番外編2章15話/ようこそワニ・バナナ・パークへ(花見盛)
腹切最中を食べたことがあるかね。俺は初めてだ。名は聴く。シンバシの老舗が販売していて、名前が名前なのでお詫びの品として名高く、ミナト区界隈のやらかしたサラリーマンはコレを小脇に先方へ謝りに行くとか何とか。ただ、頭を下げに来た野郎が『つまらないものですがお納め下さい』とか言ってコレを差し出してきたとき、なあ、笑えばいいのか? 怒ればいいのか? 俺なら笑うね。笑いついでに許してしまう気もする。素晴らしい商品だ。日に七〇〇〇個以上売れるのも頷ける。
腹切とわざわざ名乗るぐらいだから尋常の最中とは異なる。何が異なるかと言えば餡の量だ。大量の餡が、腹を召したときに溢れるモツの如く、最中の内側からはみでている、――なんて可愛いものではない。コレは餡の巨塊の上下に皮をそれとなく添えたものだ。概念としてはむしろハンバーガーに近い。外見もそれに類する。食べ方までそんな感じだ。ソースを零さないようにするのと同じで、餡が落ちないように、注意しながら齧り付く。
甘い。とことん甘い。ねっとりしている。口の中の水分が尽く奪われる。それでいて決して不味くはない。皮の、餡とは違う種類の甘さ、それから独特の弾力が面白い。粒餡なのも評価点だろう。甘さの奥に渋さが隠れている。この場合の渋さとは味の奥深さだ。珈琲が飲みたくなる。飲んだ。
素敵なものを食べると、何時も、サトーに食べさせたらどんな反応を呈するのかね、――それを考える。あいつのことだ。素直に喜びはすまい。
『どうせ』俺が凝ったものを拵える度、サトーはニヤニヤした口元を手で覆って隠しながら、こんな嫌味を言った。
『元カノの為に磨いた腕でしょ。苦労したのに振る舞う相手が私で可哀想ね』
堪えきれない。苦笑する。苦笑しなければ泣きそうだった。サトーの話を誰かにするのは久しぶりだからか感情が昂ぶっていた。
「花見盛さん?」蕪城君が何事かと目を丸くしていた。オッサンが目の前で脈絡もなくヘラヘラし始めたらそうもなる。
「悪い」俺はティッシュで鼻をかんだ。ティッシュ箱は素のままで置いておくとインテリアを妨げる。絹製のお高いカバーに包まっていた。なんだ。こんなもの。
「なんでもないんだ。それで、ああ、どこまで話したかな?」
「真後ろに敵がスポーンしたとか。大丈夫ですか。少しお時間を置かれますか」
「いや。問題ない」俺は丸めたティッシュを足元のゴミ箱に投げ落とした。「本当になんでもないんだ。ただの鼻炎だよ」
「そうですか」蕪城君は疑わしげだった。気立ての優しいコなのだろう。「キツくなったら言って下さい。ご遠慮なく。出直しますから」
「ありがとう」と、なるたけ事務的に言って、俺は話を再開した。
「サトーは唐突に俺にこう尋ねたんだ。“貴方、花見盛君、貴方はハイパーロボット大戦をプレイしたことはある?”と。“別になんたらの野望とか決断とか超戦略とかエムブレムとエンブレムを間違えるとファンに叩かれる手強いシミュレーションでもいいけど”ってな」
「それはまた」蕪城君は目を細めた。
「サトーは、動揺しているとき、饒舌になる傾向があった。喋ってないと落ち着かないんだろうな。当時は考えたこともなかったが、何百という仲間、その将来を預かる身だろ。苦悩も気苦労も絶えなかったと思うよ。いまでもブラスペで、かなりの立場を得ている子は、そうなんじゃないかな」
「左右来宮さんも同じようなことを言っていました」
蕪城君はシュガー・ポットをちらりと見た。「“戦術単位ですらその恐怖は耐え難いものがあります。戦略単位ともなれば冗談と思うしかない”と」
