9章2話/廻る、全てが廻っていくなかで
おばあちゃんの知恵か。ウチの婆様は名代の知恵者だった。まず知識量が豊富だった。豊富というよりも無尽蔵だった。性格は無遠慮だった。だから、婆様、自分の気に入らない相手とあらば、持てる全知全能を尽くして完膚無きまでに叩きのめした。
とてもとても幼い己にはそれが酷く格好良く思われた。婆様は無敵なのだと信じた。当時、婆様はまだ己に対して甘くもなければ厳し過ぎもしなかった。こうしろああしろと口煩くはあった。それでも、『お前は生まれてきてはいけなかった』と嘆かれたことはなかった。己は母でもなく父でもなく婆様に育てられた。己にとっての親とは婆様である。子供は無条件に親を愛するものだ。親は無条件に子供を愛さないけれども。
……被災地の冬について語りたい。偶には自分語りも良いものだ。何時もは駄目だ。己は自分の感情を他人に話すのが嫌いなのである。何故か。そんな馬鹿なことを尋ねるがものはない。同情、慰め、そういったものが嫌いだからである。される分には気分がいい。してくれる誰かの温情には感謝も捧げよう。しかし、そういったものを得て満足している自分がたまらなく情けなくなってしまう。つまり、誰かの力を借りるよりも自分一人で苦しんでいた方がずっと苦しみが少なくて済む。
それにだ。例えば、己は死にたいとか言い出す奴はいっそ殺してやれと思っている。それは発作的に死にたがる阿呆は別だ。しかし、どうしても死にたくてたまらない奴に『生きろ』と告げるのはどれだけ残酷だろう。同時に『ならば死ね』と言い渡すのも。
他人が納得してやろうとしていることを、善意であれ、正論であれ、覆そうとすることは愚かではないか? 周りが言うことぐらいはとうに考えているのではないか。周りが言うことがより強い苦痛を与えるのではないか。優しいだけの意見に何の意味がある。そして、優しいだけの意見であっても拒否できない性格の者もこの世には居るのだ。自分語りとはこういった人間関係の弊害を招く。
そもそも他人の決断を覆そうというのは、結局、相手を自分の意のままに、自分の価値観に染め上げたいだけなのではないか。そうも思う。それを愚劣だとも思う。愚劣だと思う自分を愚劣だとも思う。――だが、実際、己は友人の誰かが『死にたい』と言ったならば、必ずや、思い留まれと勧めるだろう。持説を曲げているのだ。自分と相手を都合良く騙しているのだ。
相手が己の言葉で生きる道を選んだとしよう。本当にそれで良かったのか、と、様々な意味での後悔だけが胸に残る。
妹はどうだろう。アイツはこういう問題についてどういう持論があるのだろう。そもそも持論があるのか。己はどうしてココで妹の意見を知りたいと思うのか。まあいい。
――――凍えるほどの寒さだったことから話を始めねばならない。
最大震度が七でマグニチュードが九とかいった。己の住んでいた地域は震源地からそう遠くなかった。あらゆるライフ・ラインが切断された。己たちの逃げ込んだ避難所は、なにしろ市営でも町営でもない、郡営であるからして、インフラが回復するまでには一週間以上が掛かった。僻地であった。僻地の冬は都会のそれより厳しい。
毎晩、着れるものを着られるだけ着て眠ったところで震えが止まらなかった。寝ている間も、意識が無いから気が付かないだけではなかろうか、震えているような気がした。妹は事実としてそうだった。なにかに怯えているようでもあった。可哀想だった。己はあの小さい生き物を何よりも大切に思っていた。思わないはずがない。血を分けた妹だ。同じ日に生まれた妹だ。同じような顔をしている妹だ。何かあれば直ぐに『おにいちゃん!』な妹だ。助けてやらねばと考えた。
