番外編2章3話/我々は……(花丸)
わかんないなあ。それが正直な感想だった。どれだけ矯めつ眇めつしても分からない。
……二週間と少し前のことだ。私こと花丸時子は気紛れに思い付いた。美術館に行こう。もちろん私は絵画だの彫刻だのには興味がない。関心もない。それなのにどうして美術館に行こうと定めたか。まあ何時ものことだ。なにしろ当方は高校生である。計画性が無い。一貫性が無い。何でも気紛れで決める。決めたはいいものの実行に移さないこともままある。若いからそれが許される。JKならではの特権を行使することについて私は何の躊躇いも抱かない。どうせ大人になったらアレとかコレとかでガチガチの雁字搦めにされるんだから。あーあと偶に思う。行き付けのコンビニに据え置かれたATMがイケメン王子様に変身すればいいのに。養ってください。割とマジで。こんな生き辛い世の中に誰がした?
私は退屈と暇と――退屈と暇は似て非なるものだ。明確に区別されねばならない――、それ以上に孤独が嫌いだった。だから手帳とスマホのチャット・アプリとSNSのフォローだフォロワーだの欄には所狭しと知人友人親戚縁者の名前が並んでいる。ずらりと。雁首揃えて。その羅列を見ているだけで私は得意になることすらある。それがさして悪いことだとも思わない。
んでもって。んで。んで。とりあえず何人かの友達を誘ってみた。返事はどれも芳しくなかった。そもそも返事をしてくれない友達もいた。数日遅れで『寝てたわ』とか返事が来たりもした。ナルコレプシーなのかね君は。私は幾らか空虚な気分になった。数と質ではどちらが尊ばれるべきかという、何ていうか、私ぐらいの頭では深く考えられない、違うな、深く考えても仕方ないことが頭を過ぎった。どうでもいい。
已むを得ない。小中の友達が駄目だった。地元の友達が駄目だった。ならば同級生を誘えばよろしい。私は部活の仲間に声を掛けた。もし彼彼女らがパスと言い出したなら別の友達を誘うつもりだった。杞憂だった。詩乃が一緒に行っても良いと言ってくれた。一番の大当たりを引けて私は密かに喜んだ。
蕪城詩乃は私と同じ七導館々々高校普通科に通う二年生で、文学部の部長、ウチの学校に置いておくにはオツムの出来においても容姿の淡麗さにおいても誠に勿体ない。そもそもウチみたいな低学歴校での文学部ってどんな存在かご存知だろうか。オタク系サークルだと思って頂きたい。文学とはライト・ノベルのことです。(文学的なライト・ノベルが実在することについては、まあ、あの、一応、私も部員なので述べておくけれども、ウチの部員達はそういうの得意ではないです)
詩乃は違う。ライトなノベルも嫌いではない。漫画やアニメの話にも普通に着いてきてくれる。その上で文学に詳しい。顧問の先生が、内緒ですよと、こっそりと教えてくれたところによれば、なんと中学生の頃に、一冊、本を上梓しているらしい。中学生でねえ。本をねえ。それも真面目な方向の本をねえ。
無論、出る杭は打たれるの法則で、詩乃を嫌っている者も多い。同級生の中には詩乃をスカした奴だとか私たちのことを見下してる云々と陰口を叩いている者もいる。同級生だけではない。幽霊部員まで含めれば二四人の、まずまずな世帯の文学部内においても、彼女の存在を煙たく思っている者がいる。ワナビ野郎とかは特に。対抗意識とかいう奴ですよ。そういえば詩乃が入ってきてから部誌の発行回数が劇的に増えましてね。部誌が出る度に彼彼女らは詩乃の書いたものを隅々まで読み込んで、口先ではケチョンケチョンに貶して、心では泣いている訳です。いやはや。なんとも。もはや。全く。勝てないんだから止めればいいのに。そもそも芸術は競うものなのかね。個性を表現するもんじゃなかったっけ。まあいいや。詩乃は彼らの阿呆みたいな行動に気が付いている。気が付いていて『気持ちは分かるし』と苦笑ばかりしている。
私はこういう詩乃と友達でいるのが好きだ。
周り中から羨望と嫉妬を集める凄いクラス・メイトが友人だなんて、素敵でしょ?