「左右来宮ね」俺は席を立った。キッチンへ。背に蕪城君の不審の目線が刺さった。
「俺はこの頃のブラスペには疎い。名前と顔ぐらいは知っているがね。あの小さい子ね。サトーと――」
比べたらどうかな。そう続けようとした自分に愕然とした。だからそこで言葉を切った。蕪城君がズズズと珈琲を啜った。俺は引き戸からスティック・シュガーを何本か取り出した。何食わぬ顔で席に戻って、少し珈琲を苦くし過ぎた、俺は砂糖を入れるけど君はどうする、こんな風に遠回しに彼女に砂糖を勧めた。
「ありがとうございます。頂きます」俺はホッとした。こうでもしなければ、彼女、何時までも口に合わない珈琲を無理に飲み続けるだろうと思われた。下らない。俺も大人になったのだろうか。なっちまったのか。外見だけか。女子高生に気を遣えればそれは大人ということになるのだろうか。ならないな。本物の大人なら砂糖だけでなくてミルクも勧めた。そのはずだ。
「それでね、話を戻すけど、俺は“どうしてそんなことを訊くんだ”って訊き返した」
俺はスティック・シュガーを開けた。来客用なのでかつて俺は使ったことがない。分量の見当が付かないので、半分ぐらい、珈琲に注ぐ。スプーンで掻き混ぜた。「サトーは言ったよ。“昔のは別として。あの手のゲームだとありがちなことなのよ。敵の質が悪いの。強くないのよ。一人のお気に入りのキャラで無双出来るぐらいに。だから難易度調整は専ら数を増やすことでなされるわ”だったかな」
「簡単に倒せる敵を見ていてそれを思い出した?」
「そうらしい。“これがリアルの戦争ではなくてリアルな戦争ゲームであることを今の今まで忘れていたわ”とね。自分がゲームのディレクターだかプランナーだかデザイナーだかなら、必ず仕組む、仕込む、仕掛ける、彼女は断言した。しかもこのゲームは見世物だ。ショーなんだよ。あの戦いも多くの視聴者が見守っていた。ワンサイド・ゲームでは飽きられてしまうだろ。ピンチがないとつまらない」
蕪城君は頷いた。加糖した珈琲を啜り、彼女はホゥと、安心したような、それでいて済まなそうな表情を浮かべた。
「サトーは増援が出現するなら自分たちの後方だろうと考えた。ただ、その他の方向にランダムということも視野に入れて、最初は馬車群に伝令を走らせたんだ。馬車群を自分たちの側に極限まで近付けて、いざとなれば主力を割譲して、それで守ろうと。ただ、伝令を出した直後に、いやそれだと駄目だ、もし敵がもう現れていたら不味いことになると考えを改めた。“やっぱりいまのなし”と喚く彼女の姿は見ていて、不安にもなったが、珍しいもんだから面白かったね」
「予備を動かしたんですか。結局」
「そうだ。主力を夏川部長に預けて。自分で予備を指揮した。俺もお供したよ。予備隊が馬車群のところまで駆け付けた時にはもう戦闘が始まっていてね。馬車の一割ぐらいは既に失われていた。乱戦になりつつあったから火縄銃を使うのは難しかった。仲間を撃ちかねないし、そんな中で隊形を組むのは、あのときの俺たちでは無理だったからな。馬車の連中とその護衛は混乱し切っていて、予備隊の面子にすら、その混乱の煽りを受けて正常な判断が出来ない奴が出始めた。馬車がこうなったら負けなんじゃないかってな。誰かがそう思って、それを口に出しちまったから、その恐怖は、驚く程の勢いで予備隊中に伝染した。予備隊は竦んじまった。もう未来は二つしかなかった。半狂乱になってサトーの言うことも聞かずに敵に突っ込むか。逃げ出すか。前者なら敵は倒せても効率的な戦い方はできない。馬車を守れない。後者なら全て終わりだ」