絵本なぞはその典型的な一環だ。アイツが望むならば何でもした。アイツが何を怖がって震えているかについては深く知ろうとしなかった。アイツについてならば何でもわかっている気がしていた。他の、同じ避難所で生活を送る者については心底、どうでもよかった。或いは己は妹のことを気にかけることで自らの不安を誤魔化していたのかもしれない。(己は大の大人が如何にも不安げにしているのが気に入らなかった。大人で、しかも手が空いているならやれることがあるはずで、なんならこんなに小さな妹を安心させてやってくれはすまいかと思った。それが大人というものではないのかとも。己が大人だったら決してああはすまい。なるまい。いつまでも王様は裸なのだと告発する子供でいよう)
ある晩のことだ。己たちの隣で寝ていた婆様がむくりと起き上がった。その突然なことにまず己は驚いて目を覚ました。当然、息は白かった。寝ている人間が放つ息すら白かった。それが村民の生活している体育館の至るところで上がっていた。上がった白い息は数十センチで直ぐ空気に溶けた。
「左京」婆様は寝ている己に耳打ちした。「来るかい」
何をしに――と、それを教えないところが婆様らしい。しかし、その声色には無駄が無かった。スキも無かった。ただ形容し難い力があった。己は立ち上がった。
靴下を履いていたところで何の役にも立たない。寒さ対策でダンボールの張られている床には誰かが寝ていた。己と婆様は人々の頭や腕や腹の横の狭いスペースを忍び足で歩いた。布越しに足の裏が冷えた。ヒリヒリした。チクチクした。しばらくすると何も感じなくなった。足の指の中に金属かなにかを埋め込まれているような違和感だけがあった。
痴呆症の後期高齢者だとかも避難所にはいた。夜間、その高齢者たちがどこかへ消えるのを防ぐ目的で、避難所の周囲には有志の巡回があった。
ちょっとしたスパイ映画さ。体育館を出たところで連絡廊下がある。連絡廊下は婆様の腰までぐらいの塀に両側を守られている。四つん這いになってその塀に身を隠すのだ。北国のことである。四つん這いになれば両手足が関節のところまで雪に埋まる。しんしんと降ってる奴が頭やら肩やらに積もる。体温で溶ける。服が濡れる。体温を奪われ得る。そこが痒くなる。掻き毟りたくなる。またヒリヒリした。チクチクした。今度はあの金属のような違和感すら感じなくなる。服はそのうち風で乾いた。後でパリパリに凍っていることに気が付いた。脱ぐときに皮膚の一部が剥がれた。血は最初、余り出なかった。体温が平常に戻るにつれてどくどくと溢れた。痛覚は長い時間を掛けて回復した。
己たちは這うようにして進んだ。夜中で雪が溶けていないのが幸いだった。まだしも移動し易い。懐中電灯の光が頭の上を過ぎれば立ち止まる。音を立てないように細心の注意を払った。
己は妙な興奮を覚えた。校舎内に入り、曲がり角の度に立ち止まり、角の向こうに誰か居ないかを覗き込んでいたとき、その興奮はより高まった。しかし、それが最高潮ではなかった。興奮はもっと一層、もっとずっと、もっと高級なものにまで高まることになる。
婆様の目的が知れたからだった。婆様は己を村の外れまで誘った。そこにあった古い家屋は倒壊していた。家屋の上半分だけが伺えた。それより下は銀世界の中へ埋もれてしまっていた。住んでいた老夫婦は避難所に来ていない。そういうことなのだった。――
「左京」と、婆様は呼んだ。音の大半は雪に吸い取られた。それでシケモクのような婆様の濁声は己の耳に微かにだけ響いた。
「いいかい、あたしの言う通りにするんだ。あたしとお前でこれから掘るよ。何処までもこの雪を掻き分けるよ。積もるそばから掘るんだ。この家の中への道が出来るまで」
その日、己は初めて人の死体を見た。低音で保存――畜生め――されていたせいで腐ってはいなかった。従って腐敗臭はしなかった。気分が悪くなりはした。『左京君と右京ちゃんは仲がいいんだね』と、そう言って、笑いかけてくれて、お菓子なんかをくれる優しい隣人、彼らが目を開けたまま、驚きの表情を顔に貼り付けたまま、もう二度と動かないのは忍びなかった。だが、だが、だからどうしたというのだ?
