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最終章5話/君は君で僕は僕


 夜の公園は人気がなかった。日中は子供たちでごった返すであろうことは砂場の様子からわかった。崩されずに残っている力作の城、その根本に可愛らしいショベルが突き立てられている。ショベルは二本あった。色はそれぞれ赤と青だった。私はホッコリした。明日は雨の予報ではなかったはずだ。完成するといいね。


 ボールを握り直す。手汗で滑る。ただでさえ私の手に硬球は大きい。もう少しでいいから身体が大きくならないものかと思う。公園の照明が眼鏡の縁に徒に反射していた。


「ま」私は中途半端なフォー・シームを投じた。その軌道の情けなさが私のコンプレックスを煽った。「と、いうようなことがありましてね」


「ハハァ」剣橋さんは私のヘロヘロ球を難なく捕球した。彼のグラブは使い込まれていた。それがまた私の劣等感を刺激した。私のグラブは押入れの奥で埃を被っていた年代物であった。まともに磨いてすらいない。


「左様ですか。良かったですなァ、反省文で済んで」


「ええ。停学なんて食らった日にはたまりません。アレ、辛いんですよ」


「食らったことがあるんですか?」


「ありますよ。三日ですけど」


「なにをやらかしたんです」


「まさか。言うまでもないでしょう」


「酒ですか」


「敢えて肯定はしません」


「謹慎と停学だと」剣橋さんはセット・ポジションに構えた。「停学のが重いんですよな? もちろん」


「もちろん」私はグラブをパフパフさせた。人形劇のようでもある。いつでも投げていいですよの合図だ。「停学は記録に残ります。進学に影響があります。推薦のときの審査で見られるわけですから」


 剣橋さんは深く踏み込んだ。膝を曲げるタイミングが熟練のそれだった。彼は容赦のない直球を放った。ゴリラの球速は一三〇キロだった。二年、野球から離れていた上に利き腕でなくてコレだ。テイク・バックも綺麗である。肘の下がらないところが素晴らしい。腰の捻りと開きもまずまず及第点であった。


 文句をつけるなら体重移動がスムーズではない。踵の方にかなりの重量が残ってしまっている。無理もないことだった。二年前、某中学でエースだった時分に比べて、彼の体格は三割増しになっている。当時の感覚ではその体重移動法が正しいのだ。(もったいないゴリラだ。先輩からの嫉妬、監督からの酷使、周囲からの期待、そういうもので肩を壊しさえしなければ野球で食って行けたかもしれない。プロは無理でも独立リーガー辺りにはなれたのではないのか)


 コントロールは並だった。コマンド力は微妙だった。私は守っていた位置から僅かに右へ身体を移動させた。無論、私の体格と運動能力と反射神経で一三〇キロを捕球することはできない。しかし、できないことをやろうとするのは愉快だった。私は剣橋さんの手加減のなさに感謝した。


 ボールはグラブの先端に当たった。跳ねた。グラブ越しでも凄い威力だ。指先が痺れる。痛いというよりも妙に痒い。熱を持っている。足元に転がったボールを拾いあげた。硬球だったら骨が折れてるだろうな。


「左右来宮さん」ゴリラは拍手で私を煽った。


「そろそろ真面目にやってください。一度、投げる度に落とされるんじゃあテンポが悪いですからなあ。捕球。即、投球。これぐらいのリズムで行きましょう」


 私はニタニタした。「ケンブリッジさん、割と良い性格をしてますよね」


「あなたほどではないですがね。ところで、以降、エー、なんだ、まあ、兄貴とはどうですか」


「まずまずです」私の投げた球は変な方向へ向かった。


「まずまずね」剣橋さんはその場から動かなかった。腕が長いっていいですね。


「そうですね。毎日、相変わらず憎まれ口とか、嫌味を言い合って過ごしてますよ」


「おいおい」剣橋さんは呆れた。「キチンと和解したんですよな?」


「和解」


「和解ですよ。わかりますか? 和解。したんでしょう」


「まさか」


「まさかってね、アンタ」


「一〇年も不仲だったんですよ。それが数日で修復できるはずがない。私たちは和解したんじゃありません。和解し始めたんです。関係の修復がいま始まったところです。ポーンとね。そんな、直ぐに変わるものではないですよ。何事もね」


