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銃剣突撃する怒れる低学歴と悩める高学歴のファンタジア  作者: K@e:Dё
番外編1章『いちばん最初のサトーさん』
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番外編1章最終話/ハッピー・バースデー

 どうすればサトーと和解できるだろうか。俺はここのところそればかり考えている。考えているけれども答えが出ない。それで人を頼ることにした。


 ――――たった二〇〇発の、指先で摘めるような弾丸が俺たちの未来を永久に変えてから、数日が経過していた。


 引金を引いた次の瞬間に感じたのは衝撃と閃光だった。後ろにぐらりと倒れるかと思った。銃の反動はそれだけ強かった。踵が後ろへズズズッと滑るのを実感した。踏み留まった。肩へ重みと痛みがのしかかったのは数秒してからだった。肩の腱が変な具合に押し込まれたんで、動かすと、関節がグキグキと鳴った。反動の逃し方がどうもまずかったらしい。肩甲骨にテープを貼られたような違和感がそれからしばらく無くならなかった。ま、それはいい。


 光で視力を奪われた俺は意識を失いかけた。スタン・グレネードみたいなもんだな。余りに強い音と光で参ってしまったんだ。銃に縋り付くようにして立ち続けた。視界が白濁から戻ったのはどれぐらい後だったろう。最初は混乱した。白濁から戻ったはずの視界が白濁してたからな。黒色火薬が燃えるときに生み出す煙だったよ。


 それが風で晴れた。まるで俺たちにあの現実を見せびらかすためのように。タイミングバッチリでな。


 死屍累々とまでは言わない。しかし、俺たちの前方、三〇メートルほどのところで、何十人かの男たちが体中のあちこちに大穴を開けて倒れていた。腕を弾丸にもぎ取られた奴が、不思議そうな顔をして、足元に落ちている指を拾い上げた後、奇声を発するのを見た。腹に窓を穿たれた奴がいる。そいつは身体を折り曲げて腹から背中側を覗き見た。ゲラゲラと笑った。笑い終わると倒れた。悲鳴を挙げているやつも多かった。手足を無くした奴はとにかく誰も彼もが正気を保てないようだった。


 信じられないことだった。敵はただの一発で戦意をほぼ喪失していた。それも左翼だけではない。敵右翼と中央もだった。戦場――戦場? そう呼ぶべきだろう。そこは静まり返っていた。誰も一言も喋らなかった。意味のない喚き声と絶叫だけが木霊した。サトーすらしばらく茫然自失としていた。俺は意味もなく足元を見た。踵のところに即席の土の山が出来ていた。踏み潰した。なんとなくそうせねばならない気がしていた。


「あ」と、サトーは我に返ったのは射撃から何十秒後だったろうか。


「再装填……」


 思い出したようにサトーは命じた。俺たちは「ああ……」とやはり思い出したように応じた。俺もそうだったが、七導館々々高校の面子、それらは小首を傾げながら再装填した。敵はそれをボーッと見つめた。彼らに変化があったのは俺たちが射撃準備を終えたときだった。彼らはワーと恐怖を声の形にして喉から射ち出した。一目散、算を乱してとはあのことだろう、連中はいきなり潰走した。背中を見せて走り出した。そこへ俺たちは射撃した。サトーに言われるがままに。


 現実感とかいうものが全く麻痺していた。だから気が付いた。不発を起こしている銃が全体の一割かそこらあった。これは改善しないとならんだろう。ああ、――暴発したのがある。銃身が中から爆ぜた。その勢いでその銃を握っていた奴の腕の肘から先が吹き飛んだ。肘から噴出した血が周囲に、校庭にある散水スプリンクラーに似ていた、巻き散らかされた。爆ぜて粉々になった銃身の一部がそいつの目の中に飛び込んだ。より精密には瞼をぶち抜いて飛び込んだ。破片はそのままソイツの脳天まで貫いた。後頭部すら貫いた。頭蓋骨が内側から割れるときの音は“ピシャッ”であると俺は知った。骨の折れる音よりも脳髄の飛び出る音の方が大きい。無論、粉々になった銃身の欠片は銃の持ち主だけではない、四方八方に飛び散った。何人かが悲鳴をあげた。死んだ奴の手にしていた銃に誰かが桶に入っていた水をぶっかけた。(水が地面と死体に跳ねて他のヤツの火縄を消してしまったりもした)