翌日から妹が凍えることは無くなった。新しい毛布と防寒着を手に入れたからだった。サイズが合わないのは致し方ない。不足しがちだった日用品も、少なくとも妹に限っては、避難所の中では誰よりも贅沢に浪費できるようになった。ここだけの話、妹は誰もが欲していながらついに手に入れられなかった嗜好品類まで、少量であれば口にすることができた。己にはそれが誇らしかった。婆様は言った。『お前は兄さんなんだから妹を助けてやるんだ。これからも。これまでもそうだったように』
そう。これだから誇らしかった。
地獄のような冬を己たちは越した。翌年、トヲキョヲで迎えた春ほど、己は草花の青さを有り難いと思ったことはない。思えば、あれが草木に親しむようになった原因だろうか。寒いのは嫌いだ。雪は嫌いだ。どんな花も咲かない。色味がない。希望がない。
――――我が家は己たちが五歳の頃から機能不全だった。父親が己たちにバレないところで妹を虐げていたことが発覚してから――否、もっと前からか。母は悪い人ではなかった。けれども、家庭向きでは決して無かった。どこか学生気分を引き摺ったまま大人になった人だった。親としての責任を果たしたがらないのだった。無論、自分では果たしているつもりになっているのだから始末に負えない。(夜中に酔って帰って醜態を晒す親は少なくともまともではない。友人辺りにするならば適当な人なのだ。親になるのに致命的に向いていないだけで)
父はそれが好ましくなかったらしい。母に対して長年の積もるものがあったと。しかし、父は変なところで母に甘く、その文句を口に出したとして、『やめておきなさいね』ぐらいなものだった。その『やめておきなさいね』が何度となく裏切られたところで『やめておきなさいね』を繰り返した。苦笑しながら。父は線の細い人だった。
母は父の苦言を嫌がった。『私は親らしくしてるつもりよ』が母の口癖だった。
『右京がね』と、父はこう反論する。『寂しがっているよ。それで何時も僕のところへ甘えに来るよ。母さんに会いたいって。左京は一人でやれてるけどね。右京は甘えん坊だからなあ。僕ばかり相手をするのはフェアじゃないんじゃないか?』
時によると母は激高した。なによ。どういうことよ。あなただってあのコの親でしょ。娘が甘えてくるのが迷惑ってどういうことなの。
己は父がどうして妹に手を上げていたのか、それがいまもってわからない。知ることも、最早、できない。妹をそこまで嫌っていたようでもない。あの人が妹に向けていた愛情は何度、脳内で再生し直しても嘘であるとは思われない。あの笑顔が嘘のはずがない。
知ることはできない。邪推することはできる。父は母への愛情と憎悪を拗らせたのではないか。子供が出来る前、母は母らしく振る舞っていたところで誰にも文句を付けられなかった。父も苦言を呈する必要などなかった。親らしく振る舞う必要などないのだから当然だ。自分の、挫折しながらも数学に対する情熱を捨てきれない自分の、研究やら何やらに専念することもできたはずだ。『娘など居なければ良かった』のではないか。
そうだ。これであるからこそ己は妹を守ってやらねばならないと信じていた。いまでも一瞬で鮮明に思い出せる。ある晩のことだった。狭い布団の中に妹と二人で寝ていた。妹は頭のてっぺんまで布団を被るのが好きだった。暗い布団の中で手を繋ぐ。抱き合うこともある。妹はその日、己の胸の中で唐突に泣き出した。ずっと我慢していたことに耐えきれなくなったようにワッと泣いた。堰が切れたようだった。
『お兄ちゃん』妹は言った。『パパがね――』
『――パパがそんなことするわけないでしょ』
