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最終章2話/ふたりで生まれてひとりで生きて


「理解しかねるな」青空が疲れた目に染みた。


 己はレッド・アップルを咥えた。古がライターを取り出そうとしたのを手で制した。「ありがとう。だが、火ぐらい自分で着けられる」


「左様ですか」古は事務的に言った。「……。……。……。で、これからどうなさるのです?」


「これから。さあ。どうするか。悩んでいる」


「悩み事ばかりですね」


「悩み事ばかりさ。解決しても解決しても。否、解決できた悩み事なんてものが己にはあるのか。ない気がするな。解決したってことにして他人と自分を許したことは幾らでもあるんだが。――それにしてもやはり理解しかねる」


 己と古は連合生徒会館の三階に設けられたバルコニーに居た。数人が星空や夜景を楽しみながら飲食を楽しむ、そのために設えられた空間だが、ここ数年は利用されていない。最初は異常という形容詞を着けられていた、いまではすっかり日常的なものになってしまった気候によって変化した生態系、とりわけ鳥類のそれが影響している。包み隠さずに解説してしまえば、まあ、つい先日まで住み着いていた大量の鳥たち、彼らの排出した汚物が落としきれずに残っているのだった。


 どういうわけか衛生的でないところに煙草吸いは集まる。そういう習性がある。喫煙所もあろうに、己をはじめ、何人ものヘビー・スモーカーが、本来、立ち入り禁止であるココを秘密のシガレット・クラブとして愛用してきた。


 眺望は素敵だ。タマの山々の連なり、季節ごとに色と装いを変える濃い木々の幕、点景となる遠いハチオウジのビル群、その上に掛かる空は青ければ青いなりの、灰色であれば灰色なりの、それぞれ情緒がある。――こういう綺麗な景色を見られる空間が白い糞に塗れているのはたまらない快感を催す。その快感の中で吸う煙草は美味い。ロック・シンガーにでもなった気分だ。実際、嫌なことがあったとき、考えねばならないことがあるとき、ここで煙草を吸うと細かいことはどうでもよくなる。


 いまだってその効果を期待してココまで煙草を吸いに来ていた。ところが、己の気分はどうも爽快にならない。爽快とまで行かずとも一ミリでもマシになってくれればいい。ならない。何故か。眼下で繰り広げられている光景を理解しかねるからであった。


 バルコニーの真下からは裏庭が広がっている。この前、冬景色と青春をやらかした恥ずかしい思い出のある場所だ。


 その裏庭で十数人の高学歴たちが朝食を摂っていた。裏庭の随所に置かれているテーブルに団体別に陣取っている。それ自体は珍しいことでもなんでもない。面倒な長時間労働、それも一日中、ゲームの中では座っていて、現実には寝ているのであるから、少しぐらい体を動かさないと精神的にも肉体的にも参ってしまう。『隙間時間には積極的に表へ出よう!』とは、E・SPORTS連盟によって何年か前に発行されたポスターに書いてあった、まるで小学生にでも言い聞かせるような文言である。(しかし、現実にその“表へ出よう!”を怠ったばかりに床擦れになる者などが相次いだ時期もあった。寝たきり老人か。そういえばE・SPORTS関係者には喫煙者が多いと聞いたことがあるが、もしかするとその辺りに因果関係があるのかもしれない)


 で、――それら高学歴の団体は、現在、それぞれ違う派閥に属している。たとえば庭の真ん中で威張り散らしているのは若菜派の重鎮だ。その隣で談笑しているのは参謀本部の阿呆どもであった。目線を移し、日陰の、いまの時候だと寒いぐらいのところで淡々と食事をしているのは神々廻派である。この他、各旅団の幹部が集まっているテーブルもあった。彼らの目は獲物を見るように血走っていた。


 意地とか見栄とか政治的な狙いとか、そういうものがあるのだろう。しかし、もしこれがゲーム内であれば? 出会った瞬間にぶち殺し合わねばならないと、そう宣言している相手とわざわざ同じ場所で食事をするのは如何なものか。お互いにお互いの存在を無視するのであればまだいい。他にのびのびと食事を出来る場所も少ないしな。


