番外編1章10話/前哨戦(1)
「素敵なところね」と、サトーは前言を翻した。俺は溜息を吐いた。着替えを済ませた彼女は魅力的だった。絹がどうしてあんなに高級なのかを俺は実感として理解していた。絹は女性を美しく見せる。殊に絹よりも白くて滑らかな肌を持つ女性を。
「ありがとうございます」柘榴は諸手を揉み合わせながら言った。「お茶は如何ですか」
「まあまあね」サトーは磁器製のティー・カップを手にしていた。えらくぶ厚くて粗末な造りである。中のお茶も何の葉からどのように抽出しているのか得体が知れない。俺は彼女が茶に口を着けるフリをしていることに気が付いていた。コレが本当の茶番ってか。やれやれだな。――
我が町“ダババネル”は三五〇人の市民を擁する。現在、ブラスペ内に存在する人口密集拠点としては上から数えた方が早いぐらいには人口が多い。なお、市民とは単に町に暮らす住民の総称で、特定の権利などを持つ者を意味しない。また、三五〇人にプレイヤーは含まれておらず、含んだ場合、四三〇人を少しばかり超える。運営は都立オオエドカワ高校を中心に六校で行われていた。(我が七導館々々は外様の傭兵なので人口やこの六校には含まれない)
六校で行われているとは言い条、運営は合議制ではなく、サトーの指摘した通り垂直な――オオエドカワ高校の立てた方針を各校が補足または遂行するという中央集権的なものだった。縦の命令系統と役割分担が確立している。初期、町の回りに塀を建設するとか、水を引き込むとか、そういう大きな工事をこなすためにリーダーが必要とされた名残であった。
要するに、いま、額に浮かぶ汗を服の袖でしきりに拭いているオッサンみたいな男、寂れた町の不動産屋の主みたいな高校生、柘榴氏こそがこの“ダババネル”の支配者ということになる。とてもそうは見えない。しかし、権力者とは二種類あって、自らの威光を誇示する者としない者とがいる。彼は後者なだけだ。それも自ら望んでそう振る舞っているかは怪しい。慢性的に侵略を受けている現状、“ダババネル”を維持するためには周囲の協力を得ねばならず、そのためにこう下手に出ている可能性も高い。(事実、柘榴は運営に参加している六校全てから好かれている訳ではなかった。運営側は運営側で、人が作る集団とは必ずそうなるものだ、派閥化が進んでいるという噂がある。なんでも柘榴は最初から自分の部下だった古参とそうでない者を露骨に差別するらしい)
……“ダババネル”は幾つかの衛星的居住地を持つ。否、因果が逆か。衛星的居住地となってくれる村落があるからこそ専門的な商いをする町になれた。農業の初歩も彼らから教わったという話だったな。
“ダババネル”の周囲、約一五キロほどには、アチコチに村落、基本的にはNPCだけが暮らすものが点在している。それぞれの人口は多くて五〇人だが、しかし、村の母数が多い。合計すると千近くにもなる。彼らは原始的な農耕社会を築いている。“ダババネル”は遠方にある別の町とコレらの村落と交易することで生計を立てている。交易の内訳は三対七で村落への依存率が高い。(進歩しているとはいえ農業が未発達な現在、“ダババネル”ぐらいの町が食っていくためには、その人口の最低でも約八倍、農業に専従する人々を必要とする)
交易だけではない。他の村を侵略する、略奪する、羨ましがる、それはプレイヤーに限らず、NPCどもだってそうだ。“ダババネル”は、過去、俺たちのような傭兵や、或いは自前の(小さいけれども村落程度の相手にとっては脅威となる武装をした)自警団の武力を背景にそれらの問題を仲裁してきた。いざというときの司法としても機能している。さながら信用金庫のように各地の村に金品や物品を貸し付けることもある。これだからこそダババネル周辺の各村落は“衛星的居住地”と呼ばれている。
何もなければそれでいい。しかし、必然、――プレイヤーの侵略者どもがそれらの村落を襲ったとき、まず頼られるのはダババネルとなる。コレが昨今の頭痛の種なのだった。
ダババネルのみならば守るのは容易い。最大でニメートルもの厚さを持つ城壁、それなりにある備蓄食料、優秀な武器、頭数、何もかもが揃っている。だが、この地域全てとなると? そして、その全ての救援要請を満たせず、村落が滅ぶ、敵側へ寝返る、交易をストップされる、そういうことが起きてしまえば?
