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銃剣突撃する怒れる低学歴と悩める高学歴のファンタジア  作者: K@e:Dё
9章『銃剣突撃する怒れる低学歴と悩める高学歴のファンタジア』
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9章4話/律儀で几帳面で依怙地な人々


 このところずっと二つのことを考えていた。ひとつは妹のことだ。もうひとつは過去、一五年間のことだ。己のことではない。家族のことでもない。


 過去、一五年に渡り、我がモヒートとダイキリは茶番劇を繰り返してきた。親会社がそうしろと指図したからでもある。その方が長期に渡って視聴者を確保できると見込んでのことだ。見え透いた出来レースに愛想を尽かす視聴者もおろう。しかし、どうせタダで視聴できる映像、加えて惰性とか習慣とかいうものは恐ろしく、固定視聴者の減り具合は我々の想像するよりもずっと少ない。むしろ新規層、その参入があるから、年々、微妙に増え続けている。


 また、以前にも同じようなことを考えた覚えがあるが、国力が決着を許さなかったこともある。軽はずみな会戦に踏み切ればどうなるか。国庫が干上がる。戦争に勝ったところで埋め合わせられない程の赤字が積み上がる。後は落ちゲーと同じだ。見事に積み重なった構造的赤字(あかいろブロック)はやがて国もろとも消し飛ぶ。『Tスピンだァ!』


 モヒートとダイキリは長きに渡って覇権争いをしながら雌雄を決することができなかった――のではない。この一五年間、力を蓄えに蓄えたからこそ、ようやくのことでシュラーバッハに辿り着けたのである。全く先人たちのなんて偉大なことだろう。


 それに比べて己たちは。なんとまあ。先人たちの守ってきた国は滅んだ。正確には滅びつつある。それも外敵による侵略に屈してのことではない。戦い、戦って、戦った末に敗れての、まだしも誇れる結果としてではない。内乱で滅びつつある。


 数字と格闘していると嫌でも理解る。モヒートにつけ、ダイキリにつけ、過去、他人がコツコツと築き上げてきた貯蓄を、我々は湯水のようにパーッと使ってしまった。これからどうする。どうなる。神々廻? 若菜? 会長? 妹か? アメリアの片隅に国を起こしたところでどうするのだ。先立つ物など何もないぞ。


 どうでもいいか。


 もうどうでもいい。


「部――あ、ごめんない、また私――ええと、左右来宮さん」


 捨て鉢な気分でいると玉田に呼ばれた。彼女は妹のクーデターが失敗した後、アチラ側ではなくコチラ側に望んで参加していた。つくづく馬鹿な女だと思う。


 猛烈に煙草が吸いたかった。しかし、無念、葉巻のような嗜好品は、現在の兵站状況では殆ど手に入らないのだった。手に入ったとして己のような幹部が独占しているわけにはいかない。PC、NPC、それらに分配したらば後は一本も残らなかった。(兵站部員は物資を管理するという立場上、とかく『アイツらだけゴキゲンな暮らしをしているのではないか』と疑われる。煙草一本、酒の一滴、そういったものの扱いにすら慎重にならざるを得ない)


「どうした」己はぶっきらぼうに尋ねた。甘木であったときとまるで正反対の態度だった。


「あの」玉田は困ったように笑った。己がどれだけ無愛想にしても彼女はこのように振る舞う。


「会長がお呼びです」


「か。わかった。いま行く。君はここに残れ」


 玉田は己の横顔に、やがては背に、射るような視線を打ち込んだ。どこか飼い主に捨てられた犬のようでもあった。振り向くと彼女は泣きそうになりながら笑っていた。その背を古が叩いていた。


 重い気分と足取りで会長のところへ赴いた。軍司令部などと違い、旅団司令部は数個の小テントとひとつの大テントから成っている。二分と掛からずに会長と相見えた。敬礼する。


「何でしょうか」己は不躾な態度を取ろうとした。取れなかった。自分の貧弱さが嫌になった。とっととくたばりたかった。己はもう妹にどれだけ無残に殺されるか、その予想だけを楽しみに生きていた。出来ればこれ以上にないほど惨たらしく殺して欲しかった。妹の気がそれで済むように。ああ、己はなんてエゴイストか。