 初撃で故障した銃も多かった。銃身の底に封をしているネジ(尾栓ネジ)が火薬の爆発力に耐えられず、割れる、或いはシャンパンを開封したときのコルクのように飛び出してしまったりしたのである。飛び出たネジは物理法則に従って銃手の胸とか頭とか腕とかに飛び込んでいる。可哀想に。それが為に死んだ者も勿論ながら居た。ネジは加工が難しい。形状からして一筋縄では行かない。あんな複雑な形のものに耐久力を持たせるのはもっと難しい。


 更にサトーは再装填を命じた。俺たちはまだ呆然としたまま作業をしていた。サトーだけがもう完璧にクールだった。


 俺たちは奇妙に慌てていた。だから装填作業中にも事故が起きた。槊杖を使っているとき、ある馬

鹿が、誤って引き金を引いてしまったのだった。奴は左手で槊杖を使っていた。右手で銃を支えていた。その右手が引金付近に置かれていたのである。馬鹿め。奴は自分で自分の頭を撃ち抜いた。火縄は周囲の奴が慌てて踏み消した。


 俺はそんなドジは踏まなかった。――嫌になった。“ドジを踏む”とか“馬鹿”とかいう表現を仲間に躊躇いもなく使った自分に。『火薬の扱いを間違えれば死ぬ。仲間も殺してしまうかもしれない。あれほど注意されたのに』はどこまで免罪符になるだろうか。


 背中側から浴びせられた二射撃目で敵は完全に潰走していた。潰走すると何が起きるか。渋滞だ。奴らは大体が同じような方向に逃げた。すると、ぶつかる、コケる、コケた奴に脚を取られてコケる、このようなヒューマン・エラーが多発する。効率的に逃げる事ができない。俺たちは考えてみれば憐れな敵に三射目を叩き込んだ。


 威力も確かに恐ろしい。だが、それ以上に、火縄銃はその音と光とが相手を脅かす。レイダーどもは水平方向から飛来する雷を浴びせられたのと同然だ。耐えられるように予め訓練されているか、俺たちのように、逃げ出せば殺す――というような制度が整っていなければ、生身の人間、それが銃の一斉射撃に正面から突っ込めるはずがない。


 そこから先は一方的な展開だった。サトーはプレイヤーとNPCたちに発破をかけた。逃げる敵を追い立てろと言うのだ。


 俺は斧を抜かなかった。銃は重い。持ち運ぶには危険でもある。そのままの位置に残す。火縄を慎重に踏み躙る。鎮火する。次に射撃するときは踏んだ部分を何かで切断してから着火する。これぐらい丁寧に鎮火しておかないと、火種が残っていた場合、大変な事故に繋がる。俺は馬車の陰に立てかけてあった槍を握った。


 なぜ槍を選んだのか。


 斧の時代は終わったと思った。


 これはもう俺の知っているブラスペではない。サトーは本当にこのゲームで戦争を始めちまった。そう思った。


 個人と個人が武勇を競う。その優劣で戦闘全体の結果が変わる。一人の英雄が戦場を支配する。その時代は終わった。いつか終わるのだろう。サトーが終わらせるのだろう。俺は夏川先輩らとそのように談笑していた。実際にやってくるとショックだった。これからは一人で出来ることなど高が知れている。規格化の時代が来る。どいつもこいつも似たような武器で武装する時代が到来する。斧など二度と振る機会は来るまい。


