番外編1章37話/いちばん最初のサトーさん(14)
『相手に渡す情報は一ミリでも少ない方がいい』
それがサトーの持論だった。正しいと俺は思う。例えばココに三〇を過ぎて独身の、収入も少なく生活力も乏しい男が居たとしよう。唯一、彼は顔がいい。その彼がモテモテになるためにはどうすればいいか。顔の良さだけを徹底的にアピールするのだ。プライベートのことは適当に誤魔化す。
誰かを陥れたいときや有利な立場を確保したいとき、重要なのは、このように彼我の握っている情報量の差である。――わかるだろ? 特に一度でも真剣な恋をしたことがあるならわかるはずだ。恋愛とは互いに嘘を積み重ねた男女の間でだけ成立する虚しい幻想に過ぎない。真実の愛は粘膜と粘膜の擦れ合う瞬間にしか存在しないものさ。
サトーはレイダーの代表者(畠山という名前だった)の求めに従った。今後の見通しについて相談するべく面会したいというのが彼の求めだった。出来れば密会で。三都市同盟間で情報共有をされる分には結構ですよ。しかし、ラザッペにはご内分に。お分かりですね?
『花見盛君』と、指名された俺は畠山と交渉した。ウチのボスは密会には積極的ですよ。今後のことについても良く分かっている人ですから。ただ、そちら側も誠意を見せて頂きたい。一方的な関係はお断りする。そういうことなら我々は今後はラザッペの側に味方するでしょうな。
いやいやいやいやこれはこれは。もちろんですとも。それでどのような誠意を我々はお見せすればいいのです? と、畠山は大仰に尋ねた。俺と畠山はこのとき電話越しに話をしていた。だからまだ彼の顔を俺は知らなかった。山賊みたいな奴だろうなと声の感じから想像していた。
密会する場所をコチラで指定させて頂きたいのです。それでサトーは貴方達を信用する。どうですか。
まさかその程度のことでよろしいのですか。
ええ。もちろん。それに、それにさえ応じて下さるならば、サトーは、以前、我々が捕虜とした貴方たちのお仲間を無条件で解放しても良いと考えている。その意味がおわかりですよね。いや、お答え頂かなくて結構ですよ。尋ねるまでもないことですからね。どうでしょうか。
願ったり叶ったりです。して?
そちらの本拠地では如何ですか。
こちらの本拠地ですか。それは。逆にそれをお望みになられるとは。ありがとうございます。そういうことと考えていいのですね。
もちろんです。我々は常に勝ち馬に乗る構えですからね。むしろそういう意味ではコチラがお願いしなければならない。どうぞこの件はラザッペにはご内分に。
ハッハッハッ。もちろんですよ。もちろんです。それでは明日ということでよろしいでしょうか。はい。はい。結構です。それではお待ちしております。
……八月二六日正午である。サトーと俺たちは畠山から伝えられた地点へと到着した。道中の馬車でサトーはムッツリとしていた。サトーの隣では荒木と井端がイチャコラしていた。今日も今日とてお仲がよろしい。彼らも彼らで自分の弱味を相手には晒さず、むしろ相手の弱味を握るべく、やはり嘘を塗り重ね合っているのだろうか?
到着したのは確かにレイダーどもの本拠地だった。より正確には本拠地のひとつであった。彼らはこの地域の山林のひとつひとつにそれなりの拠点を隠していた。この戦いのために新設されたものは少ない。近くを通りすがるキャラバンを襲撃するための待機所として以前からコツコツと誂えられたものらしかった。
規模から言えば小さな村にも相当する。現にココには木材で組まれた家々が五だか六だか肩を寄せ合っていた。家というよりも小屋に近いか。木々に溶け込むためだろうか? 外壁が斑に塗装されている。戦時だからか、元からこうなのか、家と家の間や軒先には大量の木箱だとか武器だとかが乱雑に積み上げられたり集められていた。
このような拠点のどれもが本拠地に成り得るのだろう。彼らは戦況に合わせて、臨機応変、司令部とでも呼ぶべき地点を変更しているのだった。無論、俺たちとの面談が終了次第、奴らはこの場所を二度と本拠地とは呼ばなくなるだろう。否、そもそも俺たちを信じさせるために、本拠地風に突貫工事で取り繕っただけの可能性もある。(サトーの指摘した通りレイダーたちの頭目は馬鹿ではない。考えてみれば、そう、安定した収入も無いのに生活を営めるのは、よほど奇特で金を使わない奴か、光合成が可能な奴か、それか脳味噌の回転が速い奴だ)
「よく来て下さった!」畠山は想像通りの男だった。レイダーを指揮するのにこれ以上に相応しい容貌もあるまい。彼はサトーに握手を求めた。サトーはそれに応じた。おやおやと思った。これは歴史的瞬間ではないか。ま、内心、なんでこんなやつと握手しなければならないのよ――と、サトーが悪態を吐いているのは間違いない。だが、それにしても、サトーが初対面の野郎と手を取り合うのはコレが初めてに違いない。カメラだ。カメラを持って来い。
