番外編2章18話/サトーちゃんの憂鬱(サトー) - 3
「チーズ・ティーを知っているかね? 知らない? タンフールーは? 格ゲーのキャラ? 違う、違うね、君。タピオカは飲むだろう。飲まんかね。困りものだな」
私は拍子抜けしていた。バチバチと火花の散るような交渉があって、それに花見盛君の助けを借りて勝って、意気揚々と引き上げる。それを見越していたのに。
応接間にやってきた男、彼の差し出した名刺には、田中豊隆と書かれていた。中堅幹部――企画部企画課長の役職に就いている割には若い。どう見ても三〇格好だ。それでまず意外の感に打たれた。相対するのはオジサンだろうと想定していたからだ。まさかこんなイケメン野郎とは。ロン毛が嫌味なぐらい似合っている。物腰も柔らかい。名刺を差し出す手付きは典雅ですらあった。指も長くて白いし、なに、ピアニスト? 船の上の方? 戦場を彷徨う方?
ソファの質からも分かるように、コチラの企業さんはまずまずの大企業、都内一等地駅徒歩三分の高層ビルに陣取るぐらいだから金は持っている。金を持っているのはまともな企業だ。まともな企業でスピード出世する若手には三種類しか居ない。ずばり重役の身内であるとかで後ろ盾が強い、社内政治力に長ける、希少価値の高い美形である、このどれかだ。田中氏はまずまず政治が上手そうである。重ねて言うけれども美形である。で、名前は田中である。有り触れた名字ではあるものの、こうも条件が揃っていると、会長だか社長だかの親族であると考えるのが妥当だろう。
『先に言っておくがね、君、ええ?』挨拶が済んでからの第一声はコレだった。
『かねて、君等が要請していた給料の増額ね、アレは飲むよ。飲む。まあそんなに一律で爆上げという訳にはいかないがね。こんなもんでどーやろね』
私はつくねんとしていた。相手のペースに飲まれていたのだった。ええい。予想外の事態に弱いのはどうにかしないと。花見盛君に肘で横腹を突かれて、ハッとした私は、田中氏の示した電卓に目を通した。ふんと鼻を鳴らしたのは見栄だった。彼の提示した金額はコチラの希望より高かった。
じゃ、それでいいですよ、はい。コンゴトモヨロシク。ではこれで。そうはいかない。これで簡単に引き下がっては私の面子が丸潰れだ。
『あのですね』私は言い淀んだ。花見盛君の横顔を盗むように見た。彼は呆れた。要するに私の目線は“後をよろしく”を意味したからだ。
『額面についてはそれで問題ありません。失礼ですが、数字だけでなくて書類も用意して頂けるならより結構なんですけども。如何ですか』
『ああ、無論だよ。この後で良ければね』田中氏は微笑んだ。前髪を掻き上げる。
『もっと失礼なんですが、その書類、終わった後に直ぐこの場で頂けますか。出来れば目の前で。貴方に捺印して頂いて』
『ふむ。いいよ。ああ。いいとも。他に何かあるかね。お願い事は、君』
『現状、僕らとこの権上の学校と御社の契約は部単位で交わしてますよね』
『うん。そちらの方が都合が良いからね。君も知っているだろう。E・SPORTSはその実施に対して法整備が追いついていない』
『存じています。景品表示法に違反しかねない。賭博罪にも抵触する』
田中氏は指に前髪の一部を巻き付けながら頷いた。景品表示法とは、各企業が何らかの商品を発売する場合、それを販促する広告や宣伝内容や景品が過大ではならないと定めた法である。過大広告は勿論として『楽しい付録が一杯一杯!』も度を過ぎれば問題になる為だ。E・SPORTSは広く見ると“ゲームの宣伝”に該当する為、この景品表示法に則って、大会賞金やプレイヤーに対する報酬が上限一〇万円までに制限されてしまう。
賭博罪については字面から想像がつくだろう。正式名称を“賭博及び富くじに関する罪”というコレは二つの要件から成立する。『財物の所有権を争うこと』と『一時的娯楽を供するもの以外を賭けること』だ。平たく言えば車でも土地でも何でもいいから、食べたり飲んだりすれば消えてしまう失せ物等、これら以外を賭ければ何でも賭博罪に触れる。『アンティ・ルールでデュエルだ! 負けたらレア・カードを頂く!』も本来であれば賭博罪ということになる。尚、お金を賭ける場合、その多寡については問題にならない。一円だろうと五〇〇〇兆円だろうと賭博は賭博だ。
