優秀な婚約者の秘密
私には、何にも代えがたいぐらいに好きな方がいます。
彼はすごく博識で、小さな頃から大人びていました。そして魔法にも勉強にも、ずば抜けた才覚をお持ちなのです。
「ルアン、今日はどんなお話しをしてくださるの?」
「!王女殿下。そうですね……では、【君主制】……こちらでいう王政について、お話ししましょうか」
彼は宰相の息子として生まれ、その類稀なる頭脳でこの王国を発展へと導いてくれています。幼い頃から父親の補佐として城に出入りしていた彼が私の許嫁となることは、極めて自然なことでした。
そう。
あの日、彼が彼女達に興味を示すまでは、それが当然のことだと疑いもしませんでした。
この国には迷宮という……所謂魔物たちの巣窟がございます。そこの魔物は野良の魔物と異なり、魔石というものを体内に有しています。その魔石は、庶民の生活から王国騎士団の兵器にまで使われる、この世になくてはならない動力源なのです。
そして王国では、年に一度、優秀な迷宮探索者たちに褒賞を与えています。
その日も、例年と変わらず迷宮探索者に褒賞を与え、夜会へと招いて上流階級の生活を一時楽しんで頂き、翌年に向けての志気を高めて終わる予定でした。私はいつも通りルアンと共に夜会へと参加いたしましたが、そこで、彼女達と出会ったのです。
「君……最優秀探索者のキャネッサと言ったかな?その武器は……珍しい武器だね?」
「はっ。ご慧眼恐れ入ります。【刀】と言われる片刃の武器にございます。王国で流通している剣と違い、切ることに特化しております」
赤髪赤目のキャネッサは、立場を弁えていらっしゃるのでしょう。夜会の場で跪く必要はありませんが、ルアンに対してまるで騎士のように受け答えをしています。
「……王国以外でも流通しているとは聞いたことがないのだけれど、差し支えなければどこで手に入れたか教えていただけないだろうか?」
ルアンがここまで興味を持つのは、とても珍しいことです。しかもそれが、近接戦闘に用いる武器となればなおのこと。
ルアンは遠距離攻撃を好んで使っています。もちろん魔法の腕がとても良いこともあるのでしょうが、体術が苦手という訳ではないようなのに、近接戦闘は避ける傾向があるのです。
理由を聞いたところ、たとえ魔獣であっても近くで命が潰える瞬間を見たくない、と仰っていました。恥ずかしながら魔獣の命など考えたこともなかった私は、ルアンの心優しさに感動いたしました。
そのルアンが、カタナという聞いたこともない武器に興味を示したのです。
私は残念ながら戦闘の才能がなく、王族の義務として迷宮探索に向かう際も、後衛として補助魔法や回復魔法をかけることに徹しています。ルアンとキャネッサの会話は専門用語が多いのか、ところどころ聞き取れない単語が多用されていました。
そしてその会話がひと段落したと思った時には、二人は呆けたように見つめあい、まるで隣にいる私など目に入っていないようでした。
私も近隣の外国語は修めていますが、二人は私が聞いたこともないような言葉で会話をし、何かしらの約束を取り付けたようです。何を話しているか私が分からないと思ったのでしょうけれど、表情や言葉の抑揚でなんとなくわかるものがあるのです。
隣に婚約者がいるというのに、なんということでしょう。
私はうぬぼれではなく、今までルアンと相思相愛だと思っておりました。しかし、勘違いだったのでしょうか。
ルアンからここまで積極的に約束を取り付けようとする姿など、私に見せたことなどありません。よくよく考えれば、私の方から登城してきたルアンの元へと足繁く通っていたように思います。
私が王女だから、邪険にできなかっただけなのでしょうか。
試しに、とルアンの元へと通うのを止めてみることにしました。
するとどうでしょう。
ルアンが私の元へやってくるのは、婚約者として失礼でない程度の頻度……一週間から二週間に一度程度だったのです。やはり、ルアンが私と婚約しているのは、愛情などではなく……義務感だったのでしょう。