「君にお願いがある」会長は一ニ時だから帰らねばならないと申し出たシンデレラを引き止める王子様のようだった。


「この状況で兵站部に出来ることがまだあるならば」


 己と会長は司令部テント(四〇人以上を収容できる)からそう離れていないところで展開されている戦闘、一方的なそれを並んで眺めていた。司令部護衛大隊が敵の雪崩に飲み込まれつつある。敵はどれだけ撃たれても隊列を乱さない。仲間が死ねば死ぬほど却って強くなる。なんなんだ。お前らはなんなんだ。このゲームにスキルとかそういうものは無いぞ。味方が倒される度に攻撃力が七パーセントアップとかそういうアレか。


 五〇メートル、これまでの用兵学に則れば停止して射撃戦を始めるべき距離に到達しても歩みを止めない。最初から白兵戦だけを狙っている。兵站上の不備があるらしくもある。我が左翼を突破してからココに至るまで敵は――那須城崎には英才を施したとはいえ足りなかったか――補給を受けていない。兵の過半数が弾丸を切らしている。そもそも補給を受けている時間的余裕も無かったのかもしれない。無いと、とりあえず、敵の現場指揮官は判断したのだろう。


 我が司令部護衛大隊は一発も撃ち返されないうちに隊列を乱し始めた。敵の放つ殺気に怯えている。また、折り悪く、ついに我が軍の兵站が限界を迎えたようもであった。ここまで騙し騙しでやってきたが、ついに、護衛大隊においても弾丸が払底してしまったのである。(というよりも、前線に投入されない分、元から護衛大隊には最低限しか弾丸を供給していなかったのである)


 敵が突撃に移った。大隊の四分の一はそれだけで隊列から離れた。どこかへ走り去る。それを制止する下士官の絶対数は必要な数の半分以下であった。ここ数日の疲れがここに来てドッと将兵に伸しかかった。将兵の中には無抵抗で死を選ぶ者もいた。そちらの方がいっそ楽だと達観してしまってのことだった。


「あるさ」会長は表情を殺していた。「これを持ってこの戦場を離脱するのだ、君」


 差し出されたのは二通の手紙であった。ただの手紙ではない。そもそも用紙が特別だった。皇帝が勅命を発するときにだけ使われる誓紙用紙である。(紙の裏面にそれを示すモヒート国生が描かれていた)


「コレは?」長いそれは卒業証書よろしく丸められてあった。紐で厳重に閉じられている。合わせ目には署名がしてあった。開封した時点で効力を発揮、巻き直すことはできないようになっている。


「滅茶苦茶なことが書いてあるよ、君」


 会長は腕を組んだ。疲れたとかボヤいてそこらにあった椅子に座り込んだ。「君にモヒートの混乱を鎮めるべく行動せよ、と、そう命じた文書さ、君。君はこの戦場を離れた瞬間からモヒート全軍の司令官となるのだ」


「それはまた」己は無感動だった。もういい加減にしてくれないかと思っている。


「誰も従わないでしょう。特に神々廻辺りは。奴は軍隊を持っています。自前の。従う道理がない。偽物と決めつけて自分を始末する。否、第一からして、この文書に正当性があるかどうか。いくらなんでも全軍の指揮権を会長だけの判断で自分に移譲するのは」


「移譲するのは異常かね」


「……。……。……。そうですね」


「ハッハッハッ」会長は満足げだった。「いいさ。好きなようにするまでだ。一枚は予備だ。内閣なり軍務省なり信頼できる旅団なり、君が必要と認めるところへ提出したまえ。ま、そんなものがまだあるかについてはわからないがね。ああ、もし、生きていれば参謀総長を頼るといいだろう。彼は無所属、しかし、私寄りだったから、今頃は始末されているだろうがね。アレで若菜君は抜け目がない。容赦も」


「今度ばかりは勘弁して頂けませんか」


「そうはいかない」会長は己の溜息を手で払った。「君にはまだ遣り残したことがあるしね」


「会長が離脱されては」


「そうはいかないさ。それも無理だね、君。私はここで君の妹君に身を差し出さねばならないからね。それに君、君は駐屯軍総司令官だよ。成り行きでココにいるがね? 旅団兵站部を任されているがね? 本来であれば我が軍でもナンバーフォーのポジションなのだ。コレを私は的確な人事だと信じているよ」


