番外編2章10話/蕪城詩乃の手記
――レイワ三年三月発刊分の“月刊ブラスペの友”より抜粋。サトーのインタビュー。
「私が、日頃、注意していること? 何に気をつけて生きているかなんてことを人に尋ねないことね。はいはい。冗談よ。ええ」
「二つあるわ」
「ひとつは、合理性を追求したいとき、その選択が損なうかもしれない他者の感情に注意すること。どれだけ合理的な判断も、それによって毀損された誰かが存在している場合、その誰かに後から邪魔される恐れがあるから。合理的な選択をしたはずなのに非合理的な結果が出てはたまらないわ。もうひとつは単純ね。利益と倫理のどちらを優先するか。考えてみれば、世の中は、常にコレで揉めているでしょう。震災のときだってそうだったわ。復興か。死者への鎮魂を含めた被災者救済か」
「どちらかを蔑ろにしていい、って、そう言ってる訳じゃないのよ。でも、手元にあるリソースには常に限りがあって、その配分を間違えると、後からでは取り返しがつかないことも多い。最初の合理性云々の話とも関連しているんだけど、例えば、家を地震で失った人に月額幾らを支援します、そう言っていたのに、やっぱり地元企業への支援金を増額したいからって、撤回はできないでしょ。貰えるはずだった人は、この場合はお金ということもあって、それこそ感情的になって大暴れするだろうし」
「かといってリソースを五対五で均等にするのも頂けないわ。テレビを見ながら勉強するのって、なんとなく勉強した気にはなるけど、あんまり効率的じゃない訳で。それと同じよ。五対五は何も生まない。中途半端なだけ。だから六対四か七対三か。キチンと考えて判断して、その上で、四とか三の側に立たされた人には納得の行く説明をする。基本のようだけれど、これが出来ていない、出来ていないばかりに大変なことになった人を私は知っているわ」
「サトーっていう名前らしいんだけど。知ってる?」
「ああ、そう、へええ。お詳しいのね」
「まあそういうことで。次の質問。はい。ン?」
「“貴女に対する否定的な意見も多い。それについてはどう思いますか?”」
「世の中には否定的な意見なんてないわ。大人なのにそんなこともわからないの。あるのは賛成できる意見とできない意見だけよ。尤も、私に言わせれば、世の中にあるものの悉くは賛成できない意見だけれど。だってそうでしょ? どいつもこいつも、一切合切、アイツもコイツも、大人も子供もお姉さんですら、実のところ自分の意見がある人間なんて少ないじゃない。大抵の人間は自分の経験則に照らし合わせて正しく見える他人の意見を、さも自分のものであるかの如く取り扱っているだけだわ」
“月刊ブラスペの友”は、サトーの登極に伴って、それまでの季節刊から月刊に刊行ペースを上げた。“ブラとも”編集部には先見の明があったという他にない。
この時代、プロゲーマーはまだまだ職業としての認知度が低く、また貧乏学生のアルバイトだと見做されていた節があり、それらを専門的に取り扱う雑誌はほぼ皆無と言って良かった。また、それらの雑誌に向けられる世間からの目も、競馬やパチスロの専門誌に向けられるそれと選ぶところがなかった。
これらの背景には何があるか。ゲームで稼ぐということを、そのまま、遊んで暮らしている連中だと批判する向きがあった。連続震災の――ホッカイドー大震災を後に控えている――爪痕がまだ深く、明日に怯える人々がゲームに向ける関心がそもそも乏しかった。E・SPORTS連盟や各親会社の広告戦略も、スポンサーの少なさも手伝って、まだまだ控え目だった。更に言えば、連盟から競技用に指定されたタイトルの多くは歴史的な人気のあるもの、格闘ゲームやFPSや、精々がタワー・ディフェンス辺りだった。それらのファンは、なまじ熱心なファン層が形成されてから長い為、この頃には極めて先鋭化していた。排他的になっていた。悪い意味での専門化と派閥化と社会化を果たしていたのである。『初心者お断り。界隈の常識を弁えない者は界隈から抹殺しろ。古くからのあのゲーマーを知らないならば口を開くな』(左右来宮さん曰く、“バンダム・オタクっているでしょう。バノタね。あのファースト世代とかが面倒なのとそう変わりませんよ。ウチの祖母とか酷いもんでした”とのこと)
その線で行くならば、ブラスペもクセの強い、万人受けのするゲーム性ではない。それが今日に至るまで人気を博し続けているのは何故か。
槍玉に挙げられがちなのは“残酷であるから”。高校生同士の負ければ失業デスマッチが面白くない筈がない。まして万人が世間に不満を持っているようなこの時世では。同じように“戦争が派手で見応えがあるから”というのがある。また、他ゲームと異なり、英雄的なプレイヤーを数多く排出する点もしばしば指摘されるところである。
残酷さに関してはゲーム黎明期から見られた。戦争を派手なものに演出したのはサトーである。演出の仕組みを構築したのもサトーである。ゲーム内最初の、ここで言う意味での、英雄もサトーである。そして、最初に派手な戦争が繰り広げられて、サトーが本格的に英雄視され始めたのが、次の項に纏めるプーデリア平原の戦いである。
プーデリア平野は後のラデンプール県の南端にある。アメリア大陸最大の穀倉地帯であるラデンプール市の真南だ。サトーはここで、七〇〇の手勢で、ニ五〇〇のNPCと対決した。完勝とか楽勝という評価が下されることもあるが、花見盛さんは、『とんでもない。アレは辛勝だった』と語っている。
……下った時代の話になるが、サトーをヨイショすることで売上を伸ばした“ブラとも”は、そのサトーの引退後に世間から飽きられてしまう。
元々、ライバルに差をつけろ的発想、弱小出版社がニッチ層を狙ってヤケ気味に出していた雑誌だ。一発当てたことでただでさえ貧弱、工夫も熱意も見られなかった紙面が、『とりあえずサトーで埋めとけばいいだろ』的な思考停止構成となっていたので、衰退もやむを得ないことではあった。
とっとと廃刊にしてしまえばいいものを、出せば売れる時代が忘れられないのか、“ブラとも”は恩を忘れてサトーを売った。彼女に纏わる暴露話をあれやこれやと発表しまくった。雑誌の露命は、こうして、その暴露ネタが尽きるまでは繋がった。
“ブラとも”廃刊後、その基幹編集要員はアチコチに散らばったが、彼らの中には、サトーを再評価する本を著して、まあまあの売上を叩き出した者もある。
彼を卑怯者と呼ぶか、したたかと見るか、その辺りは人に依るだろう。
なんにしても、忘れてはいけないことは、サトーは英雄であった。ただし、サトーを英雄として世に広めたのは誰であるか、その辺りである。“ブラとも”に限らず、雑誌という媒体に限らず、猫も杓子もブラスペとサトーという時代が確かにあった。
より深く追求するならば、サトーは、何故、英雄になれたのかという点にも注意を払わねばならない。