8章25話(夏川)
戦場ではどんなことでも起き得る。とはいえ、正面から衝突した騎兵と歩兵で後者が勝つとは思ってもみなかった。我が旅団の騎兵指揮官は誰だったか。巴か。無能者め、と、断定しようとして意見を変えた。敗戦の原因がそれとなく察せたからだった。
味方の側面を守るべく単独で行動している歩兵大隊、コレを倒すのは騎兵ならば本来、容易い。騎兵の機動力を活かしてまずコレの側面を取ってしまえばよい。方陣を組んでいない敵歩兵は側面からの高速攻撃に対応できない。できたとしても反撃を行える兵は少ない。火力が足りない。騎兵を撃退できない。結局、騎兵突撃を食らう前に算を乱して逃げ始めるのが関の山だろう。その後、本命の側面を取り直して殲滅する。
それをなぜ巴は行わなかったか。
単独の歩兵大隊だからこそなのだろう。騎兵に対して不利な兵科、方陣も組まず騎兵と向き合うように二列横隊、最初からそうするつもりだったかのように整然とした行動、――恐らくは敵の欺瞞、それに引っ掛けられた。巴は側面を取りに行った場合、どこか別のところから現れた敵の別働隊か、それか隠されている砲に叩かれるのではないか? と疑ったのである。(無論、相手が相手、左右来宮であるという過大評価も関係しているだろう)
そして、諸事情を統合して勘案した末、ならば正面からぶつかるのが最も損害を少なくできて、且つ、安全なのではないかと突撃を決行した。
筋道の通った論理的思考だ。ただし、相手の士気についてより熟考すべきだった。敵は文字通り最後の一兵に至るまで戦った。その闘志にまず馬が驚かされた。前進が止まった。馬も生物である。どれだけ訓練していても連続で誰かを馬蹄にかける、衝突する、踏み殺す、そういうことには恐怖感を覚えてしまう。
それに敵は、気が狂っているとしか思えない、騎兵突撃における肝心要の衝力を減じるためならば、自ら望んで馬に轢殺されに行っていたようでもあった。否、ようであったなどという推量を使うまでもない。現に奴らは自ら望んで馬に立ちはだかっていた。
考えたとしても実行するか。できるか。トラックがビュンビュン走っている――ナゴヤ辺りの――車道に身を投げるようなものだぞ。奴らはそれをやった。計算尽くで狂った。結果、騎兵突撃は本来の威力の半分も発揮出来ずに終了してしまった。させられてしまった。あの低学歴ども、勢いと迫力だけでそれを成し遂げたのだ。
一五連隊長と同様、巴、彼女も憐れに思った。士気について熟考? 馬で突撃して逆に突撃し返して来られるなど普通は予想しない。どんな優れた計算もひとつの予想外でその歯車が狂うということか。むしろ、巴のような頭の回る高学歴だからこそあの低学歴どもに敗れたのかもしれない。
彼女には悪いことをした。後で労ってやるべきだろう。ああ、畜生、旅団長とはなんて素敵な職務なのだろう。労うためにはまず勝利をもぎ取らねばならない。
「旅団長!」
第ニ戦列(第三戦列歩兵連隊)の第一大隊長が走り寄ってきた。
敵は先程の交戦中、前進する力を奪うべく、一分に二度以上の猛烈な速度で第ニ戦列に砲撃を加えた。その速度のせいで、砲の数自体は少ないのに、実質、一六門前後で叩かれたのと変わらない損害を第二戦列は被った。
お陰様、第ニ戦列の幹部は軒並み死亡していた。第一大隊長は現在、連隊長職務を代行している。能力はまずまず及第点といったところか。
それにしても疑問だ。観測もままならず、砲撃計画を入念に練れているとは思えない状態で、敵はどうしてあんな砲撃が可能なのか。味方に誤射しないのが恐ろしい。そういえば巴の騎兵も砲撃で数を減らされていたな。
経験と勘か。弾道学や観測技術の未発達、便利なコンピューターの存在しない為に、なんだかんだ、どれだけ計画を練ったところで、最終的な砲の命中率は砲手の腕前に依存する。そして当然、砲手などというものは低学歴の職務である。私からして敵楽団を砲撃させたときは現場の腕前に期待したぐらいだ。――
「大隊長」と、私は頷いた。用件を話せと促したのだった。我が右翼は、只今、敵を突破した地点で隊形変更と補給と再編成を並行していた。
「隊形変更はそろそろ完了します。ご命令通り四列縦隊を二本の横並びとしています。中隊横列縦隊(戦場進入にも用いる横列を縦に並べたもの)を組みたいところですが」
「アレを組むのは難しいから。維持しながら動かすための下士官、その最低数はさっきの戦闘で割っているし。四列縦隊の方が単純な行進速度まで速いので。問題はとにかく時間よ。敵が我が司令部に到達する前に敵司令部に到達せねばならない」
