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銃剣突撃する怒れる低学歴と悩める高学歴のファンタジア  作者: K@e:Dё
番外編1章『いちばん最初のサトーさん』
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番外編1章31話/いちばん最初のサトーさん(8)


 ショットグラスにウィスキーを注ぐ。縁まで注ぐ。溢れることを恐れてはいけない。溢れたものは舐めればいい。猛烈に辛い。舌がヒリヒリする。後から甘さが舌の先端と根の方に残っていることに気が付く。安いウィスキーの特徴だった。どことなく駄菓子、あの粉のラムネとか、ああいう味に似ていなくもないよなと思う。


 ショットグラスを親指と人差し指の二本で摘む。今度は危機感が溢れる。出来るだけ零さないように、別に用意してあったジョッキのビール、それにショットグラスをそのまま沈める。猛烈にシュワシュワと鳴るのが聴こえる。怯える必要はない。爆発はしない。


 カクテルとも言えないカクテルの名は“ボイラー・メーカー”といった。


「ありがとう」サトーは飲めば一発で胃に火の着くアルコール飲料を受け取った。流石に疲れていた。髪が乱れている。頬も痩けている気がした。


「いいさ」俺は肩を竦めた。「煙草を吸うなら言ってくれ」


「言ったらどうしてくれるの?」


「灰皿とライターを貸す。お望みなら着火までして差し上げるよ、姫」


「はいはい。いまは吸いたい気分でもないわ」サトーはジョッキを傾けた。不安になる手付きだった。果たして勢い良く喉を鳴らしているうちに上腕二頭筋がプルプルしてきた。俺は手を貸してやった。何となくボーッとしている彼女の口元をティッシュで拭ってやりもした。まるで介護されてるみたいだわとサトーは何処か焦点の定まらない目をして言った。若いから介護保険はまだ積み立ててないよな? と、俺は軽口を叩き、サトーはそれに鼻を鳴らすことで応じた。俺はまた肩を竦めた。


 サトーはジョッキを両手で挟むようにして持った。「良い家ね」


「そうかい?」俺は自分用のマグカップから酸味のキツいコーヒーを飲んでいた。安いウィスキーは我慢できる。安い豆は我慢できない。二度とこの豆は買うまい。


 まあねとサトーは具体的な論評を差し控えた。彼女が座っているのはロフトに繋がる階段だった。俺の家は二DKのアパートだった。どちらも洋室の二部屋は、だって一人暮らしだからな、使い道がなくて、片方、余らせてある。客間ということになっているけれども、ベッドとタンスがあるばかり、実際に客の姿を見出したことは数える程しかない。男にせよ女にせよ、なあ? 客が来たらそれはなあ? 男ならそこら辺でごろ寝する。オンナノコなら二人で同じベッドだからな。


 内装には拘っていた。俺の趣味でもある。前の住人の趣味でもある。豆にも拘っているぐらいだから台所にはミルがある。圧力鍋もある。高価なオーブン・レンジもある。カーテンだって上等なレースと遮光を重ねて使っているし、ベッドのシーツはそのまま加工してウェディングドレスにできそうな純白、テーブルとソファの脚は猫のようにグニャグニャときた。ロフトに登ればギターがあるぜ。ドラムがあるぜ。楽しい俺の秘密基地さ。


