番外編1章39話/いちばん最初のサトーさん(16)
冬に出会って春に死別れた。俺と彼女の桃色遊戯はたった二ヶ月のことに過ぎない。たった二ヶ月だ。彼女からすれば本当に遊戯だったのかもな。坊やだった俺からすれば? 言うまでもないだろ? 刺激的な日々だった。あんな日々が何時までも続くと信じていた。彼女は俺の全てだと信じてもいた。彼女がどうして俺に優しく親切にしてくれるのか、その理由すら考えないままに。自分の細い腕で抱く彼女を幸せに出来ると自惚れていた。
だから彼女の死んだとき、まず、俺は裏切られた――と、そう思った。そんな自分がとんでもない野郎だと気が付いたのはかなり後になってからだった。
俺は彼女に対して取るべき態度、礼儀、それを、彼女が死んでから一ヶ月程でようやく決めた。それまでは揺蕩っていた。彼女に殉じるか。そうでないか。如何にも思春期の多感な男の子って感じさ。
で、結局、俺は忘れることを選んだ。元より彼女との思い出の九割はベッドの上でのことだ。後の一割は、何もかもが汗と夜に溶けたような疲労感に包まれながら、キッチンの机で頬杖を突いて、珈琲のミルがガーガーと喚いてるのを眺めてたことかな。(そういうことを終えると彼女は必ず俺に“一杯、入れてきて”と頼んだ)
俺は彼女のことを余り思い出さない。俺自身が薄情な男だからということもある。いま言ったように思い出すような思い出がそもそもないというのもある。だが、それ以上に、そうしないと生きて行けないことに気が付いてしまった。もう二度と会えない人のことを常に思い出し続けるのは精神的拷問に他ならない。会えないんだからな。どれだけ想っても会えない。過去は変えられない。折り合いを着けていくしかない。俺は彼女のことを余り思い出さない。思い出さないようにしている。――――
つまり、命の価値とは、それなのだ。
死んでいく人間には死んでいく人間の辛さがある。残される人間には残される人間の辛さがある。それらの辛さは解消されない。軽くなることはあるかもしれない。それでも、一生、消えることはない。
誰かが死ぬということは誰も得しないということを意味する。そのはずなのだ。人の死を純粋な意味で娯楽に出来る奴がいるとは、少なくとも俺は、信じられない。どれほど娯楽にしている風に振る舞っている奴でも、内心では、せめて幾ばくかでもいい、罪悪感に苦しめられていると信じている。人が死ぬなんてことはろくでもない。可能な限りは回避するべきなのだ。俺はそう学んだ。自らの体験からそう学んだ。誰もが同じ結論に達しないのは理解している。それでも自分の考えが間違っているとは思わない。
……彼女が居なくなってから数ヶ月、居場所と慰めと実入りを求めて、俺はゲーム・プロのライセンスを取得した。ゲームを選んだ理由はわからない。現実に向き合うのが嫌だったかもしれない。中学時代、バカタレだった俺が進学したのは七導館々々高校、俺と同じようなバカタレの集まりで、最初は『コイツら大丈夫か』と思うこともあった。部の仲間たちのことは特にそう思った。どいつもこいつも、なんていうか、癖が強くないか? と。
なあ、ところで、バカタレ高校に進学してくる奴には、大抵、訳があるんだよ。訳は訳でも言い訳かもしれないけどな。
夏川先輩んちは貧乏だからな。まともな教育を受けてない。受けられなかった。高木先輩も加藤先輩も同じだ。震災で両親を纏めて亡くしている。ともすると学校に行くなんかより新聞配達で小銭を稼がなけりゃならなかった彼らの中学時代、想像してみろよ。寒い日も暑い日も台風の日も雪の日も。それらの中で。それらに向かって。彼らは文句も言わずにチャリを漕いでた。
彼らには人の痛みがわかる。自分自身が傷付いた過去を持っているからな。だもんで、俺は部に、信じられないほど素早く馴染んだ。彼らは踏み込んではならない最後の一線には決して踏み込まなかった。それでいて必要なときは必要なだけそばにいてくれた。
雨の日に――雨の日にな? ワケもなく外に出ていたことがあるんだ。嘘だ。ワケはあった。春の嵐の中でないと一六歳の男の子は泣けないんだよ。雨の中でしか泣けないんだ。そのとき、いきなり、後ろからヌッと傘が突き出されてね? 高木先輩だった。もう既に俺のことを嫌っていた癖に『風邪を引くぞ馬鹿野郎』と俺を叱ってくれたよ。
荒木と井端もあれで良い奴らでね。俺が物憂げにしていると、いきなり、隣で夫婦漫才を始めるんだ。俺を笑わせるためだけに。加藤先輩は、昼飯、何回も奢ってくれた。金がないときだった。あの人、金の無い奴をな、どういうカラクリか見抜けるんだよ。部の貧乏人を集めて焼肉に連れて行ってくれたことがある。その度に『別にこのぐらいなんでもないさ』って言うんだ。本人もそんなに金持ちじゃないんだけどな。
みんな良いやつだ。副部長に、何回、学校で迷子になって迎えに来て貰ったかわからない。怪我がなくて良かったって心配してくれるのさ。屋敷先輩も、ホラ、な? 変人だよ。喋ったことはまともにない。でも、最初の宴会のときだったかな、端でおずおずしてた俺の首根っこを掴んで皆の輪の中に連れ込んでくれた。感謝している。
『花見盛!』と、何かにつけて気を遣ってくれたあの時期の部長には感謝しているよ。人の名前を犬みたいに連呼するのはどうかと思ったけどな。花見盛。花見盛。花見盛。
心の空白を埋めるためにも俺は強くならねばならなかった。鍛えた。ゲームの中でもゲームの外でもな。毎日、ボディビルダーかっつうの、腹筋だの背筋だのに精を出した。ここだけの話、中学時代の渾名はもやしだった俺がこんなイケてるメンズになれるだなんて、筋トレはマジで神だな。(そういえば鬱っぽさも本当に減った)
“ハルコンネの英雄”とかいう恥ずかしい渾名が着いたのは五月の末だった。
七導館々々高校は何時もの如くあるキャラバンを護衛していた。ところにレイダーの大群が襲撃してきた。計画的なものではない。遭遇戦だった。不意を打たれた。相手の数の方が圧倒的に多かった。俺は仲間たちを守るために殿になった。というよりも強引になってしまった。部長は全員で逃げることを提案した。俺はそれだと追い付かれると主張した。一人でなんとかして見せると彼女の制止を振り切って敵の矢面に立った。
高木先輩が着いてきてくれた。彼は俺と同様に部長の制止を振り切り、無言で俺に追い縋ると、迫りくる数十倍のレイダー相手に剣を振るった。
俺が高木先輩に嫌われたのはまさにこの一事に依った。『勝手なことをしやがって!』と――ハルコンネとは森の名である。俺たちは狭隘な地形を利用して敵を食い止めた。まさに辛うじての成功だった――、全てが終わった後で高木先輩は俺を怒鳴りつけた。殴られもした。てめぇが死んだらどうなるか考えろと彼は泣いてまでくれた。
なんだかんだ、喧嘩をしながらも、俺が高木先輩を尊敬して止まないのはそういう経緯があった。彼は俺に大事なことを教えてくれた。俺の人生観、死生観、それが形成されるのに、彼は多大な影響を及ぼしている。偉大な先輩だ。
その高木先輩が死んだ。レイダーに殺された。