 だが競争意識バリバリ、咀嚼の合間に相手派閥を睨む、喧嘩を売る、敢えて談笑しに行く、そんなことをする必要がどこにあるのか。下らない。


「古」己は半分しか吸っていない煙草を携帯灰皿に叩き込んだ。「己は行く」


「どちらへ」古はバルコニーから館内への扉を潜った己を追ってきた。


「どちらかな。わからん。とにかく行く。妹に合わせる顔がない。もちろん会長たちにも。己は無責任野郎だ。このまま無責任野郎を貫く。どこかへ消える。宛はないが」


「先輩、まさか――」


「馬鹿を言え。それが出来るならとっくにしている。それが出来ないからこうして生きてるんだ。ノートルダムの鐘の男の気分が理解できる気もするよ」


 装飾の施された広い廊下をしばらく歩いた。ふと気が付いた。足音が二つから一つになっていた。振り向く。古が数メートル先で立ち止まっていた。


「か」と、己は確認した。


「ええ」と、彼女はやはり事務的に言った。


「どうも自惚れていたらしい。すまん。荷物は自分で持っていく。悪いが会長に色々と、まあ、事実を事実通りに伝えてくれればいい」


「わかりました」馬鹿な上司を持った優秀な後輩は目だけで頷いた。


「世話になった」


「ええ。誠に」


 空気が冷たかった。乾燥していた。館内はヒッソリしていた。政変のせいでどいつもこいつもゲームから出て来られないからだった。お陰で執務室へは楽に戻れた。野次馬根性のメディアが表玄関や通用門に張り込んでいる気配もない。己は最低限、必要に思われるものだけを身に着けて執務室を後にした。ここ数ヶ月、使い倒した執務室ではあるけれども、それほど愛着は沸いていなかった。


 連合生徒会館は本館と左翼、右翼、それぞれの館から完成している。己の執務室は左翼の三階にあった。表玄関から出るには本館の一階まで行かねばならない。各館の各階は連絡通路で繋がっている。とりあえず左翼館の二階まで降りる。気が急いてきた。誰かに追われているような気がしてきた。走った。足音が廊下中に響いた。そして、壁に染み込むように消えていった。


 本館二階と一階は吹き抜けになっている。一階から二階、両翼館への連絡通路へはY字の階段で連絡されている。己はそのY字階段を下った。ところで思いがけない連中と出会った。玄関ホールで語らっていた彼らは三人の男たちだった。内の一人は全館禁煙の札の貼られた壁際で平然と煙草を燻らせていた。


「参謀本部にもあの発想はあったんですがね」と、煙草の男は人好きのする笑みを浮かべながら言っていた。目元に濃いクマがある。「しかし、発想はあっても実現する手立てがなかった。どこもかしこも人不足でしたから。プレイヤーは全て兵ではなくせめて下士官として運用することにしていたので。と、――おや、来ましたね」


「参謀総長」己は階段の途中で立ち止まった。権正しずか氏は深く吸った煙を吐き出した。敬礼される。答礼する。それというのはゲーム内だけでの挨拶ではなかったか。まあいい。己は彼よりも彼と話している二人組に目を奪われていた。


