤時間が奇跡的に重なったのである。彼女は俺を識別するなり、


『どうしたの。死ぬの。顔色悪いね』と尋ねた。みすぼらしい俺を笑う風でもなかった。それだけでも嬉しかった。


『死ぬかもス。実はアパートを追い出されて』喉からするりと漏れたのは弱音だった。冗談めかすことすら気力が足りなくて不可能だった。情けない。


『追い出された。家賃かい。払ってなかったんだろ』


『わかりますか。そうなんスよ。いや、払おうとは思ってたんですが、学費がね、高くて』


『ははあん』彼女は唇を舐めた。塗られたグロスは紅かった。そのぽってりとした肉で今日は何人のオジサマを啼かせたのか。唇の表面に町中のネオン・サインが反射してテカテカと光った。彼女は肩を竦めた。それから気軽な調子でこう提案した。『じゃ、ウチに来るかね』


『はあ』俺は呆然とした。いいんスかと尋ね返した。いいんスかじゃないよ。いいわけねえだろ。俺と彼女は知り合いの知り合いみたいな仲だった。俺はあくまで呼び込み専門、免許がないからお嬢様方の送り迎えはしたことがなく、店内事務はおっかない店長が嫌だからやったことがなくて、黒服役を務めるには貧弱過ぎた。彼女が店に出入りするときに、お疲れさまです、君もね、こんなやりとりをした記憶がある。それすらも朧気なぐらいだった。


『いいよ』


 彼女は周囲に目線を走らせた。誰も居ない。こんなところを仲間に見られたらどう思われるか分からないからな。


『ただし、先に、とても大事なことを訊いておかないとならない』


 彼女はまた肩を竦めた。どうもそれが癖らしい。芝居がかってンな、と、俺は内心で呆れていた。彼女は文学少女崩れらしいという噂を俺は同僚から聴いていた。なるほどねと思っていた。


『私はね』まさに失敗した文学少女然とした清楚系黒髪眼鏡ゴスロリの彼女は、その印象とは裏腹に、極めて力強く言った。


『私のことが好きな人としか親しくしないことにしてるんだ。君、私のことが好きかい?』


 俺は、――と答えた。彼女は腹を抱えて笑い始めた。通行人の視線が俺達に突き刺さった。俺達はどんな二人組に見えていたのだろうか。あんなピンク街で。


 彼女は俺に、そのときの俺の全財産の八分の一にもなる大金を自販機に投じて、缶珈琲を奢ってくれた。『今日は特別だよ。これからは安い珈琲なんて飲むんじゃない。約束だ。もしそんなことをしたら容赦なくウチから追い出す。いいね』と彼女は俺に言い付けた。俺はただ頷いた。変な人だなとばかり考えていた。これから何が始まるのだろうとドキドキもしていた。ワクワクもしていた。


 珈琲は暖かかった。人に買って貰ったものだから特に暖かいと感じたのかもしれない。


 

  


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