8章21話(浜千鳥)/バーニング・レンジャー
敵はぐんぐん加速する。並歩から速歩へ。速足から駈歩へ。駈歩から襲歩へ。そして突撃へと。時速六〇キロである。彼我の残り距離は三〇〇メートルを割っていた。ここからは全てが一瞬で片付く。
僕の背中に丹波君が掌を当てた。その手がグッと押し込まれたときが射撃号令を下すべきタイミングだ。情けない。こんなことまで部下に決めて貰わねばならない。情けない。気丈に振る舞うんだ。勇気を振り絞れ。合図されるまで早まるな。
一秒でも早くこの重責から逃れたい気がする。とっとと射撃号令を下したい。楽になりたい。胃液が上がってきた。口の中が酸っぱくなる。胸焼けが酷い。ゲップが止まらない。臭い。胃の位置が五秒に一度ぐらい変わる。胃が跳ねている。僕の腹の中はバスケット・ボールのコートじゃないぞ。
「騎兵を狙うな」漆原君が静かに命じた。
「胸甲騎兵だ。殺しきれるか怪しい。それよりも馬を狙え。前面投影面積も馬の方が大きい。直接、馬を狙っていい。そこ、列を乱すな。中隊下士官ども、サボるな」
最初、点に過ぎなかった馬の姿は見る間に大きくなる。点から粒へ。粒から立体へ。視界の端までがあの獰猛な生き物で埋め尽くされた。リズム良く蹄鉄で地面を踏みしめる音、それが咆哮と混じって僕らの鼓膜を叩く。生唾を飲んだ。歯を更に食い縛った。前歯と下の歯が擦れた。互い違いになった。前歯がグラついた。放っておく――というよりも気にする余裕はなかった。僕の中にある余裕は、いま、すべて失禁を堪えることにだけ集中している。
違うか。僕だけではない。兵は無論、下士官たちの中にすら恐怖と闘っている者たちがいた。なんでわかるかって? 脚の付け根が微妙にモジモジしてるんだよ、だって。
近付く。近付く。近付く。時の流れが遅くなる。馬の蹴り上げる土と埃と雑草と砂が妙にクッキリと見えた。騎兵たちの装備は槍かサーベルだった。槍を手にした者たちは振りかぶる。片刃のサーベルを肩に押し付けていた者たちは振り上げた。彼らは改めて吼えた。僕らの懐き続けてきた恐怖心がついに限界を突破した。それでも逃げない。戦列を維持する。逃げないと決めたのだ。逃げることは許されないから逃げないのではない。
敵との距離が一五〇メートルを切った。群れているからか馬の体臭すら嗅ぎ取れる。馬どもの息遣いすら手に取るようにわかる。
背中に衝撃を感じた。この速度で迫りくる敵に対して二度目の射撃はできない。再装填をする暇がないからだ。
出ろ。僕は自分でも構えていた銃の銃爪を引きながら祈った。頼むから枯れているな。声が出ますように。
「撃てェッ!」目一杯、叫んだ。叫べた。それだけで恐怖が幾らか薄らいだ。
六〇〇挺のマスケット銃が同時に怒り狂った。不発も多い。恐怖から火薬の装填量を間違えた者がいるのだろう。単純に火薬や燧石の問題かもしれない。
それでもいい。僕らは発揮できる火力を少しでも増すべく、事前に二発の銃弾を装填していた。立ち込める黒色火薬由来の煙の向こうで大量の馬と人とが断末魔をあげた。倒れた馬に突っ込む馬、脚を引っ掛ける馬、それらを避けて飛び超えた先で別の馬に衝突した馬、いずれも大量の血を体のアチコチから噴出させながら暴れる。落馬する騎兵が相次いだ。その騎兵の上に愛馬が倒れ込む。骨の折れる音と悲鳴が戦場を包んだ。
しかし、脱落したのは敵の二割程度でしかない。突撃衝力――突撃の勢いと迫力は微塵も衰えていない。先陣を切っている指揮官も無傷だ。
なんという士気だろう。少しぐらいは脚の遅くなってもよさそうなものなのに。そんなに僕らに嘗められたくないか。
ならば僕らとて嘗められるわけにはいかない。そのはずだ。
