番外編1章28話/いちばん最初のサトーさん(5)
偶然に偶然と偶然が重なって、サトーと、二人で暮らすことになった。ちょっと何を言っているのか自分でもわからない。
……夜よりも闇よりも冬の雪の日よりも静かに進行したクーデター、その概要は単純で、およそ次のような行程で遂行された。
一、リベッジ商会(井納たちの高校が営んでいるキャラバンと商会の名前)から急な依頼が舞い込む。内容は『ご近所の町が大量の鉄製農具とオタクの特産品を欲しがっている。急ぎなので、急で悪いが、今日中に力を貸して欲しい』とする。七導館々々高校は過去一年を振り返っても最大級の大馬車団を護衛すべく戦力の大半を出払わせる。
二、出撃後、ダババネルの衛星居住地のひとつがレイダーに襲われたという嘘の通報を、リベッジ商会の巡業商人らが柘榴らに届ける。これに対処すべく七導館々々高校は残る全戦力を出撃させる。なお、これら一と二の行程はそれとなくで良いのでわざとらしく、如何にも演技っぽく行って、柘榴らにある種の疑念を抱かせておく。これは三の行程を間違いなく執行するための布石である。
三、高崎と加賀がリベッジ商会と七導館々々高校の件で重大な話があるとして、深夜、ダババネル運営を招集。柘榴らが出席を渋りそうである場合、話を――七導館々々の連中が何か企んでいるらしいと――盛る。実際の裁量はサトーの指導を受けた高崎に任せられる。柘榴は七導館々々はともかく高崎らが裏切るとは思っていない。思っていないはずである。(万が一、高崎が日和った場合は加賀らがそれを制する。もしも制せなかった場合にはダババネル内に滞在しているリベッジ商会の商人たちが七導館々々高校にその旨を通告する。リベッジ商会らが裏切れば? その可能性も捨てきれない。しかし、彼らは計画を伝えられてから実行までの間、あのバーでサトーと井納が話してから深夜に至るまでの、僅か数時間しか思考する時間を与えられていない。裏切られたとしても計画的に裏切ることは出来ない。最初から裏切られることを念頭に入れておけばその場で臨機応変な対処が可能であるとサトーは断言した)
四、会議場に指定されている庁舎を中心にダババネルの中枢を素早く占拠する。柘榴以下、オオエドカワ高校の生徒は拘束しておくこと。なお、今回のクーデターを批判されることを避けるためには建前と大義名分が必要なので、それについては“柘榴が七導館々々高校を目障りに思ってレイダーたちに売り飛ばしたことに対する正当なる抵抗”とする。(後日、サトーが殺すなと言うんで生かしておいたリベッジ商会のアイツ、彼に『柘榴から脅されてレイダーたちとの橋渡し役にさせられた。柘榴だけではなくダババネル上層部は大抵があのことを知っていた』と証言させる予定である。世知辛いね。ま、世の中はこんなもんだ。卑怯とは思わない)
上手く事が運べば一時間半でぬくぬくベッドに潜り込めるわとサトーは言った。で、その予言は的中した。想定外の出来事も起きた。俺たちが進入路に選んだのはダババネルに四つある通用門の中で最も小さなものだった。警備も警戒も薄い。加賀らの助けを受けてそこからダババネル内に忍び込む。そのはずだった。
加賀らが――土壇場での翻意を恐れて計画の打ち合わせ時間を短縮しまくった報いだ――手順を間違えた。結果、計画の進行が八分ほど遅れた。八分だ。それっぽっちとは口が裂けても言えない。その間に緊急会議が終わるかもしれない。柘榴たちを取り逃すかもしれない。状況が変わるかもしれない。高崎が良心に目覚めるかもしれない。警備がそこら辺で小用を済ませようと俺たちの方へ来るかもしれない。俺たちは門前の僅かな茂み、木陰、それに地面の隆起に伏せて、固唾を呑んだ。
内部に入ってからも問題はあった。サトーは事前に、特に高崎らの高校に、ダババネルの詳細地図と曜日毎に変わる歩哨と、彼らの巡回経路を教えてあり、わけても厄介な配置の歩哨は先に始末しておくように――と、依頼していた。始末の対象となっていたのは併せて五人だった。そのうちの一人が倒されていなかった。松脂に浸した布を棒に巻きつけた、原始的な松明を手にした彼は、庁舎前の広場でボーッと星空を見上げていた。部長と同じでロマンチストらしかった。