ルアンの優秀さに恥じないよう、学業も礼儀作法も頑張って参りました。しかしルアンの好みは、キャネッサのような素朴な……市井にいるような女性だったのに違いありません。王女という立場がある以上、また今まで築き上げてきたものがある以上、今更それを崩すようなことはできません。
私が市井に降りることなど、できるはずがないのですから。
頻度が減ったとはいえ、ルアンと過ごせる時間は私にとって大事な時間でありました。出来る限りルアンをもてなし、精一杯楽しい時間を過ごしてもらえるよう配慮いたしました。ルアンが……本当はキャネッサと縁を結びたいと考えていたとしても、立場が許すはずがありません。
結婚してから少しでも、私に気持ちを向けていただければいいのです。
「ルアン……寂しいわ……」
誰もいない部屋で、窓辺に立って夜空を見上げます。夜の帳が下りた空は、まるでルアンの髪のようです。
ルアンにとっては政略結婚なのかもしれません。
けれど少なくとも、私にとっては恋愛結婚なのです。
彼を思って瞳が潤むのも、頬を涙が濡らすのも、止めようと思って止められるものではありません。
徐々に元気を失っていく私に気が付いたのでしょう。
ある日、お父様から呼び出されました。
「何か心配事でもあるのかね?」
ルアンとキャネッサのことを言おうか迷います。けれど、それを伝えて婚約破棄されてしまったら……私は何を寄る辺にして生きればよいのでしょう。
口を噤むことを決めました。
「お心遣い痛み入ります。心配事などございません。婚姻の儀を控え、緊張しているのでございます」
そうなのです。ルアンとの距離が広がりつつある今ですが、結婚式はもう来月なのです。そこさえ無事に乗り切れば……きっと、きっとルアンの心も私に向くことでしょう。
心を巣食う不安に気付かないふりをして、幸せそうに、楽しそうに結婚式の準備をします。時たまそれを理由にルアンを呼び出し、二人で準備をすることもあります。
……やはりルアンは優しく、私を邪険に扱うことなどありません。寧ろ私に好意を向けてくれているようにさえ感じるのです。なので一緒にいる間は、キャネッサのことを考えずに済みます。
……やはり私の勘違いなのでしょうか?
けれど二人が会う約束をしていたのも、ルアンからは滅多に会いに来てくれないのも、事実でございます。もしものことがあったときに、自分が傷つかないようにしておくのは大事です。最悪の展開を常に想定しておきましょう。
しかし、そんな私の不安など存在しないかのように順調に準備は進み、結婚式の当日になりました。
お父様に腕を引かれ、祭壇へと続く道をともに歩きます。その先、祭壇の前には、ルアンが姿勢よく立っています。
私と同じ色の正装を身に着けているルアンは相変わらず格好よく、この国の誰よりも私の目には輝いて見えます。そっとお父様からルアンへと私の手が移され、ルアンに導かれて祭壇を登ります。
神に生涯の愛を誓い、婚姻の儀が成立しました。
これでルアンは私のものです。
私の旦那様なのです。
将来はルアンのお父様のように、即位するであろう私の弟を支える、素晴らしい宰相になってくれることでしょう。
ほっと安心をして、市井へと行進に向かいます。上部が大きく開いた馬車に乗り、民衆に向かって手を振ります。近衛兵に囲まれてはいますが、ここまで近くに王族が姿を見せるのはこういった行進の時のみです。
さて行進も終盤に差し掛かり、さすがの私も笑顔が疲れてきた頃、城門の近くにキャネッサが佇んでいるのが見えました。
ハッとして、ルアンへと視線を向けます。しかしルアンは特に気にした様子もなく、私へといつもの笑顔を向けてきました。
……キャネッサに気付いていないのでしょうか。いえ、そんなはずはありません。
私でさえキャネッサを見つけられるのです。私よりも遠くまで見ることのできるルアンに、見つけられないはずがありません。
幸い馬車の上には私達二人しかいません。意を決して、私はルアンへと真意を質すことにしました。
