9章3話/『月なんて出てないじゃない。でも、確かに綺麗ね』
「うーん……」と、吉田は唸った。茂みの間から僅かに突き出していた首を引っ込める。
「流石は模範連隊だなぁ。無駄弾も撃ってこない。どうだ? 芝村君」
「もし正面からやるならば絶対に勝てません。先程の発砲は一〇〇メートルは先からでした。この暗さなので正確な目視測距は不可能ですが、一五〇メートル近くであると、音からして感じられました。加えてこれだけ木々が密生しているにも関わらず、小隊規模の発砲、それで我が方は一〇人以上を殺られています。戦闘力が違い過ぎる」
「敵の位置はどこかな」
「残念ながら特定できません。射撃してきた部隊も陽動の部隊も共に移動したはずです。我々を監視していることは確かでしょう」
「はー」吉田は感心するように溜息を吐いた。「素晴らしい手際だ。アレだけやれると楽しいだろうなあ。一年生のとき、私はどうして軽歩兵なんて選んでしまったんだろうか。戦列歩兵を選んでいればまた違った未来があったかもしれない。――が、過去を悔やんだところで始まらない」
吉田はニッと笑った。「コレも給料のためだ。仕事をするか、芝村君」
芝村は朴訥なりに小さく笑った。「光栄です。仕事をしましょう、中隊長殿」
「よし。そうと決まれば、あ~、働くぞ。働くったら働くぞー、と」よっこらしょと吉田は己に向き直った。己たちは濃い茂みの中に中腰で隠れていた。この他に古と小隊程度の兵が一緒だった。兵たちは不安そうにしている。脱走も数分前までは相次いでいた。いま、兵たちが頭を上げないのは、そうすればどうなるかを地面に倒れた仲間の死体から学んでいるからだった。数えれば五つにもなる死体はどれも頭を撃ち抜かれて死んでいる。下顎の吹っ飛んだのがひとつ、後の四つはどれも頭蓋を砕かれていて、割れた骨の間からはどうにも形容しようがない緑色の液体に包まれた脳味噌がドロリと零れている。マスケット銃でこんな精密射撃が可能とは。連中、やっているゲームが違うのではないか? まるで射撃名人だ。
「左右来宮さん」吉田は騎兵銃を装填しながら言った。
そのとき、視界の右端で鬼火が灯った。吉田と芝村の会話の通り、森の中だから距離感が掴み辛いが、灯りが小さく見えるから遠くのことであるはずだ。
灯りが瞬く。灯ったかと思うと消える。射撃音がした。数秒の静寂があった。吉田と芝村が灯りの消えた方向を睨んでいた。再び射撃音がした。今度は悲鳴が森の中を錯綜した。視覚よりも聴覚の混乱が厄介だな。音が木で無闇に跳ね返る。どこで何が起きているのかわからない。
「左右来宮さん」吉田は言い直した。「ココは我々が時間を稼ぎます。その間に副官殿とお逃げください。逃げる方向は、そうですね、とにかくアチラの方に走ってください。小川があるはずですから。それに沿って。方向がわからないときは星を見てください。って、なんだか私、ロマンチストみたいですね」
感謝するべきな気がする。迷惑な気もする。己は言葉に詰まった。
「先輩」古が己を促した。
「か」己は溜息混じりに返事をした。二の句を継ぐのには酷く苦労した。
「わかった。諸君らには済まないことをしていると思う」
「いいえ」吉田は朗らかに苦笑した。「これで死んでも好きでやっていることですから。では、道中、お気を付けて。お忘れ物のないように願います。特に約束と命を置き忘れにならないように。無くすと二度と手に入らない大事なものですからね。またお会いしましょう」