 会長は座ったまま腰を左右に捻った。腰骨が鳴る。両手を組み合わせる。伸びをしながら、


「夏川君が戻るならば彼女に任せてもいい。しかし、戻る様子がないからね。気配すらない。君しかいない」


 単独というわけにはいかないでしょうと己は食い下がった。どうだろうかなと会長は達人を仰いだ。


「一個中隊程度であれば」と、これまで会長の後ろに控えていた巨人が応じた。己に目線を向けている。


「し――し、輜重兵と軽歩兵ですが、融通が可能です、会長」


「輜重兵はともかく軽歩兵かね? ああ、ところで、私、旅団運営に口を出しているが、いいかな、参謀長。本来であれば君が指揮権を預かっているはずだったね。皇帝ともあろうものが自ら指揮権をアレしてアレするとは。アレなものだ。良くないね」


「いえまあ」宗近は太い指で荒野のような肌を掻いた。「軽歩兵はこの三日、敵軍の後をひたすら追尾していた捜索部隊でして。我が旅団が敵を見失えばそれで終わりでしたから。あの、かなり無理をさせておりまして、疲れが、エー、酷かったので、戦闘に参加させておりませんでした、はい」


「どのぐらいなら動かせるかね」


「会長」達人と同じく控えていた冬景色が容喙した。「失礼します。よろしいですか」


「よろしいよ」会長は愉快そうだった。


「失礼ながら、より具体的な想定が必要です。例えば戦闘を行うにせよ、それがどのような戦闘か、定まっていないのであれば回答致しかねる次第です」


「あー、それは。それもそうだね、君。軍務は参謀総長に任せきりだったからなあ。コチラこそ失礼をしたようだ、君」


 丘の麓で幾つもの絶叫が連なった。本格的にすわその時が迫っていた。司令部護衛大隊はこの短い間に鏖殺されつつある。丸一日、戦ってようやく負うであろう三割強の損害をこの数分で計上しているようにも思われた。それだけ戦列が崩れている。潰走するまでにはもう一〇分もあるまい。そして、麓からココに敵が到達するまでには五分も掛からない。


 どの戦場でも起きることが眼下で繰り広げられている。近いのに遠く感じられる。ある者は死ねと叫んだ。ある者はアイツの仇だと泣きながら死体を八つ裂きにしている。ある者は許してくれと請うた。ある者はその許しを請うた者を殺して快感を得ていた。敵味方がお互いの健闘を称え合うような、綺麗で爽やかなオチの着く戦争などこの世にはないようだった。


「護衛だ」それでも会長は焦らない。悠長である。


「最優先の目的は、そうだな、左右来宮君をロホーヒルヒまで送り届けることだ。悪いが、そのためであれば、中隊には全滅して貰わねばならない。どうかな」


「厳しいかと」冬景色も頗る冷静だった。「敵の追撃を受けますので。いえ、それどころか、敵に同調した部隊に行軍中、補足される可能性が高い。我々が負けたという報がこれから広がるでしょうから。しかし、どうせやってもやらなくてもという話ではあります。やった方がまだマシかと愚考します。――失礼しました、参謀長。横からお話に割って入りまして。参謀長のご意見は」


「ぼ」吃った。「僕は、ではなくて、私は、そうですね、作戦部長に同意します、会長。状況はもうやれるとかやれないとかではないかと」


「三対一だね」会長は指を鳴らした。良い音が出なかった。肩を落とした。「君の負けだ。左右来宮君、そういうわけだから行き給え」


 己は手にした二枚の誓紙を引き千切りたくてたまらなかった。しかし、コレが報いだとすればそれを受けねばならないとも考えた。それに彼らの好意らしきものを跳ね除けるのは辛かった。無論、受け入れるのも辛い。好意、ひいては彼らの善意を受け入れることになる。それは己の持論を曲げることに繋がる。己がそれを厭うのは先に語った通りだ。なろうことならば首を横に振りたい。ふざけろと怒鳴りたい。暴れ回りたい。


「わかりました」己は精々、仕方ないですねという風を装った。「やりましょう。ところで会長はともかく、ここを降伏させた後、他の司令部要員については?」


「このザマだよ、君」


 司令部内はひっそり閑としてしまっていた。敗戦を悟った時点で多くの司令部要員が逃げ出したからだった。「ま、それでも残ってくれている者は救いたい。冬景色君などは今後、左右来宮君、ああ、妹の方だよ、彼女にね、君、必要だろうからね」


「そうでしょうか」冬景色は後ろ手に手を組んだ。「私は反逆者です、会長」


「関係ないさ。君は関係あると?」


「わかりません」冬景色は感情を一切、露わにしていない。


「ならばわかるためにも君は帰参するべきだ。左右来宮君と君の友人たちならばそれを許してくれるだろう。無論、君はあの軍隊で過去のように慕われないかもしれない。散々、一度は離反した者だと詰られるかもしれない。それが嫌ならば私と共に責任取りマシーンとなってもいいがね。どうするね、君」