「そんなもんですかな」


「そんなもんです。ちなみに、もう投げていいですよ。捕球して即、投球じゃなかったでしたっけ?」


 手投げである。しかし、それですらゴリラの球は重かった。捕球はできた。グラブから零した。舌打ちした。


「ただね」サイド・スローとか試してみた。酷いものだった。「変わったものがないわけでもありません」


「どこ投げとるんですか。――ないわけでもないって?」


「この前、学校に行ったらね」


「それは学校には行くでしょうよ、普通。高校生なんですから」


「……。……。……。行ったら、まあ、私のことをあまり快く思っていらっしゃらない人々に難癖をつけられましてね」


「ああ。いそうですね。アンタ、そもそも女子に嫌われそうですし」


 私は苦笑した。昔から確かに女子ウケは悪い。ならば男子ウケは良いのか、と、そう問われるとそれも微妙であった。尤も、この頃、学校を歩いているとこんな話を小耳に挟みはした。『アイツって左右来宮だろ? まとめサイトで見た。なんか、いや、よく知らないんだけど、凄いプロ・ゲーマーなんだってさ。俺、結構、気になってたんだけど、あれだけ良い感じに書かれてたらますます――』


「そこを、たまたま通りかかった壱式さんが助けてくれました。嬉しかったな。アレは素直に嬉しかった」


 投球姿勢に入っていた剣橋さんの動きが止まった。上げた足を降ろした。ポカンとしている。


「どうしました?」私はグラブの表面を手で叩きながら尋ねた。


「いや、左右来宮さん、そんな風に笑えたんですね」


「ゑ?」私は自分の口の端を指でまさぐった。なるほど笑っている。だが、それほど変な笑い方をしているだろうか。剣橋さんはその話題についてそれ以上のことを語らなかった。これからは手鏡を持ち歩こうと私は決めた。


 私たちはキャッチ・ボールを続けた。色々な話題が出た。那須城崎さんが親会社の許可も得ずに私のグッズを販売していることなどがそれだった。彼女、私に煮え湯を飲まされた人々を集めて“反逆者・左右来宮右京子を殺す会”とかいう謎の団体を発足、コンパやら飲み会やらを開いて稼ぐとかいうビジネスを本気で検討しているらしかった。やめてくれ。というか、貴方も漏れなく殺されますよ、それ。私の仲間なんだから。


 言った通り、壱式さんは、というか、軍楽隊の――我が学校の吹奏楽部のメンツは私のことを気にかけてくれている。有り難い。こんな私のことをそんなに気にしなくていいですよ、と、そう思ってしまうのはどうしようもないが、実際、嬉しいものは嬉しいので、今後ともぜひ気にかけて欲しい。


 ゲーム内情勢についてはいまは語らない。ただ、神々廻さんは誠に楽しそうに暗躍していて、私はとんでもない役割を果たさねばならなくなった。ま、これも責任のひとつだ。やりますとも。ええ。


 ケンブリッジさんと黒歌さん、それに――ノコノコと――戻ってきた冬景色さんらは前と変わらず優秀だ。私を支えてくれる。宵待さんは、近頃、どことなく機嫌がいい。退屈でないからだとか言っていた。吉永さんは一、ニ週間に一度はきっと泊まりに来るが、今日は絶対に寝ないとか宣言しては、必ず私より先に寝る。この前、会長の名前を寝言で呟いていた件についてはまだ、当分、深堀りしないことにしていた。