よりにもよってこんな目立つところの歩哨を始末し損ねるか? 露骨に過ぎる。罠ではないか。裏切りではないか。このまま計画を続けて平気なのか。各班長から疑念が提出されたが、
「巡回経路の変更でしょうね」と、サトーはクールだった。
「この一ヶ月でも二回もあったことよ。今日、我々の知らないところでいきなり変わったんだと思うわ。高崎達は五人をキチンと倒してあるのかも。彼は想定外の六人目である可能性もある。とにかく、罠に掛けるつもりであれば、我々がこうして建物の陰でボーッとしていられるはずがないわ。とっくにボコられてるはず。安心して」
花見盛君――と、それからサトーは指名した。俺は肩を竦めた。斧を屋鋪先輩に預けた。それから鼻歌混じりに俺たちの隠れていた建物(穀物倉庫)の陰から広場にゆっくりと歩み出た。頭の後ろで手を組んだ。ようようと警備の彼に話しかけた。彼はンと俺を認めると片手をあげた。彼とは顔見知りだった。話したこともあった。確か速い車の話で一度だけ盛り上がった。だから、彼、数秒、俺がココに居るはずがないことを忘れていて、呑気に今日は星が綺麗だなとか笑った。
悪いな。申し訳がない。俺はそうだなと言いながら彼の首筋に当身をぶちこんだ。彼は倒れた。動かなくなった。死んではいない。俺は彼を倉庫の陰まで引き摺っていった。広場の随所には篝火が燃えていた。サトーはその明るさと、火のために影がやたら大きく躍動しては建物の壁に映り込むのを恐れて、ここからは班ごとに別々のルートで行動すべしと定めていた。俺たちはその作戦に則って穀物倉庫の前で分かれた。ある班はダババネルの警備団の本部に。ある班はダババネルの製鉄所の事務所に。ある班は本部班と共に市庁舎の中に。無論、その班と俺たち本部班も別々のルートを使用した。
彼らと俺たちが再会したのは柘榴たちが深刻な顔をしていた大会議室の扉の前でだった。道中、俺は警備員を二人ばかり絞め落とした。エスピオナージ・ゲームの気分だったな。足音を殺して、暗い廊下で、後ろから忍び寄って首絞め柔道――ってね。
「そうか。そういうことだったのか」
会議室に踏み込んだ俺たちを柘榴は酷く無感動に受け入れた。予想外だった。もう少しぐらいは喚くと思っていたのに。大会議室には一五人程が長机に着座していた。柘榴とムスッとしている高崎、それに冷や汗を掻いている加賀以外、誰もがポカンとして状況を理解できていなかった。
「仲間たちを売り飛ばした野郎を許しておくわけにはいかないし」
サトーはいけしゃあしゃあと嘘を語り始めた。俺たちを仲間と呼んでくれたことは――演技や演説の一環だとしても――素直に嬉しかった。
「それを知っていて見過ごした貴方たちを許しておくこともできない」
サトーはようやくのことで我に返りつつあるダババネル運営部を見渡した。高崎と加賀には頷いて見せた。高崎は頷き返した。加賀は喉を鳴らした。
「ダババネルから出ていって貰うわ。ココは仲間たちの命の代金として我々が貰い受ける。逆らえば殺す。理解した?」
二人だけ大声を張り上げた。一人は高木先輩にぶちのめされた。一人は実力を行使しなかった。サトーでも俺たちもでもなく高崎と加賀になぜだと泣き叫んだ。俺たちは今日まで上手くやってきたじゃないか。仲間じゃないか。こんな方法を採らずとも他に幾らでもやりようはあったはずだ。不満があるなら話してくれればよかった。俺たちは確かに完璧ではなかった。柘榴もアレコレとやらかしたかもしれない。傲岸なところがあったことも認めるよ。お前たちはどうして――
二人は何も答えなかった。高崎は目を瞑った。加賀はテーブルに肘を突いた。祈るように俯かせた顔の前で手を組んだ。最初の偶然はこのあとに起きた。