鏑木くんは純粋な好奇心を目に漲らせた。俺は気を良くした。やはり大人にはなれていないようだ。
「サトーは“安心しなさい”と言った。醒めた声で。そして、後にも先にも二度とない、俺から武器をふんだくると、敵に向かって駆け出した。サトーが行くんだから俺たちも続くしかない。俺たちは一つの指向性を持った集団として敵に突っ込んだ。それがまた見事に敵の弱点部分だったんだな。なんとかなったよ。敵が崩れてね。後は仲間たちも正気を取り戻したから、サトーの指示で、あれやこれやと。敵の方が数が多いから夢中で戦って、そうだな、気が付けば勝っていた感じだ。終わった後も実感が湧くまでにかなりの間があった」
奇跡だった。俺は頭を振った。何が奇跡だったかって、サトーが敵に向かって走っていたとき、コケなかったのが奇跡だ。槍なんて重量物を落とさずに把持し続けられたことも奇跡だな。転ぶか落とすかしていたら味方の士気もそこまでだったろう。
「楽勝なんかじゃなかった。紙一重だった。映像では、サトーが敵の意図を読み切って、英雄的な行動を取ってNPCをボコボコにしたように見えるかもしれないがね。サトーは増援が出たかもと悟ったときから戦い終わるまでずっと震えていたからなあ」
“戦争とは如何に相手を出し抜くかではない。如何に相手よりミスを少なく出来るかのスポーツだ”
サトーはキャリアの終わり近くにそう言った。わざわざスポーツなんて語彙を選んだもんだから、左の方面とか、厄介な方々に随分と剣呑な叩かれ方をしたけれど、言っていること自体はそう間違っていない。俺たちは行軍中にも戦闘中にもミスを度重ねた。元を辿れば自分達の責任ではない、出撃を急がせたスポンサーの側に原因のあるミスではあるけれど、何であれミスには変わりない。対人戦なら絶対に負けていた。ミスしか犯さないNPC相手だから負けずに済んだまでのことだ。(対人であれば、俺たちがあんな無様な行軍をしていた最中、それと悟ってチョッカイを出してきていた筈だ。そのチョッカイだけで俺たちは滅ぼされていた)
「当事者である俺たちには自分たちがどうして勝てたのか。それが分かっていた。だから、俺たちは、またサトーに対する信仰心を強めることになった。俺たちは“三都市及び諸地域の合意に基づく帝国”、通称を“午後の死”ってのを興すことになるんだが、それがサトー主導の下、財政軍事国家へひた走るのを、何の疑問も抱かずに受け入れた。サトーのすることに間違いがあるはずはない、と。藤川があの雨の日に叫んだみたいにな。俺たちはサトーを神みたいに崇めていた」
俺は後悔し始めていた。スティック・シュガーを半分も使うんじゃあなかった。甘い過ぎる。しかし、一度、やってしまったことはもう取り返しがつかない。
「で」俺は指で唇を撫でた。ほんのりと甘い。ザラザラしている。何かと思えば最中の粉が付いたままだった。指の腹を擦り合わせて粉を落とす。
「で」神妙な面持ちで蕪城君は尋ねた。「で?」
「話はまだ二つ大きな山を残しているんだが、その前に、ひとつばかし無駄話をさせてくれ。いや、話しておかなくてもいいかなと思ったんだが、話したら話したで、当時の雰囲気の理解を助けると思うんでね」
「と、言いますと」
「君、シズオカに行ったことはあるか」
「は?」蕪城君は流石に眉根を寄せた。
「ワニ・バナナ・パークってのがあってね」
蕪城君の眉間の皺はますます深くなった。こんな謎みたいなことを言われたらなあと同情した。
「そこへ遊びに行ったんだ。色々あってね。皆んなで。俺は楽しんだよ。皆んなも楽しんだと思う。本当のところは分からないがね」