 この他、花村君は相変わらず役に立たず、須藤さんはやけにゲームに身を入れだしたし、かなで先生はグータラで、校長はお小遣いをくれて、投木原君たちはコンビニ前で屯していて、頂は平常運転で、過去のことは水に流すとは言ったけれども、それにしても流し過ぎではないかとも思われる。まあ、変に距離を置かれるよりかはいい。ただでさえゲーム内では一緒にいられる時間が減ったのだ。(ただし、吉永さんが泊まりに来るのに便乗して泊まりに来て、勝手にウチの家事を取り仕切るのはいい加減にして欲しい)


 新しい出会いもあった。別れもあった。そして、兄とは――


「これがいちばん変わったことかもしれません」


 私と剣橋さんはベンチに並んで座った。足が棒のようだった。運動をした後にだけ得られる素敵な疲労感が全身に漲っていた。


 九月の終わり、本格的な秋の到来を控えて風は日に日に冷たさを増しており、それに比例して色を変えていく木々が私たちの頭上に茂っていた。サアサアと鳴っている。私は身震いした。汗が首筋を流れていった。剣橋さんは持ってきた上着を私の肩にかけてくれた。大きかった。大き過ぎた。


「最近、実は不安に思うことがありまして」私は近くの自販機で買ったワンカップを両手で持っていた。それを掌の中でくるくると回した。腫れている掌に瓶の感触が気持ちよかった。


「不安ですか」コレは熱い缶珈琲を手にした剣橋さんが唸った。吐く息はまだ白くない。しかし、幾週間かが過ぎれば白くなる。実りの秋なんて直ぐに終わる。長くて寒い冬が来る。雪に閉じられた季節が始まる。


「いまは兄とうまくいっています。行き始めています。それどころか、兄の仲立ちでね、母と話す機会すら増えた。友人も増えた。でも、このまま本当にうまくいくのか? と、そういう不安があります。というものね、ケンブリッジさん。私、人に好かれるような、何かを成し遂げられるような――」


「左右来宮さん」


 背凭れに腕を投げていた剣橋さんは喉の奥で笑った。「皆まで言わんでもわかってます」


「ありがとうございます」私は泣きたくなった。


「ンマー、なんですなァ」剣橋さんは缶コーヒーを啜った。熱いと文句を言った。


「とりあえず俺は好きですよ。ええ。いつか、そう、飲み会のときにも言いました、俺は貴方のことが好きです。貴方がそれを信用するかどうかは貴方の問題だ。そういうことです。結局、それが全てですよ」


 私は何かふざけたことを言い返そうと思った。男女間に友情が成立するということが私たちのお陰で証明できましたね、とか、そういうことを。しかし、口に出すことができなかった。遠慮したのではない。私はただ頷いた。そして、過去のことと未来のことを想った。


 脳内の劇場、その五番スクリーン、特等席に座ると銀幕に映画が投射される。最初にプレイヤーを殺したときの記憶だ。


 アレは快感だった。ログ・アウトしてから、私はその感覚だけをオカズに何度か続けて――した程である。快感だった。それだけの快感だった。いま、思い返しただけでも下腹の奥にキュンとした劣情を覚える。だから他の高学歴どもも次々と殺した。もっと快感が欲しかった。ゲームを始めてからの一年、私はまさに覚えたての猿だった。


 だが、あるときを境に、突然、その快感に面倒なものが付き纏うようになった。件の罪悪感だ。『ゴムを着けて?』

 

 シュラーバッハでそれは最高潮に達した。ラデンプールのときには、私は、むしろ高学歴を殺すことに嫌悪感すら抱いた。ああ、このまま終わるのかなとも思った。私の憎悪もこれで燃え尽きたのかと。それならばそれでいいと。何を生き甲斐にすればいいかはわからなくなるけれど。


 それがどうだ。ンジョール=ヌ以来、再び、私は高学歴殺しに酔っていた。罪悪感なるものはサッパリ感じなくなってしまっていた。ただ暴力を振るう喜びを取り戻していた。


 例えば夏川さんの私に襲いかかってきたあの瞬間、私は『ざまあみろ』と思っていた。よくも私のクーデターを台無しにしてくれた。よくも私を罵ってくれたな。こんなイージー・トラップに引っかかって。何が高学歴だ。何が優秀だ。ざまあみろ。(彼女に『私だけを恨め』と請願したのも罪悪感故ではない)


