8章23話(那須城崎)/今日もコロッケ明日もコロッケ
砲がぶっ放される。後座――反動で後退する砲を待機していた男たちが人力で元の位置へ押し戻す。次弾の装填を始める。どの動きも素早い。滑らかだ。ご苦労なこっちゃ。あんな芸当はとてもウチには出来ひん。
しかし、彼らの動きのどこにそんな不手際があるのか、砲兵を指揮している中隊長はガミガミを止めようとしない。「遅いぞォッ! 飯も食った。ゆっくり眠りもした。クソも済ませたろう。なんなら(とてもウチの口からは言えへん)もして来いと言ったじゃねえか。それなのに遅い! コンディションは整えてやったはずなのにヌルい! 使い物にならねェッ! もっとパッパッとチャッチャッとやらねェかッ! ええい、もう貸せッ! 俺に代われッ! テメェらじゃあ駄目だッ!」
低学歴節をBGMに丘を登った。左右来宮は戦場全体を俯瞰できる位置に張られたタープ・テントに居た。剣橋と副官の二人が側に控えている。
「左右来宮!」と、ウチは衛兵に何時までも慣れない敬礼を返しながら走り寄った。
「おや、コレは那須城崎さん」と、左右来宮は体ごと振り向いた。
呆れた。指揮卓の上に座り込んだ左右来宮はウィスキーの瓶で自分の肩をポンポン叩いていた。中身は半分ほど残っている。揺らされる度にチャポチャポ鳴る。当然、左右来宮はそれを口元へ持っていく。飲む。満足げな溜息を吐く。ぷはあとかいって。近所の居酒屋やん。ノリが近所の居酒屋やん。
「ウェルカム・ドリンクの一杯も出せなくて申し訳ない。このロザラム・ウィスキーは会長からのお土産でね。独占することに決めてまして。で、ご用件が何であれ少しだけ待ってください」
左右来宮はウチにそう言い含めた。従う。焦れる。ウチはその場で足踏みをした。
「突破しましたか?」左右来宮はまた瓶で肩を叩きながら尋ねた。
「しました」剣橋は使っていた望遠鏡から目を離した。小首を傾げる。何かの間違いではないかとばかりにもういちど望遠鏡を覗いた。唸る。
「間違いなくしました。突破です。我が右翼第一戦列は敵左翼を打通。第ニ戦列の第ニと第三大隊が敵司令部への突撃を開始したようです。敵左翼戦列は潰走。第一戦列は予定通り再集結中。手筈通りに完了後、第ニ戦列の援護に回ります。何か間違いがあっても音楽伝令で何とかなるでしょう」
「戸田君と浜千鳥君に乾杯しておきましょうか」左右来宮はウィスキーの瓶を掲げた。
「主席副官、伝令を軍楽隊と衛生部に。軍楽隊には第ニ戦列を労ってあげてくれるようにと。衛生部には可及的速やかに第ニ戦列残兵の回収を行うように伝えてください。――と思いましたが、そうだ、救急車も馬も足りてないのか」
「それは師団時代からそうですがね」剣橋が肩を竦めた。
「確かに。衛生部も衛生部で人手が足りていないでしょうが、それでも何とか衛生兵なり軍医なりを捻出して、第二戦列残兵のところへ回すように言っておいてください。いま生きている将兵を努力不足で殺してしまうことだけは避けたい。文面はあなたの考えで結構です」
「はいな」吉永は首から紐で何か板のようなものをぶら下げていた。板の上部に一本の釘が打ち据えてある。その釘にこれも上部に穴を開けた何十枚かの紙束が通してあった。吉永は板を台の代わりにして手早く命令書を書き上げた。それを左右来宮へ手渡す。
「それにしても」左右来宮が命令書を確認している間に剣橋が言った。「アイツら、本当に騎兵対歩兵で勝っちまった。驚きですなあ」
「驚きという割には驚いてないようですね」
「まあ、貴方とやってる戦争ですからね。何が起きても驚きませんぜ。ただひとつだけ腑に落ちない。貴方、最初から自信満々だったでしょう。浜千鳥がこの結果を出すとね。アレは何でだったんです。まさか女の勘でもないでしょう」
「いえ、女の勘ですよ」左右来宮は命令書から顔を上げずに言った。ニタニタしとる。
「訊いた俺が馬鹿でした。ああ、そうだ、ただ、軍楽隊にせよ、散兵にせよ、もっとスマートにする必要はあるでしょうな」