「ルアン……キャネッサ様が見ていらっしゃるわ」
「?そうですね。きっと僕たちを祝いに来てくれたのでしょう」
もしキャネッサと恋仲なのだとしたら、なんてひどい言葉でしょう。ルアンは優しいと思っていましたけれど、実は二面性があるのでしょうか。
もしそうなのだとしたら、私のことも影で何と言っているのかわかりません……。
「……キャネッサ様と仲がよろしいのではなくて?」
「ええ、まあ……ご存知だったのですか?」
まさか肯定されるとは思いませんでした。民衆の目があるとわかっているのに、私の目に涙が溜まり始めます。それを見て、ルアンが焦ったように言葉を重ね始めました。
「え!?王女殿下、どうされたのです?どこか具合でもよろしくないのですか?何かお気に障ることでもございましたか?」
ここで大声で泣き叫んでしまえたなら、どんなに楽でしょう。しかし結婚早々に不仲の噂を流される訳には参りません。ぐっと耐え、頑張ってルアンを睨みつけます。
「神に愛を誓ったその日に、不貞を堂々と認められるとは思いませんでしたわ」
「?不貞?」
「っ……キャネッサ様と逢引なさっていたでしょう?私、気付いているのですよ。迷宮探索者との夜会で、会う約束をされていたこと……」
すると、ルアンは心底びっくりした顔をして口を開きました。
「まさか……王女殿下も【転生者】……?」
「?……テンセイシャ……?」
今度はこちらがびっくりする番です。ルアンが私の知らないことをたくさん知っているとは思っていましたが、全然耳馴染みのない言葉が出てきたのですから。
思い返せば、昔から似たようなことは何度もありました。その度に私の無知を恥ずかしく思っていましたが、今は明らかに私に通じると思って話したように感じます。
「あ、いえ……なんでもないのです。違うのですね……。では、なぜ逢引したと?」
「そんなの……表情などで、なんとなくわかるものです。私がいつからルアンを見ていたと思っているのですか」
かあ、と顔が紅潮し、嬉しそうに口元が歪んでいますけれど、それどころではありません。私は怒っているというのに、ルアンはわかっているのでしょうか。
「それより、テンセイシャとは何ですの?私に言えないような秘密ですか?」
「……いえ、そういう訳ではないんですが……。その話は、今夜でもいいですか?」
「……夜まで待てば、キャネッサ様とのご関係も、きちんとお話しいただけますのね?」
「そうですね……そんな情緒のない初夜は嫌なのですが、王女殿下が気になさるのでしたら、そうしましょう」
しょ、初夜だなんて……!今度は私の頬が真っ赤になる番です。ルアンがニヤニヤしていますが、こんな意地悪を言う方だったでしょうか。もしかして、釣った魚には餌をやらない人だったのでしょうか。
「わ、私は心が狭いようです。きちんと納得させてくださいませ」
「ええ、大丈夫ですよ。それよりほら、笑ってください。民衆も王女殿下の笑顔を見に来ているのですから」
ルアンに促され、また笑顔を浮かべて手を振り始めます。誰がどこにいるかを考えると顔が引きつりそうなので、無心になって愛想を振りまきました。
気付くと城門前まで来ていましたが、キャネッサも本当に嬉しそうに手を振り返してくれました。心からお祝いしてくださっているのでしょうか。
キャネッサは、私よりも心が広いのかもしれません。
そして、緊張の夜。
弟が成人するまでは、念のため私も王位継承権は放棄しないため、ルアンとしばらくは王城暮らしです。ルアンは次男なので、宰相の方も特に問題はないのです。弟が王太子に任命され次第、ルアンが新しく爵位を授かって、私は王位継承権を放棄する予定です。
一人で涙を流した窓辺で、ルアンがやってくるのを待ちます。侍女に用意された寝間着はいつもより薄くひらひらしており、早く寝具へと潜り込まねばお腹が痛くなってしまいそうです。不安がどんどん押し寄せてきます。
