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銃剣突撃する怒れる低学歴と悩める高学歴のファンタジア  作者: K@e:Dё
番外編1章『いちばん最初のサトーさん』
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番外編1章8話/一字半言もなき倒惑


 中学三年の冬、年齢をチョロまかして風俗店の牛太郎(よびこみ)のバイトをやっていた。


 当時、俺は童貞だった。女性経験どころか恋愛経験がなかった。社会経験にすら乏しかった。それで自分の給料ではとても抱けないような可愛い娘(誇大広告)を売り込むにはどうすればいいか? 交渉術を磨く他になかった。そして、交渉術を磨くためにはひたすら実践を重ねるしかなかった。


 幾度も罵声を浴びせられた。危ういところで警察にしょっぴかれそうになったこともある。酔ったオヤジに殴られたこともあった。まともでない商売をやっているという悲しみに暮れたこともあった。事実、職種を明かすしたことで交友を絶たれた年上の友人は何人もいた。『えー。隠さなくてもいいじゃん。教えてみなよ』


 ……サトーは俺の話すのを手で制した。ベッドから立ち上がった。入り口の方へ歩いていった。扉の直ぐ脇にある物で溢れている棚を雑に片付けた。否、それは棚ではなかった。小さなキッチンだった。シンクには何時からそこに置かれているのかわからないような食器類が重ねられていた。見る限りスポンジや食器用の洗剤は無かった。俺はなんとなく家事を代わりにやってやりたい気がしてきた。その見返りにグヘヘとも思った。


 サトーは二つのグラス、おからのパック、それにスプーンを手に戻ってきた。ベッドにあぐらで座り直す。グラスのひとつを俺に寄越した。ビールもひとつ投げてくれた。


「それで」サトーはグラスにビールを注ぎながら切り出した。「幾掛け(なんわりびき)にして欲しいの?」


「早速だな」


「単刀直入の方がお互いのためでしょ?」


 サトーが注いだビールは泡ばかりだった。彼女は指に飛んだビールを舐め取りながら言った。「はっきり言いなさい。ある程度までは交渉に応じてあげなくもないわ」


 ウマいな。俺はビールを飲みながら思った。銀色のビールもサトーの話術もウマい。キレが鋭い。


 会話はしばしばキャッチ・ボールに喩えられる。コレは嘘だ。嘘八百だ。会話とはドッジ・ボールである。主導権を握った方が有利になる。ボールを投げられ続ける側は避けるしかないだろ? それと同じだ。質問をされた側は答えるしかない。提案された側はその提案についてのイエスかノーかを返すしかない。話題転換すらままならなくなる。従って、何かしら自分の意見を通したい場合には、相手がよほど口先に長けている場合を除いて、延々と攻め続けることが求められる。後手に回ってはいけない。


 サトーは俺が本題を持ち出すと同時に間を取った。自然な流れで会話の主導権を自分のものにした。それどころか、俺のするだろう話を先に自分から持ち出すことで場のセッティングを完了した。どんなセッティングか。


 例えば、――ココで俺が五割引き辺りを提示したとしよう。サトーはそれを飲める。飲めば恩を売れる。『あのときはあれで手を打ってあげたでしょ』と後から俺たちを締め付けられる。飲まないこともできる。すると、何しろサトーは俺たちの敵に味方するという手札を持っているのだ、俺たちはサトーの望むところまで妥協を繰り返さねばならない。


 否、それだけではない。俺はいいさ。しかし、もしもココに居るのが俺でなくて、もっと気の弱い奴ならば? なんとなく本音を言い辛い今の雰囲気に流されてしまう可能性まである。(ある意味でコレはサトーから俺に対する値踏みでもあるのだ)


「まず状況を説明させて欲しい」俺は立場の逆転を試みた。


「必要ないわ」サトーは一も二もなくつっぱねた。「要求から聞く。それでなければ帰ってくれていいわ」


 まあそうなるよな。流石に義理とか人情で押し切れるほど甘くはないか。俺は頬を掻いた。(彼女がどういう性格かは先程までの無駄話でおおよそ把握していた。そのための無駄話だった)


「わかった。じゃあ要求から言おう。前払いはナシにしてくれないか? 代わりにインセンティブを七割、払う」


「七割」サトーは表情を消していた。「随分と素敵な条件ね?」


 話に乗ってはいけない。サトーはこの話題を掘り下げようとしている。“状況説明は必要ないわ”と言った手前、どうしてそんな提案をしてくるのかを聞き出すわけにはいかないからだ。俺の側から実はこうこうこういう状況でと説明を始めさせようとしているのだ。


