2章3話/リーチ一発トイトイ三暗刻ドラドラ
スクリーンにモヒート国章が映し出される。ゲーム内国家らしい遊び心に満ちたそれは、デフォルメされた、ニ・五等身の令嬢がスカートの端を摘み上げて挨拶している図柄であった。
その国章がフェード・アウトして二元的な地図に取って代わられた。アメリア大陸の地図である。縦に細長い。
「周知の通り」口火を艶やかに切った会長は脚を組む。最高権力者ならばそういった無作法も許される。
「親会社、ひいてはスポンサーからの強い要望でね。ここのところのダイキリとの緊張について、外交でケリをつける、というわけにはいかなくなってしまった。間違いなく全面戦争になる。サトーが去り、アメリア大陸が南北に別れて争い始めて以来、初めての全面戦争だ。不慣れであるし、一年生も多いから、諸々、確認を含めつつ、この会議では今度の戦争の基本的方針や戦略案についてを解説させて貰いたい。――では、参謀総長」
「はい」指名を受けた権上氏が立ち上がる。望んで地味に徹しているとしか思われないほど印象の薄い男であった。彼の目元、過労のためか、もう消えなくなっているらしい隈だけが自己主張をしている。
アメリア大陸はその中央を走るウファツェア山脈を境に南北で気候や植物相が変化する。その、具体的な境界線は測量技術の未発達によって把握できていないが、とまれ、季節風と海流の関係で北側(ダイキリ側)は温暖湿潤である。故に安定した、大規模な農業生産力を涵養することが可能であり、彼の国の人口は我が国のそれのニ倍に匹敵する。南側(モヒート側)はどうか。国土の二割が砂漠であるほどに乾燥している。地味も肥えていない。強みは大量の鉱物資源と、それを活用すべく大量の資本投資を行ってきた冶金学と鉄加工業の結合――火砲の絶対量である。次の戦争、その勝利の鍵はひとえにこの火砲と言ってよい。
戦争目標は――滑稽な話だ。このゲームにおいては必ずしも目標があって戦争を始めるのではない。戦争を始めねばならないから目標を後付する場合が多い――何か。南北統一などという大それたものではない。我が国の、低い水準を余儀なくされている食料自給率を改善すべく、ダイキリから領土を奪い取る(割譲させる)ことになる。
発表された戦略と作戦案は白眉であった。ほとほと私は感心する。兼任作戦部長である権上氏の軍才はサトーと比べてすら引けを取らない。流石である。
「さてはて」
会長は前髪を掻き上げながら言った。「このプランで最も重要な役割を担う第ニ旅団についてだ。諸君らはもうご存知だね? ダイキリに知られるから報道しないでくれと言ってもね、何社かのネットメディアは報じてしまったからね。第ニ旅団長の空模様君が脳溢血で倒れてしまったのだ」
チラリ、何人かが盗むようにして私の背後を見た。そこで四角くなっているのは身長一九〇センチ、体脂肪率が五パーセントを切るだろうという筋肉ゴリゴリマッチョの青年で、その名は剣橋といった。いま、会長の問題にしている第ニ旅団の参謀長で現在の代打指揮官である。
「なにせ旅団長級の人事だ」会長は百万ドルの微笑を浮かべた。「そう簡単に決めることはできなかった。関係各位には色々と迷惑を掛けたね。この場を借りて謝罪する。この場を借りるついでに、異例ではあるが、新たに第ニ旅団長に内定した人物を発表させて貰いたい。内示など所定の手続きを守らないことについてはご容赦を願う。ああ、人事局長、君は座っていたまえ。私から話すよ」
どうしてまたわざわざこんな場を選ぶのか。針の先でチョンと突けば破裂するような緊張感が会議室内に漲った。旅団長――とは僅か一〇席しかないポストであり、その権限と役得とは、参謀本部の部長職に等しい。『私は旅団長です!』というだけで有名大学への推薦を勝ち取れるだろうし、出世を目論む若手、親会社、在籍校、メディアなどからの贈り物は引きも切らなくなるだろう。
無論、であるからには、旅団長職をその手に収めるべく、連隊長級の役職にある高学歴どもは常に政治ゲームを繰り広げている。上司や人事にゴマをする、リンゴを磨く、媚び諂う、ともすれば金銭を握らせることもある。あるライバルを出し抜くために別のライバルと連携して、その別のライバルを蹴落とすべく、裏で更に別のライバルと同盟を結ぶ。競争相手の悪い噂をばら撒くなんて可愛いものだ。戦場でライバルを背中から撃つなんてことも有り触れた話である。――――