「そのうち来ると思ってたよン」須藤は軽く手を挙げて挨拶した。


「左右来宮さん」花村の顔には話があると書いてあった。


 己は踵を返しかけた。躊躇われた。結局、そのまま階段を降りた。敷き詰めてある絨毯の上に荷物を詰めたリュック・サックを降ろした。


「何だ?」己は平常心を保っている風に尋ねた。


「お迎えに来てくれたそうですよ」応じたのは須藤でも花村でもなく参謀総長だった。彼はここのところの疲れからか酷く窶れていた。


「私は偶然、彼らと出会しましてね。君が来るまで一緒に待たせて貰ったのです。私も君と話したいと思っていましたから」


「はあ」己は話が読めなかった。


「姉がお世話になったようで」


「姉? 姉って、――――あ」


 痩せこけた頬の参謀総長、その容姿は悪の組織の科学者か何かのように不健康そうだった。己はこの人に似た女性をたった一人だけ知っていた。


「私がしずか、姉はかなで、ウチの親が我々に何を望んでいたか手に取るようにわかりますね」


 参謀総長は親指と人差し指の間で煙草をくるくる回転させた。彼はその指先に視線を向けながら、あくまでも笑いながら、続けた。「一言、姉の愚痴というか、それに付き合ってくれたお礼を述べたくてね。お世話様でした。ああ、ところで、姉は寂しがり屋でしてね。昔は、ホラ、交流関係が広かったでしょう? いまは違う。あの件以来ね。だからまた遊びにでも行ってあげてください。毎日、酒ばかりでは体に悪い。たまには人と話したり、外へ出るなり、そういうことをしないとね」


「ほんで」己が参謀総長に返事をする前に須藤が割って入った。「お前はどこへ行くつもりなのよ? 左右来宮クン」


「わからん」己は率直に答えた。


「それはないでしょ? 左右来宮クン」


「挑発には乗らないぞ」己はズレてもいない眼鏡の位置を気にした。


「いやいや、挑発なんてしてないよ、左右来宮クン。そっちのが好きなら甘木クンって呼ぶけどな」


 須藤は両手を大きく広げた。「ま、どこでもいいさ。俺らはお前にお家に帰って欲しくてね。ただ、俺はあんまり乗る気じゃないけど。お前の気持ちもわかるんでね」


「か。なら通してくれ」


「そういうわけにもいかんよー。コイツが話があるっていうから来たんだからさ。コイツの話を聞いたってくれんかねえ」


 須藤は花村の背を叩いた。花村は一歩、決然と俺の前に出てきた。背が低いから見上げる形になる。筆で描いたような眉の形がキュッと引き締まっていた。


「お兄さん」花村は握り拳を作っていた。それが震えている。


「誰がお兄さんだ。お前にお兄さんと呼ばれる筋合いはない」


「僕には取り柄が何もありません」花村の声は低かった。声まで震えている。


「そうだろうな」


「なにをしてもうまくいきません。自分では普通にしているつもりでも、誰かを不愉快にしたり、失敗したりします。別に理由があってのことではありません。ただただ能無しなんでしょう。皆のように辛いことがあったわけでもない。病気というわけでもありません」


 無性にムカつく奴だ。己は煙草を咥えた。百円ライターで火を着けた。己に説教をかますつもりか。上等だ。


「でも、右京さんのことは割と好きです」


「文脈が雑だな、低学歴」己は花村に紫煙を吹きかけた。


 花村は両手でワチャワチャと煙を払った。「割と真剣に好きなんです!」


「お前は何が言いたいんだ」


「まあ、振り向いて貰えなくて、わざとあの人の嫌いな飲み物とか買ったり、お茶をあれしたりすることはありますけど」


「おい……」己は溜息を吐いた。


「それがどれだけ情けないことかも知っています。でも、いいですか、お兄さん」


 花村の雰囲気が変わった。彼は下唇を噛んだ。泣きそうになっていた。彼は世界平和を訴える人権活動家のように哀れっぽく――まるで同情を誘うように――言った。


「僕は貴方が右京さんのところへ帰ってくれないと困るんです。彼女、ずっと貴方のことばかり考えるようになってつけいるスキが無くなるじゃないですか。帰ってください。僕と右京さんのために帰ってください。じゃないと、だって、右京さんがもう二度と笑わなくなっちゃうんです。僕にはそれがわかります。貴方にはわからないかもですけど!」


 ――――。どういう反応をすればいいのか、これほど窮したことはない。己は呆気にとられた。参謀総長が壁の方を向いた。口を抑えていた。背が小刻みに震えていた。須藤がクツクツと笑っていた。花村は尾を踏まれた猫のように喉を鳴らしていた。帰らないと答えればツメを立てて飛びかかって来そうだった。