母は妹が嘘を吐いていると罵った。己は祖母へ話を持ち込んだ。祖母は数時間で真実を暴いた。そして己たちはホッカイドーへ移り住んだ。長く別居していた祖父、一徹者というか、職人気質というか、この祖母にして祖父ありという彼は地震の直前に肺炎で死んだが、己たちに良くしてくれた。思えば、あの時期だけが己たちにとっての、洵の意味で幸せな暮らしだったのではないか。
――――トヲキョヲに戻ってから平穏に暮らせたのは数週間だけだった。妹が虐められ始めた。それを悟った己はなんとかして妹を救わねばと行動した。教師を頼る気にはなれなかった。母に告げ口することもしなかった。大人を信じていなかった。とりわけ母を信じていなかった。祖母を頼らなかった理由は簡潔だった。より褒められたかった。認められたかった。『兄だから自分一人でなんとかした』と胸を張りたかった。愚かだった。
それに、当初、妹に対する虐めはそれほど深刻ではなかった。上履きが無くなる。モノサシが無くなる。リコーダーが無くなる。それぐらいならなんとでもできた。犯人を探すこともできた。とっちめることもできた。快感だった。泣く妹に手を差し伸べて夕暮れの町を二人して歩いて帰った。そして、己はそういうとき、格好をつけて何事をも妹に語らなかった。取り戻した物品はそっと妹のロッカーに戻しておいた。妹の方でも強いて己を頼らなかった。それを羞恥心故だと己は信じていた。
次第に時間的余裕がなくなった。母が己への教育を手ずから始めたからだった。断りたかった。もっと妹と居たかった。しかし、断ればどうなるか。母は妹に八つ当たりをしかねない。コレは邪推ではない。現実にしたこともあった。機嫌の良し悪しで他人に対する接し方の極端に変わる人なのだった。
己は学校が終わるなり家にとんぼ返り、妹のことを心配しながらも、母の教えを飲み込む日々が始まった。余計な時間は使えない。復習だ予習だでこれ以上、時間を使わされてたまるか。己は必死で勉強した。何事も一度で覚えられるよう努力した。出来なければ自分で自分に罰を与えた。何度となく己は指や手の甲を斜に切り刻んだ。母が何かの弾みで暴れることがあった。父や祖母と揉めてのことだった。そういうときはなるたけ母の味方をした。そうすることで母は『アンタだけはあたしをわかってくれるわよね』と安心した。安心すると当分は暴れない。
しかし、全て無駄に終わった。妹が己を避け始めたからだ。連動して婆様まで己を揶揄するようになった。
何故なのか。何故なのだ。己は絶望した。ここまでしてやっているのに。ここまでしてやってきたのに。
ならいいさ、と、己は思った。迷惑に感じられながらも助けてやる意味などない。『自分が凍えるとしても他人に服を分けてやりなさい』――ふざけるな。
他方、己はこうも考えていた。妹ではなく、そう、可哀想な妹ではなく、己が妹のように不幸であればよかったのに。そうすれば妹は。そして己は。全てが丸く収まったのではないか。
『お兄ちゃん、何時もありがとう』
『左京、お前は兄さんだからね。耐えられて偉いね』
ある意味で、当時、己は幸福であることに屈折したコンプレックスを感じていた。幸福であることへの不満、幸福であることの安堵、幸福であることの優越感、それらを噛み締めながら抱く漠然とした憂鬱――――。己は妹を下に見ながら妬み、羨み、嫉んで、あまつさえ見捨てた。多少のことは何もしなかったに等しいのではないか。己は自分を許せない悪徳漢だと自己判断した。ませたガキだった。己は屑だ。どうしようもない屑だ。死ねばいい。
