番外編2章12話/プーデリア平原の戦い(花見盛) - 中
同じことを繰り返すだけの単調な毎日、それを打ち破る刺激と興奮の効能は凄まじく、敵と遭遇した我が大隊は沸騰した。極端な話、彼らは敵が居たことに感動していた。元より敵が居るから遠征したのだけれども、ここまでの苦労が既に報われた気になって、やってやるぞ――と発墳したのだろう。
と言っても、大規模な戦闘が生起したりはしなかった。そもそも最初の遭遇は偶発的なものだった。俺たちは森と河に挟まれた隘路を行軍していた。道は曲がりくねっている上、時刻は夕方ちょい過ぎ、暗くなりつつある中のことだ。先行した、サバイバルに特化した人員配置と装備の分隊(この分隊は八名一組)が縄張りを済ませてある宿営予定地へ当座の移動中だった。
逸れる者のないように隊列はギュッと圧縮されていた。前を進む者の後頭部が目と鼻の先に望めた。(行軍開始から満で一ニ日が経過していたので、最初はありがちだったミス、前を進む者の踵を踏み付ける者も減っていた。言うまでもなく踵を踏まれると痛い。歩みが止まる。行軍全体が停止してしまう。それどころかドミノ倒しの要領で転倒事故が起きかねない。少なくとも隊員同士の喧嘩は起きる。サトーは隊列に加わる者に槍と防具の持参を要請していたが、大抵の者は鎧や兜はともかくして脚甲を持ち込むであるとか、足首の保護についてはザルであった。装備統一、それでなくともせめて装備に加えておくべきものを指定すべきだったわねとサトーは後々までこのことを後悔していた)
……その隊列がピタリと急停止した。急停止についても、慣れない間は実行することのできなかったもので、無理にやろうとすると隊列がグチャグチャに乱れていた。実戦経験とはなんて素晴らしいものなのか。ああ、勿論、歩調を乱せば叱られる上に殴られるってのも、心理的な効果があったのだろうけれども。
隊列の先頭には井端が立っていた。後ろには第一中隊(ダババネルからの始発組)の第一小隊約ニ〇名を連れている。
以前からその兆候のあったように、あのおデブ、意外なリーダーシップと人望とで見事に部下を取り纏めていた。ひとつには、恵比寿のようにお目出度い顔をしていて、挙止動作がおしなべてゆったりとしているので、どんなときでも――本人にその気がなくとも――冷静に見えるというのがあった。また事実として、腐っても七導館々々高校の生徒、それなりに修羅場だ場数だは踏んでいるので、ゴム風船みたいな外見とは裏腹に肝は据わっている。
このときも、遠くで叫び声のようなものを聴いた井端は、動じることなく右手を肩の高さに掲げたという。そして、一言、
「サトーさんに連絡してくれないかな」と、落ち着き払って呟いた。
ただし連絡は叶わなかった。その前に井端の斜め右前方の樹林が揺れて、針葉樹の間から、慌てた様子の野獣が駆け出してきたからである。更にその野獣を追いかける形でNPCどもが現れた。ゾロゾロと。
井端とてミスを犯すことはある。この行軍中も、危険な先頭を任されて、しかも気の置けない中隊主力と頼れるサトーからは分離しており、自分の小隊の後続はいざとなると役に立つか微妙な他都市の連中、――重圧もあって、奴も奴の部下も何度か事故を起こした。奴はそれでも滅気ない。荒木に励まされると、プリティな彼女に格好悪いところは見せられないからと即座に再起動、アレコレの対処を迅速且つ的確に済ませてしまう。そして、同じミスは二度と起こさない。
奴は数日前に、森と林の中間のような地帯を抜けている最中、やはりコレと同じような事態に直面して、面倒なことを引き起こしていた。隊列に飢えた狼が突っ込んできたのである。井端はサトーの指示を待ったばかりに、部下に最低限の警戒しかさせておらず、お陰で二人が軽い怪我を負った。
だから、奴は事前に『僕が隊列を停めたときは必ず武器を構えて警戒しておくように。警戒する方向は、君がコッチで、君がアッチで、ああ、君はアチラだ。スキと死角のないように。前後左右の間隔にも気をつけて。槍でフレンドリー・ファイヤが起きないようにね』と部下に言い含めてあった。
という次第で、まあ、俺たちを見て唖然呆然の態だったNPCどもは瞬殺された。槍でぐさりと串刺しに。バーベキュー会場はどこだ?
