番外編1章3話/一生を囀りちらし
ご存知だろうか? 棍棒で殴ると人は死ぬ。殴るときは頭を狙うと良い。一発で死ぬ。
尤も、そのぐらいのことは敵も弁えている。対策を講じてくるだろう。防具か? 周到に頭を覆うか? 磨いた技術か? 攻撃を躱すか? 有利な場所に戦場を設定するか? 人数を揃えてくるかもしれない。四十八手だ。様々な手法がある。敵の対策に対する対策を講じねばならない。
まるで子供向けのアニメーションだよな。当時の俺はそう思っていた。敵がパワー・アップする。ピンチに陥った俺もパワー・アップする。するとまた敵がパワー・アップする。それを倒すべく俺は再びパワー・アップする。パワー・アップがゲシュタルト崩壊する。ただ玩具を売るために。売れなければどうなるか。玩具会社が倒産する。スポンサーの消えたアニメは打ち切りになる。連鎖的に何百人、もしかすると何千人かが露頭に迷い、この中の何パーセントかは死んでしまう。
ところで、俺はどんな対策に対する対策を講じたか。シンプルだった。誰にも負けないほど膂力を鍛えたのである。腕力は全てを解決する。いいね?
「なあ君」俺は彼の顔面に言葉と唾とを吐きかけた。唾には血が混じっていた。彼に殴られたせいで頬の内側が裂けていた。喋ると空気が染みる。ジクジク痛む。
「君の防具は凄かったな?」
「ありがとう」
顔面蒼白の彼は呻くように言った。この場に最も相応しくない言葉を選んでいることに彼自身は気が付いていなかった。彼は額から血をどくどくと流していた。俺の斧が彼の兜を叩き割ったときに生じた傷だった。彼はこの他にフル・プレート・アーマーなんてものを着込んでいた。さながら中世の騎士である。尤も、騎士にしてはずんぐりむっくりに過ぎた。鼻が団子なのもどうも気に入らない。俺は彼のその鼻の頂点を斧の先端で軽く突いた。彼は縮み上がった。失禁しているらしい音がした。俺は溜息を吐いた。
「別に殺しを楽しむ趣味はない」俺は事実を告げた。「降伏するか? するなら殺さない」
「する。する。するよ。もちろんする。させてくれ。頼むよ。したいんだ。死ぬわけにはいかん。俺の稼ぎが無くなると家族が食い詰める」
「わかった、わかった、わかった」
彼は土下座しかねない勢いだった。俺は苦笑した。「毎朝、芝居の台本をトーストに挟んで食ってでもいるのか? そんな流暢に命乞いする奴は見たことがないよ」
斧を肩に担いだ。戦斧、長い柄に片刃、木と鉄で組み上げられたそれはズッシリと重く、長さは八五センチもあった。持病の肩凝りが悪化した。
「それにしてもまァ」俺は嘆いた。「随分と死んだな」
ココは深い森の中だった。太陽と離婚、浮気相手の月にさえ逃げられて、照らす光は何もない。昼間だというのに薄暗かった。鬱蒼と生い茂る木々の影響もあって三〇メートル先が見渡せない、そんな中で“随分と死んだな”と鑑定するのは、隠しようもない死臭、現実でも嫌というほど嗅いだアレの総量を判断材料にしていた。
俺は鎧の彼に手を貸してやった。彼は本当に戦意を喪失していた。目の焦点が合っていなかった。一応、ありあわせの縄で手首を縛ったけれども、その必要すら無かったかもしれない。血が固まって、彼の額の傷は勝手に塞がっていた。
俺は全員に集合を掛けた。と言っても大声で全員の名前を順番に呼んだに過ぎない。点呼に応じなかった者は三名、内の二名は殺しの快感と恐怖に溺れていただけで、死んだのは一人だけだった。敵は八人から死んでいた。戦闘に参加したのはコチラが三ニ名、敵が四〇名だから、八名はやはり随分だった。
戦後処理と根拠地への帰還を御学友に任せて、俺は口笛を三回、間隔を開けて吹いた。空中に半透明のウィンドウが現れた。ログ・アウトのボタンを押す。再確認にイエスと応じる。目の前が暗くなる。一息、フーと吐き出したときには現実世界に帰還していた。ヘッド・セット型のゲーム機を頭から取り外す。
五秒前まであんな森で凄惨な殺し合いをしていたとは思えない。俺が寝そべっているのは部室の一隅に敷かれたマットレスの上だった。これといって特徴のない八畳の室内には他にもニ〇名の男どもが横たわっていた。故に室内は、まあ、その、窓を全開にしていてもコレだから、もし、していなければどうなるのかな? 生物学的に素晴らしい発見ができるのではないかな? カルピス菌みたいな新種の役に立つ菌とか見つけられるんじゃないかな? と、――そう思われるぐらいには臭う。
他の一ニ名、女子たちはそれぞれ自宅からプレイしている。さもありなん。若い男女がひとつ屋根の下は危険過ぎる。何も起きないはずがない。俺たちは難聴系主人公ではない。ましてゲーム・プレイ後、戦闘の後、興奮した男どもとなればそれは野獣、美女であれば、否、美女でなくとも、とにかく性別が女であれば、いやいや、なんなら男ですら、とにかく穴があればという沙汰が生じかねない。(経験者は語る)
「あら」
その、阿片窟もかくやという魔空間に凛とした声が響いた。俺が上半身を起こしたときだった。彼女は窓枠に片膝を立てて座っていた。窓枠の向こうにはクスノキが聳えていた。その木陰では、ええい、どいつもこいつも青春を謳歌しやがって、何人かの男女がチンチンカモカモしているらしかった。空がどこまでも青かった。くたばっちまえと俺は胸中で呟いた。その対象は不明である。
「起きた?」彼女は銀色の缶ビールを手にしていた。呷った。凄い飲み方だった。一息で半分ぐらい飲んだ。それから窓枠から飛び降りた。律動的な歩調で俺の傍へ歩み寄った。空いた缶を投げた。部屋の隅にあるゴミ箱に見事に入った。俺は拍手した。
「……。……。……。あー」
俺は自分の襟元や服の袖のニオイを確かめた。「近付かない方がいいよ。で、君、誰?」
「サトー」そう名乗った彼女は我が校のではない制服を着ていた。黒いセーラー服だった。リボンだけが白かった。似合っていた。ふんわりと、ボリュームのある髪の色は茶で、毛先は僅かにウネッていた。パッツン女子にメンヘラが多いってのは本当なのかな、と、俺は疑った。
彼女は絶望的なほどクールでビューティーだった。お近づきになりたい俺は尋ねた。「君は何しにこんなムサいところへ来たのかな、お嬢さん」
「それはね」
彼女は薄い唇を舐めた。グッと腰を折った。俺の額に彼女の額がゴッツンコした。その衝撃で彼女の前髪がハラリと乱れた。メンソール系の煙草の薫りがツンと俺の鼻の奥へ抜けた。それは彼女の首元から漂ってきているのだった。俺は鼻をクンクンと動かした。ゾクゾクするね。
「アンタらバカチンどもにアドバイスをしに来てあげたの」
え。――ああ、でも、ゾクゾクするね。
え?