『斧ですか?』と、俺は何ヶ月か前の会話を唐突に回想した。


『そうだ』と、俺に高木先輩や夏川先輩が半ば強いるように言った。


『お前は図体が大きくなってきたしな。威勢も良い。斧を使え。斧は格好良いぞ』


『……そうかなあ?』


 時を置かず雨が降り出した。俺たちはレイダーたちを蹴散らしながら前進した。不思議なものだった。雨で脚を滑らせる奴が皆無だった。誰もが勝利に酔っていた。出来ればこの勝利に一秒でも長く浸って、関連して、それから何年かしたら“俺はあのときあの場所に居たんだぜ”と自慢したいと思っていたのだろう。俺からしてそうだった。人間の心理などこのように簡単に入れ替わる。西から東へ。東から西へ。太陽と同じようには行かない。


 命乞いをする奴に対してもサトーは容赦しなかった。慈悲はなかった。レイダーたちは平野の奥へ奥へとひたぶるに逃げる。雨は比喩でなく一秒ごとに強さを増した。レイダーどもの流す涙は雨に紛れた。涙が見えないとな? 殺し易いんだよ。罪悪感が薄れるからな。


 だから戦争をやるなら雨の日がいい。


 レイダーたちはやがてある川辺へと追いやられた。川は増水していた。流れも速い。とても人間の身体では渡れない。橋は遥か遠くだ。レイダーの大半が投降した。奴らは狂乱していた。士気が崩壊するとはこういうことなのだ。冷静になれない。冷静になれないから隊形を組み直せない。人数と武器と経験とで敵に優越していようとも関係がない。許しを乞う。面白い光景だ。見るのが一度だけであるならば。一度だけであっても数分で飽きる。


 この昔話の、最後の問題が、それから起きた。


「皆殺しよ」と、サトーが命じたのだった。皆殺し? 俺はその意味を解しかねてサトーに尋ねた。レイダーどもは一箇所に纏められていた。武器を捨てさせられている。自分たちの将来に不安を抱いている表情だった。とても数時間前まで獰猛で凶暴だった連中だとは思えない。彼らを取り巻く仲間たちの多くはむしろ死んだような表情だった。少数ながら顔を赤くしている奴らもいる。友人知人を殺したレイダーがまだ生きていることに立腹しているらしい。それを慰める仲間たちもいたりいなかったりした。


 アイツらを皆殺しにするってか。流石にアイツらも抵抗すると思うぞ。そうなれば、負けるとは思わないが、コチラもただではすまない。そもそもそこまでしなくてもいいのではないか。俺はそのように反論した。サトーは俺の他に数名、藤川とその班員たちを連れて、レイダーどもから数十メートル離れた木立の下に居た。雨はいよいよ強くなってきていた。程なく雷雨になるように感じられた。風も強い。


「いいえ」サトーは頭を振った。栗色の髪の毛が風と雨にはためいている。


「まさか全員を殺しはしないわ。優秀な戦闘員もいるから。殺すのは親玉達だけよ」


 藤川に命じて、サトーは例の畠山以下数十人のレイダーたちを引っ張り出させてきた。奴らは手足を縛られた状態でサトーの前に座らされた。どいつもこいつも毅然とした表情だった。畠山などは自分の部の仲間だけは見逃してくれと訴えた。サトーは答えなかった。藤川は奇妙に尊大な態度で畠山を黙らせた。殴ったのだった。


 コイツらを皆殺しにするという。指揮役を殺すことで相手の心理を徹底的に折る。それはいまこの場で執行されねばならない。奴らの目の前で無ければ意味がない。我々が本気であることをアピールするのだ。


「後顧の憂いは」と、サトーは何時だかと同じ言葉をことさらに用いた。


「絶たねばならないわ。畑山たちが居なくなればレイダーは求心力を失う。もう二度と団結しない。できない。それどころか小集団で行動することもままならない。この戦いの恐怖が忘れられないから。まとめ役がいなくなるから。私たちに楯突く気が無くなるから。終わりよければ全て良しと言うでしょ。これは必要な仕上げなのよ」


 野蛮だ。俺は掛け値なしにそう考えた。変な笑いがこみ上げてきた。興奮からレイダーどもをぶち殺して回っていた俺の言えた義理ではない。それはわかっている。それでも野蛮であることに変わりはない。大体からして俺たちはもう興奮していないぞ。至って冷静だ。冷静な状態のまま大量殺人をこなせと? 他に道はないか?


