番外編1章36話/いちばん最初のサトーさん(13)
初動は八月一三日であった。ラザッペ脅威論に説得力を感じた地域のレイダーたち、それが団結した旨の情報が、我らのサトーのところに齎された。齎したのは中村だった。彼は彼の得たあらゆる情報を自らの手でサトーに伝えることを徹底していた。露骨な好感度稼ぎではある。しかし、それであっても不快感を感じないところに、中村という男の性格が現れていた。彼はさっぱりした男だった。どんな情報であれ伝えるときは物怖じというものをしなかった。自分たちに不利な情報でさえ淡々と報告した。その辺りをサトーは高く評価しているようだった。
その日も中村は、
『レイダーの総数は五〇〇を超える。確認した限りでは五三二名だ』
必要な言葉を必要なだけ用いた。『君の予想とほぼ一致しているな。最終的には千の大台か。奴らはラザッペを排除せねば自分たちに明日はないと信じ込んでいる』
『そうね』サトーもまた必要な言葉だけを必要なだけ用いた。『だから安心してくれていいわ。予想の範囲内でコトが推移している限り、何の問題もないから。ところでレイダーどもはラザッペを打倒したらばどうするつもりなのかしら。次の手は』
『奴らも何時までも浪人というわけにはいかない。ラザッペを拠点化するつもりらしい。ラザッペを下したという戦果で以て我々と対等以上の関係を結ぶ、それぐらいの頭はあるようだ。末端は馬鹿でも上はまずまず頭がキレるということだな。要するにどれもこれも君の予想していた通りだよ、サトー』
『重畳。まさに。重畳。ありがとう。また何かあったら教えて』
ところで、これだけ密接な関係を築いたにも関わらず、或いはだからこそか、サトーは中村を信用していなかった。何か問題があればそれは俺や加藤先輩や夏川部長らにだけ共有された。問題の解決すら内々で行われた。自分で文書主義を推進しておきながら、サトー、それらについては一文字も記録する気がないようだった。事態が自分たちの手に余らない限りは公表するつもりすらないらしかった。『バレなければ何をしたっていいのよ』と語ったことすらある。
まあ、実際、リッテルトから送られてくるはずだった物資、それを事故で喪失してしまったなんて公にすれば、計画も大詰めだってのにサトーとダババネルの信頼は下落するだろうさ。その下落が敗北に繋がるかもしれないんだ。そうしたくなる気持ちはわかる。納得もする。賛同もしよう。共犯にだってなるさ。それでも気分は良くないな。
気分は良くない――か。思えば、いま、俺はサトーをどう評価しているのだろう? 友人だ。それは間違いない。もう掛け替えのない仲間だ。それも間違いない。同居人としても楽しい奴さ。しかし、その全てが好きかと問われると、無論、ノーだ。否、全てを好きになれる他人なんていないさ。自分のことだって全て好きになるのは無理だからな。何事にも欠点がある。全肯定とはある種の病気なのだ。他人について、自分について、なんであれ、存在する欠点を欠点と認められねば健全な評価は出来ない。健全な評価が出来ないと何が起きるか。評価対象と評価者の関係が歪む。別に歪んでいいなら好きにすればいい。俺はサトーとの関係を歪めたくない。アイツは俺たちの恩人でもあるのだ。それは忘れてはならない。
俺はサトーの実力に関しては買っている。私人としてならばその人柄を愛してすらいるだろう。一方、公人として、ゲーム・プロとしての彼女のことは、もしかすると嫌っているのではないか。だとすれば、どうして、俺は彼女の指示に従っているのだろう? よくわからなくなってきた。人間関係は昔のエウロペ情勢よりも遥かに複雑怪奇だ。
ひとつだけ確かなことがある。私人としてのサトーと公人としてのサトーを、否、彼女に限らず、他人に対する評価はシチュエーションや立場ごとに改めねばならない。私人として最高な人間が公人としては最悪――こんなことは世に溢れている。『あの人はプライベートがきっちりしている人だから仕事もキチンとやるだろうナ!』なんてロジックは成立しないのだ。(この数週間の書類仕事でそれは痛いほどわかった)
……一五日、最初の戦いがレイダーとラザッペらの間で交えられた。大規模なものではない。ラザッペは大都市だけあって、常時、複数のキャラバンが異なる経路で出入りしている。そのうちの幾つかがラザッペの目前でこれみよがしに襲撃された。そのレイダーどもを撃退するべくラザッペが師を動かした。戦いの生起した経緯は以上のようなものだった。
四都市会議の開催と中村たちの精力的な活動によって、こちらはこちら、レイダー脅威論を(表向きはどうあれ)信じ込んでいたラザッペである。彼らの軍備はかつてないほど強化されていた。レイダーとの戦いはラザッペの東西南北、実に八箇所で展開されたが、そのうち六箇所までは僅か三〇分で決着した。言うまでもなくレイダーどもの敗北であった。残る二箇所? 連中はラザッペの軍勢を見るなり尻に帆をかけて逃げ出した。
ラザッペは全体としては勝ち誇った。レイダーなど脅威でもなんでもないと喧伝した。磯辺などラザッペの指導部もそう考えているのだろうか。サトーの見立てによると『もちろん違うでしょうね』ということになる。
『あの戦いはレイダーどもの威力偵察――ラザッペがどれだけの対応力を持っているか、それを把握するための攻撃よ。本番はまだまだコレから。むしろラザッペとしては手の内を早めに明らかにしてしまった。このロスを埋めるために苦しい展開が待っているでしょう』
サトーの予言は的中した。レイダーはそれからも散発的にラザッペ周辺に出没、キャラバンのみならず、ラザッペの衛星的居住地を攻撃するなどした。まさか黙っているわけにはいかない。ラザッペは幾度となく戦力を動かした。レイダーどもは真面目に戦う気がなかった。ラザッペの軍の姿が見えれば退く。去った後でまた現れる。これを繰り返した。
あれだけ勝ちに驕っていたラザッペの顔色が失せるまでに一週間と掛からなかった。お抱えの傭兵たち、過重労働に耐えかねた彼らが要求してくる賃金は信じられないほど高額になった。与えるべき食料も大幅に増加した。衛星的居住地から上がる不満の声は一ヶ月前の八倍にまでなったという。(尚、ラザッペはそれまで都市の信用、ラザッペならば潰れないだろうというそれを盾に、傭兵らと長期契約を結んでいた。賃金は原則として月払いか後払いであった。それが、機を見るに敏、商売人でもある傭兵たちの要求で崩れた。傭兵らは出撃の度に報酬の精算を求め始めたのである。傭兵たちからすればラザッペが倒れて無賃労働になっては過去の苦労も水の泡、当然の要求ではある。ラザッペは従わない訳にはいかない。自分たちの子分がレイダーに寝返っては困る。或いは、例えば衛星的居住地から“報酬の現物支給”とか言って略奪でもされたらたまったものではない。ちなみにサトーはこの件について『これまで都市が傭兵たちを飼い殺しにしてきた訳だけど、今後、その立場が逆転するかもね』と他人事のように述べた)
レイダーどもはどうして息が続くのか。考えてみれば簡単だ。奴らは衛星的居住地から食料を奪っている。成果報酬――ラザッペという大きなパイを後で分けることを約束した集団だから、人件費、組織を運営していく上で最大のランニング・コストを(形式的に)踏み倒すことも出来る。無論、ウェジャイアの商人たちからの援助もあった。
そして、八月二五日、レイダーらの代表者を名乗る人物がサトーにコンタクトを図ってきた。