一歩でも前で敵を食い止める。その方が味方のためになる。僕はマスケット、当然、銃剣を装着してあるそれを腰溜めにした。丹波君がおおと唸った。彼は僕に突撃するべきですと進言しようとしていたらしかった。それよりも先に僕が突撃を決意していたのでビックリした、ということらしい。
「集成第ニ連隊第一大隊、突撃するゥッ!」僕の声は上ずった。
「第一大隊、突撃するゥッ!」なんと丹波君の声も上ずっていた。
「突撃喇叭、吹けェッ!」漆原君までか。
こうして見栄張りの軍隊は死物狂いの突撃を開始した。敵騎兵指揮官がたじろいだような気がした。騎兵に対して対抗突撃する歩兵など見たこともあるまい。
僕は僕で僕なりの蛮声を上げた。仲間たちは仲間たちで仲間たちなりの蛮声を上げた。敵が吼え返した。僕らは更に吼え返した。こうなれば意地のぶつかりあいだ。
僕より後に走り出したのに僕を追い越していった数名の兵、それを指揮する下士官、彼らは二頭の馬に突撃して瞬殺された。馬の前足で弾かれるだけで人など簡単に死んでしまう。馬に腹を蹴られたある下士官は口から内蔵をぶちまけて死んだ。ある兵は馬に蹴り上げられて目、口、肛門、それに毛穴からまで血を吹き出しながら、高々と宙を舞った。馬と擦れ違うだけで地面に転がされる兵も多かった。無論、彼らは馬との衝突や転んだ衝撃で頭蓋骨や腕や脚を折っている。運の悪い者は倒れたところを後続の馬に踏みつけられた。踏みつけられた箇所は一度、不自然に凹んでから膨らみ、やがて内側から爆ぜる。
そのような光景が僕を中心に前方一八〇度の圏内で無数に繰り広げられた。もはや怖いとか怖くないとかは関係がない。きっと心臓はどうにかなっているのだろう。しかし、それを知覚することができない。ただ異常な興奮に脳が痺れていた。
一人、二人、三人、四人ぐらいだろうか? そのぐらいの兵を轢殺した馬は流石に前進を止めている。脚の骨を痛めたものもあろう。必死で宥めすかす騎兵たちを無視して暴れ出す馬もあった。そういう馬は――たぶん――放置していい。僕は乱戦と化した戦場の中、冷静でいる者を探した。
居た。涙や汗や土などのせいで色味のおかしくなっている視界の隅に一頭の馬と騎兵とがいた。一人か二人を殺したところで僕らに付き合いきれなくなったらしい。戦闘の輪から外れて、同様に、冷静な騎兵を集めようとしている。突撃を再興するつもりかもしれない。させるわけにはいかない。
走る。脚の関節が痛い。仲間と敵の死体を幾つも踏ん付けた。知ったこっちゃないよ。二度、転んで、三度、立ち上がって、僕はあの騎兵の後ろを取った。余所見をしているスキに接近する。馬の胴体に斜め後ろから銃剣を突きこむ。銃剣越しにぐちゃぐちゃとした嫌な感触が手に伝わった。スライムかなにかをたっぷり詰めたバケツに手を突っ込んだときのような。
馬が喚く。暴れる。騎兵がハッとした。僕に気がつく。サーベルを使うか馬を落ち着かせるかで悩んだようだ。彼の脚に僕は組み付いた。渾身の力で馬上から引き摺り降ろす。地面に叩きつけられた彼はウッと唸った。唸っただけだ。気を失ったりはしていない。馬は操縦者を失って明後日の方へ駆け去ろうとする。僕は慌てて馬の体から銃剣を引き抜いた。折れた。ええい、こうなれば――銃身を握る。手の中で回転させる。棍棒だ。コレでクラクラしている騎兵の、ああ、どこを殴ればいいんだ? 騎兵は兜をしている。綺麗で豪華で金ピカのヘルメットだ。
まあいいか。関係ない。ヘルメット越しに僕は彼の頭頂部を叩いた。三度、四度、五度、手がじんじん痛み、握力を失いかけ、息が切れたが、彼の頭蓋骨は無事に陥没した。兜って叩かれて変形するときにあんな音がするんだな。