 何もかもが分かってはいた。最終的にはサトーの意が迎えられる。反対するだけ無駄だ。否、俺も後からサトーの正しさを認めるのだろう。サトーは正しい。ある意味では。そして、ある意味では、間違っている。ある意味ではか。便利な言葉だ。畜生め。この世に一〇〇パーセント正しいことはない。事実ですら観測した人間次第で幾らでも捻じ曲げられる。あの解釈とかいう奴だ。たわけた話だ。


 俺は感傷的な性格なのだろうか。殺人を時に楽しんでいる。認めよう。一方で人が死ぬのを極端に恐れている。認めねばならない。自己観察すればするほど卑怯な男だ。余裕があるときは善人ぶっている。そうでないと途端に冷淡になる。自分のことを優先する。あの馬車のときにも実感した。嫌になる。(というか、俺はこの戦いが始まる前に、“こういう結末になるかもな”と考えられたはずだ。否、考えたはずだ。ちらりとでも。それなのにこの戦いに付き合った。しかもこの戦いを明らかに満喫しもした。俺のどこにこんなことで悩む資格があるのだろう。誰かがサトーを止めねばならないなどガキの戯言ではないか)


 この先、俺たちがより――より良い? わからないな。わからない。より安全にこのゲームを続けていくのであれば、その意味からすれば、サトーは正しい。そういう意味からすれば俺の感傷はただの滑稽だろう。


 人道に重きを置くのであれば、その意味からすれば、俺は正しい。そう思いたい。自己弁護かもしれない。それでもそう信じたい。そういう意味からすればサトーは残酷な女ということになる。


 畢竟ずるに自己満足なのではないか。俺は自己の満足を、平生、あれだけ大切だ、仲間だと、そう主張している仲間たちの安泰な将来よりも優先しようとしているのではないか。ちっぽけなヒューマニズムと向こう数年に渡って学費に困らない生活と、なあ、どっちが大切だ? 見ず知らずのレイダーどもに温情をかける自分はそんなに格好良いかい? 天国の両親や彼女はさぞ喜んでるだろうな。


 ふと俺は勘付いた。


 高木先輩の死をサトーは事務的に処理した。


 それと本質的には同じことを俺は、いま、しているのではないか。


 そうなのではないか。そうなのだ。サトーと俺は根底では似た人間ではないか。だから――――


「花見盛君」


 サトーは雨よりも冷たい声で呼んだ。


「私のために」と、彼女はことがここに至って公私を混合した。


「殺して。貴方の手で。お願い」 


 命令なら反発したさ。どうしてお願いなんだ。私のためにだと。畜生め。女はこれだから嫌いだ。畜生め。畜生め。あのひともよくそんなことを口にしていた。『私のために――してくれるかい?』って。するするするするって俺は何時でも即答した。ひとつもしてあげられなかった。彼女はだから死んだのかもしれない。


 俺は依然として敗者らしからぬ敗者たちに槍の穂先を向けた。そこで気が付いた。


「お前……」


 畠山の隣に見知った顔があった。名前は知らない。顔に仄かな見覚えがある。これという特徴のある顔ではない。それでも微かな面識を思い起こせたのは何故か。


 サトーと最初にあった日、俺に命乞いをしてきた、あのフルプレートアーマーのレイダーだった。彼は俺と目線が合うと笑った。ハハハと乾いた笑い声を出した。あのときと同じように命乞いをした。俺は立ち尽くした。あのときは許してやった。許してやった? 人が人を許す? 殺す? 殺さない? そんなことを決める権利があるのか。


