9章1話/叩かれる戦いの終わりの門と遠い記憶への誘い
神々廻と妹のクーデターの噂、それがモヒート軍の一部で猖獗を極めていた頃、己は駐屯軍司令官として軍情報部に次のように命じた。
『我々は当事者だ。奴らがマジでやる気ならばその矢面に立たねばならない。対策を練る必要がある。そのためには情報が不可欠だ。貴部署におかれては左右来宮と師団幹部らについて内偵を進めて欲しい。本当にクーデターをやる気か。やるとすれば何時か。どのような手段か。目的は何か。兵力はどれぐらいか。ただし、当人たちの召喚や調査については本国と諜報総局が行う。ゲーム内外でな。諸君らも同様、ゲーム内外で、しかし奴らの関係者から情報を集めること。副官、同僚、部下、友人、知人、家族、恋人、愛人、幼馴染、宿敵、そういう塩梅だな。必要に応じて事情聴取を行っても構わない』
ものの数日で大量の情報が集められた。玉石混交、どれが真実でどれが嘘だか判別することも難しいソレを、立場というものがある、己は斜め読みした。
なにも部下の遂行している業務について深く理解することはないのだ。全体の流れはどうなっているのか。上に立つものはそれさえ把握しておけばいい。流れに不備があった場合、その調整にだけ口を出してやる。大事なのはあくまでも目標を定めてやること、方針を与えてやること、期限を切ること、能力のある部下を使うこと、いざというときは責任を取ること――なのである。また、どうせ己は全ての仕事を見て回れるわけでなし、全ての情報提供者と直接的に会話することができるわけでもない。細部は現場に委ねた方が何かと得策だ。大体、何のために課長だ部長だとセクションごとに管理職があるかを考えてみればよろしい。我が国においてはしばしば管理職がその業務を逸脱する傾向にある。干渉し過ぎる。逆にし無さ過ぎる。業務分担という観点が欠落している。『おれが! おれが! おれが! おまえが! おまえが! おまえが!』
……文体と内容を整えられた報告書はどれも面白くなかった。当たり前だ。面白い業務文書など存在しない。あったとすればそれは文書主義の精神にもとる。
一方、聴取の内容をありのまま記した記録、情報部員らが独自に作ったメモワールの内容は己の興味を惹いた。そちらについては移動中などに暇を見つけては読み耽った。
『(参謀学校で親しかった同期高学歴からの聴取)剣橋は義理堅い。しかし、それ以上に計算のできる男だ。人情だけでキャリアを捨てるほどの男とは自分には思えなかった。多分、彼は左右来宮には着いて行かない気がする』
『(数日だけ同じ部隊に勤務した高学歴からの聴取)剣橋は上官からの得点を抜け目なく稼ぐのが巧いというのが自分の受けた印象だった。狡い人に見えることすらあった。彼の示す好意はどうも自分には信頼できなかった。演技に見えた。一方、筋や節を曲げる男とも思われないところがある。左右来宮が挙兵するのであれば従う可能性は捨てきれない』
この他にも剣橋は表に出さないだけで高学歴原理主義者だから低学歴には手を貸さない、逆に神々廻派閥と内通している低学歴優遇論者なのだ、自分はこの目でしかと見た、耳で聴いた、アイツは有能だからとにかくいまのうちに拘束するなりしろ、無能なので放っておいてもいい、奴の好物は焼き肉だ、いやアイツは菜食主義者だ、そこまでは言わないけれども魚の方が好きだ、――無限の意見があった。
一人の男にどうしてこれだけ多様な評価が成立しうるのか。己の見ている剣橋とお前の見ている剣橋は同一人物なのか。ドッペル剣橋ではないのか。アナザー剣橋ではないのか。アチラ側の世界から来た並行世界剣橋ではないのか。名前はキチンと剣橋京太郎だろうな。剣橋Q太郎ではあるまいな。
間違いなく同じ剣橋京太郎なのである。
面白いと感じたのは評価者と剣橋の関係が評価に直結しているとは限らないことだ。長い付き合い、短い付き合い、仕事の付き合いか、プライベートの付き合いか、そんなものは余り意味がない。他人に対する印象や評価を決定付けるものは、では、なんなのだ? と、己は数日、モヤモヤした気分に陥ったりもした。
八月末、己は情報部から送られてきた、あるリストの中にひとつの固有名詞を見出す。重要参考人になるだろう人物のリストだった。己は可憐な名前のその女を呼び出してくれるよう特に情報部長に願った。情報部長は釘を差した。ゲーム内で総司令官殿が直接にお会いになられると目立ち過ぎます。ならば致し方ないと己は使いたくない手を使うことにした。情報部長は呆れ返った。
一日、己はトヲキョヲ郊外にある植物園を訪れた。目玉である向日葵畑の盛りは過ぎていた。けれども、未だ咲き誇るその花の色合いは絶えず黄色く、太陽を追う首の振り方にも衰えを感じなかった。向日葵は何千本だかあるらしい。試しに内の一本をマジマジと観察してみた。植物好きな癖に己はどうも向日葵を好まない。その理由がそのとき初めてわかった。闇だ。コイツ、明るい顔をして闇を心に抱えているタイプの女に見えないか? 見えるんだよ。己は気味が悪くなった。妙な親近感も感じた。
