番外編1章16話/前哨戦(7)
その丘の標高は八〇メートル程だった。斜面は急だった。というよりも、急な斜面をわざわざ選んだのであった。斜面を覆うのはブナの林だった。
緑が深い。日光が届かない。地面の水捌けも悪い。何時に降ったかもわからないような雨で未だに保湿されている土は軟弱だった。踏み込むと足跡がくっきりと残る。取り込み忘れた洗濯物のようなニオイが立ち込める。滲み出た水分が靴の裏を濡らす。気を抜くと滑る。滑れば後ろに続く仲間たちを巻き込んでドミノ倒しになる。俺こそ軟弱な男だと呼ばれてしまうだろう。よろしくない。軟弱と呼ばれた男は生きていけない。―――
カーブの向こうから現れた敵との戦闘は直ぐに片付いた。勝敗で言えば敗けた。
見立通り、敵の数はコチラに優越していた。倍とまでは言わない。一・八倍ぐらいか。それを倍と言うんだ。
「高木先輩!」と、俺は叫んだ。高木先輩は返事をしなかった。ただ背負っていた鞘から剣を抜いた。俺の胸の下でサトーが何か喘いだ。部長が横転している馬車群の方へ後き始めている。サトーも来いと呼んでいた。
弓による敵の攻撃は終わっていた。フレンドリー・ファイアを避けるためだろう。白兵だ。
立ち上がった俺はサトーに手を貸した。引っ張り起こす。サトーは無事に正気を取り戻していた。彼女は部長の後を追いかけた。途中、二度、転けた。それでも立ち上がる根性は褒めてやってもいい。(生存本能だったとしてもな)
俺は斧を担いでいた。安全対策のために巻いてある刃沓を外す。刃が陽を受けて燦めいた。柄から確かな重量感を感じた。やはり人殺しの武器はこうでなければいけない。自覚していた混乱が収拾して行くのがわかった。視界が狭くなる。その視界の中心に下卑た笑みを浮かべている青年がいた。
敵だ。言われなくてもわかる。こんな笑顔を浮かべる奴が俺の友達のはずがない。奴は短刀を腰溜めにしていた。冗談じゃない。武器選びは何でするべきかわかっていないようだな?
「――――!」
ああ。俺は悟った。もしかして武器が小さくて軽いならフットワークも機敏になるじゃん? とか、そういうことを考えて短刀にしたのか。だとすれば大間違いだ。残念賞だ。あの世で反省文を書け。四〇〇字詰め三枚で良い。作文コンクールで金賞を取れたらアカウントを復活させてやってもいいぞ。
……一人目はこのように何も考えなくても殺せた。直線的な動きで無闇に突っ込んでくる馬鹿だ。馬鹿は死んで当然だ。殺しても罪悪感はそれほど感じない。NPC相手にするときと同じような感覚で武装したんだろうが、対プレイヤー戦、その油断と研究不足は文字通りで命取りとなる。いい加減にしろ。むしろ怒りを覚えるぞ。お前みたいなのが今日までのうのうと生きてきたなんてな。(お前よりずっと真面目にプレイしていたウチの部員は何人も死んだ)
二人目と三人目はそうも行かなかった。練度に驚くべきほどの差があった。一人目は横薙ぎにした斧の一閃、それで簡単に首を跳ねられたが、二人目は間合いを見計らうのが上手で駆け引きに苦労したし、三人目は槍を構えていたから単純に苦戦した。
四人目は、――鴨がネギを背負ってきた。レイダーにしては珍しい装備だ。金属製の鎧と兜を身に付けていた。脚甲までか。並の武器では攻撃が通らない。
しかし、俺の武器は並の武器ではない。
武器選びは何でするべきか。模範解答を発表しよう。まずリーチだ。相手より、数センチでもいい、遠くから攻撃できるほどがどれだけ有利か? それを考えてもみればよろしい。さっき殺した三人目だって槍を使っていたから苦戦した。
そういう意味で長斧は悪くない。ブラスペ世界における標準的な剣と同じリーチがある。槍よりかは短いけれども、それはそれ、槍より長い武器などないから仕方ない。第一、槍は取り回しに難がある。使いこなすのが難しい。斧ならば、ま、難しくないとは言わないけれども、槍程ではない。使いこなせる。使用場所もさして選ばない。(槍衾を形成できるほど人数がいるのであれば話は別だ)