 情けない。俺は情けなくて涙を流した。この涙も雨に紛れた。鼻水が出てきた。啜った。長いこと雨に打たれている。寒い。寒かった。目の端が塩分とかで切れていた。痛かった。俺は武器を捨てた。嗚咽を漏らした。誰かに許しを乞うた。もうとっくに遅い許しだった。乞うたところで許してくれる者などこの世の何処にもいなかった。


「花見盛」俺の肩を藤川が叩いた。奴の目には炎が燃えていた。ただし、その炎の色は黒かった。


「サトーが間違ったことを言ったことがあるか? サトーは絶対に正しい。お前がやれないと言うならば――」


 藤川は手にした剣を振るった。畠山の首がチョンパされた。


「――俺が殺る」


 藤川だけでなかった。奴の班員らも身動き出来ないレイダーの親玉どもに殺到した。奴らの中には殺す前に敢えて手酷く痛め付ける者もいた。俺はそれをただただ見守った。サトーは顔を手で覆っていた。サトーも、もしかすると、泣いていたのかもしれない。理由は何だろうか。わからない。考えたくもない。


 戦争は雨の日にやるものではない。


 人が人であるか。そうでないか。それは涙を流すかどうかでしか判別できない。


 雨の日にはその判別が出来なくなる。――――――


「それで私に相談という訳か」


 夏川部長は苦笑した。彼女の見詰める先には輪郭の朧な円形の、少し溶けたキャンディのような、隣近所との境界が不確かな光に装飾された夜の町があった。サトーならばあの町の様子を浮華と断じるだろう。俺はそんなことを考えた。そんなことを考えるぐらいにはサトーにお熱だった。


「ええ」我ながら気障な場所を選んだかなと俺は後悔しなくもなかった。


「サトーとはもうどれぐらい話してないんだ」


 先輩は面白がるように尋ねた。この丘は標高が高い。ただでさえ今日のタマは風が強い。夏の終わりというよりも秋の始まりを感じさせる肌寒さを俺は覚えた。先輩も少し寒そうにしている。彼女は、なにしろ昼間からいきなり呼びつけてアチコチに盥回し、こんな時間になるとは思わなかったろうから薄着であった。俺は俺の上着を先輩に貸した。先輩はそれを仰山なものでも受け取るかのように手にした。


「お前」先輩は不機嫌なのか喜んでいるのか判然としない態度だった。「こういうことはサトーにしてやれ」


 しかし、彼女は俺の夏用のジャケットに袖を通した。俺は意外だなあと思った。袖が余っている。少しではない。かなり余っている。この人はこんなに小柄だったろうか。


「それで?」先輩のメガネのレンズに都会の営みの色が写り込んでいる。先輩はあくまでもその景色に目線を注いでいた。


「あれ以来ずっとです。家にはいるんですがね。一言も喋っていない。顔も会わせない。食事も別に摂っている。最初は、そう、最初は、二人分を作っても食わないんでね、アイツが。俺が二人分を食べてました」


 先輩は目を細めた。「私はタイガー・ラーメンを食べさせられて、変なバーに連れ込まれて、それから惚気話を聞きに連れ回された訳か」


「冗談じゃないですよ」俺は肩を竦めた。「材料代も勿体ない。真剣な問題です。結局、サトーの奴、最近は自分の部屋に飯を持ち込むようになったんですけどね。食べ終えた後の皿なんかを片付けないんですよ。部屋に入ると怒るし」


「お前なあ」先輩は頬を掻いた。「お前、実は、実のところ、朴念仁だろう。私は知っているぞ」


 俺はすみませんと頭を下げた。いいよと先輩は鼻で俺を笑った。そういうところがだから朴念仁なんだと先輩は愚痴るように歌うように言った。


「お前はどうしたいんだ?」


 先輩は錆びた手摺の表面を指で叩いた。俺たちの居る広場に他に人気はなかった。点いたり消えたりする電灯が俺たちの影を長くしたり短くしたりしていた。長くなった影は夜の闇に溶けてしまう。短くなるとその闇の中から戻ってくる。影も暗闇の中を一人で進むことを怖がるものなのか。これは大発見だな。