よし。これでいい。これでとりあえず一人は殺した。周囲を見渡す。白兵戦の通例通りの地獄が広がっていた。所狭しと敵味方が入り乱れて闘っている。敵は、ああ、馬から降りるか降ろされたかした者が多い。まだ馬の上で頑張っている者には何人かが一組になって立ち向かっている。
いいぞ。敵騎兵は突撃衝力を失った。後は僕らがここで粘れるだけ粘ればいい。
ふいに違和感を感じた。敵の数が合わない。死体を合計しても三〇〇騎以上になるとは思えない。どこに――
「ッ」後ろにステップを踏んだ。サーベルが僕の鼻の頭を横から切りつけた。血が出る。熱い。鋭い痛みが顔中に走る。ぼんやりとし過ぎた。敵の近付いてきているのに気が付かないとは。敵はどんな奴だ。将校だ。この軍服と装飾からしてかなりの上級指揮官だろう。倒せれば状況が楽になる。と、思う。問題は倒せるかだ。強いぞ。
正面から切り結んでは勝ち目がない。僕は距離を取ろうとして躓いた。先程、僕が殺したあの騎兵の死体に躓いたのだった。しかも彼が巻き散らかした脳髄と血液で脚を滑らせた。その場に尻餅を突いた。ぐらついていた前歯が抜けた。骨盤に得体の知れない、初めて感じる痛みを覚えたが、それ以上に、つい武器を手放してしまったのが問題だった。全体が歪に変形しているとはいえマスケット銃がなければ戦えない。武器を持った相手に素手では。
僕は自分でも理解できない呻き声を発しながら足元を手探りした。あの死んだ騎兵の武器がこの辺りに落ちているはずなんだ。
敵指揮官がゆっくりと僕に近付いてくる。次は仕留め損なわないとばかりに。僕は焦った。呻き声に微かな悲鳴と嗚咽が混じったのを数秒遅れで実感した。敵指揮官が僕を見下ろす位置に立った。そこでようやく僕は掴んだ。掴んだぞ。手に取る。翳す。誰のものかわからない、千切れた、細い腕だった。
咄嗟に僕はその腕を敵に投げ付けた。敵は反射的にそれをサーベルで斬り伏せた。僕は両足で相手の利き足を挟み込んだ。重心を崩された相手はよろめいた。逃さない。飛び掛かる。僕の腰骨がビキッと鳴った。痛烈な痛みが背筋を走った。「あ」と声が漏れた。痛みは相手の指揮官を地面に組み伏せたときの衝撃、それを背筋を丸めて受け止めようとしたときに最も強くなった。急激に気分が悪くなった。僕は敵指揮官の胸元に嘔吐した。
敵指揮官は――兜を目深にしていたのと興奮でいまに至るまで気が付かなかった。細い。女性だ――吐瀉物など気に留めなかった。動きの止まった僕を身を捻って弾いた。彼女はサーベルをどこかへ放り投げていた。それを探すような、僕のような真似はせず、冷静に傍の死体から騎兵槍を拾った。厳しい。
偶然にも、彼女が槍を手にしたのとほぼ同時に、僕は敵の何十騎かが僕らから離れたところに再集結しつつあるのを発見した。一〇〇騎はいない。けれども、あの程度の数でさえ、後ろに着かれれば我が第ニと第三大隊の戦列をグチャグチャに出来る。
誰か止めろと僕は怒鳴った。間もなくお任せをと応じる声があった。丹波君だった。彼は敵の半数も居ない兵を率いて騎兵に向かっていった。
「連隊長、お先にッ!」
流石に正面からはぶつからない。出来る限り側面を突こうとしている。常識外れの戦闘展開から命からがらの再集結を果たしつつある敵騎兵は丹波君らの動きにまだ気が付いていない。気が付いているのは僕の目前の敵指揮官だけだ。彼女は槍を僕に向かって振り下ろしながら部下たちに警告しようとした。
させるわけにはいかなかった。僕は槍に対して逆に突っ込んだ。槍の穂先が僕の脇腹に深々と突き刺さった。突き刺さった? 正確ではない。背中まで槍に貫かれた。痛いとか痛くないとかそんな次元の話ではない。全く痛みを感じなかった。僕はただ無我夢中で敵指揮官を押し倒した。彼女の口を掌で抑える。