 と、いうことはどういうことか。


 サトーはコチラの情報(特に経済状況に関する)を余り持っていないのではないか。インセンティブの半分、この三ヶ月の収益の三分の一を寄越せと言ってきたのも、実は様子見だったのかもしれない。最初からその額を支払ってもらえるとは思っていなかったのではないか。


 俺たちに支払える能力、その限界を、彼女はいまココで見定めて、そのギリギリの額で交渉を纏めようとしているのだ。出来ることならば自分の望む本当の額よりも一円でも高く。と、同時に、俺たちにはさも譲歩してやったように見せかけて。(このように、会話、殊に交渉において重要なのは相手と自分が何を喋ったかを正確に覚えておくことである。また、その喋ったことの意味について考えることである。交渉の成否はいわゆる“言質”のひとつが左右する。どう左右するかはいまからご覧に入れる)


「どうだろうか」俺は真剣な声を作った。「悪くない条件だろう?」


「確かにね」サトーはスプーンで掬ったおからをモグモグした。口の中に残ったソレをビールで喉に流し込む。


「でも、前払いして貰わないと、私はやらないわ。成果報酬は嫌いなの」


「前払いでないとやらない。金に困ってるのか」


「いいえ」サトーは三缶目に入った。「ただ、取り逸れるのが、ただ働きが嫌なのよ」


「君は自分の能力を信じてないのか? あの作戦があれば俺たちは必ず敵に勝てる。君は頭が良い」


「ええ。私は頭がいいわね。能力もある」サトーはフフンと鼻を鳴らした。


「でも、だからこそ、万が一ということもあるでしょう? インセンティブは勝たないと支払われないんだから。その心配をしているのよ」


 俺は水分を摂っているにも関わらず乾く唇を舐めた。「わかった。なら、こうしないか」


「どうしたいの?」


「俺は金を持ってきている」


 サトーの眉根が僅かに痙攣したのを俺は見逃さなかった。俺は襟元から自分のシャツの内側へ手を突っ込んだ。


 こればかりは事実だから仕方ない。外国人と貧困層の増加に伴って、我が国の治安は急速に悪化しており、一昔前ならよく見た光景、ズボンのケツに財布を突っ込むような真似は二度と出来なくなった。大金を持つときは決して人に取られない場所にポーチで身に付けねばならない。(キャッシュ・レスが普及すればいいのになあ。震災のとき、電子マネーが機能しなかったのがどいつもこいつもトラウマなんだな)


「コレだ」俺は立てようと思えば机に立てられるほどぶ厚い封筒を見せびらかした。「お望みのものが入っている」


 サトーは何も言わない。次に俺が何を言い出すのかを考えているのだろう。否、考えているのだ。おからを食べる手が止まっている。ビールを口へ運ぶ手すら。


「これを俺はいまからお前に渡す。そしたら、お前、それを俺に返してくれないか」


「――は?」


 勝った。俺はそう確信した。手強い相手だ。しかし、しかし、俺は勝った。奇襲に成功さえすれば後はコッチのものだ。畳み掛ける。


「俺がお前にこの金をやる。そしたらお前はこの金を俺に貸してくれ。利率は目一杯でいい。複利で、そうだな、利率はニ九・ニパーセントでいい。無論、口約束で済ます気はない。貸付のための書類も作ってきた。ハンコも持ってきた。名義は個人じゃないぞ。ウチの部活だ。従って、返済能力も高い。踏み倒される確率も少ない。期限も切る。何もかもがお前に取って有利な契約でいい。どうだ?」


 サトーは俺を睨むようにした。俺は戯けたように肩を竦めて、


「お前ほど頭が良ければわかるだろ? これがどれだけ得になるか」


 そうとだけ言った。それで充分だった。サトーは溜息を吐いた。断るわけにはいくまい。ココに来て断る、前言を撤回する、醜態を示す、グチグチと交渉を始めることは自信家のお前には出来ない。それだけではない。お前は俺たちにお前の頭脳を売り込もうとしている。そんな人間が想定外の出来事で大慌て、さあ大変、こんなはずではなかったと取り乱せばどうだ? 俺たちの側で『やっぱりお前の計画なんて要らない』となりかねない。


「花見盛君だったわね」サトーは立て続けにモシャモシャとおからを食べた。「なんだか関取みたいな名前ね。まあいいわ。アナタ、ムカつく性格ね」


「お前ほどではないさ」


「……。……。……。ま、いいわ。許してあげる。書類をくれる?」


 サトーのフルネームは権上かなでといった。彼女の字はとても汚かった。



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