「わからないから先輩を煩わせてしまった訳で」


 俺は後頭部を掻いた。


「何よりもまずサトーがわからない。アイツは何なのか。そもそもどういう奴なのか。このところ気味が悪い気すらする。二重人格のようで」


「人は誰でも二重人格だろ、花見盛。お前だってあるときとまたあるときではぜんぜん性格が違う。もちろん私も。時間の経過に従って性格は変わるものだしな」


「それはわかってます。わかってるんですが、それにしても、軸がね、ブレている気がする。サトーは。表と裏のギャップがあまりにも激しい」


「それはお前」先輩はそこまで言って急に深く息を吸った。それから深刻なことを告げる声色で、


「それはお前、それは、お前に甘えてるんじゃないか?」と言った。


 俺は顎を撫でた。「そう考えていた時期が俺にもありますけどね」


「ありますけど何だ。荷が勝ち過ぎるか? だとすればお前こそ甘いことを言ってるな。サトーに甘え易い環境を作ったのはお前だぞ。っていうかな、サトーは、私たちにはお前のいわゆる“表の顔”なんて見せない。いや、お前が居るときに妙に変な態度で絡みに行っているのを見たことはあるよ。だが、私たちに向ける態度と、お前に向ける態度、奴のそれは明らかに違う」


 先輩は柵を握ったまま体重を後ろに傾けた。身体が斜めになる。空を見上げた。眉を捻じ曲げながら、


「アイツにも色々あったらしいからな。荒木は口が軽い。何でもかんでも直ぐに人に話す。私も聞いた。お前もどうせ聞いただろう?」


 俺は頷いた。先輩はだったらと俺の方をこの広場に来てから初めて見た。夜景なんて目ではないほどに綺麗な笑顔だった。


「お前が支えてやることだ。アイツは危うい。確かに。私もずっと思っていた。いや、ここだけの話、私はサトーを信じている。評価もしている。奴は正しい。しかし、危うい。はっきり言えば好いていない。嫌いですらあるかもしれない。人として好きかどうかはヤツへの評価とはまた別だ。そこを混同しないように注意しているがな。思うに、花見盛、お前じゃないとアイツは操縦できないよ。そして操縦できなくなったアイツはとんでもないことをやらかすだろう」


 俺は溜息を吐いた。実は同じ結論を俺も抱いてましてねと漏らしてみた。そうだろと先輩は腕の力で姿勢を元に戻した。


「結局、お前らは、私が言うのも何だが、お似合いだよ。お前は善良だ。世話焼きが好きでもある。口ではなんと言っていてもサトーを見捨てられる筈がない。サトーも善良ではないが純粋だ。少なくともアイツはアイツ自身には素直だからな。そして一人ではどう考えても生きていけない。生きていく能力がない。アイツは強いけど弱い。それだけだ。それだけのことだろう。――私から言えるのは以上だ。どうだ。参考になったか」


 俺は頷いた。先輩はそれならとっとと帰れと俺の背に蹴りを見舞った。それで仲直りをしろと促した。彼女は俺のジャケットを『これは相談料に貰っていいか』と言い出した。俺はそれを冗談だと思って『欲しいなら』と返した。彼女は本当に俺のジャケットを持って帰ってしまった。


「サトーによろしくな」と、その日、別れ際に彼女は言った。


『サトーがお前も高木も奪ったんだ』と、一年後、死に際に彼女は言った。


『本当なら私のものになるはずだったんだ』


 ……帰りの電車は混んでいた。遅延があったからだった。遅延の理由は人身事故だった。女学生が二人して急行に飛び込んだらしかった。駅のプラット・フォームで、その旨の放送があったとき、その日の生活に追われている人々は舌打ちをするかスマホでSNSに愚痴を書き込むかした。そして、その愚痴が熱心な同意を集める。人の命の価値はスクロール一回分、五分間の暇潰し、逢ったことも見たこともない、名前すら知らない、そんな相手の生き死にに敏感になれるほど人は強くも賢くもない。『人身で電車が遅れてる。最悪。』『大変だね』『災難だね』『電車を止める奴らって他人への迷惑を考えて無いんだろうね』


 一理と一理もないの狭間を俺たちは生きている。若しくは行き来している。


 理性と感情はどこで折り合いをつけるのが正解なのだろうか?