必死で平静を保っていると、私が入ってきた扉と反対側の扉が、コンコンと叩かれた後に開かれます。ルアンです。
「お待たせしてしまいましたか?」
「……いえ、ルアンに執務が残っていたのは存じていますもの」
そっと私に寄り添うと、自然な流れで長椅子へと促されます。そのような寝間着では冷えますね、と寝具から上掛けを一枚剥がし、そっとくるんでくれました。
私はこれからどのような話をされるのでしょう。ルアンの優しさが嬉しくもあり、怖くもあります。
「それで、お話しいただけるのでしょう?」
ルアンは笑みを浮かべたまま、軽く頷き……少し逡巡した後にゆっくり話し始めました。その話は到底私には信じがたいことでしたが、ルアンの今までの功績や言動を鑑みると、納得せざるを得ない話でした。
「では……キャネッサ様とは何もなく、ただ前世が同じ世界の同じ時代だった、と……?」
「ええ。もちろんキャネッサだけではありません。キャネッサの【パーティーメンバー】……えっと、探索者仲間も、【刀】の制作者も、そうだったのです」
そう言われて、キャネッサ様の探索者仲間を思い浮かべます。確か彼女たちは、最年少探索者だったはずです。幼い頃から頭角を現し、今までにない攻略方法を見出し、迷宮探索に大きく寄与したと。褒賞の話は以前から出ていましたが、未成年だったために先送りにされてきたのだと聞きました。
つまり……今の王国の繁栄は、ルアンと同じ前世を持つ方々の功績のお陰、ということなのでしょう。なんということでしょう。
「ルアン!それってとても凄いことだわ!ルアンと同じ前世を持つ方は他にもいらっしゃらないのかしら?探し出して、王国騎士に勧誘したいわ」
「……王女殿下、それは賛成いたしかねます」
「なぜですの?」
「……前世の確認方法は確実とは言えませんし、同じ前世を持つからといって同じように活躍できるとは限りません。新しく人生を始めたい人もいるでしょう。王国に縛られたくない人もいるでしょう」
生まれながらにこの国のためにと育てられてきた私には、いまいち理解ができません。王国のためになるのであれば、とても喜ばしいことだと感じてしまうのです。
しかし、ルアンの反応を見る限り、それは好ましくはないのでしょう。ルアンに嫌われてしまうのは、何よりも悲しいことです。
「わかりましたわ。探すのはやめましょう。……キャネッサ様たちは、もしかして王国から出たがっているのかしら?」
「そのようなことはありません。実は……王女殿下にはきちんとご相談しようと思っていたのですが、キャネッサの仲間が武器や生活用品を開発するのを、支援したいと考えているのです。きっと今よりも王国民の生活が豊かになると思います」
「……ルアンは、そのために私と婚姻したのですか?」
「まさか。……僕は、王女殿下を……心からお慕い申し上げております」
ルアンが耳まで真っ赤にして、それでも私から目を逸らさずにそう言いました。
僕が前世いたところでは、あまり正面切って愛の言葉を囁く習慣はないのです、とぼそぼそと言っています。そんなルアンを見るのは初めてで、なんだか心がほっこりします。
「……開発支援は、後から出てきた話です。もし王女殿下がご不快に思うのでしたら、叙爵頂く前に支援金を一時的に払って、終わりにいたします」
「王国民の生活が豊かになるのは、とても好ましいことです。不快になど思いませんわ」
ルアンが、ほっとしたように笑顔を浮かべました。前世とは言え同郷なのですから、なにがしかの特別な感情があるのかもしれません。
「でも、私に秘密にするのはなしにしてくださいませ!ルアンとなかなか会えなくて……とても寂しかったのですよ」
「わかりました。仰せのままに」
そう言って私を軽々抱き上げると、パシッと整えられたふかふかの寝具の上に、どさりと落とされました。そして私の手を掬い上げると、手の甲に口を寄せ、上目遣いに私を見つめます。
ルアンにそのような顔をされて、断れるわけがございません。
ルアンに身を委ね、初めての夜を過ごしました。