「不毛なレースです」大隊長は溜息を吐きかけた。危ういところで飲み込んだ。プレイヤーもNPCも激しい戦闘で疲れ切っている。しかも味方の防御陣は突破されているときた。士官が溜息を吐いたせいで兵がやる気を失わないとは限らない。これだけ勇戦してもどうせ無駄になるならば、と。
「突撃できる部隊数は?」私は話を進めた。周囲に転がっている敵味方の死体から漂ってくる酸っぱいニオイに呼応して、胸焼けがしていた。あちこちで起きている小火から立ち上る黒煙は渦を巻いて空に吸い込まれている。
「第二戦列もグチャグチャでした。本来ならばこれで敵司令部に突撃させるのは不安というか無理に近いですが」
「贅沢は言えないわ」
「ええ。まさに。まさに。なので、第一戦列の生き残りで使えそうな将兵を引き抜いて、第ニ戦列に加える形で再編成しました。二個大隊は動かせます。それ以上になると兵が逃げますね。いまでも厳しい。本当ならば一個大隊にしたいです。それぐらい下級指揮官と下士官が足りない。しかし、まあ、一個だとそれはそれでアレなので、あ、ちなみに、残る兵や負傷者の始末、引き続く再編成などは一五連隊の幹部たちに任せます。再編成完了後は司令部護衛に回すべきでしょう。使い物になるかは微妙ですがね」
「奇遇なものね。あっちも二個大隊。こっちも二個大隊」
「後は防御に回る部隊がどれだけいるかですね。敵の」
「ニ個大隊はいないと思うけど。問題は敵主力の第一戦列の残兵ね。ここからでは林や森が邪魔で観測できないけど、多分、再集結しているでしょう。我が司令部への攻撃を援護することもできる。我々の突撃を阻止するために行動することもできる。そういう意味で、やはり、あの楽団は画期的で邪魔な発明だったわね。現場が判断に悩んでも司令部で解決してやれる」
「忸怩たるものがありますね」
「ええ。円弾で倒せなかったから貴重な榴弾まで追加で使ったのに」
「戦後を考えると、たしかに、一発でも多く残してはおきたかったですが、あれは已むを得ない処置だったのでは。それに奴ら、ホラ、酷い演奏ですよ。いまも。これはなんの曲なんだか。死にかけの夏虫の方がまだしも良い音を奏でるでしょう。これに比べれば」
「ありがとう、大隊長」
「いいえ。ところで砲撃と言えば敵の砲撃が止んだ理由はなんでしょうか」
第一大隊長は敵司令部の方を仰いだ。
「さてね」私は考えを率直に述べた。「検討もつかないわ。砲弾が尽きたか? 何か事故でもあったか? 主力を援護しているという感じではないけれど。考えるだけ無駄ね」
「我々の行動方針はどうされますか。敵の司令部護衛部隊を発見次第、片方の大隊で拘束、もう片方の大隊で司令部を狙うような形で?」
「臨機応変に。左右来宮は侮れない。低学歴の実力も侮れない。それこそ砲兵で何かしてくるかもしれない。予備戦力がまだあるかもしれない。色々と、身を以て理解したでしょ?」
「ふん」と、おとなしい第一大隊長は低学歴の実力というフレーズにだけ強い不快感を示した。
「恩知らずどもです。シュラーバッハで勝てたのは我々の、高学歴の作戦指導や日頃の兵站管理、編制などの賜物、左右来宮を偶像視するのには賛同できません」
あのとき、もし、負けていたら、それはそれで低学歴のせいにするんでしょうけれどね。――とは、思っても言わなかった。第一、私からして彼と同じ考えだったからだ。低学歴どもはいけ好かない。
兵站の手当が整ったところで我が部隊は前進を開始した。敵司令部はそう遠くない。
一方、敵部隊は我が護衛部隊との戦闘を既に開始している。ンジョール=ヌ会戦で繰り広げられている戦闘展開の原則に則って、我が護衛部隊もまた、敵の熱狂的な勢いに圧倒されている。長くは持つまい。
我々は先を急いだ。敵の護衛部隊が貧相であることを願った。
その司令部護衛部隊とは程なく会敵した。奴らは丘の麓に木箱や馬車などでバリケードを応急築城、その奥で我々を待っていた。我々は彼らの軍服の意匠を読み取るなり密かに歓喜した。敵は戦闘要員とあらば殆ど全てを前線に投入しているようだった。ココに来て数の差が表面化したということだろうか。
敵の防御部隊は正規のものではなかった。工兵部隊だった。近隣に敵の予備戦力が伏せられている気配はない。伏せられる場所もない。魔法のようなもので兵が涌いてきたとして、敵がコチラをどうこうする前に、あの程度の部隊であれば突破できる。この勝負は貰った。