 帰宅途中、サトーへの手土産が必要だなと、そう思い立った。今日は何も言わずに出てきている。このところずっと悪いなと思っていた。サトーは自分から謝れない性格だ。否、サトーにも謝って欲しいことは確かにある。だが、それ以前に、まず俺の方から謝らねばならないことがある。で、手ぶらで謝るのはどうも極まりが悪い。


 家のあるアオバダイの何駅か前の、寂れたというか、鄙びたというか、ある田舎町に何かビビっと予感を感じて降りた。駅前に可愛らしいケーキ屋があった。ホビットかなにかが住んでいそうな店構えだった。両隣がコンビニと一〇〇円ショップなのが惜しい。俺はその店が閉店準備をしているのを目撃した。躊躇した。滑り込んだ。店員は迷惑そうな顔ひとつしなかった。おばさんだった。


「ケーキは贈り物ですか?」と、尋ねられた。


「はい」と、俺は反射的に頷いた。


「彼女さんでしょ」と、おばさんは勘繰った。


「いやそれは」と、俺は手を振ろうとした。


「いいのよ。わかってるんだから。名前は」と、おばさんは食い気味に尋ねた。  


 サトーと発音しそうになったところで気が付いた。とんでもないことに気が付いた。


 俺は彼女を名前で呼んだことがない。名字ですらない。ずっとサトーと呼んできた。ハンドルネームのような。渾名のような。それで呼び親しんできた。いつの間にか慣れてしまった。狎れすらした。俺は一人でニタニタした。おばさんはそれを早合点した。恥ずかしがらないで言ってみなさいと子供でも綾なすかのように言った。


「かなで」俺は口にしてみた。すっきりとした言葉の響きだった。とてもサトーの名前とは思えない。あいつには似合わない。あいつはやっぱりサトーだなと思った。


「かなで――です。ああ、そうだ、あのですね、大切なことを思い出した。もし可能なら……」


 おばさんは店を出るときにこう俺に注意した。『気をつけてね。ここのところは不審者が増えてるから。彼女さんに逢うまで殺されるんじゃないわよ。嫌よね。最近はこの辺りにも外国人が増えてるからね。ヒノモト人と違って何をするのかわからない連中だから。今度は彼女さんと来てね』


 電車からタクシーに乗り継いで家に戻った。変に緊張していた。自分の家に帰るのにどうして緊張するのか。自分の家か。そうか。ここは俺の家か。彼女の家ではなく。


 鍵を開ける。扉を開ける。視界が開ける。玄関は狭い。暗い。人気を感じない。靴箱を開ける。サトーの靴は(なにしろ絶対数が少ないので解り易い)あった。靴を脱ぐ。向きを揃える。上がり框を踏むとそこは直ぐにダイニング・キッチンである。電気を着けた。ダイニング・キッチンからは何時もサトーと食事をしたり無駄話をしていた居間、それからサトーの専有している部屋、その両方に扉が繋がっている。俺は居間の方の扉を開けた。引き戸である。床が冷たい。


 サトーはいなかった。俺は肩を落とした。どうも不安だ。嫌な予感がする。彼女が死んだときにもこういう気配だった。静かだった。


 俺は焦燥感に苛まれた。つまり俺はサトーをそういう相手として見ていることがそれで明らかになった。先輩の言った通りだ。俺はサトーを見捨てられない。あいつは放っておけない。どれだけ殺してやりたいと思っていてすら、最終的には、それ以上に、側で面倒を見てやりたいという気がする。してくる。それを愛と呼ぶか。恋と呼ぶか。それはわからない。愛情の形は人それぞれだと語る人もいるだろう。歪だ、依存だ、それは愛ではないと否定する人もいるだろう。