彼女は全身のバネを使ってジタバタと足掻いた。僕は、僕のどこにこんな力があるのだろう、自分で言うのもなんだけれどさ、ハハハ、万力のような力で彼女を抑え込んだ。ややともすると意識が遠のく。下唇を噛んで現実に意識を繋ぎ止める。――ところが、気が付けば下唇の肉がゴッソリと無くなっていた。噛み切ってしまったらしい。仕方ないので血がどくどくと溢れている下唇の断面を噛んだ。相変わらず痛みは感じない。意識だけがスッキリとする。
丹波君らは騎兵に突撃した。
腐っても騎兵、しかも最初の衝突のときほど混乱していない。彼らは間もなく機動力と高低差を活かして丹波君らを切り刻んでいった。歩兵一〇人が死ぬ。その対価として騎兵が一人、怪我をする。運が悪いと戦闘不能になる。彼らは勝ち誇った。
僕の胸元では彼女がまだンーンーと声にならない叫びをあげていた。勘がいい。彼女にはわかっているのだろう。彼らにはわかっていない。低学歴のアホさ加減がね。
戦場の女神の睦言、甘いそれが聴こえてきた。丹波君らを惨殺していた騎兵らが目を剥いた。『まだ味方がいるのに撃つのか?』
なるほどね。僕は得心した。再集結を果たした騎兵らにお見舞いされたのは、とっておきだろう、何十発かの榴弾だった。僕は押し寄せる爆風と衝撃でついに意識を失った。自分の体が後方へふっ飛ばされるのだけが最後にわかった。まるで操り人形だなと思った。実際、糸で手繰り寄せられているような感覚だった。
――次に目を覚ましたとき、時間はそれほど経過していないようだった。黒煙が立ち込めていた。興奮は過ぎ去っていた。どんな凡人でも白兵戦となると狂気に冒されるものだなどと僕は意味もなく考えた。体は動かなかった。槍は体を貫通したままだった。尤も、長い柄の部分は中程で折れてどこかへ消えていた。
五感の中で機能しているのは視覚、それにパフォーマンスは悪いけれど、聴覚だけだった。自分の腹を触ってみても何も感じない。というか、触っているはずなんだけど、指の感覚がないから本当に触っているかわからない。指がまだ着いているのは目で確認している。
ぶっ倒れていた。起き上がることはできない。どうも腰をいわしたらしい。二度と立ち上がれるかどうか。それどころかここから生きて帰れるか。出血は止まっているのか。止まっていないのか。それすらもわからない。
動かす度に変な音のする首を捻じ曲げて仲間たちの姿を探し求める。立っているのはどこにもない。近くに仲間の死体がある。軍服でそれとわかった。這う。人相を検める。無駄だった。首がなかった。他にも幾つか合った。どれも駄目だった。顔が焼けていたり、パーツが足りていなかったり、悪いのだと顎から上をスライスされていて、なんていうか、その。榴弾によって現在進行系で燃えている死体や死体の破片も数え切れなかった。死体どころか野原の一部も燃えている。ここまで火の手が来ないといいな。
僕はぐったりと空の方を見上げた。疲れすらまともに感じなかった。あの青色をまた見たい気がした。しかし、現実には、吸い込むと有毒で、咳の止まらなくなる黒煙が蟠っているだけだった。目を瞑った。最後の最後に良い仕事ができたと思った。満足だった。左右来宮さんも、変に躊躇せずに、キチンと僕らごと敵を撃ってくれて――おかしな表現かもしれないけど、嬉しいな、嬉しいよ。
まあ、明日からはどうせ、なんでもない、弱虫で、臆病な、そういう僕に戻るんだろうな。それはわかっている。人間の本質は変わらないから。しかし、でも、だから、であるから、僕は僕がいまこの瞬間に僕であることに満足している。
多分、生まれて初めてなんだ。それがどんな状況であれ、自分の意見や意思で行動したのはね。たまにはいいもんだ。いつでもは辛いけれど。
「――――?」