E・SPORTSにおいては、賞金制大会を開催する場合、参加者や観客から一定の料金を徴収した上で、それらの一部を成績優勝者に分配する――これが賭博行為に該当してしまうとされる。
現行のE・SPORTS協会はこの二点を避けるべく、あの悪名高いプロ・ライセンス制度を設けたわけだ。『プロに仕事を依頼したんですよ。コレは賞金ではなくて報酬です。報酬なら景表法に違反してないでしょ。賭博でもないでしょ。ね?』
しかし、何事であれ追求せねば気が済まない正義依存症も世の中には存在する訳で、彼らは、
『高校生のどこがプロなんだ。ライセンスをばら撒きやがって。簡単な講習だけで発行してる免許なのはお見通しなんだぞ。お前らは(お下劣ワード)だ!』
このように協会を批難した。中には高校生の癖にプロだなんて生意気だ、俺らより稼いでるに違いない、このように実態も知らずに反発する者も居る。何にしても批判は批判だ。批判を浴び続けながら活動を続けられる団体は少ない。SNSが普及した現代、それが誤った情報や認識であれ、炎上した団体だとか企業だとかは悪とイコールで結び付けられる。悪には誰も手を差し伸べない。ただ叩く。集団で囲んで殴る。団体は閉鎖される。企業は倒産する。殴っていた奴らは気持ち良くなる。
そこで、プロの半ば以上が高校生であるという状況を、協会は逆手に取ることにした。
『じゃ、寄付です』――である。
『私達は彼ら個人にはそんなに大金を支払っていませんよ。プロとはいえ高校生ですからね。仰る通り。ただし、寄付はしている。彼らの学校の部活動に対して。優れた人材を育成するための設備費などに充てて貰いたいと思ってねえ。ま、私らがそう思ってるだけなんで、学校の側がどう処理するかの実際は知りませんけど。それでも寄付ですよ。これは寄付です。あ、寄付だから、あげる方も貰う方も税制的に色々と有利なんだけど、これは偶然ですからねー!』
かくして協会に与する各企業は対高校生に限り、その個人とではなく、個人が所属する団体や組織や集団と契約することになった。個人に対してはゲッという低額を給付する。その金額に部の責任者が寄付金を、何かの間違いや正当な事情があって、分配して上乗せするのだ。寄付金は校毎に数ヶ月単位や臨時で給付される。花見盛君らが、時折、口にする“ボーナス”とはまさにこの寄付金を指す。
ま、当然、これはこれで叩かれてはいるけれど、表向きは慈善事業に見えなくもない。言い訳としては筋が通っていない訳でもなくはない。はい。(余談ながら、昨今、契約してくれる親会社を探すのはそう難しくはない。クラウドソーシングと何とかチューバーを足したような仕組みが完成しているのだった。それ用のウェブサイトやマッチング・アプリも存在している。やろうと思えば誰でも収益化自体は可能だ。それでそれなりの収入を得るのが難しいというだけで。ブラスペはそこそこ人気のあるタイトルで、七導館々々高校はその最前線を戦っていた部だから、実を言えば、収入額はプロゲーマーの中では高い方だった。白状すれば数万円、四、五万円なんだけれど、月に何百時間とプレイして数十円とかではないだけマシだ)
『――そこで』と、花見盛君は持ち出した。
『お尋ねしたい。貴方にご提示頂いた金額ですけれども、アレ、給料だと言われましたよね。僕らの。つまり、今後、頂ける寄付金はまた別ということですよね』
『ああ』田中氏は両頬にえくぼがあった。『そういうことね。いいとも。そうか。ははあん。だから先に書類を書くように約束をね。僕が後で反故にするといけないから。へえと驚くべきだろうな。はっきり言って騙す気だったんだがね。君は話せるらしい。今後の連絡は君宛にしようか。名前はなんと言ったかな、君』
『花見盛です。花見盛恭三郎。七導館々々高校の』
『うん。分かった。はい、いいよ、花見盛君。そうだ。あの額は君等の給料だ。おめでとう! 今の数倍だね! 寄付金についても増やすつもりだから、君等の学校の活動は、より勢いを増すことになるだろう! おめでとう!』
田中氏は白々しく拍手した。花見盛君は肩を竦めた。藤川君が頭の上にハテナを浮かべている。私は澄ましていた(つもり)。
