番外編1章6話/おもうべき
「この三ヶ月」
部長はストローを指で曲げたり伸ばしたりしながら言った。グラスの表面に写り込んだ自分の顔を見つめておられる。「我々は上々の仕事をしてきた。クライアントもその点については満足している。してくれている。だからこそ前の仕事でも規定外のボーナスが出た。親会社も我々に対する評価を改めている。しかし、これから先のことについては不安しかない」
「敵は増える一方だからな」と、それまで沈黙を守っていた高木先輩が鼻を鳴らした。大兵肥満である。尊大な態度と性格が顔立ちに出ている人だった。
「作るよりも分捕る方が早い。卑怯な連中だ。人様の作ったものを何だと思っていやがる」
「別にお前さんが作った訳ではなかろうに」
苦笑したのは加藤先輩だった。明るい、ムード・メーカー型の性格だが、こういう会議の場では前に出ない。副部長に並んで調整役に徹するのが彼の自らに設定した役目だった。外見は眼鏡で神経質そうで、その性格の大部分は演技ではないかと俺などは疑っている。
この他、もう一人、この会議に出席している屋鋪先輩は要塞のような図体をしている。着ている制服がはち切れんばかりだ。辞書を引いて寡黙という単語の意味を調べたとき、その例に載せられるほどの口数が彼の特徴で、宴会などが催されても『おお』以外の言葉を発したことがない。日頃はご自慢の口髭を撫でてばかりいる。
なお、三ニ人――違う。三一人か。畜生め――から成り立つ我が部の方針、それを決める会議がこの八名で執り行われるのにはそれなりの理由がある。想像が付くだろう? 三ニ人の高校生で話し合いなどすれば何が起きるか。議論百出して纏まらない。集団でするジャンケンのような有様を呈する。悪くすると肉体言語に発展したりもする。
そこで、各学年から学年の人数に応じて代表者を選出、それらによる合議制を採用しているのであった。(ちなみに俺と荒木と井端が一年、部長と副部長が二年、高木、加藤、屋鋪の三先輩が三年である)
「俺が作ったものでなくても俺の住んでる町で作られた品物だ! 俺の守ってる町の品物だ! 俺のものでもある品物だ! 俺のものになるかもしれんかった品物だ! つまり俺の品物だ!」
高木先輩はフライド・ポテトを五本も纏めて頬張った。「それを横から奪われるんじゃあ面白くねえ。俺の沽券に関わる。しかも、連中、俺たちの仲間をもう三人も殺してんだぞ」
「俺たちは奴らの仲間をニ五人も殺した」
加藤先輩はコーヒー・カップを掌の中でくるくると回している。「この前だけで八人だしな、え? やっぱり“ハルコンネの英雄”様が居ると違う」
「よしてください」俺は肩を竦めた。ハルコンネ云々は俺の渾名だった。公共の場で呼ばれると恥ずかしい。
「謙遜するな」高木先輩はポテトの屑を口から飛ばしながら言った。額に青筋を浮かべていた。「褒められて嬉しくねえ訳がねえだろうが。謙遜するな。増長してますってはっきり言えよ。さっきもな、黙って聞いてりゃあなんだ、一年の分際で部長にあーだのこーだのと喧嘩を売りやがって」
「後輩相手に管を巻くな、高木」
「うるせェな。おまえは何時もそれだ。エエか、加藤、エエか? 忘れた訳じゃあねえだろう。コイツはな、コイツのせいで俺はだな――」
「悪かった。悪かったよ」加藤先輩は降参だとばかりに諸手を挙げた。
「もうやめろ。みっともない。花見盛も済まんな。俺が余計なことを口にしたせいで」
いやまあそれは別にと俺は受け答えた。そのうち覚えてろよと高木先輩は俺に向けて中指を立てた。俺は肩を竦めた。
「それでね」頃合いを見計らって副部長が話を先へ進めた。「敵の戦闘力がこの頃、僕らの対処できる範囲を次第に超えつつある。それを打開するために策を練らねばならない。そういう話が出たのが一ヶ月前だったね。しかし、実際、なんやかんや、敵の襲撃のペースが早いこともあって、ついにそれらしい対策を練ることはできずにいた」
「はっきり対策を練るだけの頭が俺たちにはねェと言っちまえばいいでしょうよ、副部長」
「高木」苦笑いする副部長を見兼ねて加藤先輩が窘めた。
「お利口ぶりやがって」と、高木先輩は対象の不明な罵声を吐き捨てるなり、ポテトの皿をひとりで抱え込んだ。ばくばく食べる。間もなく喉に詰まらせた。胸をドラミングのように叩く。呆れながら加藤先輩が自分のコーヒー・カップを差し出した。高木先輩はその中身をぐびぐびと飲んだ。熱かったらしい。飛び上がった彼はドリンク・バーの方へすっ飛んでいった。
「ようやく静かになった」加藤先輩が肩を落とした。
「高木は元気でいいな」部長は苦笑した。
「元気だけが取り柄な奴です」