次点で威力があげられる。この場合の威力とはその武器がどれだけの殺傷性能を持つかを意味する。無論、例えば今のように鎧を着た奴が相手だとか、相手の防具条件によって差が出てしまうので、そこはブラスペ内における平均的より少しばかりリッチな装備――鉄製の鎧兜を身に付けているものとする。
重い。斧は重い。冶金学が完璧でないことも手伝い、それほど質の良くない鉄であれば、その重さだけで断ち切れる。斬るというよりも潰す。潰してから重みで切断する。
『でも斧って格好悪いじゃん』とか言われる者もあるかもしれない。もしかすると『斧って弱いじゃん』とまで言われるかもしれない。
現実に斧を使っているだけで妙にタゲられる――戦場で狙われることがある。しかし、それは現実とは異なる偏見って奴で、いざ使ってみるとこんなに魅力的でバランスの取れた武器は少ないと気付くだろう。
君も斧を使おう。斧はいいぞ。格好悪いと思うな。斧は格好いい。その証拠を見せてやる。
鎧野郎は俺に向かって突進してきた。グレート・ソードを肩に担いでいた。物騒な奴だ。剣は一・五メートル近くあった。重さも相当だろう。遠心力で振る。射程を伸ばした斧である。斧よりも振りは遅い。それに、野郎、防御力を明らかに過信している。(奴の鎧には数え切れないほどの傷跡がありありと刻まれていた。それが奴の自信を高めているのだろうと思われた)
ギリギリまで待つ。奴の歩幅を見切る。経験と現状を擦り合わせる。後三歩だ。後三歩で奴は剣を振り上げる。口の中を生唾が満たした。敵の行動は読めている。それでも心臓は早鐘のように打っている。息が詰まる。一瞬が圧縮される。奴が三歩目を踏み込んだ。剣を振り上げる。振り上げ方に特徴があった。スリー・クウォーターである。まっすぐ振り上げない。斜めに剣を突き上げた。横薙ぎにする気だ。
蛮声である。
奴の剣を俺は寸手のところで躱した。当たる。当たる。当たる。相手にそう確信させてから避けると良い。嘘だ。真似しないで欲しい。失敗すると死ぬ。俺の髪の毛が何本かハラリと視界の中で舞った。奴がウッと唸った。生じた遠心力と慣性のせいで体勢を崩したのだった。回転しかねんばかりである。
奴の足を斧で払った。蹴りで払うと脚甲に邪魔される。鉄と鉄が素早く擦れ合ったために火花が散った。脚甲は切断し切れなかった。それでも奴の足首は衝撃で折れた。満足の行く手応えがあった。ゴミ回収車が生ゴミを潰すときのような音で俺は推測を確信に変えた。奴の悲鳴が確信に仕上げを施した。斧ほど威力が無ければこうは行かなかった。斧ほど取り回しが良くなければこうはならなかった。な?
殺さないでくれ、と、奴は武器を捨てて命乞いを始めた。どうしようかなと興奮した俺は思った。足が遅い鎧野郎は俺の格好の獲物だ。スコア・ボードを賑やかにするのも悪い考えではない。
自制した。誰かを殺したくてこのゲームをプレイしている訳ではない。奴の戦闘力は奪ったのだ。
「覚えとくといいぞ」俺は息切れしながら言った。「鎧を着てれば強いってもんじゃない。斧は弱くない。格好いい。オーケーか?」
「オーケーだ」と、奴は言った。オーケーと言ったので本格的に許してやることにした。武器を没収した。
冷静になってみてはたと気が付いた。周囲を見渡す。戦闘は終わっていた。アチコチに死体と死体と死体と死体、それに負傷者が転がっていて、呻吟だのが嫌でも耳につくわけだが、――数えてみる。数があわない。味方の数があわない。見知った顔が見当たらない。
「おーい!」俺は馬車の陰で息を整えている仲間たちに叫びかけた。「部長や高木先輩はどうした?」
連れ去られた、と、同僚たちは叫び返した。