『でね』田中氏は話を仕切り直した。『権上君、いや、かなで君? いやいや、ここはサトー君と呼ぼうか』
『なんでしょうか』
「――チーズ・ティーを知っているかね? 知らない? タンフールーは? 格ゲーのキャラ? 違う、違うね、君。でもタピオカは飲むだろう。飲まんかね。困りものだな」
拍子抜けしていた。ビックリしてもいた。相手の意図が掴めなかった。名指しされているから花見盛君に話を振ることもできない。
「はあ」私は素頓狂な声を出した。「私、流行のものは嫌いでして」
「嫌いか。そうか。でもね、嫌いだとしてもね、君、無理にでも飲んで貰うよ、君。君は話題のものには何でも飛びつかねばならない。ならなくなるのだ」
「……。……。……。と、言いますと」
「君に折り入って頼みがある。この資料をまず見てみたまえ」
彼はファイル・ケースを持参していた。厚いそれから何枚かの書類を取り出す。円グラフとか解像度低めの画像とかで埋め尽くされたそれらの内容は、
「君がゲームを始める以前と以後の、ブラスペの視聴者数、プレイヤー数、どの瞬間に最も視聴者数が多かったか、諸々の集計だ。分かるね。視聴者は君を見たがっている。新規に増えた数千人ものプレイヤーは君に会いたがっている。君はね、今や、ちょっとしたアイドルなのだよ、君」
私は奥歯を噛み合せた。何度も。バーチャル・ガムを噛んだのである。
何時だかの歓迎会以来、そういう人達の間で、自分が話題になっているのは知っていた。私ってば美人だし。ちっ。レイダー戦後などは、私を窓際族、ボッチの陰キャ、コミュ障の(自主規制)だと決め付けているクラス・メイトからすら好意と嫉妬の視線を浴びた。話しかけられもした。片端から邪険にするのは心が痛まなくもなかった。クラス・メイトだけではない。町中でも『見られてるかな』と感じては、自己嫌悪、何を増長しているのかと自分を嘲笑してきた。
最初の内は嬉しかった。口や態度に出してしまうものはどうあれ、そう、もっと自分を見て欲しかった。承認欲求が半端ではなかった。私が認められることで父も認められるのではないか。評価が改まるのではないか。母を『ザマアwww』と見返せるのではないか。私をどうにかしていた連中をアレしてアレすることも叶うのではないか。私は安い女だ。そう再確認させられても尚も嬉しかった。もっと皆んなで私を褒めろ。讃えろ。チヤホヤしなさい。私の消せない劣等感が消えるまで。
ただ、最近は、どうもそれにも飽きて来ている。思ったよりも良いものではないなあと。私は怖いのだ。何故ならば、――――――――。
「我々は君をただのアイドルにはしておかない。偶像? 冗談ではない。英雄? それも正しくはない。君はブラスペの象徴になる。するのだ。担ぎ上げるよ。我々が全力で」
私は田中氏の力説を空虚に聴いた。
「まずは動画だ。メディア露出だよ、君。週に一〇本で行こう。雑誌なんかにも売り出そう。ゆくゆくはテレビにもだな。本を出してもいい。君が望むなら。君が売れれば売れるだけ仲間達も潤う。悪くない取引だろう」
「ええ」私は即答した。花見盛君がおいという表情をした。無視した。「そうですね」
交渉とも呼べない交渉はこのようにして終わった。田中氏は花見盛君の求めた書類を、机に立てられるぐらいぶ厚い、丈夫な封筒と共に寄越した。『それで少し遊んでおきたまえ。友達と。しばらくすると忙しくなるからね』――――
「やり手だな。わざわざ俺達の前で君に大金を渡してみせたんだ、アレは。狙ってるな」
花見盛君はそんなことを言って私に警告したけれど、なんというか、私は気が乗らなかった。ああそうと釣れない返事をした。彼相手にそういう対応をするのは久しぶりな気がした。気がしたか。どうだったろう。そういえば、私、いつの間にこんなに口数が増えて、彼とか、友達とかと打ち解けて話をするように、友達?
帰り際、ビルを出たとき、振り向いた。五〇階だかの上背があるビルは威圧感があった。こんなビルを建てるのは大変でしょう。この中の一間に間借りするのだって大変でしょう。皆んなお友達が多くて良いわね。いや。全く。羨ましいわ。本当に。
せっかく上々の結果が出たのに憂鬱だった。なんて嫌な女なのか私は。友達の為になることでは喜べないなんて。私は自分のことしか考えていない。