「我々は」宿営地に到着したサトーは、暇になった仲間達がようやく戦えるぞと喜び勇んでいるのを脇目に、七導館々々の各員と中隊長らを集めて言った。
「敵の集落が密集している、敵の首都のようなものと呼べばいいのか、とにかくそういうものを目指してひたすらに機動していた」
俺たちは円座を組んでいた。円の中央で焚き火がパチパチと鳴る。下から照らし出されて浮かび上がるサトーの顔もホッとしたと言いたげだった。
「敵は居た。確かに。どこかへ消えていたりしたらどうしようかと私も不安に思わなくもなかったけど。居たわね」
中隊長らが俄に苦笑したのを確認すると、サトーは表情を引き締めた。「検討に使える時間も検証に使える時間も足りなかったので、確たることは言えないけど、向こう数日以内に大きな戦いがあるでしょう。常識的に考えれば敵はこの辺りで我々を待ち構えるはず」
サトーはリッテルトから提供された大雑把な地図を手にしていた。その一点を指差す。当時はまだ名無しの平野だった。
「この先にはもう直ぐ敵の首都もどきだから。他に大規模な戦力を集中できるところはないし。もし敵が戦力を集中せず、分散して襲いかかって来てくれるなら、それはそれで各個に撃破すればいいだけのことで。前も言ったけど油断さえしなければまず勝てるので安心して、落ち着いて、私の言うことに従いつつ、的確に独断も交えるように」
「無茶なこと言うな」俺は合いの手を入れた。
「ふん。部隊長の階級っていうのは飾りではないのよ。いざというときには独断する権限の象徴でもあるんだから。ま、いいわ。許してあげる」
俺は肩を竦めた。俺とサトーの関係は、いや関係っていうとアレな言い方ではあるが、それとなく知れ渡っていたので、参列者達はまた苦笑した。
その苦笑の度合いから、俺は、各中隊長らがどれぐらいサトーと俺に好意を持っているのかを推し量った。とりあえず半数はサトーをそれなり以上に評価しているようだった。残る半数については愛想笑いだから断定はしかねる。ただ、腹の底で何を思っているにせよ、それを公の場であからさまにしないだけの脳味噌があるのは確かだ。便利に使えるだろう。とりあえず感情論で戦闘中に問題を起こすようなことはなさげである。
はたと視線を感じた。見れば、夏川部長が、俺の横顔をなんとなく不満げに見詰めていた。なんスか、と、目だけで尋ねると、肩を竦められた。それは俺の特技なんですけど。どうしたのだろうか。俺は鈍感だった。
「明日以降は警戒体勢を取りながらこのまま東へ。使う道は三日前に打ち合わせた通りのままで。ああ、でも、隊列はイジるかもだから、それだけは覚えておいて。井端君の部隊には無理をして貰うことになるかもだからそれも。斥候任務ね。捜索と偵察を。可能な範囲でいいので。とりあえず今日の連絡事項はそれだけよ。各中隊はそれぞれの小隊長の手綱をキチンと今夜の内に握り直しておくこと。よろしく。では。あ、――事務連絡があるので花見盛君と部長と副部長君は残ってくれるように」
“事務連絡”とは密談したいときの合言葉だった。密談したい相手を一番最初に指定することになっている。この場合では俺だ。(二人以上の際は言い方を工夫する)
密談だからログ・アウトしてリアルでやった方がいい。それは間違いない。間違いないけれども、二人だけで先にログ・アウトすると外聞が悪い。奴らだけイチャラブ・タイムかとよ謗られることにもなる。なので密談はそれとない形式で行われることになっていた。要するに普通の雑談をしていますよ的な雰囲気で行われることになっていた。部長と副部長はそれとなく近付くなオーラを発する要員である。
「隊列を組み直すと言ったけれど」サトーは気楽そうに切り出した。
「分かるでしょ。不満を後に残さないためよ。お互いに戦力を一点に集めて戦うにせよ、アチコチで細かく戦うにせよ、七導館々々を中心とした方が効率的だけど」
