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最終章1話/どきどき! みそしるのひみつ!

 味噌汁は煮えばながいい。煮えばなとは沸騰する直前のことである、――と、私は祖母から教わった。七五度から八〇度が最も美味しい温度だそうだ。


 煮立ててはならない。沸騰させ切ってはいけない。味噌特有の旨味が抜ける。風味が損なわれる。コレは味噌の独特な味わい、アレは味噌の発酵する過程で生じるアルコールに由来するものだからだそうだ。加熱し過ぎればアルコールは飛ぶ。


 ……アルコールと聞くだけで、私など、味噌を積極的に摂取する気になる。どれぐらい味噌汁を飲めば酔えますかね。お金が無いときは味噌をはむつくか。今度から。


 口当たりとか酵素とかの問題もあるそうだ。加熱し過ぎると味噌の中に含まれる大豆のカス――大丈夫ですか? 味噌は大豆から作られていますよ。切り身のまま魚が泳いでると思ったりしてませんか。私は一時期、してました――が分離、汁の中に漂うようになって、実際、飲むと口の中がザラザラする。


 酵素については語るまでもない。味噌は発酵食品、取りも直さず健康食品、乳酸菌などが豊富だが、彼らはどうも熱に弱い。体のことを気にして味噌汁を飲むならば気をつけよう。


 ところで、体のためと言えば、味噌汁は二日酔いとか()()()()()()()にも効果がある。味噌に含まれるタンパク質とアミノ酸が肝臓の働きを強化するからだそうだ。


 この私が言っているのだから間違いない。私自身、味噌汁で酔えるかどうかなど阿呆なことを考えたばかりでどの口がという気もするけれど、深酒をした翌日には一杯のミソ・スープによほど助けられてきた。飲むと気分が良くなる。下腹が楽になる。頭痛すらマシになる気がする。(ま、尤も、過剰で異常な、例えば二本のウィスキーを空けちゃいましたとかいう後にはそれは無意味ですよ。味噌汁が薄い水割りみたいな味になりますからね)


 料理は面白い。


 この味噌のことにしろ、調味料のさしすせそにしろ、深い意味は無いような、適当にやってもいいような、省略してしまいたくなるような、そんなことの裏にはビックリするほどの科学がある。ひとつひとつのなんでもなく思われる料理行程に全て意味があるのだ。


 そして、その背景には、乙女な考えかもしれないが、食べさせる相手のことを思いやる料理人の心が見え隠れしている。それがまた面白い。料理とは一種、文学的なものですらある。――でなければ、誰も料理に手間暇など掛けないはずではないか。食べられればいいで済ませてしまうはずだ。彩りなどニの次だ。栄養など三の次だ。違いますか。


 このような心境から、時間と環境の許す限りではあるが、私は料理には手間暇を掛け続けてきた。少なくとも自分ではそのつもりだ。それは、祖母が死期を悟り始めたらしい時期、急に私に料理を覚えさせ始めた時期には失敗もした。チャレンジした。アレンジした。結果、大惨事を引き起こしもした。火傷もすれば指を切り、危うくキッチンを爆発させかけたし、猫の手を甘く見ていたがために大量出血、駆け込んだ病院でまた手首をやったのかと疑われたこともあった。(余計なお世話だ。失礼な)


『お前は確かにバカタレだねェ。何度、言えば覚えるんだい。ったく。いいかい? 少しずつだ。少しずつなんだ。バーッと味噌を入れてグルグル掻き混ぜたらいかんよ』


 思い出す。祖母は私の記憶力と手際の悪さに呆れた。しかし、見捨てることはしなかった。日々、衰弱していく体、文字を書くのもキツい身で多くのレシピをメモに残してくれた。祖母は言っていた。『アタシが死んだ後でアンタら《・》がロクなものを食えなくなると思うと、憐れでね。おちおち寝てられない。アタシが墓の下からヌッと起きてきたら嫌だろ? アタシだって嫌さ。死んだら死んだままでいたい。そのためにアンタにこうしてやってるのさ。それに、なにしろ女さ、考えは古いだろうが、やっぱりね、アタシはね、女は料理が上手に越したことはないと思ってンのさ』


 右京、覚えておきな――と、祖母は意地の悪い笑い方をした。お前にもそのうち男が出来るだろう。男が出来れば喧嘩もするさ。で、喧嘩をしたとき、最も効果的な仲直りの方法は美味いもんを食わせてやることなんだよ。どうだ! ってね。それか、ハナから胃袋をガッチリ掴んで、生活の主導権を握っちまうことさね。ヒッヒッヒッ。


 私はお玉で味噌を掬った。その状態のお玉で少しのお湯を汲む。菜箸でゆっくりと味噌を溶く。少しずつ。焦らず。


 時刻は七時過ぎ、ンジョール=ヌ会戦が終結してから丸一日がもうすぐ経とうとしている。兄が帰ってくるならば朝食が必要だ。 

 


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