――――己は父を嫌いになりきれなかった。所詮、善悪などオセロのようなもの、ある人にとっての悪人がある人にとっては命の恩人になることもある。ハトと鷹の話が有名だろう。大物コメディアンの著した本の中に出てくる話だ。あるところに傷付いたハトを拾った人がいる。またあるところに傷付いた鷹を拾った人がいる。二人とも懇切丁寧に鳥を世話してやる。そのために鳥は元気を取り戻す。二人は同じ日にハトと鷹を野へ帰した。そして、飛び立ったハトを飛び立った鷹が食い殺した。ハトを拾った人は嘆いた。なんて残酷なんだろう。せっかく元気になったのに。鷹を拾った人は喜んだ。あんなになるまで回復したなら一安心だ。
己は父に薫陶を受けた。彼もまた、母とは違う意味で、持てる時間を全て趣味に注ぎ込む人ではあったが、それだけに男のコの浪漫を理解していた。親としては尊敬していない。しかし、人として、己の趣味の、植物を除くほぼ全ては彼によって建立されて涵養された。告白する。己は父が妹に手をあげていた理由がわからないのではない。父が妹に手をあげていたことがいまもって信じられない。信じられないから知る必要性を感じない。
こういう経緯と事情から、面会権を行使して月イチでやってくる父、彼との時間を己は心ゆくまで楽しんだ。父のアパートに遊びに連れて行かれるときなどは我を忘れることがあった。(勿論、祖母や妹から逃れられるという嬉しさも手伝ってはいた)
ところで、父の職業は不安定だった。学歴社会だ何だと言われるが、とはいえ、大学院卒が就職に不利なのは今も昔も変わらない。また、誤解されがちだけれども、理系職には研究以外の就職口が少ない。研究者への道を(主に経済的事情で)絶たれた父は、また家庭のトラブルが原因で長く勤めた会社をクビにされたもので、この頃はアルバイトで生計を立てていた。
四三歳が月に一三万円の収入だ。父はその現実を受け入れるためのようにこう言っていた。『報いさ。それに僕より酷い生活を送っている人なんて幾らでもいる』と。
確かにそうなのかもしれない。路上生活者で溢れる現代だ。都会の駅では必ず数人の物乞いを見かける。外国人が基本だけれども、中には、子供を連れたヒノモト人もいる。ヨヨギやウエノ公園の有様は誰でも知っている通りだ。トヲキョヲにすらドヤ街がある時代だ。父の、その日の暮らしに困り、たまにやってくる息子に菓子を出すことすら見栄を張らねばできない生活ですら平均的、もしかすると裕福な生活ではある。それはそうだ。認める。
けれども、しかし、そんなことを他人と比較して何になる?
己は日に日に窶れていく父に心を痛めた。愛した。だからこそ、――究極の選択をした。
小学校高学年、己は妹が受けている虐めが深刻化しているのを知った。妹のために動いてやろうと決めた。間もなく止めにした。つまらない。アイツはそういうことをされて当然だ。本当にそうか。悩んだ。結果、誰でもいい、信頼できる人にこのことを託そうと決めた。父しかいなかった。ぞんざいな気分だった。面倒でもあった。妹のことで頭が痛くなるのが嫌で嫌で仕方なかった。
『父さん』己はある日、四畳半で父と向かい合って言った。『実は話があるんだ』
『青い顔をしているよ』父は苦笑した。四畳半には家具らしい家具がなかった。畳みは湿った薫りがした。日の当らない部屋だった。隅に大事そうに抱えられた本の山には布が掛けられていた。ホコリ対策と目隠しを兼ねていた。本の重みで床が抜けたのを大家に見つからないように用心しているのだった。父は哀れだ。
『左京』父は己の肩を叩いた。久しく閃かせていなかった男性的な笑みを輝かせた。『わかっている。君がそういう顔をするのは決まって右京子のことを話すときだ。――わかってるよ。辛いんだろうな。君は優しいからね。右京子のことを今でも守ってやってるんだろ? 父さんは出来ない。そうする資格がない。お前は立派だ。お前は凄い。妹のためにそこまで真剣に悩めるのは普通の人にはできないことなんだ。今後とも右京子のためになるようお兄さんらしく生きなさい』