己は花畑の中にある、鳥籠のような形をした休憩所で彼女と落ち合った。
「あの、初めまして」彼女は白いワンピースを着ていた。夏の空は棒で突けば落ちてくるかと期待されるほどに広かった。その青さの中だからか白は清楚さよりも幼さを強く感じさせた。「すみません。私、あの、どういうお話し方をすればいいのか。――玉田です……」
「いい。座ってくれ」己は対面を促した。玉田はおずおずと着席した。被っていた麦わら帽子を小脇に抱える仕草に小動物のような味わいがあった。尤も、被っていた帽子を取ってから小脇に抱えるまでは長かった。否、まず取るまでが長かった。取った方がいいかな。いいよね。取らない方がいいのかも。取っちゃえ――みたいな。取ってからも帽子を地面に落とした。慌てて拾おうとして転びかけた。お前は何をやってるんだ。漫才は他所でやれ。手を貸す方の身にもなれ。
「早速で悪いが、君を呼んだのは他でもない、師団幹部、特に君の直属の上司に当たる甘木について尋ねたいからだ。言葉を選ぶ必要はない。話し方も自然体でいい」
「はあ」玉田は驚いたような表情をしていた。「あの、あの、その前にひとつだけいいですか。ええと」
「ここでは役職名は無しだ、玉田君」
「ええと、じゃあ、あの、左右来宮さん」
「なんだ」
「以前、どこかでお会いしました?」
「いや」己は頭を振った。金属製でチンチンに熱くなっているテーブルに両肘を突いた。顎の前で手を組んだ。拝むようでもある。「それ以外に質問はあるか」
無かった。話は本題に進んだ。話そのものの進み具合は悪かった。玉田はクーデターの噂について知らなかった。噂について教えられると、
「うぁぇっ!」と、仰け反ってビックリした。お前は面白外国人か。リアクション芸人か。
「し、知りませんでした。そんな噂があるんですね。ほー……」
「どう思う? 頼む。単刀直入に教えてくれ。君は甘木をどう評価している。次席副官だ。ラデンプールからコッチはずっと一緒だろう」
あの、と、玉田は前置きした。唇を尖らせた。頬を膨らませた。意を決さねばならないときの、これが彼女のクセであることを、己が見抜いてから数日が経過していた。それぐらいには二人の仲は発展していた。そういう相手からすると己はどう見ているのだろうか。気になっていた。
「部長は料理がお上手なんです」
「……。……。……。は?」
己は面食らった。ヒノモト語は通じてるんだろうな。玉田は依然として頬を膨らませていた。
「彼が料理が上手なのと今回の件にどんな因果関係があるのか。というか、彼は料理が上手なのか」
「正確には料理の知識が豊富ですっ」
「はあ」己は溜息と相槌の中間みたいな返事をした。「それというのは」
「ラデンプールに向かっての行軍中、各部隊後備の給食部隊から、あ、えっと、シュラーバッハのときもそうだったんですが――」
まさに低学歴の話し方だな。己は苦笑した。秩序がない。しかし、どうもコレは憎めない。急いでいるときには苛立たされる。いまは別に急いでいない。
「――食材にウジが湧くんです。何でも瓶詰するわけにはいかないので。冷凍保存するための機械も技術もないですし。夏場は特に食品の腐敗も酷いんです。って、さ、左右来宮さんはご存知ですよね。ごめんなさい」
「構わない」己は慌てて手をばたつかせる玉田を制した。「そのまま続けろ。で?」
「あの、えっと、ええと、だから、生食は控えて、必ず煮炊きをするようにって、師団司令部というか、兵站部は給食部隊に指導したんですけど、調味料不足で困るって苦情が今度は入って。でも、調味料を揃えるのも大変で。じゃあどうしようかな、って、兵站部で会議を開いてウンウン悩んでたときに、部長、落し蓋でも使ってみるか、って。それなら調味料の消費を抑えられますし、あの、少ない調味料でも料理ができるな、って」
言った本人は忘れていた。その案、最終的には通らなかったからな。なにしろ落し蓋なんて軍の需品目録にない。
「私、言ったんです。言っちゃったんです。部長、凄いこと思いつきますね、まるでおばあちゃんの知恵ですねって。そのとき、私はまだ部長の副官ではなくて、えーと、ただの部員だったんですけど。会議の場で言うには間抜けなことでしたよね。実際、笑われました。当時の上官には『馬鹿なことを言いやがって。俺のメンツが潰れる』と叱られました。でも、部長は言ってくれたんです。『おばあちゃんの知恵でも何でも使うさ。現場の負担を減らすためならね。それにしても君、面白いな』と」
「なるほど」それが皮肉だったとは今更、言えない。
「私、感動しました。現場の負担を減らすためなら何でもする。なんて素敵な人だろう、って。私を怒鳴りもしませんでしたしね」
えへへ、と、玉田は心底、嬉しそうに笑った。己は空虚な気分になった。
玉田は結論した。「あんな人がクーデターなんかに加担するはずがありません。もし加担するとすればそれはクーデターの方が正しいんですよ」
馬鹿な女だ。