8章19話(浜千鳥)
『連隊長殿、貴方が自分の無能と怯懦を認められる人で良かった。でなければ、自分は貴方を殺してでも指揮権を奪ったでしょうぞ』
『でしょうぞってさ。それで、君の良い考えってのを聞こうかな。うん。そうしよう。悪い予感がするけど』
『連隊単位で隊形変更をしている暇はもうありませんね?』
『ない。――だろうね』
『ならば私の第一大隊だけでもよい。隊形を変更しましょう』
『どういう風に』
『連隊横列の側面を守るような位置を占めるのです。横隊で。第ニ、第三大隊は現状の横列ままに留めておきます。その横列の右側面に我が大隊が敵を正面に横列で布陣します。俯瞰すると、我が連隊の隊形は横倒しにしたT字になります。第二と第三を攻撃するためには第一大隊を突破せねばならない』
『って。それだと第一大隊は敵の騎兵突撃をモロに食らうじゃないか』
『左様。しかし、それでいいのです。そのような隊形で敵を迎え撃つこと自体が敵に迷いを呼びます。一個大隊。横列。常識に照らし合わせれば歩兵が一方的に殴り負けるようなシチュエーション。敵騎兵の規模はわかりませんが、その指揮官が慎重な性格あればまずコチラの隊形を何らかの罠だと考えるでしょう。コチラに未知の予備戦力がある可能性などをです。否、慎重な指揮官でなくとも、敵は高学歴揃いです。何事も計算尽くで行動しようとするはず。不合理で不可解な敵に対して無茶をするとはとても思えませぬ。突撃してくるまでに少しでも時間を稼げれば第一戦列が敵左翼を食い破ってくれるかもしれません。食い破ってくれれば第一戦列の残存兵と我が第一大隊で敵騎兵を抑えられる。その間に第ニ大隊と第三大隊を敵司令部に通せる。そこまで希望通りに行かずとも状況は好転するでしょう。連隊長殿はいま流れている音楽が何かご存知か』
『ええと、昔、爆発的に流行った曲だろ。一万円と二千円くれたら愛してるとかいう』
『連隊長殿、ぶっ殺しますぞ。小生はこの曲の意味が何かわかりますかと尋ねているのです』
『あ。あ、あ、うん。“適宜、貴連隊の行動を砲兵援護する”だっけ』
『左様。命拾いしましたな。左右来宮さんは良く戦況を見ておられる。我々は間もなく砲兵の援護を受けられるのです。砲撃が来れば敵騎兵の動きは大きく掣肘される。ただでさえ迷っているところに砲撃が襲ってくればまともな判断や行動はできかねるはず。後は我々、攻めるも守るも自由自在となりましょう』
『そうか。さっきまでと状況が変わったんだ。演奏が再開されて手持ちの情報が増えたから……』
『連隊長殿も小生と同じことを考えられた?』
『君みたいに体系的にではないよ。ヤケクソで考えてたんだ。同じようなことを。隊形や具体的にどう戦うかについてまでは考えてなかったし。で、もしも敵の指揮官が攻撃的な奴だったらどうする。コチラの隊形を見ても怯まなかったら。砲撃を受けても突撃してきたりしたら。ちなみに僕は第一大隊を生贄に第ニと第三大隊を生かそうと考えていた』
『左様。自分もそう考えました。第一大隊を生贄に第ニと第三大隊を生かします。なに、疲れている――全力疾走したらしばらく動けなくなるのは人も馬も同じです――敵、しかも砲撃を受けた後です。第一大隊が玉砕すればとりあえず止まるでしょう。止まらなくとも残るのは極々少数のはずです。いざというときには自分たちごと敵騎兵を砲撃して貰えばよろしい』
『素敵だね』
『でしょう。なお、敵が早期突撃を行う場合にはその突撃開始と同時に、そうでない場合は折を見て、第ニと第三大隊には隊形を突撃縦隊に変えさせます。また、第一大隊は敵に与える損害をより多くするべく二列横隊を組みます。如何ですか』
『如何も何も。他に意見のある人は。漆原君、君、どうだ』
『自分に戦術のことはわかりませんでな。頭のイカれた行動だとは思いますが、ま、ここが年貢の納め時なら、それならそれっちゅう奴です』
『君は、えー、大隊長?』
『自分の名は丹波です。丹波十四朗』
『丹波君、君みたいに有能な人にこんなことを頼むのは我が軍にとって損失だが――』
『自分以外に自分の大隊は指揮できません、連隊長。できたとして中隊長たちが従いません。それに騎兵と正面から殴り合う歩兵、そんな機会と名誉は二度とありません。重ねて申し上げれば、騎兵は高学歴の兵科、自分は低学歴です。いままでの分、復讐をしてやらねば気が済みませんのでな。死ぬまで殺しまくってやる所存です。逆に連隊長は』
『もちろん僕も君等の大隊に同行する。本来なら僕が第一大隊を指揮してこの場に踏みとどまろうと考えていたぐらいで』
『失礼ですが、連隊長殿には無理ですな。そう思わんか、漆原君』
『思います。浜千鳥さんには無理です。ところで第ニと第三大隊長はこれでよろしいんですか?』
『頭のイカれた部分をそっちが担当してくれるなら俺には異論がない。ただ、もしもそれを指揮するのが連隊長なら俺が代わりにやった方がいいと思う』
『私も同感。自分の責任で死ぬならまだしも、阿呆な連隊長のせいで死ぬのはちょっとなあ』
『君ら、僕に対する評価が低過ぎやしないか』
『そりゃあずっと飽きもせずにガタガタ震えてる指揮官なんざ、誰も信用しやしませんよ、浜千鳥さん。これまでずっと思ってたんですがね』
『そうか。そんなもんか。――わかった。これで最後になるかもしれないんだ。最後ぐらいは指揮官らしく振る舞おう。よし、では丹波大隊長の作戦を採用する。丹波君、悪いが最悪の場合にはここで死んでくれ。第ニと第三大隊長は死んでも敵を殺してくれ。頼む。漆原君、君の命も僕が貰う。僕も死ぬときは派手に死ぬ、いいにぇ』
『噛みましたね、最後』
『うん。大事なところで噛んだ』
『結局、アンタは身の丈にあったことをしときゃいいんですよ、浜千鳥さん』
『そうだね。この戦いの後はそうすることにしよう。なんだかとても晴れやかな気分だ』
『震えとりますがな』
『震えてるけど良い気分だよ』
『これから殺されるかもしれないのに』
『これから殺されるかもしれないけど良い気分なんだよ』