『俺か?』と、会場内の連隊長級三年生は誰もが思っているはずだ。『いや、俺でなくとも、せめてアイツでなければいい。或いは俺と同じ派閥で恩を売ったことのあるアイツであれば。あれだけ危ない橋を渡ってきたのだから。俺であるのが一番だけれども!』
人事など人前で盛大に発表するべきものではない。落胆した、しかし、表面上は憎いあんちくしょうを祝福しなければならない自信家は何をしでかすかわからないからだ。喩えこの場で何をするわけでなくとも、以後、自分が選ばれずにアイツが選ばれたという屈辱を引き摺り、やがては何らかの暴挙に走る。
だがどうも、私程度の考えることなど秀才参謀らには織り込み済みらしい。会長は会議資料の最後のページを開くように命じた。そこには切り取れるようになっている誓約書があった。『誰が旅団長に決まっても文句は言いません』である。なるほど、この場で発表するのは、本人が間違いなくこの紙に署名したかどうかを確かめるためか。後からの言い逃れ封じね。
まあ、どうせ私には関係のないことだ。私は祖母の遺品の万年筆で以て署名した。切り取った誓約書は会長の秘書官らによって嫌に手早く回収された。
「では発表する――」
早くこの会議が終わらないだろうか。帰って、本でも読みながら今日は何を飲もうか。
「――第ニ旅団長には現職・独立第一三連隊長の左右来宮右京子二年生を、その任から解いて補職する」
「は?」私は口を縦に丸く開いた。「は?」
会議室内は蝉の抜け殻のように静かである。誰もが放心状態にあるらしい。だがそれも数秒だった。正気を取り戻したある高学歴が、隣席の、副官らしい二年生の手を払い除けて立ち上がった。「コイツは二年生の低学歴ですよ、会長!」
「そうだそうだ!」の声が連なった。私に向けられる視線には程よく脂の乗った敵意や憎悪や侮蔑が込められていた。私はなんだか愉快になってきている。
そうかい、と、私は思っているのだった。そうかい。さんざんに使い潰して、挙げ句の果てにポイ捨て紛い、その上で再利用か。やってくれる。高学歴からすれば我々などゴミも同然、環境のために低学歴リサイクルにご協力くださいって訳ね?
とはいえ僻んでばかりもいられない。コレは歴としたひとつの機会ではあるのだ。癪なことにコイツらは味方、どれだけムカついても戦場で殺すわけにはいかないが、敵の高学歴となれば話は違う。アイツらをぶちのめせるならば、べらぼうめ、この程度の屈辱は甘んじて受けよう。そして無論、味方であろうが構うものか、コイツらにはコイツらで何時か諸々の報いを受けさせる。先輩の、私の、連隊の受けたあらゆる屈辱の報いをだ。そのためにもいまは耐えねばならない。このチャンスを活かさねばならない。
ニタニタしている私の背中が叩かれた。例の剣橋さんが意外なほど好意的な笑みを浮かべていた。「どうもコレからはお世話になるようですな。アホの言うことは気になさらないでくださいよ」
「――コイツというのは良くない」
腰に手を当てる様子ですら典雅な会長である。「低学歴と揶揄するのも。それに君は誓約書を書いたね?」
会長に食って掛かったあの高学歴は地団駄を踏んだ。「嵌めやがったな、この!」
彼は親会社の差し向けた守衛に取り押さえられた。なおも喚き立てる彼は会議室の外へ連行されていく。その様子を見て我に返った高学歴らは黙り込んだ。我に返りながらも黙れない高学歴は自発的に会議室を出ていくか、そもそも我に返らなかった連中と共にやはり撮み出された。その光景にほくそ笑んだ高学歴や低学歴もいた。少数だが同情する者たちも。
「左右来宮君」会長は咳払いをしながら私を呼んだ。
寛容できるか否かを問わず、静寂にならざるを得ない会議室内で私は立ち上がった。「はい、会長」
「急なことだからね。特別に君には拒否権を与える。――第ニ旅団長を?」
私は、意思とは関係なく浮かび上がる笑いを隠すべく、大袈裟に腰を折った。いま、この室内に残った連中はそれぞれ赤や青や黄色い顔をしている。私はそのルービックキューブを赤一面に揃えたくてたまらなかった。だって、ホラ、几帳面な性格だから、私って。
「謹んでお引き受け致します」