もういちどだけ言っておく。私はこういう自分の性格をさして悪いと思っていない。それに私は私でこれでも遠慮はしている。邪魔したら悪いな、と、そう思うから、何時も一緒に居たいけれど、遊びに誘う優先順位を下げているのだ。執筆は時間が掛かるものだから。私は読専だから良く分からないけれど。
私と詩乃が二人で足を運んだのは、あるデパートの中に入った小さな美術館、そこで催されている特別展だった。サトーのなんたら展である。サトーと言えばブラスペ黎明期の超有名プレイヤーだ。ニワカ視聴者の私でも知っている。『美術館って聞いてたのにゲームの展示なの』と詩乃は呆れた。『たかがゲームだけどされどゲームなんだってば』と私は偉そうな口を効いた。
で、その偉そうな口を効いた私の方が先に展示に飽きて、最初はふーんてな感じで順路を歩いていた詩乃の方がサトーに夢中になってしまった。
何がそんなに面白かったのか。彼女の琴線に触れたのか。翌日以降も詩乃は何かあればサトーがサトーがサトーがと煩くなった。なんなの。どういうことなの。私はつまらない気がした。私と遊びに行ったのに、道中での私との会話とか、デパートの前に寄ったカフェでのランチとか、そういうのが無かったことになってない?
詩乃は正しい意味でも歪んだ意味でも大切な友人だ。それをサトーに横取りされてはたまらない。どうにかせねばならない。かと言って詩乃を問い詰めるのも何だか申し訳がない。
それで、――二度はないかなと思っていたあの美術館に、今日、私は改めて足を運んだ。でも分からない。やはり分からない。どの展示物を眺めても『ふうん』以上の感想が私には抱けない。アレかな。分野は違っても天才同士で惹かれあってんのかな。私みたいなのには理解できない領域かあ。
「もしもし」と、肩を叩かれたのは、私が順路の一角で難しい顔をしているときだった。ガラス越しにサトーが最初に拠点として用いたダバ何とかの当時の写真だかが並んでいる。私はあんまり急に肩を叩かれたものだから跳び上がった。鏡の中の私、トンボメガネで金髪でツインテールで微妙にオタサーの姫っぽい私も、当然のことながら跳び上がった。ツインテが許されるのは流石に高校までだよなあとふと考えた。
「ごめんなさい」我ながら謝る理由が不明過ぎる。「なんですか?」
「いいえ」私を驚かせたのはまずまず美人なポニテのお姉さんだった。お姉さんかな。私は女性の口元と目元に直ぐ注意が行く癖がある。悪癖だ。彼女のそこには僅かながら皺がある。三〇代半ばか後半か。まあギリギリでお姉さんか。レンジでチンするかお鍋でグツグツ煮てからなら食べられないこともない的な。うわ。自分で言うのも何だけど失礼だなあ。
「随分と熱心に見てたもんですから。この展示が気になります?」
「はあ」私は軽く頷いた。「それなりに。あれですよね。良い写真ですよね」
お姉さんは私と同じでトンボメガネだった。レンズの奥の目が細くなった。笑ったらしい。笑われたのかと思った。“良い写真ですよね”はないもんなー。
「サトーに興味を持ってくれる人が居るのは嬉しいですよ」と、お姉さんはいきなり言った。私は彼女がここのスタッフなのかと疑った。そうでもないらしい。胸元に係員なら誰でも提げているIDがない。それで私は失礼ですが貴女はとドラマの中でしか聞いたことのないフレーズを(一度は言ってみたいと思っていたフレーズを)口にした。
「昔、サトーと一緒に、ブラスペをプレイしていた者です」
私は目を剥いた。ほえーと思った。はえーとも思った。それはまた。凄い。語彙力が失われた。サインを貰えば高く転売できそうじゃん。
「あの」私はハッと名案を思い付いて尋ねた。「ちょうど良かったって言うと何なんですけど。実は、あの、私、サトーについて調べてて。色々と教えて貰っていいですか?」
お姉さんは良いですよと気軽に答えた。私はヨッシャと心の中でガッツ・ポーズである。サインの件も忘れていない。左右来宮ちゃんにはがっつき過ぎて貰うの失敗しちゃったからな。今度はしっかりとやろう。最近はパパからのお小遣いが少なくて困ってるし。
お姉さんは井端さんと名乗った。二人で順路を巡ることになった。そう多い訳でもない見物客の間を縫いながら、私は、『そういえばサトーは高校を出た後はどうしてるんスか』と砕けた敬語で尋ねた。私の砕けた敬語に、(ラフ過ぎた?)、苦笑しながら井端さんは教えてくれた。無難に名門大学を出た後で巨万の富を築いて何不自由なく暮らしていますよ――と。