 俺自身ですら確かなところはわかっていなかった。ただ俺はサトーの部屋の扉をぶち破る勢いで開けた。電気が着いていなかった。サトーは? 姿は見えない。とりあえず首は括っていない。俺の背から差し込む光を頼りにサトーを探す。直ぐに見付けた。ベッドが膨らんでいた。奴は毛布を頭まで被って丸くなっているらしかった。俺はゾッとした。死んでないだろうな。生きてるだろうな。


 大股でベッドに歩み寄るとまたゾッとした。足元にねっとりとした液体が広がっていた。俺はサトーを包み込んでいる布団に手を急いで掛けようとして、


「……。……。……。」


 布団が緩やかに上下しているのに気が付いた。ホッと胸を撫で下ろした。ならば無理に引き剥がすこともない。


「おい、サトー」俺は居住まいを正した。額の冷や汗を拭った。「どうした? 具合でも悪いのか」 


 返事は無かった。俺が改めてサトーと呼ぶと奴は布団の中から「べー」と返事をした。べーって。俺は苦笑した。なんとなく良かったと思った。何がだ?


「遅かったのね」サトーは詰問する口調だった。


「ああ。悪かった」


「今日が何の日だか覚えてる?」


 俺はあーと唸った。覚えていた。というよりも、土壇場で、あのケーキ屋で思い出したのだった。


 二人で出掛ける予定の日だった。


 サトーの誕生日だった。


「ごめんよ」俺は素直に謝った。


「ふん!」サトーは露骨に拗ねた。


 とても人様にはお見せ出来ない問答はそれから一時間余り続いた。どこへ行ってたのと彼女は尋ねた。いや別にと俺は言葉を濁した。卑怯なのねと彼女はぶーたれる。俺はすまないと謝る。謝るぐらいなら本当のことを言いなさいと彼女は語気を荒げる。実は夏川先輩と表に居たと俺は白状した。ああそう? と、サトーは冷笑したようだ。


「それは楽しかったでしょうね。人との約束をすっぽかして。さぞ楽しかったでしょうね!」


 サトーは布団をバッと内側から弾き飛ばした。お前、そんな服、持ってたか? というか、お前、化粧とか出来たのか。


「今日のために」サトーは言い差して止めた。本気で頬を膨らませた。


「謝って」


 俺はたまらなくなってきた。サトーはぷるぷると震えている。俺は我慢し切れなかった。アハハハと腹を抱えて笑った。サトーは両腕を振り回して俺の身体を殴り倒した。ポカポカと。大したことない力で。


「ごめんよ」と、俺はサトーが息切れしてベッドに腰掛けたタイミングで言った。


「今度だけは」サトーは腕を組んだ。そっぽを向いた。赤い顔で言った。


「許してあげる」


 それから俺たちは居間で買ってきたケーキを食べた。サトーはそのケーキを見るなりどういう訳か血相を変えた。その後、俺はサトーからいろいろなことを聞いた。彼女の家のことを聞いた。お父さんのことを聞いた。彼女と俺しか知らないような話も無数にある。しかし、そのとき、どうして彼女がケーキを食べながら泣き出したのかについては最後まで教えて貰えなかった。


 当時、――――俺たちの世代にはこんな共通認識があったことを、この話の締めくくりにしたい。


 俺たちは明日を信じていた。


 今日よりも絶対に良くなると。


 悪いことは何時までも続かないと。


 だから全てを賭けて駆けられた。


 それが、言ってしまえば、俺がこの長話をした最大で唯一の理由だ。

  


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― 新着の感想 ―
[一言]  恥ずかしながら、帰ってまいりました(何)  実を申しますと、完結してから今の今まで番外編には手を付けてなかったです。申し訳ない。どうも最近脂っこいものが苦手になってきまして…。箸休めに色…
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