 冬景色は沈黙した。やはり表情筋のひとつすらピクリともさせない。だが、何事も素早いレスポンスをするこの男が黙っているのだ、戸惑っているのかもしれない。


「いえ」冬景色の思考時間は六秒間だった。彼は瞑目しながら答えを出した。「ならばお言葉にお甘え致します。感謝します、会長」


「いいよ。それと参謀長、君も冬景色君と同じ道を歩んでもらう。異論はなかろうね?」


「ありません」達人は涙目になりながら頷いた。


「いいね。では、――そういうことだ、左右来宮君。あばよだね、君。達者でいたまえよ。ボーイズでビーでアンビシャスでありたまえ」


 会長は右手を差し出してきた。己は呆れた。握手を交わした。肩を叩かれた。そのまま達人と冬景色とも握手した。なんだかなという感想を抱いた。


 我が司令部は降伏のための白旗を掲げた。会長が自ら軍使となった。己が逃亡する時間を作るつもりなのだった。


 己は白旗の振られるのに数分だけ先駆けて司令部を出た。出る際、地獄耳だな、己たちの話を聴いていたようで、己の荷物を纏めておいてくれた古に尋ねた。「お前はどうする」


「どうするもこうするもありません、先輩」


 古は冷淡と評するべき態度を示した。「駄目男をどうにかするのも女の仕事です」


「――――。か。わかった。実際、お前が居ると何かと助かるだろうしな。玉田」


「お供します」と、彼女は似合わない表情を作って頷いた。頬が膨れていた。睨むような目付きだった。


「駄目だ」己はすげなく拒絶した。「お前は来るな。悪いが、お前が来ると迷惑だ。何の役にも立たない。むしろ邪魔になる。ココで会長と降伏しろ。それからはアチラで働け。わかったか」


 玉田は息を呑んだ。己はわかったかと重ねて尋ねた。わかりましたと玉田は俯き加減に答えた。


「はっきり言って」俺は最後に訊いた。「玉田、己は君にどう接すればいいかわからない」


「普通でいいんです」玉田は珍しく即答した。予めこの質問を想定していたようだった。実際にしていたのかもしれない。


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 わからないなと思った。一ミリかニミリぐらいの嬉しさを感じた気がした。それ以上に真剣な不安を己は抱いた。口先では誰だって好きなだけ好意を示せる。善意もだ。己はどうしてこんな性格なのだろうと自己嫌悪に浸った。それも短い間だった。己はどうしてこんな性格なんだろう?


「部長」己を見送る玉田は自信満々に言い間違えた。最敬礼である。


「どうぞご無事で」


 否、もしかして言い間違えたのではないのかもしれない。わざとそう呼んだのかもしれないな。


 丘を下ると街道を挟んで森がある。その森を抜ける。物資集積場が設けられていた。輜重兵が不足しているにしては整理整頓が行き届いている。尤も、司令部を抜け出した連中が通り過ぎて行ったからだろうか? 憲兵の姿は無く、輜重士官らの姿もなく、達人の言っていた軽歩兵部隊の連中が兵どもを統率していた。


 ビビッた。逃げ惑っている司令部要員を目撃、あまつさえ八〇〇メートル程先で急に戦闘の音が止まったのに気が付いているだろうに、軽歩兵部隊の彼らは兵をほぼ完全に掌握していた。兵どもは何時でも移動を開始できるように、休めの姿勢こそ取っているものの、四列縦隊を形成していた。(円陣で無いのは周囲を警戒するだけ無駄だからだろう。ひとたび戦闘になれば数の差で押し切られる)


 逃げ出そうとする者に目を配っている。最初から逃げそうな者をマークしてあるのだ。今日、初めて合流した相手の人柄を(如何に行動パターンの少ないNPCとはいえ)把握している輩は只者ではない。


「お久しぶりです!」実際、只者ではなかった。軽歩兵部隊の隊長はラデンプールのときに世話になった吉田だった。


 その節はどうもお世話になりまして、と、吉田は本気か嫌味かわかりかねることを手短に述べた。己は事情を説明した。そんなことであろうと思っていました、と、これまた返答に困ることを吉田は言った。本人はムフーとか鼻息を荒くして胸を張っている。