なにしろ感覚がないんで、それと察するのに随分と掛かった。僕は人の気配らしきものを感じて目を開けた。驚いた。この期に及んで僕は脚を動かして逃げようとした。まともに動かなかったから逃げられなかった。僕の傍らにあの敵指揮官が屈み込んでいた。僕の腹を撫でている。
ハッとした。嫌な予感がしたからだった。僕はまた苦労して首を動かした。黒煙が晴れつつある。何人かの仲間を今度は見つけることができた。その仲間たちのところにも彼女同様、敵騎兵の生き残りらしい兵が着いていた。
シュラーバッハのときもそうだったではないか。
少なくとも僕らの部隊にとってこの会戦は終わった。しかし、僕らの戦いはまだ終わっていない。個人的な恨み辛みに復讐心、そういったものを満たすべく、敵の生き残りが僕や僕の仲間たちにトドメを刺して回っているようだった。
僕はガタガタと震えた。トドメは楽に刺して貰えないだろうなと判断したからだった。あのとき以上に、そう、今回は低学歴対高学歴、それも反乱軍、敵は僕らに好意を持っていない。まして僕らは彼女達の任務を直接的に妨害した。
命乞いしなかったのは声が出ないからだ。したところで――それもシュラーバッハでたくさん見た――意味などなかろうけれども。
「動くな」敵の指揮官が命じるように言った。そう言われたところで僕は震えた。彼女は舌打ちした。僕の体を手で強く抑えた。すわそのときかと僕は覚悟した。せめて優しく殺して。お願いだから。お願いですから。
「この分なら助かるぞ、お前」
「は」僕は喉の奥から掠れた声を出した。
「喋るな」彼女はその場に片膝を突いた。「無理に喋ると死ぬぞ。水を飲みたいかもしれないが我慢しろ。そもそも手持ちはないしな」
「君は――」僕は咳き込んだ。
「喋るなと言った」
彼女は炭や泥で汚れた表情を険しくした。豹か虎に似た顔立ちだった。有り体に言えばまずまずの美人ということになる。(こんなときに僕はなにを考えているんだ。男って)
「見事だった」彼女は立ち上がった。どこから調達してきたのか騎兵用の帽子を目深に被り直した。熱でパーマされてしまった腰までの髪が揺れた。「敵味方の心温まる交流などろくでもないことであるのは承知している。しかし、貴部隊の行動と勇気と戦闘力に敬意を表さねばならない」
彼女は肩を落とした。溜息を吐く。「貴部隊は玉砕した。大隊長の戦死は確認した。中隊長も全員、死んだ。下士官も八割以上は。生き残りの兵を全て集めても三〇名にはならないだろう。一方、こちらも戦闘力は失ったが、まだ動ける兵が幾らかいる。この上は無益な殺しはしない。救えるだけは救う。後、戦いが終わるのを待たせて頂く。勝てば良し。負ければ潔く投降しよう。どうだ」
僕は目だけで訴えた。それでいいのか? 彼女はただでさえ切れ長の目をより細めた。
「いいはずがない。本当ならば敵を討ちたい。低学歴は嫌いだ。内蔵をフルーツを詰めたミキサーのように掻き回してやりたい。が――」
彼女は酷く恥ずかしげに告げた。「個人的感情で殺戮を繰り返すのは低学歴の専売特許だ。でなければダイキリの鬼畜どものすることだ。違うか。我々は高学歴だ。人道と道徳と常識に従う」
僕は笑った。なんだかそうしたくなったのだった。笑う他にないと思った。しばらくして黒煙の合間から木漏れ日が僕の顔面へ落ちた。暖かかった。
「僕は浜千鳥だ」
理由もなくそうした方がいいと悟った。僕は名乗った。「君は?」
「巴だ。モヒート軍第ニ旅団騎兵連隊長。モヒートがまだあると仮定して」
「君の部隊も」僕は噎せた。血を吐いた。「素晴らしい働きだった」
「そうか。ところでお前は本当に馬鹿だな。屑の低学歴そのものだ。喋るなと言った。もう二度と喋るな。大体、低学歴と話し込んでいるなんて、自分でも信じられないんだ、私は。もうこんなことはしたくないな。何かの間違いだ。低学歴を認めるなどと」
青空が見えた。