「ええ、明らかに研究不足ですからね。軍楽隊はもっと演奏曲目を減らすべきでしょう。テンポによって命令内容を変えるのにも限度がありますし」
「参謀学校が残ってたら、戦後、研究誌でそれは酷評されるでしょうな、今回の戦いは。いや、今回は意図を秘匿するために仕方なかったことですが、散兵戦闘の開始はニ〇〇とか三〇〇メートルからにするべきでしょう。アレでは猫騙し以上の効果が無かった。散兵はエスコート役、味方戦列が接敵するまでに相手戦列を少しでも崩しておくことが仕事になる訳で。わからん殺しというか、次にあれをやっても通用せんですからな、多分」
「ですね。反省点は尽きない。色々と不味い戦争をしたものです。次席副官、その旨、戦闘経過記録のどこか隅の方に書いておいてください」
「わかりました」高望は恭しく頷いた。「ところで司令官、お酒を飲みながら指揮するのはやめませんか」
「嫌です」左右来宮はきっぱりと拒絶した。
「嫌ですって」この子はどうしてこうなのかしらとばかりに高望は頬に手をあてた。
「子供ではないのですよ」
「嫌なものは嫌です。私は司令官らしいですのでね。上官に相当するのは神々廻さんぐらいです。彼以外の命令や指図は受けません」
左右来宮は命令書に自分の名前を書き込んだ。吉永に返却する。吉永は司令部附きの、ココと軍楽隊の間を反復横跳びしている伝令にそれを託す。馬の無駄な疲労を避けるべく彼の伝令馬は丘の下に繋がれていた。過重労働のため青い顔をした伝令は、それでも、文句のひとつも垂れずにスタスタと丘を駆け下りていった。アレは自分の仕事に誇りを持っとるタイプやな。自分がやらなあかんねんからとか思っとるタイプや。やり甲斐を感じ取るタイプや。ああいうのが過労死するんやろね。
「さて」左右来宮は瓶を傾けながらようやくのことでウチに視線を固定した。「お待たせしました。ご用件は」
「それが――」ウチは手短に説明した。時間をロスしている。伝えねばならないと思われることだけを最小限の表現で、しかし、最大の効率で述べた。少なくともウチはそのつもりや。そのために左右来宮と剣橋が話している間、何度も頭の中で文章を捏ね回したんやからな。て、それだけ考えるとウチはわざと待たされたんちゃうか。頭の中身が整理できるまで。ハー、偉いもんや。なんやムカつくけどな。
「ですか」と、ウチの話を聞き終えた左右来宮は泰然自若そのものだった。ことの重大さがわかっていないのではないかとウチは不安になった。
「そういうことでしたか。わかりました。わざわざありがとうございます」
「キミなぁ……」ウチは左右来宮の態度がどこまで本気なのか見分けがつかなかった。
「なに、平気ですよ。そう慌てたり落ち込んだり混乱したりしてると身が持ちませんからね。もっと気楽にした方がいいですよ、那須城崎さんも」
「そうそう」したり顔で吉永が頷いた。トンカツ屋がどうとか言われた。なんやねん。ウチは高望と二人してガックシと肩を落とした。キミも大変やなァ。
「それで」
全員がリラックスしたところを見計らって剣橋が訊いた。「司令官はどういう方針を採られるんです? 左翼はどうも夏川が指揮しているようですし、動き、いいですがね」
「そうですね。主席副官、砲兵と兵站部に伝令、ああ、いや、兵站部には必要ないですね。那須城崎さん、砲兵後備を行かせますから、あるだけのキャニスター弾を持たせてください。一度で必ず。二度の時間はありません。キッチリ積んでください。梱包に不備がないか厳重にチェックしてくれるように。この他にも幾つか兵站上の手配をして貰います。大事なのは速度と正確性です。つまり完璧な仕事をしてくれることです。いいですか?」
「一度だけならなんとかなる。ただ――」ウチは剣橋を横目に見た。
「あー」剣橋は咳払いをした。「なにをされるおつもりで?」
「どうせ持たないなら突破させてしまいましょう、左翼」
左右来宮はコルクでお手玉をしながらそう宣言した。「次席副官、これから言うことを貴方、左翼に伝えに走ってください。いいですか――」