 このように私の感性が戻った理由は自分ですらわからない。敵が明確に私を嫌っている、それも、私の嫌いなタイプの高学歴に限定されつつあるからかもしれない。わからない。


 否、わからないなんてことはないはずだ。誤魔化すな。理由なんて知れている。開き直ってしまったからだ。


 そう、つい一四日前まで、私は私を過大評価していたのだ。人殺しに罪悪感を感じるのだからまだマトモな人間なのであると。やろうと思えば引き返せる人間なのだと。決断さえしてしまえば人並みに戻れるのだと。人が言うほど狂ってなどいないのだと。愛される価値のある人間なのだと。


 そんなわけがあるか。他人を殺すことにこの上ない多幸感を覚える女がマトモなはずがない。お前は屑だ。なぜ、他人を傷つけてはならないかすら本質的には理解していない。ただ自分のわがままで他人を殺す。あの罪悪感は自己弁護だ。自分を嫌いなお前が、なんとかして、自分を救いのある人間だと思い込むための自己弁護だ。演技だ。お前は本当の意味での罪悪感など感じてはいなかった。ファッション罪悪感だ。


 自己肯定である。歪であっても自己肯定であった。


 私はこれまで自分を肯定してこなかった。お前は駄目だとばかり決めつけてきた。何もできるはずがないのだと決めつけてきた。それを環境にせいする気はない。ただただ卑屈であった。そういうように生まれついた。


 それを――駄目で何が悪いと肯定してしまった。開き直ってしまった。


 屑には屑なりの生き方がある。兄に語ったように、そう、私はもう、いまさら誰かを傷つけねば生きていけない。死んだ方がマシな人間だ。しかし、死ぬことなど出来るはずもない。その勇気もない。その気すら無くなってしまっている。


 ならば、どれだけ自分が嫌いでも、自分を肯定して、ありのまま受け入れて、それで生きていく他にどんな生き方がある? 変わらないのであれば無理に変える必要がどこにある。私は現にこういう人間なのだ。


 後悔するだろうな。その予感がある。自分を肯定したばかりに私は苦しむだろう。誰かを傷つける、その喜びの反動はそのうちやってきて、今度こそ私の精神をぶち壊すかもしれない。(未だにぶち壊れる部分が残っているならば)


 怨むことは間違いない。なんであのとき、こういう生き方をしていこうと、そう決めてしまったのか。過去の自分にすら殺意を向けるだろう。なんなら、そのとき、私はせっかく決めた生き方を変えるかもしれない。――だが、それの何が悪いのだ? 畜生め。私は私だ。愚かでも私だ。


 そうなのである。


 この世は愚かなことに満ちている。昔から知ってはいた。この四ヶ月で見聞が深まった。この世は愚かなことに満ちている。この世界ではなにをどうしたところで幸福になることなどできない。私に限らず、生きている誰もが、生きている他人を、死んだ他人を、見ず知らずの他人を、どうにかして踏み躙らなければ生きていけないからだ。この世のどこにも本当の意味での幸福などはない。存在する幸福、それを掴んだ者、その足元には無限の屍が折り重なっている。(そして、亡者たちは幸福な者をどうにかして自分たちの列に加えようと蠢いている)


 間違ってはいけない。いまこの瞬間にも――生きる選択をした、死ぬ選択をした、選択肢がそもそも存在しない、幸せになった、不幸になった、辛い、悲しい、楽しい、大切な人を得た、失った、見捨てた、売り渡した、自分のことを大切に思う、思わない、自分以外はどうでもいい、自分以外のことにしか興味がない――様々な生き方をしている人がいるはずだ。しかし、彼、彼女、その全員が正しくなどない。