誤解と言うには切な過ぎる誤解だった。己は頷いた。嘘を吐いた。『そうするよ、父さん。必ずそうするよ』
――――己たちが中学生になる頃に父は失踪した。どこへ行ったかは知らない。ある日、家へ行くと綺麗サッパリと居なくなっていた。大家が怒っていた。夜逃げしたらしい。同時期、妹がアルコールに溺れだした。母は付き合いきれないわと喚き散らした末にヒノモトを去った。祖母は己を極端なまでに嫌った。罵った。名前すら呼ばなくなった。あの男の子とかお前とかとだけ己のことを呼んだ。
ある夜のことだった。己が部屋で何か意味もなく悶々としていると、中庭の方で、なにやら大きな音がした。ガターンと。ビターンと。何かと思って飛び出れば妹が土と花の上に倒れていた。妹に踏み折られたクチナシが甘く匂った。己は立ち尽くした。妹は仰向けで倒れながらヘラヘラと笑っていた。酔っていた。つい先日、禁酒セミナーに送り込んでこれとは。先が思いやられた。それだけなら良かった。部屋に戻ればよかった。妹はいきなり、
『あ、兄さん』呂律が回っていなかった。子供のような舌足らずだった。
『いいところにきましたね。兄さん、お願いがあるんです。兄さん、兄さん、そこら辺に散らばってしまった私の骨をどうか拾い集めて来てくれませんか?』
妹はアルコール性の幻覚を見ているのだった。立てないのだと言う。立てないのは自分の骨が転んだ衝撃でアチコチに散らばってしまったからだと言う。ホラね。兄さんね。そこに私の肋骨が落ちてるでしょう。二本ね。まずそれを持ってきてください。
『――っ』己は絶句した。妹相手にこんな感情を抱けるのかと思うほど殺意にも似た感情がこみ上げてきた。己は妹に背を向けた。ところへ婆様が現れた。
『左京』と、婆様は静かに言った。己は泣きたくなった。畜生め。てめえ。てめえ。畜生め。こういうときだけ己の名を呼ぶのか。
『拾ってやりなさい』
ああ、拾ってやったとも。魔女め。クソババアめ。拾ったよ。ありもしない骨を大事そうに拾ったよ。それで妹の体にひとつひとつ丁寧に嵌め込んでやったよ。蒸し暑い中でな。汗だくになりながらな。ピノキオを組み立てる気分だったぜ。伸びろよ。妹の鼻はどうして伸びない。アイツは嘘ばかり吐くじゃあないか。
これで満足か。あれで満足か。己はなんなんだ。己はなんなんだ。こんなになってまで己は妹を優先せねばならないのか。己は何のために生まれたんだ。わからない。
わからない。どうして家族を見捨てたらいけない。どうして家族を見捨てると心が痛む。どうして他人を傷付けてはならない。わからない。世の中には幸せそうに暮らしている人間が幾らでもいる。何故、己はああはなれない。どうしてこうなった。どこで道を間違えた。己の何がいけなかった。幸せそうに暮らしている奴らにも苦しい裏の事情があるなんてことも信じられない。わからない。
己は“とくいのおべんきょう”を活かして考えついた。己にはそれしかないからな。
全てはまやかしだ。特に善意なんてものはまやかしだ。世の中にはそんなものはない。あったところでそれを施した相手に理解されるとは限らない。善意とは自分に利益があるときにだけ得意げに振りかざされる自己満足の別名だ。さもなければ、己はとうに誰か、理解のある人によって救済されているはずだ。さもなければ、己は、己たちは、――己は妹を救えたはずだ。そのはずだ。結局、誰もが自分を優先する。肉親であろうと例外ではない。
もう誰も愛するものか。もう誰も好くものか。もう誰にも手など差し伸べるものか。もう誰にも善意など向けるものか。己は己のことで手一杯だ。