高望が左翼に向けて出発した。左右来宮は人事部長を呼び出した。このところの激務で肉の落ちた彼はベルトを常日頃の何倍かキツくしていた。左右来宮は生きて再会できて嬉しいです云々と言った。人事部長はどいつもこいつも悪運が強くてクーデターに加担した幹部はみんな生きますから安心してください云々と答えた。
「それでどういうろくでもないことのお手伝いですか?」
人事部長は近所に金持ちが暮らしていることを知った悪党のように笑った。
「知りたいことがありましてね。この軍で一番、性格の悪いのって誰でしょうか」
「もちろん貴方です」人事部長は即答した。ウチは吉永と剣橋と三人で遠慮なく爆笑させてもらった。
「うん。あの。いや、質問が悪かったですね。二番目は誰ですか」
「いません。一番目が貴方。二番目が居なくて、三番目も居なくて、四番目は、そうですねえ、宵待さんかな」
「ああ、やっぱりそうですか。ですか。わかりました。戻っていいですよ。ありがとうございました。那須城崎さんはもう少しだけ居てください。命令書を出します。剣橋さん、吉永さんが命令書を書き終えたらチェックをお願いします。それから各部署に業務を割り振っておいてください」
人事部長と入れ替わりで宵待がやってきた。宵待と左右来宮の間では短い会話が交わされた。会話の終わるのとウチが命令書を受け取ったのとが同時だった。ウチらは二人して丘を物資集積場の方へ下った。砲兵たちは砲撃を停止していた。移動の準備を開始している。
「そういえば那須城崎さんはどういう目的でこのクーデターに参加したんでしたっけ」
喧しい砲兵どもの隣をすり抜けながら宵待が尋ねた。
「人脈作りやな」隠すほどのことでもない。
「なりました? 人脈作りに」
「なっとらんなあ」これも隠すほどのことでもない。
「得にならないことをよくもまあやりますね。何日かほとんど寝ずに働き詰めでしょ? 肌、荒れちゃってますよ。乙女の敵ですよ。睡眠不足」
「それ言うたらキミはどうやねん」
「私はいろいろと得をしていますから」宵待はふふんと勝ち誇ったように笑った。
「わからんな」
「わからなくて大丈夫です」
まあ、人それぞれに事情はあるんやろ。ウチにもそれらしいものはある。大したことやないけどな。ただ左右来宮はええ奴やから助けてやろ思うとるだけや。貴重なんやで? ウチみたいなのに普通に接してくれる相手は。子供の頃なんて、あれやったからな、ヒノモト国籍を取得しとるちうてるのに、アパートで隣に暮らしとった奴、ウチら家族を不法滞在やとか決めつけて通報しよったからな。『不法滞在者を通報して報奨金をゲットしよう!』
働く理由なんてそれだけでええ。物事は難しく考え過ぎれば過ぎるほどドツボに嵌るねん。仰山、経験したからわかっとる。慣れとるからわかっとる。他人や社会が変わらへんねんなら自分が変わらなあかんねんて。
『自分、外国人の癖にヒノモト言葉を喋るんか!』――なんて、何を思い出しとるんやろか。
『冗談やん。なんで冗談やのにそんな深刻に受け止めるねん。オモロないわ、キミ。やっぱ貧乏やと心まで貧しくなるんやね』
いや、ウチはこのゲームを通じて人脈作りもしたいんやで。ホンマに。でも、それはそれでコレはコレやん。人間、二つ以上の感情をひとつの物事や人物に対して持つことが出来るんやわ。金が欲しい。人助けもしたい。義理人情を通したい。それを『実のところ金儲けがしたいだけやろ?』みたいに断定するからあかんねんて。
て、誰に向かって話しとるねん。自分か。はあ。自分にそないなこと言い聞かせなあかんぐらい疲れとるんか。確かにいま仕事を放り出してええって言われたら喜んで諸手をあげるやろなあ。
もうええから働こ働こ。おお、しんど。真面目にウチがなんでこんな苦労せえへんとあかんねんて。
いろいろ思うところはある。けど、それを口に出してしまえば格好悪い。言わずにおこ。余裕ぶっとこ。何を質問されても『コレが御飯のタネになるなら安いもんや』とか答えとこ。
損な性格やで。