「美味しいところだけ持っていかれた。俺たちは数合わせで呼ばれた。そういう印象は不味い」
「プライドを傷つけることにもなるから。あちらだって傭兵稼業だったんだし」
「それはそうだな。戦いに行ったけれども戦果〇でしたでは話にもならんのは確かだろう。んで?」
「遭遇戦となると隊列の前と後ろが狙われるわ。NPCにも回り込むぐらいの知恵はあるだろうから。いまは先頭と最後尾をウチで固めているけれど、明日以降は、井端君は完全に切り離して、適当な部隊に先頭を交代するわ。その次に適当だと思う部隊に最後尾を預けようと思うんだけど。貴方の見立ては」
「俺に尋ねるのか? お前が決めるんじゃなくて?」
「予行練習よ。色々とね。それに人を見る目と口先で騙す技術だけなら貴方の方が上なんだから」
あっけからんである。サトーは欠伸を噛み殺した。俺から移った癖――肩を大袈裟に竦めた。俺も竦め返した。
「そうだな」俺は脳内のメンバー・リストと先程の笑顔鑑定を照らし合わせた。候補者を絞り込む。一一日目のあの騒動のときに騒いでいたかどうかも含んで吟味した。爪を噛む。土と泥で汚れている。爪の間が黒い。それでも噛んだ。
「ウェジャイアのキャラバン輸送で名を馳せた青簾高校の連中、第四中隊なんだが、アレは普通に戦える連中で固まってて、リーダーの人品もキチンとしている。コレが先頭だな。何かあると直ぐに喚く気質だが、嫌味なんじゃなくて瞬間湯沸かし器なタチで、思ったことをそのままストレートに口にするタイプだから、“サトーはしっかり考えている”ってことを回りにアピールしてくれるだろう。最後尾はリッテルトで対レイダー戦に堅実な成績を出してた穂村高校。第六中隊。地味で、目立たなくて、アレコレと騒がないところが俺は気に入っている。急な異変にもまずまず対処し得るんじゃないかってな。あれは職人気質のプロだ。仕事なら何でもする。やはり背はこういう奴らに預けたいってのが人情じゃないか」
「妥当なところね」サトーは家庭教師のお姉さんみたいに頷いた。「それでいきましょう。後は私の方で考えるから」
青簾高校と穂村高校はサトーの期待に応えた。前者はこの翌日から、早速、チョコマカと俺たちの様子を探りに来る敵を露払いしてはガハハと笑った。後者は、おっかなびっくりという感じで俺たちの後方へ迂回しようとする敵を早期発見、とっとと威嚇して追い返して無駄な戦いを避け続けた。両校は後にサトーの立ち上げた軍隊でまずまずのポジションを得ることになる。マニアなら名前ぐらい知ってるかもな。
敵の迎撃方針は一四日目の夜には知れた。サトーの言ったように隊列から離れて単独行動、敵情を探っていた井端らが、
「敵の大部分は例の平野に集結しつつある」――と、伝えてきたのだった。(徒歩伝令だったので、井端らが情報を掴んだのは一四日目の夕方だった。余談ながら井端らは敵の放棄した村を発見していた。そこから物資を徴発しており、身軽なので、行動が素早かった)
一五日目の、正確には日付が変わる寸前に、我々はラデンプールはプーデリア平野に到着した。敵はキャンプのようなものを張って我々を待ち受けていた。星と月しか光源がない。世界は全く闇の底に没していた。その底を僅かに照らすのは敵陣と、井端らが設営を済ませていた俺たちの寝床の周囲に置かれた松明の火だけで、実に心許ない。
しかし、その心許なさが、却って仲間たちの戦意を高めていた。こんな夜を過ごすのもこれで最後だという決意が彼らにはあった。だからこそ彼らは疲労困憊でも果敢に戦った。
彼らはサトーの指示で早く休んだ。日の出と共に急いで隊列を組まねばならないからだった。サトーや俺や七導館々々の首脳陣は夜を徹して事前に用意した作戦を可能な限り再検討した。