「君は」気持ちと考えを整理するためにたっぷりと間を置いてから己は尋ねた。


「わかって言っているのか。己はやろうと思えば帰れる。確かに帰れる。だが、己は妹に対して罪悪感を抱いているぞ。罪悪感が根底にある愛情、罪悪感が育てた愛情、それがどれだけ空虚かわかって言っているのか。一緒にいて助けてやらねば、己はあんなことをしたんだから、と、そんな理由で愛情を向けられる側の気持ちはわかって言っているのか」


「わかっています」花村は挑むようだった。


「それに、僕には、向ける側の方にしか問題がないように思います」


 己は舌打ちした。やはり無性にムカつく奴だ。変なところで鋭い。己は花村を殺したくなった。せめて煙草を頬にグリグリと押し当ててやりたくなった。そして、無論、花村に向ける以上に強い殺意を自分に対して向けてもいた。


「お前らは妹から頼まれて来たのか」


 己は須藤に訊いた。


「まさか」須藤は肩を竦めた。「自発的に来たんだよ。俺は君ら兄妹のどちらとも友達なんでね」


「友達か」


「なった覚えはないとか言うなよ? 悲しくなるから。ああ、まあ、それはね、キラー・エリートの人間として、俺だっていっぺんお前には死んでほしいと思ってるよ。死んでくれ。頼むから。でも、それはそれでこれはこれだ。違うか」


 項垂れそうになった。もうやめてくれと願った。


 思い返すと師団で仕事をしていたときは楽しかった。嫌なことがなかったわけではない。だが、こんな連中に囲まれてする仕事は何でも楽しかった。嫌なことが気にならないほどだった。それだけに心苦しかった。己はお前らみたいな素晴らしい人間に案じられるほど価値のある男ではない。放っておいてくれ。お前たちはもっと時間を有意義に使ってくれ。己に関わるとロクなことにならないんだ。放っておいてくれ。


「左右来宮さん」 


 参謀総長は煙草を靴の裏に押し付けて火を消した。吸い殻をどこへやったものか迷っている。己は携帯灰皿を差し出した。彼は丁寧に手を合わしてから吸い殻を捨てた。


「ありがとう。――左右来宮さんは妹さんがお好きですか」


 返事はしなかった。しかし、己の、己には見えないし、どんなものか考えたくもない表情から、参謀総長はおおよその回答を得たらしい。


「私には貴方たち兄妹の関係がわからない。さっきの放送を見ていただけです。いや、凄い殴り合いでしたね。それでね。私も昔から姉が好きです。でも、それは姉だから好きというわけではない。たまに、世の中には、家族なんだからとか、兄妹なんだからとか、そういう理由で誰かを大切にしようとする人がいます。事実、そういう言説もありますよね。家族は仲良くあるべきだ、と。殊に家族信仰の未だに篤いこの国では。――しかし、現に世で起きるトラブルの殆どは家族間においてです。姉だから、母だから、父だから愛している、愛しわねばならないということがあるなら憎み合う家族はいなくなるはずなのに。多くの人が苦しんでいる。家族なのに愛し合えないと。そもそも前提が狂っていることに気が付かず。そういう観点からすると、貴方たち兄妹はとても幸福な一対です。なにしろキチンとした理由があって愛し合い、憎しみ合って、殺し合いまでしたのだから」


 参謀総長は新しい煙草を咥えた。否、よくよく観察するとそれは煙草ではなかった。煙草葉で巻いてある。シガリロだった。箱にはショットガンで自殺した外国人作家の顔が描かれていた。髭面であった。参謀総長は、その、パイナップルやバナナにも似た甘いニオイのする煙を吐き出しながら語った。


「もう一度だけ帰ってみればいいですよ」


 参謀総長は特に気負う訳でもなかった。彼は試食品コーナーに居る係員のように気安かった。「それで駄目ならそのときは妹さんの前から消えればいい。そのときは貴方を誰も止めないでしょう。どうです?」


 ……己は首を横に振った。どいつもこいつも見え透いていると思った。己は彼らを心の底から呪った。そんなことができるならばハナからそうしている。



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