「高木が元気でいてくれないと気が滅入る。アレはアレでいいんだ。で――、過去八週間、我々は一人の死者も出さなかった。しかし、この二週間だけで、高木も言っていたように三人が死んだ。三人だ。井口も松中も城島も全員が片親だからな。働き口に困っている。どいつも再就職の宛はまだ見付かってないらしい。そもそもまず後期の学費が払えなくなると泣いていた」
部長は目を細めた。「このまま行けば被害は加速度的に増える。どうにかせねばならない。そう思っていた矢先、サトーとかいう、そう名乗る、ソイツから届いたのが、さっき見て貰った資料だった」
「内容的には悪くなかったスよね?」
井端の腹をぶにぶにしていた荒木はそう尋ねた。「なんか難しくて良くわかんなかったスけど」
「悪くなかったどころじゃない」俺は膝の上に畳んであるノート・パソコンの表面を叩いた。パソコンの側面には例のUSBが刺したままだった。「アレは相当なマニアだな。詳しいんだと思うぜ。戦争とかそういうのに。俺たちではとても思い付かないようなことが書いてあった。ノウハウみたいなものがアイツにはあるんだと思う」
「ノウハウってなんスか?」
「……。……。……。なんか、だから、やり方っていうか、テクニックっていうかだな」
「最初からそう言えばいいじゃないスか」
ねー? と、荒木は小首を傾げながら井端に同意を求めた。井端はそそそそそそそうだねと脂でテカテカしたツラを歪めた。散々、荒木に愛撫されたからか息を荒くしていた。やめなさい。
「で」荒木は井端の膝の上に座り直した。井端があふんと気色の悪い喘ぎ声を漏らした。
「議論する意味なんてあるスか、それ? そんなに凄い計画なら乗っかっちゃえばいいじゃないスか」
「サトーは条件をつけてきた」
部長は頭を振った。「サトーはこの計画を私たちにくれた訳ではない。売ると言っているんだ。この三ヶ月の部の収益の三分の一を寄越せと言ってきとるんだぞ。それだけじゃない。敵を倒したときに親会社から支払われるインセンティブの半分まで要求してきている。額にして七桁だ」
「それはまた」荒木は自分の頬の肉を人差し指で上へ上へ押し上げている。「払うフリだけすればどースか? 計画は頂いちゃって」
「馬鹿かお前は。サトーは前金で要求している。支払い期限は明々後日だ」
「なら明々後日までに計画を実行しちゃえばどうスか」
「そんな簡単には行かない。下準備が必要だ。それに、コチラに支払いの意志がない場合には、サトー、この計画について敵に漏らすそうだ」
「ははあ」荒木は顎を撫でた。「周到スね。でも他に手は無いんスよね? じゃあもう従うしかないんじゃないスか」
「だが――」
部長は下唇を噛んだ。「三分の一が手元に残せれば、それで、皆んなの許可が得られればだが、それをあの三人にくれてやってもいいと私は思っていた。あくまでも私はだがな。そう反対されるとも思ってはいなかった。サトーに払ってしまえばあの三人を見放すことになる。インセンティブが入るのはしばらく先だしな」
荒木は眉間にシワを寄せた。井端の二重顎を指で突きながら彼女は苦笑した。「でも、それはしょうがなくないスか?」
「しょうがないだと?」部長のアルト・ソプラノは震えていた。「それが仲間に言うことか」
「とはいいますけどねー、そんなこと気にしてたらどうにもならんスよ。あの三人も自分でそれぐらいなんとかするんじゃないスか。それで私達まで同じような悲惨な目に遭うのこそ、彼ら、望まないスよ。多分」
ねー、と、荒木はまた井端に同意を求めた。井端は今度は口元を緩めただけだった。部長は手を組んだ。拝むような姿勢を取った。副部長が俺に視線を向けた。加藤先輩も俺を見ていた。俺はその視線の意味を誤解しなかった。屋鋪先輩は長い髭を指に巻きつけて何か口の中でモゴモゴと呟いた。
「部長」そんな切ない表情はやめてくださいよと俺は思っている。「まあ、なんですか、アレですよ。わかりました。条件については俺がサトーと交渉してみます。実際、荒木も言う通り、また、高木先輩の指摘する通り、俺らにはサトー以上の計画は練れない。乗るしかない」
「花見盛……」
「いやいや。何も言わんでくださいよ。いいですよ。サトーの方でもウチの部との連絡役は俺を指定してきている訳ですから。それに、俺、口先が巧いですからね。ご存知の通り。もっと言えば部長の失敗の尻拭いにはもう慣れてますので」
部長は泣きそうになった。一瞬のことだった。彼女はわざと怒ったような風を装って馬鹿と俺を叱った。それから全員にではそういうことでいいかと尋ねた。いいということだった。方針はこうして決まった。高木先輩は遅れて帰ってきた。彼はドリンク・バーのジュースを全て混ぜた、いまどき、小学生でもやらないような黒い飲み物を嬉々として飲んだ。
「ところで話はどうなった?」
「もう済んだぞ」
「そうか、そうか、そう加藤。もう済んだか。それはめでたい。――なにィ!? 花見盛、テメェ、どういうことだ、オイ!」
なんで俺のせいになるんだ?