ある意味では欲をかき過ぎた結果、自業自得、当然の帰結なのかもしれない。相手がNPCばかりだからと調子に乗って分不相応なほどに勢力を広げた。”ダババネル”はその報いを受けている。
否、――報いを受けるのが“ダババネル”ならばいい。町という概念ならばいい。実際に報いを受けるのはそこに住む人々なのだ。プレイヤーたちなのだ。柘榴が全ての責任を取ってくれるならばいい。しかし、もし現実に“ダババネル”がどうしようもない結末を迎えたとき、俺たち全員が職を失うとかする。
俺たちはまだいいかもしれない。自分たちで望んで“ダババネル”に与した。一方、例えばここ以外に行く宛がなかったとか、そういうプレイヤーについても『見る目が無かった』とか『運が無かった』とか自業自得の一言で済まされてしまうのだろうか? そうに違いない。世間は残酷だ。
E・SPORTSの人気はまずまず高まってきている。ブラスペもそれなりの視聴者数を獲得しているからには、なにしろ俺たちは実態はどうであれプロという肩書を持つ、しくじりをやらかしたとき、プロの癖にという無数の暴言、罵声、冷評に耐えねばならない。
面倒だ。俺は思った。政はとかく面倒だ。俺は関わりたくない。サトーはどうなのだろうか。彼女には何か俺たちとは別の視点があるのだろうか。
「最初ね――――」
柘榴は吐息混じりに言った。彼とサトーが膝を交えているのは“ダババネル”の中央広場にある庁舎の三階、暫定的に町長室と呼ばれている部屋だった。二人は切り出した石で作られた無骨なテーブルで向き合っている。室内、調度品の類は少なく、代わりに窓から望める広場の眺望が贅沢だった。円形の広場のその形に沿うように幾つもの建物が等間隔で肩を寄せ合っているのである。どの建物もレンガとコンクリートで建てられていた。(この大陸は各地に火山がある。火山灰が手に入りやすいという関係上、建材はレンガとコンクリートにほぼ依存する。その場所で利用可能な資源を有効活用しようってことだな。レンガとコンクリは防水性もいいしね)
俺は、正確には俺と七導館々々高校の仲間たちは部屋の隅にそれぞれ席を与えられていた。これも石製である。クッションがないからケツが痛い。部長は腕を組んで柘榴とサトーを見守っていた。副部長と加藤先輩は落ち着いており、屋鋪先輩は今日も今日とてヒゲ弄りに余念がなく、井端と荒木はいちゃついていて、高木先輩は鼻息が粗い。先程、サトーと初対面の折、肩を抱くだの何だの馴れ馴れしく接したのを、
『君、猿みたいね』
と、冷たくあしらわれたのを引き摺っているらしい。(本人からすればセクハラでも何でもなくて歓迎の意思表示のつもりだったんだろうけどもなあ)
「――――我々は南の砂漠からゲームを始めた」
柘榴は昔の戦争を思い出している爺さんのようだった。彼は腿のあたりで組んだ手を見ていた。
「不毛でね。どこへ行っても何も無かった。泉の傍に集落があったりして、NPCが住んでいたが、彼らも貧しかった。最初の一ヶ月、なんでこんなキツいゲームをせにゃならんのだと、そう呪いましたよ、自分の貧乏な家柄もね。二ヶ月目にはそう思う余裕もなくなった。手持ちの数少ない物資を巡って他のプレイヤーと酷い殺し合いになった。三ヶ月目、四ヶ月目、ようやくこの辺りに辿り着いた」
柘榴は視線を窓の外へ向けた。広場よりも先、俺たちが船で超えてきた川の更に向こう側に広がる豊かな森林、平野、山々、それを想っているらしい。
「農業をまずまずやっているNPCたち。彼らとの接触。それから試行錯誤の日々。NPCと争わねばならないこともあった。辛いこともあった。結果が出るまでは大変だった。結果が出てからもコレです。艱難辛苦は絶えない。否、結果なんて出ているのでしょうかな。我々にはまだまだ課題が山積みだ。しかし、だからといってプレイを辞めるわけにもいかない。私たちは、サトーさん、貴方のような人をずっと必要としていたのです。いや、ありがたい申し出だ。戦いに詳しい人が来てくれたのは有り難い。リップ・サービス抜きでね」
柘榴はサトーに笑い掛けた。サトーは笑い返した。それから彼女はこう尋ね返した。
「能書きはそれだけ?」
「は?」至極、まともな反応を柘榴は呈した。
「私は実務的な話をしに来たの。貴方の思い出話に付き合うためじゃないわ。そういうのは身内でやるのね。少し世間話に乗ってあげたからって、貴方、調子に乗り過ぎよ。いい? 調子はただ乗っているだけじゃ駄目よ。乗られても駄目。適度に乗りこなしなさい。貴方、一応、ここの責任者なんでしょ? 自分の都合をペラペラと喋るものではないわ。――って、見事にブーメランになってる訳だけど」
サトーはティー・カップをテーブルに置いた。その表面を指で弾いた。悪い形状のカップから悪くない音がした。「能書きがそれだけなら話したいことを話させて貰うわ。いい? 用意して貰いたいもの、準備しなければならないもの、色々とあるの。無駄話をしてる暇はもう二度と無いと思って。O・K?」
柘榴は開いた口が塞がらない状態だった。俺も同様だった。やっちまったなと思っている。これはひいては俺の責任にもならんかな。部長が唸った。副部長が頭を垂れた。加藤先輩は面白がっており、屋鋪先輩はヒゲを弄っていて、バカップルはサッパリ話を聞いておらず、高木先輩はと言えば、いきなり椅子から立ち上がったかと思うと――――、