番外編1章26話/いちばん最初のサトーさん(3)
ある日、俺たちを部室に集めたサトーはこう言った。「当初の計画を捨てるわ」
「当初の計画を捨てる」俺たちはパイプ椅子に座ってサトーに相対していた。その最前列で腕を組んでいた部長が唸った。「と、言うと」
「最初、貴方たちに提示した計画を捨てるって意味よ」
セミどもが喧しい。机の上に行儀悪く座ったサトーは、駅前で配っていたものらしい、金融会社のキャッチ・フレーズが書かれた粗末な団扇で首元を煽っている。『ご利用は計画的に!』
「当初の計画はこの周辺に巣食ってる略奪者ども、それをある程度まで減らせれば――と、そう考えて構想したものなの。まだゲームに詳しくなかったこともあって完成度も低かったから、実際にプレイを開始してからアレコレと手直しはしたものの、最終的に、より抜本的な解決法がある気がしてきたってわけ」
「つまり」俺は要約した。人口密度のせいで室内は酷く蒸していた。「レイダー達を一掃することができるって、そういうことか?」
「まさに」サトーは首肯した。「勿論、とりあえずダババネルと、あの付近のってことになるけど」
「それはまた。どーやってだ? アイツらはワンサカと居るぞ。その時々でアジトも変更している。だからこそ厄介なんだ。コチラから攻勢を仕掛けるのが難しい。襲ってきて撃退するのが基本方針になっていた」
「もっと言うと」と、加藤先輩が眼鏡のレンズを布で拭きながら補足した。「ダババネル周辺だけでもレイダーは二〇以上のグループに分かれている。奴らは団結している訳ではない。ひとつを潰せば他のグループが警戒する。コチラが気を張っている間は狩場を変えるだけだろう。忘れた頃に戻ってくる」
「でしょうね」サトーは認めた。ご苦労さまと言いたげな表情だった。加藤先輩はわざわざわかりきったことを述べた。全ての部員が正確にサトーの話を理解できるようにであった。(あるプランがあるとする。そのプランが採用されるのには経緯や前提がある。プランそのものを理解するためにはそれらの経緯や前提を理解していなければならない。そして、当然、プランについて正確に理解しているかどうかは、プランの完成度に直結する。ルールもわからない素人を野球チームに入れて『相手は前進守備を敷いていないからセーフティ・スクイズしろ』と命じたところで成功するはずがない)
「いい? 今から計画の全容を話すわ」
サトーは机から飛び降りた。足首を挫いた。躓きそうになった。ヤツの正面に座っていた俺は慌てて手を貸した。最近、サトーは手を差し伸べるとそれを取るようになっていた。あまつさえ――「ありがとう」と――礼を述べることもあった。体勢を整えたサトーは長いこと使われていない黒板の表面をバンと叩いた。
「必要であれば何度でも説明するわ。この黒板に色々とわかりやすく書きもする。ただし、メモは取らないように。書類にもしないわ。データにも。流出が怖いから」
「よし、お前ら、聞いてたな?」
高木先輩がサッと懐にスマホを隠しながら辺りを睨んだ。「メモは取るなよ!」
「お前は面白い奴だよ」と、加藤先輩が眼鏡のレンズに息を吹きかけながら苦笑していた。高木先輩は鼻から荒い息を吐き出した。一同が苦笑した。場の緊張がほぐれたところで、
「前提条件として」
サトーは今日のお昼はチャーハンがいいわと母親にねだるときのように気安く言った。「クーデターを成功させないとならない。ダババネルを柘榴から奪わないといけないの」
それからサトーは、――――いま先客たちにしたのと同じ説明を俺たちに済ませた。質疑があれば丁寧に応答した。質問した者が納得できていないようであればどこまでも話を続けた。彼女は相変わらず問題と欠点の多い女だった。しかし、このように、少なくとも徹底した秘密主義だけは撤回したようだった。俺はそれが嬉しかった。彼女がどうして計画を変更したかについてもアタリがついていた。新しい計画に不賛成なものは居なかった。柘榴のサトー嫌いは日に日に加速していた。先に手を出さなければ排除される恐れもある。今の今でなくとも、対レイダー戦闘を進めていく内に、どこかで戦局がコチラに有利になった時点で、柘榴はサトーと、もしかしなくてもその一派ということで俺達も処分するだろう。
「ふむふむふむ。ふむふむふむふむ。ふむふむふむ」
先客(井納という名前だった)は刈り込んだ頭を撫で回していた。目を閉じている。眉間に一本の深いシワが刻まれていた。それもやはり演技らしかった。サトーの交渉に伸るか反るか。その結論はハナから出ているのだろう。それでも迷って見せる。それで幾らかでも有利な条件を引き出せないかと思っている。根っからの商人気質だ。
「ウチの馬鹿が、おっと失礼、阿呆がね、仲間と貴方たちをキャラバンごとレイダーどもに売ったことについては公式に謝罪させて頂きたいと思っていましたし」
彼は人差し指をピンと立てた。「私どもとしてはその話に乗らせて頂きましょう。我々には有益なことばかりですしね」
「そちらのお二人は?」サトーは茶褐色に濡れたストロベリーを指先で弄びながら尋ねた。井納の芝居には付き合おうともしない。井納氏は大袈裟に肩を竦めた。
「我が校はご存知の通りの農業系、ダババネルの開設当初はまだしも、昨今では冷遇されることが多くなっていまして」
例の勝ち気そうな彼女であった。名前は高崎である。「柘榴氏とオオエドカワ高校の諸氏は変わってしまいました。昔に比べて遥かに粗暴になりました。付き合いきれないなと思っていた矢先の話ですから。それはもう、はい、構いません。お力添えさせて頂きましょう。ただし、計画が成功した暁には――」
「ええ、ええ、約束は果たすわ。貴方は?」
「私は部長を押し付けられている身ですから」
こんなところまで小役人風の彼は加賀といった。「そのまま部員たちの多数決で出した結論をお伝えするだけでして。イエスです。はい、イエスです、サトーさん」
「O・Kよ」サトーはストロベリーを口に含んだ。噛まない。コロコロと舌で転がしている。仏頂面でO・Kよと繰り返した。実にO・Kよ。コチラからの用件はそれだけなの。何か質問その他があれば受け付けるわ。ある?
「決行は何時になりますでしょうか?」高崎が訊いた。
「そうね」サトーは前置きをした。俺は溜息を吐きたくなった。我慢した。サトーはストロベリーをガリガリと噛みながら告げた。
「今晩とか」