「家賃」と、サトーはジョッキの中に目を落としたまま呟いた。


「高いんじゃない?」


「ああ」俺は曖昧に答えた。


「駅も近いし。ヨコハマ市内だし。花見盛君の家はきっとお金持ちなのね」


「そういう訳じゃあないんだがな」


「随分と煮え切らないわね。――あ」


 サトーはお人形さんのようにつぶらなお目々を瞬かせた。「ごめんなさい。訊いちゃ不味いことだった?」


「お前」俺は苦笑した。「今日はなんだかしおらしいな」


「ああ」サトーはムッとした。「そう。じゃあもういいわ」


「おいおいおい。機嫌を損ねるなって。冗談だよ。悪かった。この家は、まあ、なんだ、その」


 俺はマグカップの表面を指で弾いた。良い音色だ。ツボ集めを趣味にしようかなと思った。『君には私の全てをあげよう』と言ったあの人のことが思い出された。


「実は家賃は払ってないんだ」


「なに? 大家と懇ろとか? ここの大家、未亡人?」


「どうすればそういう発想に至るんだ。違うよ。貰ったんだ。ある人の持ち家だった。正確にはある人がまた別のある人から贈られた家でね」


「贈与税とか相続税とか大変そうね。でもリバース・モーゲージとかもあるか、最近は」


「話を飛躍させるなって。この家を売るつもりはないよ、俺は」


 俺はどうして自分の家で突っ立っているのだろう。それも壁際に。窓から入り込む夏の明るさが疲れ目には堪えた。俺は例の遮光カーテンをシャーっと引きながら、


「昔、お世話になった人がいてね」と、なるたけポップでキュートな感じに言った。


「恋人?」と、サトーはヘビィでデスメタルな感じに踏み込んできた。


「好奇心豊かだな、君は」


 俺は皮肉でも嫌味でもなく言った。


「なっ」


 ボイラー・メーカーが効き過ぎたのかもしれない。サトーは赤くなった。


「別に」サトーは口を横一文字に結んだ。「知りたがっちゃ悪い?」


「意外だな」意外だった。「意外だ」


「何がそんなに意外なの」


「君は否定するかと。知りたくなんてないって」


「はん。まあね。そうでしょうね」


 サトーは、どうも俺の真似らしい、異常に大袈裟に肩を竦めた。俺は自慢のソファに腰を降ろしながら似てないよと笑った。サトーはそっぽを向いた。


「恋人じゃないよ」俺はマグカップに突っ込んであるスプーンを無駄に回した。「ただ、一時期、住ませて貰ってた。俺は家が無かったんでね。中学時代に母親が死んだ。お親父はもっと前に、震災のとき、死んでたから、中三のとき、一文無しでね、一人で暮らさなきゃならなかった。年齢をちょろまかして風俗で働いてたんだが、彼女、その店の嬢の一人で、ひょんなことから仲良くなった。――ああ、いや、おいおい、変な想像をするなよ」


 サトーは三日月を横に倒したようなあの目をしていた。俺は参ったなと後頭部を掻いた。ま、実際、彼女が想像していたような変なことがあったことは否定しないが、俺にも体面というものがある。オンナノコを相手に“あんなことやこんなことをシまくってたぜ!”とは言えない。中三に対して相手は二〇歳、大学を中退して親とも疎遠でゴスロリとかパンクとかにハマっていたような、そういう女性だったんで、ま、人にはとても言えないような、あれは思春期だった。(言える機会を得たとしても言いたくない。彼女は俺だけのものだったからな)


「色々なことを彼女から教わった。“前髪パッツンの女には気をつけろ”とかね」


「……。……。……。彼女、後で帰ってくるとか、そういうことはないでしょうね?」


「俺がそんなギャンブラーなもんか。彼女は二度と帰って来ないよ」


 俺は笑った。「悪いんだが、丁度、その辺りで首を吊って死んだ。今年になって直ぐにね。何があったのかは俺には未だにわからない。その前日までは普通だったんだ。いきなり死んだ。急に死んだ。死んでいなくなった。二度と帰ってこない。たまに、むしろ、未だに、“やあ”とか言って帰って来る気がする。って、オイ、サトー?」


 ジョッキが床に落ちた。割れはしなかった。ゴンと鈍い音がした。床は幸いにも凹まなかった。炭酸が床に池を広げる。サトーは吹雪の中で墜落したUFOかなにかを見付けてしまったときのように呆然としていた。直ぐに我に返った。二人で床を掃除した。変な話をして済まなかったと俺は謝った。別にとサトーはにべもなかった。どうしてあんな話をしてしまったのだろうかと俺は後悔した。皆まで話すつもりはなかったはずだった。サトーのことを詮索するのも気が引けた。


 疲れてるんだ。もう寝よう。俺の提案をサトーは承諾した。俺はサトーにシングル・ベッドを貸した。二人で眠った記憶の色濃いシングル・ベッドだ。俺自身はソファに横になった。どうも寝付かれない。昼過ぎにはまたゲームにログインしなければならないのに。


「ねえ、花見盛君は、どうしてあのゲームを始めたの?」


 二人揃ってしばらく寝返りを打ち、唸って、溜息を全く同じタイミングで漏らした後、サトーがそう訊いた。


「生活費を稼ぐためさ。家賃は払わなくていいにしても食わなきゃならない。学費も払わなきゃだしな。俺自身、ゲームは好き――でもなかったが、現実の世界に辟してたところもあったし」


「後悔してない?」


「たまにする」俺は本音を言った。サトーに背を向けていたから本音を言えたのだと思う。「誰かを殺してるんだと思うと辛くなるときがある。俺が誰かを殺す。すると、あのときの俺と同じ気持ちの誰かがどこかに生まれるんだ。辛いよ」


「そう。私もよ」


「それは余計な一言だと思う」


「うん。私もそう思ったわ。おやすみ」


「ああ。おやすみ」


 俺たちは眠らなかった。アラームが鳴るまで寝たふりを続けた。アラームが鳴ると二人して良く眠れたとバレバレな嘘を吐き交わした。お互いの目の下に濃く滲んでいる隈については無いものとして扱った。俺たちはゲームを始める前の準備を済ませて、それからパパッと拵えたアンチョビのパスタをフォークで突いて無駄に虐待するなどしていたが、最後の偶然はまさにこの、アンニュイな時間に、何の前触れもなく訪れた。


 サトーのスマホが鳴った。ヤツは俺に断ってから着信に応じた。は? と、彼女はフォークをくるくるさせる手を止めた。


「寮で火事?」

 


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