 何もかもが愚かなのだ。どいつもこいつも愚かなのだ。もちろん私も。みんな平等に間違っている。愚かである。残酷である。


 それでも、――――





 ミスター・シークレットを殴っていると泣けてきた。私は彼の腹に顔を埋めた。ごめんなさいと泣き叫んだ。ミスター・シークレットは何も言ってくれなかった。彼はテディベアであった。首の後に夏川七夕という刺繍がしてあるテディベアであった。(その刺繍は母がした)


 私は怒り狂った。ミスター・シークレットに怒りをぶつけた。殴った。殴った。殴った。テディベアでも友達でしょ。アンタは何時もそうなのね。なんで何も言ってくれないの? 畜生め。次のゴミの日に出してやるから。『君は最高の友達さ』って、いまさら言ったところで遅いわよ。畜生め。熊風情の分際で。


 ……カッターがいいと私は思った。それを握りしめて洗面所の鏡の前に立った。三白眼の女が青い顔をしていた。


 最大まで出した刃を右の眉の上に押し当てた。怖い。とても怖い。震える。長らく掃除していない洗面所は不衛生だった。お前が思うようにすれば化膿するかも。痛むぞ。痛むぞ。とても痛むぞ。


 だからどうした。私は叫びながらカッターを眉骨に突き刺した。ガリガリと刃先が骨を削った。叫びが絶叫に変わった。カッターを下へ下へ動かしていく。口の端から泡が出る。膀胱と腸の中のものが漏れる。身体が震える。膝が震える。立っていられない。洗面台に手を着きたい。着いてはならない。カッターを握りしめている右手が意思とは逆にカッターを落とそうとするからだ。左手で、左手で、私は右手を握りしめねばならない。爪が手の甲に深々と突き刺さった。爪がほじくり返した一部の皮膚と肉がピンと弾け飛んだ。カッターはやがて目の奥にある何かを切り裂いた。切り裂くというよりも爆ぜるのに近い音がしたのが印象的だった。


 コレで二度と忘れない。私はその場に膝を突いた。無性に嬉しかった。コレで、毎日、毎朝、毎晩、あの悔しさを思い出せる。もう二度と精神安定剤なんて要らない。抗鬱剤もだ。これからは自分の思うように喋ろう。声に抑揚を取り戻すのだ。封じ込めていた感情を取り戻すのだ。


 必ず殺す。みんな殺す。私のプライドと実力で殺す。そのためならなんでもする。私をバカにした奴らも笑った奴らもみんなまとめて殺す。


 畜生め。畜生め。畜生め。人を憎み、目の敵にしてさえしまえば、私は生きていく気になるわけか。『そんなお前など死んでしまえ』と実在しない誰かが私の耳元で囁いた。殺してやる。実在しなくても殺してやる。こうする他に生きていけないならば仕方ないではないか。殺す。私を肯定しない奴はみんな殺してやる。


 この愚かな世界で。私は思う。どいつもこいつも愚かならなぜ私だけ真面目に生きねばならないのか?





 ――――それでも、私はこの世界を愛している。愚かだからこそ愛している。愚かだからこそ愛すべき人々に囲まれている。


 肯定と愛することは別だ。私は未だに私のことを嫌っている。一生、この自己嫌悪は続くだろう。卑屈さを全撤廃することはできない。私が私を愛することも絶対にない。


 しかし、代わりに、私の代わりに、友人たちが、兄が、私を愛してくれる。愚かにも愛してくれる。


 それで充分だ。それだけで充分だ。生きていくためのエンジンにくべる燃料としては充分なのだ。それが生きていくということなのだ。九九パーセントの不幸、それに一パーセントにすら達しない、幸せとすら言えないような満足感……。


「アレですな」剣橋さんは世界の果てにあると噂される財宝を探し求めた長旅の末、ついに見つけた宝箱の中身が空だったときのように呟いた。


「生きていくのなんて考え方によっては楽ですぜ、ってことですな」


「ええ。考え方によっては地獄そのものですけれどね」


「全くですな」


「ええ。全くですね」


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