本当に三名だけで来られたのですねと畠山は言った。ええとサトーは認めた。その上でコレで私たちがどれだけ本気かが理解して貰えたでしょうと話を続けた。畠山は筋肉太りの腹をポンポコポコポンと叩きながらハッハッハッと笑った。朗らかな笑い方だった。敵ながら交換を持てる相手はいるものだなと俺は苦笑した。
ところで俺たちは四人でここまで罷り越した。それなのに三人とはどういうことか。荒木の姿が消えていた。奴は井端が、ボンレス・ハムの父とベーコン・ブロックの母を持つとしか思われない体格のアイツが馬車を降りるとき、その影に身を隠して、幌を捲って荷台の外へ出ていた。馬車を監視していた連中の目を掻い潜って、荒木、今頃は奴らの小屋を片端から物色しているはずだ。
『ま!』と、この密会に随行することをサトーから願われたとき、また、その仕事内容を明らかにされたとき、荒木は何故か自慢げに言った。
『私も苦労してるスからね。サトーちゃんには前に話したんスけども。あのパーティの日に。酔った勢いで。ゲヘヘヘヘ。家庭の事情でね。手癖の悪さには自信があるんスよ。そうでもしなきゃ食べていけない時期がありましてねェ』
サトーと俺と井端とは最も上等な小屋に連れ込まれた。最も上等とは言うものの、要するに程度の問題、内部は暗くて湿度が高くて、夏場だというのに寒かった。天井の一隅には大きな蜘蛛が何匹かでパーティを催している。ご馳走を――蛾を捕まえたので彼らはゴキゲンなようだ。数秒ごとにカサカサと気味の悪い音を立てて蠢いている。こんなところを作り込むからブラスペの開発陣は変態だって言われるんだ。(そういえば夏川先輩は、あるとき、余りに切羽詰まってあの手の蜘蛛を食べたことがあるとか言っていた。もちろんゲームの中でだ。味は悪くなかったとか与太を飛ばしていたな)
畠山と俺たちは部屋の内装に相応な机越しに向き合った。机の一部はカビていた。椅子の脚は腐りつつあった。腰掛けると椅子がグニャリと形を変えたぐらいだ。こういう生活をしていれば定住を夢見るのもわかる。町暮らしの奴らを必要以上に虐げることがあるのも、とりあえず気持ちの面では、わかった。
代表者同士の会話は淡々と始まって淡白に進んだ。現状の確認、再確認、俺たちがラザッペに味方をされれば困ること、今度の戦争に不介入でいてくれるならば自分たちが町を成したときに対等な条件で関係を築きたい由、畠山はそういうことをつらつらと語った。
サトーはと言えば、自分たちが介入したところでそれほどの利益はない、ラザッペは同盟を拒否しているし過去が過去である、むしろ滅ぼしてくれるならこれより嬉しいことはないなどと話した。戦後のビジネス・プランについても軽く触れた。
空虚だな。俺は生きたまま食われる蛾をぼんやりと見詰めながら――ところで蜘蛛は相手を弱らせるためにある種の毒を使うそうだ。それを注入された対象は身動きが取れなくなる。内臓がドロドロに少しずつ溶けていく。蜘蛛はそれをチューチューと啜る。最後に肉を食う。人間同士の化かし合いとそう変わらない――思った。
密約はスムーズに交わされた。サトーはその最後にするりとこのような一文を差し込んだ。『もしもレイダー同盟が対ラザッペ戦中に三都市同盟に何らかの不利益を及ぼしたる場合、三都市同盟はレイダー同盟に対する中立状態を放棄する。また、三都市同盟が保有する、保有して妥当である、然るべき領土に対して侵略行為が行われた場合にもやはり中立状態を放棄する』
俺たちがダババネルに帰還したのは宵の口だった。荒木はレイダーどもの拠点の配置図や今後の計画に関するメモを何枚かパクって来ていた。それらを統合して考えるに、レイダーどもは、この両日中にラザッペに対して本格的な攻城戦を仕掛けるらしいと分かった。(ラザッペが現有している戦力、その九割を占める傭兵らは、恐らく戦う前に逃げ出すだろうと推察された。レイダーどもの総攻撃を撃退したとして、彼らが受ける損害と得られる恩恵、その天秤はもはや明らかに釣り合っていなかった)
二七日、サトーは七導館々々高校ゲーム部の総員と、リッテルトから派遣されてきた五八人の傭兵らをダババネルの庁舎前広場に集結させた。ここのところ、書類仕事に並行する形で、俺たちはある訓練を積んでいた。その総決算がサトーの監督のもとに行われたのだった。
サトーが演習と呼んだそれは大変なものだった。どう大変であったかは伏せる。演習が終了するのとほぼ同時に、レイダーたちがラザッペに侵略を開始した旨、中村たちが伝達してきた。ラザッペは二七日の夜までのウチに極めて不利な形勢を呈した。夜の間に多くの傭兵と市民と出入りの商人たちがラザッペを見放した。彼らは行き場を求めた。それはひとつしかなかった。三都市同盟――川を下れば直ぐのダババネルであった。
二八日の早朝、難民たちで溢れ返った港を、サトーは満足げに見下ろした。ダババネルを覆う城壁の屋上に立った彼女はこの世界全ての支配者のようにすら見えた。それだけ威風堂々としていた。不安と、矛盾するようだが期待を抱いたNPCども、彼らの視線を一身に浴びながら、サトーは末代まで語り草となる演説を打った。
そしてその三時間後、レイダーどもと交わした密約をあっけなく放棄した。