「兵員一九八名です、甘――ではなくて、左右来宮兵站部長殿。士気はご覧の通りですが、使い物にならないというわけではありません。ウチは比較的、下士官の多い部隊ですから。他部隊からの合流者もおりますので、なお、お叱りは後で受けますが、こんなこともあろうかと、食料については一週間分を既に全員に配分しました。弾丸は一人辺り九〇発を用意しています。三戦闘分ですね。馬車も弾薬車も一台も残っておりませんので人力運搬ですけれども」


「助かる。ところで吉田、君、駄目で元々で尋ねるんだが、葉巻を持っていないか」


「ありますよ」言うが早いか吉田は懐から麻の袋を取り出した。中から何本か取り出す。ようやくのことで見つけた、折れていない一本を差し出してきた。悩んだ。最終的にはそれをそのまま受け取った。礼を言う。咥えると古が素早く火を着けてくれた。礼を言う。吉田は自分でも一本、咥えていた。慣れた手付きで火を着けた。紫煙を燻らせる。


「君が吸うとは。どこで手に入れた」


「自分のではありません」姫カットの中隊長は苦笑した。「それは戦友から分けて貰いました」


「戦友?」


「はい。数日前、酷い雨の日に、敵の捜索部隊と、同じく捜索中だった我が部隊が、困ったことにかちあいまして。殺し合う気にはなれませんでしたから、まあ、お互いに世間話に花を咲かせたりした訳です。――そのときに貰いました。同じ低学歴ですからね。話が合いましたし、音楽の趣味も合いましたし、別れ際には握手して、見えなくなるまで手を振ってしまったぐらいです。次に無事に会えたら食事にでも行きたいものです」


「君は低学歴だったか」己は甘辛い煙を肺まで吸い込んだ。頬の粘膜と喉がピリピリした。元は上物の葉巻らしい。濡れて味が悪くなっているのだ。高カカオのチョコレートをより渋くしたような味がした。


「出発前にひとつだけ尋ねさせてくれ。君はなぜ我が軍に味方している?」


 部隊は移動開始前の最後の点検を下士官らから受けているところだった。それぐらいの暇はあった。質問の背景には好奇心があった。それ以上のものはないと思う。

 

 実のところ、例えばだが、コレがシュラーバッハ前ならすんなり理解できた。


 妹が第ニ旅団長に就任した当初、妹と同じように低学歴である下級士官、下士官たち、彼らは必ずしも妹に好意的でなかった。


 コレは妹の政治的な立場が微妙であること、つまり積極的に支持して、妹が失脚した場合、自分たちの立場が危うくなることを考慮していたからに他ならない。――否、純粋に妹が気に入らなかったという者もおろう。同じ低学歴なのに。どうしてアイツだけ。やはり会長の愛人なのか。無論、なんであれ面倒事は嫌だからという者もいたはずだ。


 いまは事情が違う。それなのにどうしてまた?


「恩があるからです」吉田はまず簡潔に答えた。


「嫌な思いもそれはしましたとも。しかし、私はこのゲームを初めた当時、高学歴の上司を持ち、彼はとても良い上司だったのです。彼のお陰で私は中隊長にまでなれた。彼のおかげで何とか収入を保てている。彼が居なければどうなっていたか。彼は国境付近の小競り合いで死んでしまいましたけどね。それだけです。ここに残っている下士官は、下級士官は、全て私と同じような理由でこうしているのです。あ、いや、中にはモヒート愛が強いからという者もいるかな。ま、でも、あんまり変わりませんよね。それも」


「か」己は言葉を探した。脳内のどの辞書にも目当ての単語はなかった。吉田は微笑んでいた。


 そのうち、芝村とかいう名前の下士官が装備などの点検を終えた旨を吉田に報告した。吉田は出発を告げた。


 ……ンジョール=ヌ会戦はかくして終結した。


 後の話になるが、ンジョール=ヌ会戦に冒頭から参加した戦力は第ニ旅団側六五五ニ名、内、プレイヤーは一三ニ名であった。対する妹の反乱軍は五〇三六名、内、プレイヤーは四三八名に及んだ。


 第二旅団側が受けた損害は戦死と行方不明を合してニ八五六名という甚大なものに達する。プレイヤーの死者は三八名、コレも当然ながら少なくはない。


 妹の軍も無傷ではない。損害こそ一三〇〇名――半数近くが集成第ニ連隊第一大隊――だが、プレイヤーに一〇〇名以上の死者を出している。


 しかし、これだけの閉店セール、大安売りをしておきながら、この日から卒業までの一年半余り、妹と夏川はなお何千人を地獄に叩き込み合うことになる。



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